始まりは、石垣くんからの1本の電話やった。 部活にも引き継ぎというものは必要らしく、先月あたりからずっとバタバタしとる。僕やなくて、主に2年と3年が。 3年生はもう引退しとるけど、まだやることが残っとるということで、明日部室に来てもええかという内容やった。 部活の邪魔にならんならええよと返し、時折声を掛けるかも知らんと返され、ならば極力邪魔をするなと告げた。それだけ。 時間にして、2分も経ってへんような電話。業務連絡みたいなものやから、当然のこと。……それやのに。 「……何でそんなしかめっ面しとんの、唯ちゃん」 今日は休日で、昼過ぎまでペダル回してた僕が家に帰ると、唯ちゃんがユキちゃんと一緒にお昼ごはんを作っていた。 翔くんが大好きな久屋家の味を教えてもろてたんよ、と、唯ちゃんが笑って、ユキちゃんも笑って、僕は少し曖昧な笑みを浮かべる。 そのごはんを3人で美味しく平らげ片付けた後、僕と唯ちゃんは離れにある僕の部屋でぽつぽつ会話しながらお互い別のことをしとった。 僕はロード雑誌を読み、唯ちゃんはそんな僕の背中に寄り掛かってケータイのパズルゲームで遊んで。大体いつも通りな感じ。 そこに石垣くんから電話が来て、切った後に彼女に目を向ければ、何故か桜色の唇が尖っていた。 「……かわええ顔が台無しやで」 「可愛いなんて思ってへんくせに」 「……まぁ確かに、今の態度は可愛くないなァ」 人がほとんど決死の思いで言うた「可愛い」を一蹴されてしまった。 僕まで不機嫌にならへんよう、気持ちを落ち着けるために大きく息を吐いて、唯ちゃんの手からケータイを取り上げ、腕を引っ張って抱き寄せる。 「何をいじけとるの」 「……いじけてへんよ」 「唇尖らせて、よう言うわ。なん、傍で電話されんの嫌やった?」 ふるふると首を振られ、胸元がくすぐったい。 子どもをあやしたことなんて無いけど、きっとこういう気分なんやろなと思いつつ唯ちゃんの頭と背中をぽんぽん叩いた。 「なァ、唯ちゃん。言葉にせな、わかってあげられへんよ」 そう言うと、への字にしとった口が少しだけ緩んで、言葉を探すように視線が揺らいだ。 こういう時に言葉を急かしたらあかんことは、身を以て知っとる。相手がゆっくり言葉を整理するのを待つ。それは、母親が僕にしてくれとったことや。 「……な、」 「うん?」 「仲良し、やなぁって、思って」 「………………ハァ?」 たっぷりと時間を使って言葉を理解しようと試みたけど、結局出てきたのは理解不能を示す声やった。やって、イミがワカラン。 たかだか2分程度の電話で、そのうえ僕が発した言葉と言えば、引き継ぎの要領の悪さに対する罵声と、部活の邪魔をするなという牽制くらいで。 そこらへんのどのあたりにナカヨシ具合を見出したというのか。唯ちゃんの脳味噌は僕が思っている以上に足りていないらしい。 「……そう思った経緯を、一応聞いとこか」 「だ、だって、翔くん、ケータイ持つようになってからもあんまり電話とかしいひんかったのに、夏あたりからめっちゃ電話するしっ」 「部活の連絡ばっかしやよ」 「電話の大半が石垣さんやしっ」 「まァ、あのひと主将やからね。忘れがちやけど」 「お、大阪かて、一緒に行ったって言うし……」 「あれも部活の一環やで」 シーズンちゃうし、近場で走っとる奴らが全然居らんくて。そもそも僕はずっと一人で走ってきたから、レース以外で人が集まっとる所を知らん。 せやから、近隣で自転車乗りが集まる場所をよう知っとる、阿呆みたいにコミュ力の高い石垣くんを連れて行っただけのこと。 