肌寒さに意識が覚醒し、胸元のタオルケットを肩まで引っ張り上げる。だいぶ冷え込むようになってきた。そろそろ毛布を出さなければ。
タオルケットだけでは足りず更なるぬくもりを求めて左側に腕を伸ばす。が、それは空しくシーツを掴んだ。
昨日久々に彼が帰ってきたはずなのだけど、もう起きているのだろうか。それとも、帰ってきた夢を見ていたのか。
もぞもぞと身動ぎ、枕元の時計を確認すると9時前を差していた。起きよう。休みとはいえ、洗濯に掃除、やることはいっぱいあるのだ。

「いっ……、ひゃあ!?」

身体を起こした瞬間、腰に鈍い痛みが走った。久々の感覚。一瞬にして、昨日のことが夢じゃないと思い知り安堵する。いや、痛いけど。
勢い余ってベッドからずるっとタオルケットごと落ちたせいで、床に打ち付けた身体が尚更痛い。

「なぁに一人で遊んどんの、唯ちゃん」

リビングと部屋をつなぐドアを開け、呆れた目でこちらを見下ろしているのは、もちろん翔くんだった。この腰の痛みを与えた張本人である。
ベッドから落ちた音と声が聞こえたのだろう。脚だけベッドに残して床に身体を投げ出す姿を見られるとは、なんて恥ずかしい。

「見てないで起こしてよぉっ」
「ええ歳してベッドから落ちるほど寝相悪いん?困った子ォやなぁ」
「違っ、身体が痛くて……」
「あー……」

一言ですべてを察した翔くんは「堪忍なァ」と笑いながら私を抱き起こす。起こされて初めて、脚にも思うように力が入らないことに気付いた。

「脚も痛いん?」
「痛いというか、歩けないというか……」
「体力無いからなァ、唯ちゃん。顔洗うんなら、洗面所まで運んだろか?」
「んん……、お願い……」
「はいはい」

翔くんは一度ベッドに座らせた私を再度軽々と抱え、リビングを抜けて洗面所へ運ぶ。細くても男の子なんだなぁと、当たり前のことを思う。
私を洗面所まで連れてくると、「台所居るから、歩けんかったら呼びィ」と残して戻っていく。私は洗面台に寄り掛かり洗顔諸々を手早く済ませた。
洗面台に寄り掛かったまま片脚ずつ何度か曲げ伸ばしすると、だいぶ元通りになってきた。腰の鈍い痛みはそのままだけれど。
何やらいい香りがする台所へぽてぽて歩いていくと、翔くんがコーヒーを淹れているようだった。コーヒーメーカーから手を離したのを確認して背後からぽふりと抱きつく。

「いい香り」
「唯ちゃんのはカフェオレにしたげよか」
「うん、ありがとう」
「でもその前に、こっち飲んどき。声、嗄れてんで」

冷蔵庫からスポーツドリンクを取り出し、私の手に握らせる。確かに、少し喉が痛い。

「昨日、えらい喘ぎよったからなぁ?」

……後ろから抱きついたままの私には翔くんの顔は見えないけれど、多分すっごく楽しげな笑みを浮かべてるんだろうなと容易に想像できた。
彼の言葉には答えず、スポーツドリンクをこくこく飲み進める。3分の1程飲んだあたりで、頭上からまた楽しげな声が降ってくる。

「久々すぎて、声の抑え方も忘れてもうたんかなぁ思たわ」
「……久々すぎて性欲の抑え方も忘れたひとに言われたくないですねぇ」

そう言い返すと、翔くんの身体がぴくりと揺れる。言い返されるとは思わなかったのかも知れない。

今回の彼の海外遠征は長かった。レース自体が10日間にわたって行われ、その調整の為に2週間前から前乗りする形だった。
もちろん終わってすぐ帰ってこられるわけではなく、数日おいてからの帰国となった為、昨日は本当に、会うこと自体久々だったのだ。
付き合い始めて何度か遠征レースはあったものの、ここまで長い期間離れたのは初めてだった。
その離れた期間を経たのだから、まぁ昨晩の盛り上がり方も致し方ないように思う。昨晩というか、寝付いたのは既に朝方と呼べる時間だったけれど。

「えらい言うようになったやんか、この口は」
「いひゃいいひゃい」

右の口端に指を引っ掛けられ、そのまま引っ張られる。「よう伸びるなぁ」とププっと笑い指を離すと、そのまま抱きすくめられた。

「そもそも、昨日のは唯ちゃんが悪いんやで」
「わ、私、何もしてないでしょ!?」
「ハァ?寂しかった言うてぼろぼろ泣きながらしがみついて煽ってきたん、誰やねん」
「別に煽ったわけじゃ……!」

