「今泉くーん」
「……はい」
「大丈夫?吐きそうな顔してるよ」
「吐きませんよ……。大丈夫、です」

さっきからずっとこの調子である。
初めての家デートなのだし緊張するのはわかる。それにしたってちょっと緊張しすぎだろう。
こんなドラマに出てくるようなだだっ広い家に招かれて、緊張すべきはどう考えても私の方だというのに。
あたたかい紅茶と一緒にマカロンを数個差し出されて20分。何故か正座をしている彼との距離は、テーブルを挟んで2メートルから縮まらない。

「美味しいね、このマカロン」
「、そうですか、よかった」

安堵したように表情緩めて喜ぶ姿は、大変可愛い。生真面目な彼のことだ、きっと、お菓子ひとつ決めるのにも散々悩んだのだろう。
しかし私は何故バレンタインに彼氏の家でお菓子を食べているのか。
「バレンタインの日、家に来ませんか」と言われてはいたけれど、まさか自分がチョコを渡す前にお菓子を出されるとは想定外だ。
だけど渡さないわけにもいかないので、傍らに置いた鞄から、昨晩悪戦苦闘しつつラッピングしたハート型の箱を取り出す。

「ハッピーバレンタイーン」

テーブルの上に置いて、すすっと差し出しながらそう言うと、今泉くんはぽかんと口を開いた。

「……何も用意しなくていいって言ったじゃないですか」
「そういうわけにはいかないでしょ、初めてのバレンタインなんですよ」
「……ありがとうございます」

ハート型の箱に、今泉くんの長い指が滑る。青いリボンを弄りながら「スコットの色だ」と呟いた口元が、楽しげに緩んだ。
この様子から察するにバレンタインは楽しみにしていたのだろうし、チョコレートだってきっと、本心から拒んだわけではないのだろうなと思う。

「ねぇ、何でチョコ用意しなくていいって言ったの?いっぱい貰うから?」
「そんなわけないでしょう」
「でも、いっぱい貰ったでしょ?」

学年が違えど、彼が人気なのは知ってる。だいたい彼は、私を筆頭に、年上からもモテるのだ。

「……本命のやつだけ、受け取りました」
「……普通は、逆じゃない?」

いや、よくは知らないけれど、彼女が居るなら本命は受け取らないのではないか。義理は断って本命は受け取るその意図がわからず首を捻る。
今泉くんは少し躊躇いを見せ、それでもゆっくりと口を開く。

「……だって、知っちゃったんで」
「ん?」
「告白するのが、……どれくらい勇気が要ることなのか、って」

蝶々結びになっている青いリボンの先端を指先にくるくる巻き付けながら、目線を下げてそんなことを言うものだから、うまく反応できなかった。
そういうことかと頭の隅で冷静に理解しながらも、頬が熱を帯びていくのが自分でもわかる。

「想いを受け取ることは出来ないけど、せめてチョコだけでも、って思って」
「……うん」
「あ、でも、ちゃんと彼女が居るってことは言ったし、お返しも出来ないって伝えました、から」

焦った様子で顔を上げて、そのくせ、目が合うと勢い良く逸らされたものだから、思わず吹き出してしまった。
そんな私の反応に「なんですか」と微かに尖った唇が言葉を紡ぐ。なんて可愛いひとなんだろう。

「そうだとしても、私が何も用意しなくていいってことにはならないんじゃないの」
「……だって、オレ……新名さんに、いろんなもの貰ってばっかりだから」
「私、別に今泉くんに何もあげてないよ?」
「いや、物の話じゃなくて」

首を傾げて見せると、ぐ、と言葉を詰まらせ、髪をがしがし掻くとほのかに赤らんだ耳が露わになった。
顔を伏せたまま「わかんないなら、それでもいいです」と呟かれたけれど、何となくわかる気がしたのは言わないでおくことにする。
だけど、私はそんなに彼にいろいろ与えてあげられているだろうか。
心なんて、そんなものは一番最初に捧げてしまったけれど、「好き」の言葉はまだ言い足りないほど、頭の中や喉の奥に満ち満ちている。

「ねぇ、今泉くん。もうひとつ訊きたいことがあるんだけど」
「なんですか」
「何でそんなに離れて座ってるのでしょうか」

恋人同士でふたりっきりで、一体いつまでこんな変な距離感に耐えなければいけないのだろう。それとも近付きたいと思っているのは私だけなのか。

「な、何でって言われても……」
「理由が無いなら、近付いてもいいですか」
「は!?」

膝立ちになりずりずりと今泉くんの方に寄っていくと、彼が同じように座ったまま後退る。
じりじりにじり寄っているつもりなのに、如何せん部屋がバカ広いせいで距離が縮まらない。

「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
「なーんーでー」
「何でって、だって、あの」
「だってだって、って、さっきから子どもみたいだよ今泉くん」
「なっ……!?」

今泉くんは、年下扱いを極端に嫌がる。それをわかっててたまにこうやってからかったりする。彼の本音を引き出すために。
テーブルの周りをぐるっと一周したところで動きを止め、今泉くんの顔をじっと見る。
彷徨わせていた視線を下げてひとつ溜息を吐くと、彼がぶっきらぼうに言葉を紡ぐ。

「緊張、してるんです……、察してくださいよ……」

額に当てられた右手で顔が隠れ表情は窺えないけれど、きっと頬は赤く染まっているのだろうなと容易に想像できた。

「そんなに緊張してるのに、何で家に呼んだりしたの」
「……自分の家なら緊張しないかなと思って呼んだんですけど、……逆効果でした」

……ああもう本当に可愛い。思わず漏れた小さな笑いに敏感に反応した彼が、キッと鋭い目つきで睨みつけてくる。残念ながら全然怖くない。

「可愛いなぁ、今泉くん」
「全っ然嬉しくないですね」
「喜ばせようとしてないからね」
「……怒りますよ」
「怒っても可愛いからいいよ」
「んだよ、それ……」

テーブルにごつんと音を立てて突っ伏した彼の赤い耳朶を見て、やっぱり可愛いなぁと思う。
今日彼に告白してきた女の子の誰一人として知らない彼だ。私だけの、宝物。

「ねぇ、やっぱり近付いていい?」
「……駄目です」
「3分あげるからその間に覚悟して」
「……覚悟するのは、そっちなんじゃないですかね」
「ん?」
「何でもないです」



好きと好きの攻防戦


存分にヘタレさせたかっただけの話。
15.02.14

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