「で、でも、翔くん、デートでは遠出するの嫌うもん……」 「キミに数十キロもペダル回させるわけいかんやろ。言うてバスやと唯ちゃん酔うし」 「う……、でもでも、あんなふうに、砕けた感じで接するの、珍しいしっ」 「……唯ちゃん」 「な、ん……ッ!?」 ひとつひとつ丁寧に返答しとったけど、なんや阿呆らしくなってきたし、唯ちゃんの唇に噛み付くように口付けた。 呼吸ごと奪うみたいに唇を塞いだからか、途中で彼女が僕の胸元をばしばし叩いてきたので仕方なく解放する。 「なっ、なん、何すんの!」 「あまりにもくぅだらんことばっかり言うもんやから、黙らせよ思て」 「言葉にしろって言うたの、翔くんやろ!黙らせるにしたって、もうちょっと何か、普通にっ」 まだ不平不満を漏らす唯ちゃんに溜息を吐いて、言い聞かせるように言葉を紡ぐ。 「ええか?これが石垣くん相手やったら、こう、やで」 「んにゅっ!?」 力を抜いた手のひらで唯ちゃんの柔らかい両頬をゆるく挟んでやると、存外かわええ反応をされて思わず口元が緩みそうになる。 数秒ののち手を離すと、唯ちゃんは自分の手のひらで頬を擦りながらまた唇を尖らせた。 「ひどい!」 「阿呆言いなや。部員相手なら、今の8割増しの力やわ」 「えぇぇ……石垣さんたちのほっぺ、砕けてまう……」 「砕けずに引退出来て、何よりやなァ」 そう言って、僕は唯ちゃんの腰に腕をまわし、額同士をこつんと当てる。 「誰だって、誰の前でも同じ顔って出来ひんやろ。誰にどういう顔見せたかて、ボク、唯ちゃんと居る時が一番楽で、あったかくて、幸せやよ」 「う……」 「それにボク、唯ちゃんの前では石垣くんと電話するけど、石垣くんの前で唯ちゃんと電話は出来ひんで」 「……何で?」 「何でって、キミなァ……」 気付いてへんのやろか。僕が、唯ちゃんに対してどれだけ優しい声を出しているか。彼女のやらかい声を聞くだけで、どれだけ容易く口元が緩むか。 誰にも見せたないと思う表情を、唯ちゃんになら、いとも簡単に引き出されてしまうこと。そしてそれが、思いの外、心地好いこと。 けどそんなん別に言うたげるようなことでも無いかと思う。もう散々恥ずかしいこと言うてもうたし、これ以上は無理や。キャパオーバー。 「……ボク、週末部活休みや」 「話逸らすの下手すぎひん?」 「どっか遠出しよかァ」 「ええの!?」 逸らした話にあっさり食い付かれ、ああこういうとこほんまに可愛いなぁと心の中で思う。 「これからも部員と遠征行くやろし、その度拗ねられたら困るからなァ」 「だって、羨ましかってんもん……」 「唯ちゃんとなら、泊まりで行ったってもええよ」 「泊、ッ、な……ッ、は、破廉恥!」 「破廉恥て」 さて、どこに行こうか。どこに行ったって楽しくしてくれるような子ォやから、どこだっていいけれど。 バスと電車乗り継いで、唯ちゃんが酔わないように合間に休憩を挟んで。美味しいもの食べて、綺麗なものを見つけて。 自転車が無くても僕に黄色い世界を見せてくれる彼女と、ゆるやかに流れる時間を楽しめたらええ。 僕にこんな柄にも無いことばかり考えさせるくせに、ヤキモチなんてどうかしとるよなと、改めて呆れてまう。 ……まぁでも、わからなくもないかな、なんて、本当は少しだけ思ったりもしたことは、一生の、内緒の話。 嫉妬と呼ぶにはあまりに幼い (ユキちゃんと仲良うしとる姿を見た時のアレは、キミのソレに似ている) どうしてもヒロインと久屋家を仲良くさせたい病。 15.06.16 |