僕が住んでいる久屋家の離れは今、普段では有り得ないような甘ったるい香りが充満している。
料理が、そして中でもお菓子作りが好きな彼女がクリスマスケーキを自分で作ると言ったことには、別段驚きもしなかった。
てっきり一般的な苺と生クリームのケーキが出てくると思とったのに、ブッシュドノエルが出てきたことに僕は驚いている。
夕方前のおやつの時間だからか、小さめのケーキを作ってきてくれとる。

「こんなん、家で作れるんやなぁ」
「言うてしまえば、ロールケーキやからね」
「あ、雪だるま乗っとる」
「マシュマロで作ってみましたー」
「かいらしいな」

マシュマロを指先でつつきながらそう言うと、唯ちゃんはふわりと笑ってみせる。
プラスチックのナイフでケーキをどう切ろうか考えあぐねている彼女の腕をくいっと引っ張り、制止する。

「切ってまうん?」
「え、食べへんの?」
「食べるけど。折角やし、ちょっと贅沢な食べ方しようや」

僕の言葉に唯ちゃんは一瞬きょとんとした顔をして、それでもすぐに理解したのか、僕にフォークを差し出してくれた。
ケーキの端にフォークを刺し、一口分を乗せて口元に運ぶ。思とったより甘さが控えめで、食べやすい。

「何を不安そうな顔で見とるの、ちゃんと美味しいで」

僕の顔を覗き込んでくる唯ちゃんの頭を撫でながら告げると、やっと安心した表情を浮かべる。

「よかった。スポンジもクリームも味見したけど、ちゃんとケーキになった状態での味見、出来ひんかったから」
「あぁ、成程な」

どっちも美味しかったなら、不味くなる筈は無いやろうに、変なとこ心配性やなと心の中で苦笑する。
口の中のクリームも無くならへんうちに、再度フォークを刺してケーキを掬うと、次は唯ちゃんの口元に運ぶ。

「ん」
「……え、ええよ。自分で食」
「ええから」
「でも、」
「あーん」

そこまで言うてやっと口を開いてケーキを食べてくれた。なんて手間の掛かる彼女やろか。
「どう?」と訊くと小さく頷いたので、味にも納得したようやった。何よりや。
僕自身も勿論食べながら、甲斐甲斐しく世話を焼くように彼女にも何度か食べさせ、半分ほど進めたところで一旦休憩する。

「ブッシュドノエルって、フランス語やな」
「あ、じゃあフランスのお菓子なんやね」
「知らんで作ったん」
「クリスマスっぽいの、これしか知らんくて……。ようわかったね、フランス語って」
「……ちょっとずつやけど、勉強、しとる」
「そっか」

将来、プロになりたい。海外に行きたい。そう思ってるし、唯ちゃんにもたまに話す。
自転車始めた頃から夢見てた舞台。その土地の言葉は、完璧とは言えずともちゃんと理解しておきたいと思て勉強を始めた。
フランス語を勉強しとると言うた僕にやわらかく笑って見せた彼女は、その僕の将来に、自分が居ることを考えたりするのやろうか。
僕の夢のために、彼女を振り回す気は無いけれど、振り回されて欲しいと思う僕も、確かに居る。

「フランスのクリスマスって、どんな感じなんやろね」
「……さぁ、どうやろね。カトリックやし、そこそこちゃんとしとるんちゃうかな」
「シャンゼリゼ通りとか、綺麗やろうなぁ」

シャンゼリゼ通り。フランス・パリの、世界で最も美しいと称される通り。
僕も見たことはあらへんけれど、そんな大通りのクリスマスイルミネーションは、それは綺麗やろうなと思う。

「……連れてったるよ、シャンゼリゼ通りには。いつか、必ず」
「クリスマスに?」
「ちゃう、残念ながら夏や」
「夏!?」
「ゴール地点やからな」
「……あ!」
「気付くの遅いわ、阿呆」

シャンゼリゼ通りは、ツールドフランスのゴール地点。てっきりわかっててその名前を出したと思うたのに、無意識やったらしい。

「えへへ、ゴールの瞬間は、イルミネーションより綺麗な景色になりそうやね」
「……ほやね。まぁ、クリスマスイルミネーションも、見せたげられるかも知れへんけどな」
「ほんま!?」
「キミ次第やで」

僕の言葉に、唯ちゃんは首を傾げる。その姿を見て、今はまだ、解るように伝えん方がええのやろなと思う。
たとえば僕が設計している通り、将来はプロになって、海外チーム入って、世界中飛び回って。
彼女がずっと僕の傍に居ることを選んでくれたら、どこにだって連れて行くのに。
きっと世界に行けば、インハイ以上に思い通りにはならへんことばっかりの中、彼女の存在が軸にあれば、なんて、柄にも無いことを考える。

「……唯ちゃん」
「ん?」

顔を上げた彼女の唇に、一度軽く口付ける。そのまま抱きしめ、耳元で小さく言葉を紡ぐ。
一言だけの短いそれを言い終えて身体を少し離すと、彼女は不可思議そうな表情を浮かべた。まぁ、無理もない。

「……何?英語?」
「フランス語」
「わからへんよ、そんなん!」
「勉強したらわかるで」
「聞き取りすら出来ひんかったのに!」
「一から勉強したら、ちゃんともっかい言うたげるわ」
「ほんまやね!?」
「うん、ほんまほんま」

僕の言った言葉が理解出来るくらいフランス語を勉強してくれたら、それはもう、そういう将来を期待してええってことかも知れへんし。
どう頑張ったって時間は早く過ぎひんし、大人になるにはもう少し年月が掛かるらしいから、気長に待つんも悪くないかなって思える。

「ほら、ケーキ食べてしまおうや。出掛けるんやろ」
「そうや、イルミネーション!京セラ!」
「シャンゼリゼ通りの話した後で、ショボく見えへんとええね」
「大丈夫だよー」
「何その自信」
「だって、翔くんと見るんやよ?」
「……あっそ」



Je ne peux pas vivre sans toi.

――キミが傍に居ってくれるだけで、大丈夫やって思えるよ


直訳は「君無しでは生きていけない」です。
14.12.22

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