「ねぇねぇ御堂筋先輩、ピンクとオレンジ、どっちがええと思います?」 「……ハァ?っていうか、何持ってきとんの」 放課後、図書室の一番隅っこの席で、真面目に勉強していたのが先程までのこと。 お手洗いから戻ってきた唯ちゃんの手には、一冊の本が握られていた。課題するんちゃうんかい。 「学校やし、さすがにファッション雑誌は置いてなかったですねぇ」 そう言って僕の向かいに座って、さっきまで広げていたノートの上に、持っていた本が広げられた。ひらひらした服が沢山載っとる。 唯ちゃんは、集中力が切れるのが早い。こと勉強に関しては、それが顕著になる。 一度小さく溜息を吐き、仕方なく彼女の話に付き合うことにする。勿論、参考書から目を逸らすことはせず、手にはペンを持ったまま。 「何の本なん」 「被服製作の本です。ワンピース特集だから気になって」 「さっきの質問は、どういう意味ィ?」 「あ、そうですよ!どっちがええと思いますか、ピンクとオレンジ。悩んでるんです」 「服の色ってこと?」 「そうです。私が着るなら、どっちでしょうかね?」 僕は服のこととかようわからんし、確実に相談相手を間違えてる気がするけど、ちらりと窺った表情はやけに真剣やった。 それくらい真剣に、その本の下にあるノートに向き合ってくれたらええのにと思いながら、考えを巡らせる。 「……オレンジ」 「ほう、オレンジですか」 「色合いにもよるけどな。まぁキミは肌が白いから、濃淡どっちでもええやろけど」 ノートに数式を綴りながら答えると、それまでぱらぱらとページを捲っていた指が止まった。 なんやろと思って目線を上げると、えへへ、と楽しそうに笑い、「ありがとうございます」と何故かお礼を言われる。 「何のお礼なん」 「え、やって今の、何でも似合うって言うてくれはったようなものでしょ?」 「……キミのその凄まじい読解力、手元の英文には向かへんの?」 「ちょっと休憩したら向けますー」 休憩と云う名の集中力の無駄遣いに深く溜息を吐き、数式を解き終えると唯ちゃんの本に視線を送る。 ひとくちにワンピースといっても、いろんなものがあるらしい。彼女は一体、どういうのを着るつもりなんやろか。 「……なぁ、どこに着て行く服なん」 申し訳無いことに今月はレースが多くて、一緒に出掛ける予定を一切立てられていない。とすれば、どこに着ていくのか気になるのが彼氏の性。 僕の問い掛けに、唯ちゃんは本で口元を隠しながらえへへと笑ってみせる。 「歳の離れた従姉妹が居るんですけどね、ずっと付き合うてた方と、めでたく結婚致しまして」 「へぇ、おめでとさん」 「ありがとうございます。でね、再来週、結婚式なんです。そこに着て行くんですよ」 こういう感じのですかね、と唯ちゃんが指差したのは、成程そういう式典によく映えそうなふわふわとした服だった。 結婚式に着て行くんやったら、実際見るのは無理かとどことなく残念に思っていると、「あ、そうだ」と楽しそうな声が跳ねる。 「デジカメ持って行くんで、撮っておきますね。せっかくのおめかしなんで、御堂筋先輩にも見て欲しいし」 「…………唯ちゃん、エスパーか何かなん?」 「え?」 「……いや、なんも。っていうか、ちゃんと結婚式の写真撮りや」 「撮りますよ勿論!カメラ担当なんです、私」 そう言って両手でカメラの形を作り、僕を透明なフレームにおさめようとするから、そこから逃れるように参考書で遮ってやる。 残念そうな声を上げながらも楽しげな彼女の表情を参考書越しに見ては緩みそうになる頬に、ああ遮っといて良かったと心底思った。 「指輪交換のときとかは写真ダメなのかと思てましたけど、普通に撮ってええらしいんですよー」 「ふぅん、撮られてると思うと緊張するやろなァ」 「ですよねぇ。まぁ撮ったりますけどね、指輪交換も誓いのキスも」 そこまで聞いて、そういえば結婚式にはそんなプログラムもあったなぁと思い至った。 それはきっと、指輪交換とは比にならないほど緊張するやろなと、他人事ながらぞっとした。 「どないしはったんですか、そんなしかめっつらして」 「…………ボク、キミとキスしてんの、他の人に見られたないなぁ」 参考書をぱらぱら捲りながら僕がぽつりと呟いた言葉に、唯ちゃんがきょとんとした表情を浮かべる。 しかしそれも束の間、すぐに頬を緩めた。心なしか少し赤らんでいるように見える。 「じゃあ、神前式にしましょうか。白無垢で」 「……結婚式いうたらドレスやろ」 「えー、わがままですねぇ」 途中から、学校の図書室でする会話ちゃうなと思い始めたけれど、なんや唯ちゃん楽しそうやし、切りどころがわからずに続けてしまう。 テスト期間中でもない上に閉館時間の迫った図書室は人気も疎らで、会話が聞こえるであろう距離には誰も居らへんから、ええけど。 「けど、誓いのキスは大切ですよ。あれは、誓いの言葉を封じる意味があるらしいんで」 「へぇ……」 流石は海外式。口付けで言葉に封をする、なんて、よう考えたなと感心すら覚える。しかも人前で。 さてそろそろ集中力を課題に戻させようかという考えを、「でも」という唯ちゃんの声で遮られる。 「封をされようとされまいと、私、誓いを破ったりしませんよ」 「……あっそ」 「誓ったことすら忘れちゃうくらい、御堂筋先輩のことしか考えてませんからね」 そこは忘れたらあかんのとちゃうの、と思ったけれど、まぁええかと口を噤む。目だけ動かして周囲を確認し、かたんと小さな音を立てて立ち上がる。 机に手を置いて乗り上げるように身体を倒して、首を傾げている唯ちゃんの唇を唇で挟むように、音を立てずに口付けた。 一度軽く甘噛みして唇を離すと、赤い顔してぽかんと阿呆みたいに口を開けた唯ちゃんと目が合う。 「ププッ、間抜け面ァ」 「ひ、人に見られたくなかったんやないんですか!」 「誰も見てへんやん」 べぇっと舌を出して見せ、椅子にがたんと腰を下ろした。あたふたしとる唯ちゃんの手から本を奪い、ノートをとんとんと指差しながら言葉を掛ける。 「集中力も記憶力も持続しいひんキミのために、さっきの言葉を封じたげただけや。感謝しぃ」 「さっきの言葉……」 「もう忘れたんかいな、救いようの無い阿呆やね」 頭上にクエスチョンマークを浮かべた唯ちゃんに溜息を吐き、彼女の教科書を手に取り、課題の範囲であるページを開きつつ言葉を繋ぐ。 「唯ちゃんは、ボクのことだけ考えとったらええよって話や」 そう言うと、自分の言葉を思い出したのか、「あ」と合点がいった声をあげた後、みるみるうちに頬が赤らんでいく。ああ、飽きひんなぁ。 「……あーそういうことかぁ」 「ファ?」 「私の集中力、先輩に向いてるせいで、この課題が手に付か」 「ボク、先に帰ろかなァ」 「やるっ、やりますとも!」 口付けひとつで魔法みたいに (封じたはずの言葉が感染して、君のことしか考えられない僕になる) 御堂筋に「結婚」というキーワードを絡めたがる病。 15.02.27 |