「御堂筋くん、こんにちは」 「ん」 昼休み、誰も居ない部室で弁当を食べながら今日の部活の準備をしていると、クラスメイトの新名さんがドアからひょこんと顔を覗かせた。 ちょうど玉子焼きを口に入れたばかりの僕は口を開けることが出来ず、一音と手のひらだけで返答する。 「今、ちょっとお邪魔してもええかな?」 「ん、ドーゾ」 新名さんは静かに扉を閉めて、僕が座っているテーブルの向かい側に立つと、手にしていた袋を僕に差し出す。 「これ、こないだ言ってたやつ。私もお父さんも観たから、返すのいつでもええよ」 「あぁ、おおきに。放送されたん、日曜の深夜やなかったっけ。観るの早かったなァ」 「ネットで結果を知ったら、余計気になっちゃって。おかげで今日ちょっと寝不足なんやよね」 気の抜けるような効果音が付きそうな笑顔でそう言った彼女から視線を外し、袋の中身を確認する。 入っていたのは、約束していたDVD。専門チャンネルでのみ放送された、海外で開催されたロードレースの映像。 久屋家では観られるチャンネルではなく、一度ぽつりと呟いたそれを憶えていた新名さんが、時折録画したものを貸してくれはる。 彼女の父親が趣味でロードに乗っていて、その影響で自分もロードレースをよく観るようになったのだと言っていた。 「それでさっきの数学んとき、船漕いでたんやね」 「えっ、見てたの!?」 「斜め前やからなァ。あんなこくこく動かれたら気になるわ」 「ご、ごめんね……」 「謝らんでもええけど」 箸を置いて立ち上がりロッカーの中にそのDVDを仕舞ってから振り返ると、新名さんが机の上のプリントに目を通していた。 僕の視線に気づいた彼女が「あ、ごめん」と慌てた表情を見せる。心の中で苦笑しつつ、かたんと椅子に腰掛けプリントを手に取った。 「見られて困るモンやないよ」 「ん……、ごはん食べながらやってはるから、午後の授業、課題か何か出てたっけなって」 「……ボク、授業前に慌てて課題片す馬鹿と思われとんの」 「ちが、そうやなくてっ!」 手も首もぶんぶん振って否定された。傍らに置いていた箱をとんとんと指先で叩きながら、新名さんにプリントの内容を説明する。 「備品の発注表やよ。先週レースあったし、減ってもうたから」 「そういうの全部、御堂筋くんがしてはるの?」 「ほやね。部内でボクが把握出来ひんことがあるの嫌やし。手の空いとる時は、ボクがやる」 「手、空いてへんように見えるけどなぁ」 片手に箸持ってもう片手にシャーペンを持つ僕を、新名さんが呆れたような目で見て溜息を吐いた。 発注表に書くのは数字だけでええから、利き手やなくてもどうにかなる。片手空いてれば充分使える。 そう言おうと口を開きかけたが、僕の手からシャーペンがするりと抜かれる感覚に戸惑い、言葉にはならないまま視線だけを上げた。 「片手間にやってええことやないよ、御堂筋くん」 「……何でやの。こんなん、雑用や。別に、」 「こっちやなくて。そんな冷凍食品いっこも使われてへんようなお弁当、雑用しながら食べてええとは思われへんって話」 新名さんが指差す先に視線を下げれば、まだ食べかけのお弁当がある。残っている分だけを見ても、どれだけ手が込んでいるかわかる。 このお弁当を作るために早起きしとるひとの顔を思い浮かべ、納得せざるを得なかった僕は、シャーペンを持っていた手をお弁当箱に添えた。 「発注までは出来ひんけど、在庫数えるくらいなら出来るし、手伝ってもええ?」 「……ん。数えて、一覧表の端っこに小さく書いといてくれたら助かる」 「了解しましたー」 この部室に到底似合わない明るい声を響かせ、僕のシャーペンをかちかち鳴らして、箱に入った備品を数え始める。 