「なぁ、唯ちゃん。そないに見られるとボク、穴開いてまうわァ」

自転車の整備に集中していた翔くんが、溜息を吐きながら振り向き、不機嫌そうに言う。
そんなこと言われても、飽きないのだから仕方ない。

「暇やったら本でも読んどいたら?本棚から勝手に取ってええで」
「翔くん見てるから、暇じゃないよ」
「……自転車わからんのに、こんなん見てて楽しいん?」
「私は自転車じゃなくて翔くんを見てるのー」
「……ほんまキモイな、唯ちゃん」

勉強机の椅子に腰掛けている私を、床に座った翔くんが見上げてくる。なかなか見られない角度だ、新鮮。
数回キモイキモイと私を罵った後、彼はまた自転車に視線を戻してしまった。
何やらよくわからない作業をしている翔くんの手元を集中して見てみるけど、やっぱり何をしているのかよくわからない。
それでも目を離せないのは、翔くんのことが大好きだからに他ならない。

典型的なママチャリにしか乗ったことのない私にとって、ロードバイクという乗り物は未知のものだ。翔くんが乗っていなければ、一生触れることもなかっただろうと思う。
私なりに、翔くんの部屋にあるロード雑誌を見てみたり、今みたいに整備を眺めたりしてみてるけど、それでもまだ未知のものに変わりない。
「こないに単純な乗り物の何がわからんの」と彼は呆れたように言うけど、私にとっては難しいこと極まりない。
何せ、カゴとかベルとかついてない代わりに、ギアだのシフターだの聞き慣れないものばかりなのだ。
前に一度だけ、サドルを下げた翔くんの自転車に跨らせてもらったけれど、ハンドルの位置の違和感とか安定感の無さに腰が引けて、すぐによろけてしまった。
「筋肉無いなぁ、唯ちゃん」とまた呆れたように言われて、逆に翔くんはそのぺらっぺらの身体のどこに筋肉が隠れているのかと問い質したいくらいだった。

整備が終わったらしい翔くんが大きく伸びをしたのと同時に私は椅子から立ち上がり、テーブルに置いてあるお茶を手に取り翔くんの隣にぺたりと座る。
翔くんが汚れた手を濡れたタオルで綺麗に拭ったのを確認してからお茶を差し出す。
お礼を言いながらお茶を受け取ると、翔くんはほとんど一気に飲み干した。喉の渇きも忘れるほど没頭していたのか。とんだ自転車バカだ。
翔くんの視線に誘われるように私も自転車に目を向けるけど、一体全体、整備前と何が変わったのだろう。不可思議である。

「……いつ見てもちっちゃい自転車だねぇ」
「ボクが小さい頃から乗っとるやつやからな。……まァ、これくらいでちょうどええのや、ロードは」

空になったコップを床に置き、右手でペダルをからから回しながら翔くんが言う。

「不要なもん全部削っとんのや。少しでも軽うして、必要なもんだけ携えて。速く走ることしか考えてへん、真っ直ぐな乗り物なんやよ」
「……それってさぁ」
「んぁ?」
「……なんでもない」

言葉を飲み込んだ私を、翔くんが不思議そうに見てくる。何となく居心地が悪く、自分のシャツの裾を見つめて視線を逸らした。

別に大したことじゃない。ただ、今の言葉で、ロードバイクは翔くんそのものだ、と思ったのだ。
捨てて、削って。身体も心も、軽くして。ただ真っ直ぐ、前を見て。
必要なもんだけ携えて、と翔くんは言ったけど、じゃあ、私はどうなのだろう。翔くんは私を傍に置いてくれるけど、それは本当にいいことなんだろうか。
自転車のことなど何もわからない私が、このひとの傍に居て、力に成り得るんだろうか。
そんな、ちょっとした不安に揺らいでしまっただけだ。何を思ったって、傍に居たいくせに。

ぐるぐるしはじめた気持ちの遣り場が無くて、隣に座る翔くんの腰に両腕をまわし体重をかけて抱きつく。

「ちょい、重いで、唯ちゃん」
「うん、ごめんね」
「……何やの、調子狂うわ」
「重い、でしょ?」

この細い身体に寄り添って、力になるどころか重荷になりはしないだろうか。
私が支えてあげなきゃいけないのに、甘えてばかりで、結局しあわせなのは私だけじゃないだろうか。
もう何を言っても声が震えそうで、しばらく抱きついたままで居ると、翔くんの手が私の頭をゆっくり撫でた。

「……唯ちゃん、顔、上げ」
「今、変な顔してるから無理」
「そんなん今に始まったことやあらへんよ」
「なっ、どういう意、味っ……」

翔くんの失礼な言葉に思わず顔を上げた瞬間、唇を塞がれた。驚くほど、優しく。
それは、暗い思考のせいで溢れ出そうだった涙が、一気に引っ込んだほどだった。
お茶の味がする、とどうでもいい感想が頭を過ったところで、ゆっくりと唇が離れる。

「あー、キモイキモイ。眉寄せて涙目なって、くぅだらないこと考えとる唯ちゃんの顔、最高にキモイわぁ」

舌をべぇっと出して何とも楽しそうに悪態をつかれてしまった。悔しいけど何も反論できない。
翔くんは頭が良いし、人の感情を読むのも上手だ。私の考えなんか、お見通しなのだろう。
頭に置かれたままの手がゆっくり髪を撫で、その優しさに引っ込んだはずの涙が溢れそうで、唇を噛んだ。
その行為を戒めるように今度は唇を優しく撫でられ、仕方なく口元の力を緩める。

「唯ちゃん、整備終わったし、ちょっと出掛けよか」
「……はい?」

突然の誘いにぽかんと口を開けて彼を見上げると、「変な顔」とまた失礼なことを言われた。
何なんだ一体。整備を終えた自転車を、サイクリングがてら動かしたいということだろうか。

「でも私、今日自転車じゃないよ」
「ええよ、歩いて行こ」
「どこに?」
「こないだ行きたい言うてたやろ、バス停の傍の甘味処。付き合うたる」
「いいのっ?」

いつもなら誘っても、そういうとこは友達と行き、って言うのに。
瞳を輝かせて翔くんを見ると、私を撫でながら立ち上がり、ベッドに置いてあった薄手のパーカーを羽織りながらくすりと笑った。

「それで唯ちゃんが元気になるんなら、お安い御用やよ」

……なんだその殺し文句。甘味処に行くまでもなく表情が緩みそうだ。いや、甘味処には行くけど。
「口だけ塗り直しィ」と言われ鏡を見ると、成程きれいに色が落ちている。キスのせいか下唇を噛んだせいか、……両方か。
出掛けるといっても近所だし簡単でいいかと色付きリップをぐりぐり塗る。
ボディバッグに財布とケータイを詰めてる翔くんに「出来た」と笑って見せると、顔を覗き込まれてププッと笑われた。

「さっきのキモイ顔より、笑とった方がずぅっとええわ」
「それって可愛いってこと?」
「早よ行くで」
「ねぇ、可愛いって言って!」
「イヤや、キモイ」



泣くも笑うも君次第

(迷うなぁ。あんみつ、抹茶パフェ、あずき氷……。翔くんは?)
(ボクゥ、お抹茶とみたらしでええわァ)
(えー、翔くん、おじいちゃんみたーい)
(ピギッ……!?)


彼女にだけはキモイと言わないのも、照れ隠しにキモイと連呼するのもおいしい。
14.09.06

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