大晦日の夜、家族とだらだらとお蕎麦を食べた後は、年末の特番を観ることもなく部屋に引きこもって勉強していた。 焦ったって仕方ない。けれど、残酷なまでに時間は無い。センター試験はすぐに始まる。 判定は合格圏内ぎりぎりといったところ。滑り止めだってあるけれど、でも一番行きたいと思った大学に行きたい。 高校受験のときも同じようなことを思ったっけ、と、もうはるか昔のことのように思い出した。 過去に想いを馳せるほど集中力が途切れたところに、携帯電話が派手に振動して、私の身体も負けじとビクッと震えた。 数秒で切れないということは、電話だ。煌々と光る画面を確認すると、「黒田雪成」の文字が浮かんでいる。 「はぁいー」 「あ、唯さん?オレです」 「年末にオレオレ詐欺ですかー、ご苦労様でーす」 「違いますっ、黒田です!」 「うん、知ってる」 はぁ、と電話の向こうから深い溜息が聞こえる。近くで車の音もしているということは、外に居るのだろうか。 「……っていうか、寝惚けてんすか。もう年明けましたよ」 「は!?嘘!?」 「本当です」 壁に掛かった時計を確認すると、2時を示していた。自分で思っていたよりは、勉強に集中できていたらしい。 「気付かなかった……」 「メールもしたんですけど、見てません?」 「うん、ごめん……」 「いや、いいですよ。もしかしてオレ、起こしちゃいました?」 「ううん、寝てない。勉強してただけ」 「あー……、すみません、大丈夫ですか、電話」 「ん、大丈夫」 耳元に響く雪成の声は、深夜だからか普段より静かだ。 電話の向こうで、ピッという機械音と、ガコンという深夜に似つかわしくない音が響いた。 「何してるの、雪成」 「……唯さん、ちょっとでいいんで、降りて来られませんか」 「はい?」 「早くしてくれないと、新年早々、新名家の前に凍死体が転がることになりますよ」 その言葉に、勉強机の椅子をがたんと後ろに倒す勢いで立ち上がり、ベランダ側のカーテンを開ける。 窓を開けて一歩ベランダに踏み出すと信じられないくらい寒くて、だけどそのまま家の門付近を見下ろす。 音に気付いた雪成が上を見上げ、驚いた表情を浮かべた。 「何してんすか、アンタは!せめて何か羽織ってから、」 「2分!2分だけ待って!そっち行く!」 「……あったかい格好で来てくださいね」 その言葉に返事をして電話を切り、思いっきり部屋着だった格好から下服だけ穿き替え、言われた通り厚手のコートを羽織る。 家族はどうやらみんな寝たようだ。静かに階段をおりて玄関を出ると、雪成が門の前の段差に座って待っていた。 「お待たせ」 「……いえ。すみません、急に来て」 「ううん、大丈夫。ママチャリで来たの?珍しいね」 「クラスの奴と、初詣行ってきたんですよ。人が多いとこには、ロードで行きたくないんで」 「あぁ、新年早々、盗難とか嫌だもんね」 雪成の隣に腰掛けると、小さいペットボトルを差し出される。暗くてパッケージが見えないけど、あったかい。 「ちょっとぬるくなっちゃいましたけど、無いよりマシだと思うんで」 さっきの音は、これを買っていた音だったのか。お礼を言うと、小さく息を吐いて微笑まれる。私の大好きな表情だ。暗がりでも、よくわかる。 「あと、これ」と言って、雪成から小さな紙切れを渡された。首を傾げて見せると、スマホの光を手元に当てられる。 「……おみくじ?」 「開けて」 促されるままがさがさとおみくじを開けて見ると、「大吉」の文字。 「おぉ、すごい」 「あげます、それ」 「え、いいの?」 「今年は初詣行かないって言うから、お守り買ってきてあげようと思ったんですけど、何かこっちの方が効きそうだし。オレの運、全部あげます」 「……全部貰っちゃ駄目じゃん。雪成、今年インハイ出るんでしょ」 「受かったら、お礼参り行きましょうよ。その時、唯さんの合格パワー貰いますから」 何だそれ。そんなことを言われたら、合格するしかないじゃないか。受からないとお礼参りに行けないし。 両手でペットボトルとおみくじを包んだまま俯くと、雪成が小さく笑う声が耳に届く。顔を上げる前に、私の手に彼の手が重なった。 「受かりますよ、大丈夫です。っつーか、オレのこと構えないほど勉強してんだから、受からなかったらおかしいでしょ」 空いてる方の手で、私の頬を優しく撫でる。ポケットに突っ込んでいた手はとてもあたたかくて、泣きそうになる。 「ごめんね、せっかくの冬休みなのに」 「冬休みは勉強するって、前以て聞いてたんで気にしなくていいです。でも、気分転換したくなったらいつでも呼んでくれていいですから」 「うん、ありがとう」 「ひとまず今日は休んでください。目の下、ちょっとクマ出来てるし」 頬を撫でていた手が、そのまま目元に移動する。ゆっくり労わるように目の下を撫でられ、思わず目を閉じた。 その閉じた瞼に冷たい感触が走って、それが雪成の唇だと気付くまで少し時間が掛かった。 ぽんと頭に手を置かれて目を開けると、彼は「そろそろ帰ります」と言って立ち上がる。差し出された手を握ると、ぐいっと引っ張り立たされた。 「身体冷やさせたオレが言うことじゃないけど、あったかくして寝てくださいよ。明日、雪らしいんで」 「へぇ、お正月に雪って、久々だね」 「そうですね。どうせならクリスマスに降ればよかったのに」 「でも私、雪好きだから嬉しい」 「……そうですか」 「……何赤くなってんの」 「なってないです、目ェ疲れてんじゃないすか」 持っていた手袋で私の頬をぺしんと叩くと、そのまま手袋を付ける。すっかり暗闇に慣れた目に、やはり雪成の顔は赤く見える。 自転車に跨った雪成が、「じゃあまた」と言いペダルに足を掛けたのを、彼のコートを掴んで引き止める。 「何ですか」 「今年もよろしくね」 「……ん、こちらこそ」 「またね」 ひらひらと手を振り彼の背中を見送って、玄関に入ると室温の暖かさが沁み渡る。 もうずいぶんと冷えてしまったペットボトルの中身はココアだった。私の好みは、雪成にはすっかりお見通しだ。 マグカップで温め直したココアを飲んで、彼に言われた通り今夜はもう寝てしまおうか。 年が明けて一番最初に大好きなひとに会えたのだから、きっと優しくて幸せな夢がみられる気がするのだ。 雪が降る夜、君の夢をみる 箱学の常識人は苦労人なので、恋人と居る時くらいまったりして欲しい。 15.01.01 |