「新名さん、お昼済ませたん。早ない?」 「んー、ちょっと急いだけど、ちゃんと食べたから大丈夫」 「そか」 「それ、お昼休みのうちに渡しときたかったし。御堂筋くん、ホームルーム終わると呼び止める間も無く教室出てってまうから」 部活がある日は、自然とそうなる。だいたい日直でもない限り、僕が長く教室に残る理由なんて無い。 せやけど新名さんは普通に友達居るし、お昼かて一緒に過ごす子、いっぱい居ると思う。 「……教室で渡してくれても良かったんやで。まァ、人の目あるし、また注目浴びるかも知らんけど」 一度、そうなったことがある。教室でほとんど口を開かん僕が、よりにもよって女の子と会話をしていたせいやと思う。 教室のざわつきと、浴び慣れていない類の好奇の視線が疎ましくて、だからこそ彼女も、それ以来こうしてわざわざ部室まで来てくれる。 けど、考えてみればそれは彼女の時間を削る行為で、申し訳無く思う。比較的人の少ない時間であれば教室でも、と思い、出た言葉だった。 「……別に、注目されるんが嫌で、ここに来とるわけやないよ」 てっきり、じゃあ今後は教室で、みたいな流れになるかと思ったのに、新名さんがこぼした言葉は全然違うものやった。 予想外の言葉に問い返す声も出てこなくて首を傾げるだけになった僕に、彼女は桜色の薄い唇を開いて言葉を続ける。 「御堂筋くん、いつも部室でごはん食べるし、昼休みは他の部員の人たち来ないって言うてたし、ここなら……ふたりきり、なれるから」 口ン中の漬物と一緒に、彼女の言葉の意味を噛み砕く。人の感情読み取れへんほど馬鹿でも鈍感でもないつもりやったけど、これは予想外やった。 どうしたものかと考えあぐねていると、新名さんががたんと派手に音を立てて椅子から立ち上がる。 「ごめん!今の忘れて!数え終わったし、先に教室戻るねっ」 「、ちょッ……!」 部室を去ろうとする彼女に焦り、考えをまとめる間も無く立ち上がり腕を掴んだ。 どう言葉を紡ごうか思考する最中、先程新名さんから受け取った袋が視界に入る。彼女の腕からゆっくり手を離し、袋を指差す。 「あれ」 「……DVD?」 「週明けすぐ、返すから」 「う、うん?」 「また、部室に来て」 「わか、った」 不可思議そうに首を傾げる新名さんを見て、もう少し言葉が必要やと判断する。多分、何も伝わってへん。 部室でふたりきりになるんが嫌やないのも、お喋りなんて得意やないけど、彼女との会話は楽なこと。ロードへの興味が嬉しいのも、全部。 ほんま、ロード関わってへんといっこも言葉出てきいひんなと内心自分に溜息吐いて、どうにかぽつぽつ言葉を漏らす。 「……昼休み、すぐ、来て」 「すぐ?」 「そう、すぐ。やから、お弁当、持っておいでや」 「……ええの?」 「そしたら、ゆっくり話せるやろ。DVDの内容語れんの、キミしか居らんのやで」 そこまで言うと、新名さんが勢いよく顔を上げて視線がぶつかる。かと思えばすぐに視線を逸らされた。忙しい子。 「わ、私も、話したいっ」 「そォ。じゃあ、決まりな」 「うん!」 結局、僕の意図の半分も伝わってへんような気ィするけど、まぁええか。先は長そうやけど、長いと思える先があることはええことや。 そう思いながらも心は逸って、自転車で走るのと同じくらいの速度で時間が駆け抜けて、早く週が明ければええのにと思ったりもしていた。 昼下がりの約束を重ねて (したいのはロードの話だけやないこと、言えるのは一体いつになるやら) ゆっくり積み重ねる恋がこんなにも似合う。 15.08.15 |