※喫煙注意 昼寝のしすぎで眠れないという、素晴らしいゴミっぷりを絶賛発揮中の僕は、いびきや寝言でうるさい部屋を抜け玄関を出て、そのまま戸に凭れた。 ぼんやりと月を眺めながら煙草をくわえ、火を点ける。ふぅっと煙を吐くと月が霞んで、よくわからないけどざまぁみろと思った。 「いち?」 冬の夜の乾いた空気に響いたのは、久しぶりに聞く声だった。ぴくんと肩を跳ねさせ、声の方に視線を向ける。 真っ白のコートに身を包んだ人物は、高校で同級生だった新名だ。家が近くて、今でもこんなふうにたまに顔を合わせる。 その度、無視してくれていいのに、彼女は僕に話し掛けてくるのだ。そしてその、兄弟とは違うやわらかな会話が、僕は決して嫌いではない。 女の子が一人で出歩く時間帯ではないなと少し眉根を寄せ、煙草の灰を落としながら問い掛ける。 「……何してんの、夜遊び?」 「バイト帰りだよー」 「あー、労働お疲れさまでェす」 「いちは何してんの」 「火遊び」 煙草を口に銜え直しながら答えると、彼女は僕と同じように玄関の戸に背を預け、手に持っていたビニール袋をがさがさと漁り始めた。 「何、帰らないの」 「久しぶりだし、ちょっとお話しよーよ。いちの火遊びが終わるまででいいから」 似たような毎日を送っているクズニートの僕には、元同級生の現大学生に提供出来る話題なんか無いのだけど。 だけど結局僕はそれを拒まないし彼女もそれを知っている。ふと、僕の頬に何か温かい物が押し付けられ、思わずびくっと身体を揺らした。 「な、」 「あげるー」 頬に当てられた物を彼女の手から受け取ると、小さいペットボトル飲料だった。甘ったるそうなホットココア。 「新名が飲むために買ったんじゃないの」 「ううん。コンビニでね、くじ引いたら貰ったんだー。いち寒そうだし、あげる」 「……そ、ありがと」 一本吸ったらすぐ部屋に戻るつもりだったから、僕は寝間着にパーカーを羽織っただけの格好だ。コートを着た彼女にはさぞ寒そうに見えるだろう。 「家の中で吸っちゃ駄目なの?」 「いや……、あ、換気はしないと怒られる」 「じゃあわざわざ外で吸うことなくない?」 「兄弟寝てるのに窓開けらんないでしょ。換気扇も深夜は響くし」 居間で吸ってもよかったけど、電気を点けるのが嫌で、それなら月と外灯で明るい外に、と思って出てきただけで。……何だか蛾みたいだ。 「煙草吸うと、よく眠れるの?」 「……そういうわけでもないけど。落ち着きはするかな、深呼吸みたいな感じ」 「ずいぶんと不健康な深呼吸ですなぁ」 「そうですなぁ」 ぷぁ、と煙を吐くと、輪っかの出来損ないみたいなのが浮かんですぐに消えていった。 灰を落としてすっかり短くなった煙草を見て、そろそろお開きかなと考える。と、煙草を持っていない方の手の袖をくいくい引っ張られた。 「何」 「煙草吸ってみたい」 「……言うの遅いよ、馬鹿」 ひとつ溜息を吐いて、煙草を口端に銜えたままパーカーのポケットを探る。 半分ほどに減っている箱の中から一本取り出して新名に差し出しながら、使い捨てのライターもポケットから取り出した。 「いいの、一本貰って」 「いいよ、ココアの分」 「じゃあ、お言葉に甘えて」 彼女がおずおずと銜えた煙草の先端に、僕はライターの火を近付ける。数秒火を点していると、先端がじりじりと焦げていく。 ……ああそうか、吸い方を知らないのか。ほんの少し微笑ましく思いながら、一度火を消して新名に言葉を掛ける。 「新名、煙草銜えたまま息吸って」 「……んぅ?」 「ストローみたいに。噎せないように、軽く」 首を傾げた彼女が僕に言われるまま軽く息を吸ったのを確認し、再度ライターを点して近付ける。すると今度はちゃんと火が移った。 橙色に染まった煙草の先端を見て彼女が瞳を輝かせたのも束の間、一度の深呼吸で盛大に咳き込み出した。 「あー……、大丈夫?」 自分の分の煙草をコンクリートに押し付けて消し、新名の手から煙草を奪って、逆の手で背中をとんとんと叩いてやる。 咳き込むか、不味いと言うかのどっちかだと思ってはいたけれど、まさかこんなに早く音を上げるとは。 「うぇー……」 「懲りた?」 「うん……、ごめんね、一本貰ったのに……」 「いいよ別に。残りは吸うし」 そのまま彼女の吸い差しに口を付け、それが微かに唾液で湿っていることに気付いて、しまった、と思う。 回し飲みよりずいぶんと生々しいそれに、ちょっと興奮している自分に嫌気が差す。自覚はあるけど、ほんと気持ち悪い、僕。 彼女は嫌じゃなかっただろうか、大学生だしこんなの慣れてるかな、とちらりと様子を窺うつもりが、ばっちり目が合ってしまった。 「……何」 「いちが吸ってると、おいしそうに見えるのになと思って」 「吸い慣れてるから、そう見えるだけじゃないの。別に美味しいとは思ってないし」 「まぁ確かにちょっと苦かった」 「そうだね、強いやつだしね」 なるべく新名の方に煙がいかないように息を吐きながら、苦いはずの煙草にちょっと甘さを感じていた。 「ふふ」 「……どしたの」 「今、口の中、いちとおそろいだね」 「……そうだね」 あまりにも可愛いことを言われて、口元が緩むのを誤魔化すように煙草を銜え直した。くそ、マスクが恋しい。 「吸い終わったら、送る」 「え、いいよ、近いし」 「よくないよ」 「だっていち風邪ひいちゃうよ」 「俺が風邪ひいても誰も困らないよ」 「私が嫌だよ」 「俺だってあんたに何かあったら嫌だよ」 しばらくの押し問答の後、結局今度お礼するからと彼女のバイト先である居酒屋に行く約束を取り付けられたことで家まで送ることを許された。 寒い寒いと文句を言いながらもずいぶんとゆっくりな足取りで、狼になることもなく彼女を家まで送り、初めて「おやすみ」という言葉を掛けた。 気持ちだけはぽかぽかと温かさを感じながら帰路を辿って、玄関前に放置していた吸い殻の後始末をし、静かに部屋へと戻る。 そして、苦いくせに甘酸っぱい「おそろいの味」を感じたまま眠りたい僕は、彼女から貰ったココアを飲むことなく布団に潜り込むのだった。 吐き出せないから煙にも巻けない 物凄く時間が掛かる恋をしたらいい。 15.12.21 |