そういえば、優しすぎるキスの後に泣いてしまったのだ。だって、本当に寂しかったんだ。
連絡は何度か交わしていたけれど、小さな通信機器を通した声や言葉は、あまりに頼りなかったから。

「問題はそこからや。こっちは悪かったなァ思てじっくり優しゅう抱いたげようとしてんのに」
「う、ん?」
「ずいぶんと上手なおねだりで、更に煽られてしもたからなァ?」

背中を丸めて目線を合わせられる。普段ほとんど自分からは合わせてこないくせに、こういう時は嬉々として視線を絡めてくるのだ、この悪趣味な男は。

「き、記憶にない、そんなことっ」
「へーぇ、無意識にあないなこと言えるようになってしもたん?やらしい子になったなぁ?」

誰のせいだと心の中で毒吐き、言葉に出来ない代わりに胸元に頭突きをくらわせてやった。
「痛いで」と髪をくしゃくしゃにされる。いや、寝癖はまだ直してないから、くしゃくしゃにされたのかマシになったのかわからないけれど。
コーヒーメーカーがこぽこぽと音を立てるのを聞きながら、一度ゆっくりと口付けられる。そして私の頭に顎を乗せると、翔くんがひとつ溜息を吐いた。

「唯ちゃん、寂しいときはちゃァんと言わなあかんよ」
「……言ったじゃん、昨日」
「遅いねん、言うのが。あんな泣きじゃくるまで我慢する必要あらへんやろ」

確かに、あんなに泣いたのは付き合い始めてから初めてかも知れなかった。翔くんが珍しく慌てているのがわかったけれど、それでも止められなかったんだ。
彼がレースに集中するために、私が我慢することは当然だと思っている。だって邪魔するわけにはいかない。私は、自転車が好きな彼のことが大好きなのだから。
だけどそれでも、限界というものはあったらしい。それが昨日あんな形で溢れてしまった。

「寂しい言われても会えるわけやないけど、連絡増やすことくらいなら出来るし。もっと色々言うても構わんのやで」
「でも……」
「でも、やない。あのな、ボクは今までずぅっとロードばっかやったから、女の子の気持ちとかよう解らんのや。せやけど、唯ちゃんのことはちゃんと解りたいから……、ボクに全部教えてほしいと思うとるんよ」

翔くんの両手が、労わるように優しく私の腰を撫でる。瞼に一度唇を落とすと、「それにな」と少し掠れた声が続く。

「言うてなかったけど、ボクかて、ずぅっと、寂しかったんやよ」

ずるずると私の肩に顔を埋めて、最後は消え入るような声でそんなことを言う。
――ああ、そうだった。彼だって本来は、ものすごく甘えたで、寂しがりで。そして私にそれを忘れさせてしまうほど、不器用で言葉足らずなひとだった。
肩にぐりぐり頭を押し付けてくる翔くんの髪を梳くように撫でる。くすぐったそうに身を捩りながら、私を抱きしめる両腕の力が強まる。

「翔くん、大好き」
「……知っとる」
「翔くんも、寂しいときはちゃんと言わなきゃだめだよ」
「……ほやな」

顔をあげた翔くんは、ばつの悪そうな表情を浮かべていた。そんな彼が愛しくて仕方なくて、腕を引いてキスをねだる。

言わなきゃだめだとわかっていても、きっとまたお互い遠慮したり我慢したりするんだろうなと思う。そのせいでまた泣いたりもするんだろう。
だけど、何度だって歩み寄る気持ちがあるなら、離れている時間だって財産だ。想いさえ揺らがなければ、こんなにも甘やかな日々がある。

唇を離すと、翔くんはもういつも通りの顔で、私の頭をやわらかく撫でた。

「カフェオレ作ったるから、待っとき」
「ん。飲み終わったら、洗濯しよっか。お天気いいし」
「あ、じゃあシーツも洗いたいから、今のうちに剥いどいて」
「はーい」
「誰かさんのせいで、しわくちゃのべったべたやからなぁ」
「っ、私だけのせいじゃないでしょうが!」

さて、君と一緒に、今日はどんな一日を過ごそうか。



長い夜の、そのあとで

(深く沈むことしかできない愛を知り、溺れながら息をする)


沼っていうんでしょ、そういうの。知ってる知ってる。((
14.09.18

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