結構友達を家に呼ぶほうではあるけれど、“彼女”を呼ぶのは初めてなわけで、今、わりと緊張しとる。

「すまん、ちょっと、っていうかだいぶ散らかっとるけど、適当に座り」

俺の言葉に首を横や縦に振りつつ、新名は俺の部屋をぐるっと見渡す。
部屋の隅に乱雑に置かれた自転車用品やら漫画やら、起きた時のままになっとるベッドの上。生活感丸出しで、なんや恥ずかしい。

「飲み物取ってくるから、待っといてや」
「うん、ありがとう」

台所に行き冷蔵庫から麦茶を取り出してばたんと閉め、思わず大きく息を吐く。
何でこんな状況になっているのかと言えば、俺が新名に部活の話をしはじめたのが原因やった。
箱根まではさすがに遠くて来られなかった彼女にインターハイの話をしたら、長期レースがどういうものか観てみたいと言い始めた。
せやったらツールのDVD貸したるわーって言うて、今日部活無いし、家来るか?という言葉がするりと口からこぼれた。
放った言葉に自分が一番びっくりして、彼女が頷いたことに更にびっくりして、あの時の俺は相当挙動不審やったかも知れへん。

(下心が無いと言ったら、嘘になるけど……)

家に帰って来て、居ると思とった母親が出掛けてることに心底焦った。
母親が居っても居らんくても新名は緊張するやろけど、俺は居ってもらわんと緊張してまう。くそ、こんな時に限って。
理不尽な苛立ちを母親に向けながら、戸棚にあった菓子と一緒に麦茶を手にし、自室へと戻る。

「お待たせー、……」
「おかえり。……どうかした?」
「……いや、変な感じするな思て。新名がオレの部屋に居るの」
「うちかて、石垣くんの部屋に一人で居るん、変な感じやったわ」

そう言ってくすくす笑う彼女がぺたんと座っているのが本棚の前やということに今更気付き、思わず菓子を落としそうになった。
……いや、大丈夫、そこには何も疾しいものとか怪しいものとか置いてないはず。うん、そこには。

「何見てたん」
「んー、自転車の本がいっぱいやなぁって思って見てた」

折り畳みのテーブルを引っ張り出して、そこに持ってきたお茶とお菓子を置く。

「見たことない本ばっかりや」
「専門誌やからなぁ。興味が無いと、なかなか目に留まらへんやろ。本屋のコーナー自体、行かんやろし」
「そうやね。何も知らへんから、石垣くんがいろいろ教えてくれる?」
「お、おぉ、勿論!」

自転車のこと自転車のこと、と自分に言い聞かせながら頷く。
あかん、普段ならこんなふうに、言葉の端々に変な意味を見つけ出そうとしたりしいひんのに。
放課後だけ少し短くするスカート丈も、襟元から覗く首筋も、つややかに光る唇も、場所が変わるだけでこうも見る目が変わるものやろうか。

「ねぇ、本も借りてええかな?」
「あ、あぁ、ええよ。初心者向けっぽいのはあらへんけど……、ツール特集のやつとかやと、楽しいかな」

もだもだした思考から、新名の声で引き戻された。本棚の前に移動し、彼女の隣に胡床をかく。
バックナンバーを遡って、なるべく面白そうやなって思ってもらえそうな特集記事が掲載されとるものを探し出した。

「あぁ、これ、付録でDVDも入っとるやつ、で ――ッ」

新名が俺の手元の雑誌を覗き込んできたせいで腕同士が触れ合って、喉の奥で、ぐぐっと詰まったような音がした。
平常心、理性、我慢。頭の中を漢字でいっぱいに埋め尽くそうとするものの、腕の感触が拭えない。
そして、なんやめっちゃええ香りする。知っとる気がするのに、漢字まみれの頭の中に思い描けない、甘い果実の香り。

「石垣くん?」
「―――……ッ、」

視線が絡んだ瞬間、もうあかんかった。頭がくらくらして、手から落ちた雑誌の音がやけに遠くで響いたような気がした。
引き寄せるために掴んだ腕は驚くほどに細くて、手のひらが力んでしまったことを後悔する。
バランスを崩した彼女を抱きとめ、やけに熱を持った手を新名の頬に当てた。
視線が絡んだのが引き金になったくせに、それ以上は目を見てられなくて、上下の唇を啄むように口付ける。
声と呼んでいいのかわからない甘い吐息混じりの音が、どちらから漏れたのかもわからないくらいに、脳内がひりひりと痛い。
皺になるほど強く掴まれたシャツにも欲情しか出来なくて、薄く開いた唇に舌を差し込んだ。
それによって新名の身体がびくっと跳ねたと同時、俺の背後からやけに大きい電子音が響いて、今度は二人同時に身体を揺らした。

「…………」
「……石垣くん、電話、……?」
「あー……堪忍、な」

俺の言葉に、新名がふるふると首を振った。彼女から離れて電話を取った手はやけに汗ばんでいる。
画面を確認すると珍しく御堂筋からの着信で、何事かと焦って電話に出た。御堂筋らしく電話は手短に済まされたけれど、色々どっと疲れて息を吐いた。

「すまん、学校行かなあかんわ」
「……なんか、トラブル?」
「いや、そんな大袈裟なんちゃうよ。月末にヒルクライムがあるんやけど、オレが書類持ってて。それ、必要やねんて」

締切期日まではまだ余裕があったはずやけど、御堂筋が必要というなら、そうなんやろなと思う。
机に置いていた書類を鞄に詰め、チャリに乗るためにスラックスの裾を捲り上げた。
ふと新名に目を向けると、胸元に手を当てながらはふりと息を吐いていた。その様子に、思わず苦笑が漏れる。

「ちょっと安心したやろ」
「えっ、いや、そのっ……う、ん」
「ははっ、オレもやで」

きょとんとした表情を浮かべる新名の頭を軽く撫でると、くすぐったそうに笑顔を浮かべた。
良かった。理性吹っ飛んで、焦って、がっついた挙句、怯えさせたりしたかも知れへん。
もしかしたらそれは、拒まれるよりツラいことで。そんなふうになる可能性を、ぶち壊してもらえて良かった。御堂筋に感謝せなあかん。

「……新名」
「ん?」
「安心したとこアレやけど……、もっかいだけ、ええ?」
「……もっかいだけやよ」
「うん。また理性ぶっ飛んだら、突き飛ばしてええで」
「ぶっ飛んでたんや……」
「場外ホームランやったなぁ」

そう言うと新名は笑って、それに釣られて俺も笑った。
彼女の前髪が俺の額に触れるくらいまで近付くと、やっぱりええ香りがして、吸い込まれるように距離を縮める。

「……あ」
「ん?なぁに?」
「んーん、何でもない」

猫っ毛の髪を撫でながら、彼女の唇から香る甘い果実の名前をようやく思い出し、その果実を味わうように、ゆっくりと唇を寄せた。



夏の夕暮れは白葡萄の香り

(すまん御堂筋、遅くなった!)
(ほんまや、どんだけ待たせ……)
(ん?なん?)
(石垣くん、唇てらてらしとってキモイ)
(ッ!?)


唇てらてら=グロス。我慢の効かない石垣くん。
15.05.11

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