「唯ちゃん、まだ終わらないのか?」
「もうちょっと待って」
「んんー……」

放課後の教室に二人きり。
日直の私は日誌に向かい、それを待つ東堂くんは退屈そうに椅子をがたがた揺らしながらケータイをいじっている。相手はまた巻ちゃんだろうか。
珍しく部活が休みの彼と一緒に帰れる日に限って何で日直なんだろう。心の中で溜息を吐きながら、一日の総括という一番面倒な欄を埋めていく。

「唯ちゃんは綺麗な字を書くんだな」

いつの間にかケータイから視線を上げこちらを見ていた東堂くんが優しい声で呟く。

「……あんまり見られると恥ずかしいんですけど」
「ああ、すまない。クラスが違うとな、字を見る機会が無いだろう?」

だからつい、と笑いながら言う。整った顔立ちは、笑うと更に綺麗だ。
私と東堂くんは違うクラスだ。仲良くなったのは、私と同じクラスであり隣の席の新開くんの所に、東堂くんがよく遊びに来ていたから。
それでもまさか、彼から告白されるとは思わなかった。女の子なんか、よりどりみどりだろうと思っていたし。
頬や耳を赤く染めながら、普段の饒舌さからは想像できないたどたどしさで想いを打ち明けられたあの日のこと、私はずっと忘れないだろうと思う。

ただ、付き合うことになって3ヶ月経った今も、日常はあまり以前と変わらない。
何せ彼は強豪自転車競技部のエースクライマーだし、休日含めほとんど毎日部活で忙しい。一緒に帰るのも、本当に時々だ。
変わったことといえば、東堂くんが新開くんではなく私と話すためにこの教室を訪れるようになったこと。
それから週に数回、大勢の女子の注目を浴びながら学食で一緒にお昼ごはんを食べるようになったことくらいだろうか。

「唯ちゃん、手が止まっているぞ」
「え、あ、うん」
「……どうかしたのか?」
「んー、思い出してた」
「何をだ?」
「東堂くんの告白を」
「なっ……!?」

ひっくり返った声を出した後、みるみる赤面していく。すごい、リトマス試験紙みたいだ。
毎日あれだけの女の子に囲まれている東堂くんが恋愛慣れしていないなど、誰が想像できただろう。
こんな東堂くんが見られるのは彼女の特権だと思うと嬉しいし、何より楽しくて愛しい。

「そんなこと思い出してないで、早く日誌を終わらせてくれ……」
「だって総括が書けないんだよー」
「“欠席・早退者共に無く、授業態度も問題無く過ごせました”くらいでいいと思うが」
「おぉ、その文もらったー」
「はぁぁ……」

盛大な溜息を吐いて、東堂くんは机にごつんと額を当てて顔を伏せてしまった。冷やしてるんだろうか、まだ耳赤いし。
ともあれ早く一緒に帰りたい一心で、私はシャーペンを動かす。
二人きりには変わりないのだからこのままでもいいのだけど、久々なのだしゆっくり寄り道しながら一緒に帰りたい。
東堂くんが言ってくれた文章に少し付け加えてどうにか欄を埋め終わる。

「よーし、終わりっ」
「お、やっとだな」
「待たせちゃったねー」
「本当だ、待ちくたびれたぞ」
「ごめんね、……ふふっ」
「む、何だ」

手を伸ばし、彼の赤くなった額を指先でとんとん叩いて「痕」と一言言ってあげると、鞄から取り出した鏡を見て「ぬぁ!?」などと奇声をあげている。

「ううむ、目立つな……、おろすか」

「あー」とか「うー」とか呻き声を漏らした後、東堂くんが静かにカチューシャを外し、前髪をおろした。
初めて見る姿に、自然と目を奪われる。遠慮無しにじっと見ていると、不意に視線が絡んだ。びっくりして、肩が揺れる。

「唯ちゃん?」
「は、い!」
「どうした?……はっはーん、もしかしてオレに見惚れていたのかね?」
「……うん」
「……素直だな、照れるぞ」

そう言って視線を逸らし髪をくしゃくしゃっと乱す。前髪、長いんだなぁ。短くても似合いそうだから切ったらいいのに。
でもそんなことしたら更に女の子の人気が上がってしまうんだろうな。調子に乗りそうだから言わないけれど。

「帰ろっか」
「そうだな、あとは戸締りだけか?」
「うん、東堂くん、廊下側の窓、確認してくれる?」
「わかった」

カーテンを開け、窓を閉めて鍵を掛ける。西日が眩しい。自転車競技部は休みだけれど、グラウンドではいつも通りサッカー部や陸上部が練習している。
ぼんやりとその風景を眺めていると、握っていたカーテンが奪われ、閉まる音と同時に背後から包まれた。

「と、東堂くん?」
「つーかまえたー」
「……カーテンは、開けとかなきゃいけないんですよ」
「後でちゃんと開ける」

西日と東堂くんの熱に挟まれて、すごく暑い。顔が赤いのが、自分でもわかる。混乱しているうちに、身体が反転させられた。
付き合って3ヶ月、日常はほとんど変わらない。抱きしめられるのにも、まだ全然慣れていないのだ。東堂くんのシャツから、男の子の匂いがする。

「あの……、外から見えると思うんですけど」
「3階だから顔までは見えないと思うが」
「それはそうなんですけど……」
「唯ちゃんは、照れると敬語になるのだな」
「へっ?」

自分で意識していなかったことを指摘され、間抜けな声が出る。東堂くんは声を殺して笑いながら、私の頭をぽんぽんと叩いた。

「そんなに緊張しなくても、何もしない」
「え?」
「……え、して欲しいのか?」
「ち、違っ!」
「冗談だ。さすがに、教室では理性が働く」
「……抱きしめてる時点で働いてないと思うよ」

吐息を漏らすように一度笑って、東堂くんが身体を離す。瞬間、額に小さなリップ音と共に口付けられた。
あまりにびっくりして「ふ、ぇ?」などと再度間抜けな声が出る。
二人を包んでいたカーテンを開けた東堂くんが、勝ち誇ったような笑みを浮かべながら私を指差す。

「続きは、唯ちゃんがオレを名前で呼んでくれたら、だな!」

私がぽかんと呆気にとられている内に、東堂くんは鏡を見ながら「お、痕治ったな」と上機嫌でカチューシャを付け、二人分の鞄と日誌を手にする。

「職員室、寄るんだろう? 行こうか」
「うん、ありがとう」

自分の鞄を受け取り、日誌も引き取ろうと手を伸ばすと、熱い手のひらに包まれた。
違う、そっちじゃないと言おうとして、いや別に違わないかと思い直す。

「……いいの、ファンが減るよ」
「構わないよ」
「……そうですか」

ああまた敬語になってしまったなと思ったけれど、東堂くんは何も言わなかった。
いつもヘタレなくせに、急に男の子になるの、ずるいなぁ。心臓の音が、伝わりそうだ。

本当に少しずつ、日常が変わっていく。東堂くんと一緒に、変えていくのだ。
これからも、ふたりの距離感とか愛情表現とか、いろんなものが変わっていくんだろう。
その中で、ふたりで少しずつ、変わらないものを守っていければいい。たとえば、この想いとか、手のひらの熱。大好きなその、笑顔とか。
変わらないままでいられるといいなと思いながら、心の中で小さく、尽八くん、と呼んでみた。



君とふたり、手をつないで

(もしあのまま教室で彼の名前を呼んでいたら、なんてことを考えた)


寝ても覚めても彼のキャラソンが脳内ループするので、恋かも知れない。
14.09.09

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