天気予報通り、昼過ぎから雨が降り始めた。夕方やのにもう外は真っ暗で、時折音を立てて光る雷が眩しく思える。
唯ちゃんの家に早く着いてしまった僕は合鍵を使って家に入り、部屋を暖めておくことにする。
傘立てに唯ちゃんのお気に入りの赤い傘は無くて、濡れて帰ってくることは無さそうやとひとまず安堵した。
それでもやっぱり身体は冷やして帰ってくるやろし、すぐに温かい飲み物が作れるように、ポットにお湯の準備だけ済ませる。
彼女が帰ってくるまで本でも読もうかと思った矢先、玄関からえらく慌ただしい音が立ち、一拍遅れて「た、ただいまっ」という声が響いた。

「おかえり、えらい騒々しい、な……?」
「え、えへへ……、あの、タオル取ってくれると嬉しいなー、って……」

玄関まで出迎えて愕然とする。バケツの水ひっくり返されたみたいにびしょ濡れの彼女を見て、問い詰める言葉より先に脚が動いた。
脱衣所に行きバスタオルを乱暴に掴み取り、ついでに浴室に入り普段より高めの温度に設定したお湯を張る。
急いで玄関に引き返し、広げたバスタオルで唯ちゃんの肩を包み込み、そこでやっと深い息を吐く。彼女の手にあるのは、鞄だけ。

「……傘は」
「えと、盗られちゃった、みたい……。大学の売店もコンビニも寄ったけど、売り切れとって……」

そう言って困ったように笑う。確かに朝は雨降ってなかったし、何ならちょっと晴れてたけど。天気予報くらい観ろやザクが、とつい舌打ちをする。
ぴくっと身体を揺らした唯ちゃんの髪を丁寧に拭いてやりながら、「あのなァ」と、なるべく優しい声で話し掛ける。

「ボクは、こうやってずぶ濡れになる子のことも考えんと人の傘盗ってったヤツに怒っとるだけで、キミに怒っとるわけちゃうで」
「……うん」
「靴下脱ぎ、気持ち悪いやろ。足拭いたら部屋行って、お風呂の準備しといでや」
「……シャワーだけじゃ、あかん?」
「あかんよ、温まらな意味ないやろ。どないしたん、いつもは無駄に長風呂したがるくせに」

僕の問い掛けに口を開く前に、窓の外で派手に光が走り、唯ちゃんが肩をびくっと大きく揺らした。
……そうやった。雷雨なんて久々やからすっかり忘れていたけれど、唯ちゃんは雷が苦手やった。落ち着かせようと、彼女の頬にゆっくり触れる。

「……風呂場に居ったら、音も光もそんな気にならんのと違う」
「で、でもやっぱり怖いし……、雷落ちて、停電とかなるかも知れへんし」
「今日はボク居るし、何かあっても大丈夫やよ」
「じゃ、じゃあ、一緒に入ろ?」
「……ハァ?」

思わずちょっと声がひっくり返った。普段やったら絶対言わへんような言葉が、唯ちゃんの口から出てきたから。
大体、停電が恐怖の一因なら、一緒に入らへん方がええと思うのやけど。ブレーカー、玄関にあるし。
せやけど、雷の音にびくびく肩を震わせている彼女は、多分そこまで頭が回ってへんのやろなと心の中で苦笑する。
正直、僕かて誰かと一緒にお風呂入るのは苦手やし気が進まへんのやけど、今回ばかりは仕方ないかと溜息を吐いた。

「……どうしたらええ?」
「へ?」
「一人で服脱ぐのも出来ひんくらい怖いなら、一緒に脱衣所行くけど」
「ふぇ!?あ、後で!後から来て!えと、3分!3分で全部終わらせるから!」
「全部?」
「身体洗うまで全部!私が湯船に浸かってから入ってきて!」
「……着替えは用意しといたげるから、早よ行き」

その3分の間の恐怖は大丈夫なんやろかと思ったけど、下手なこと言うと恐怖心を煽りそうで、そのまま脱衣所に向かう彼女を見送る。
僕なら楽勝やけど、女の子が3分で全部済ますのは大変やないんかな。まぁ最終的に身体を温めてもらえれば、僕はそれでええのやけど。
彼女のクローゼットを開け、自分と彼女の着替えを取り出す。浴室の扉が閉まる音がして、3分待つこともなく向かうことにした。
脱衣所に行くと浴室の扉を指先で叩き、「唯ちゃん」と声を掛ける。

「ひっ!?な、まだあかんよっ!?」
「わかっとる。あんなァ、ボクここ居るから、そんな急がんでええよ」
「……ん、ありがと……」

そうは言ったものの、脱衣所でシャワーの音を聞いていると頭がおかしくなりそうで、気を紛らわせようと洗面台の棚を片付けてみたりする。
もうボク一緒に入らんで、ここに居るだけでええんちゃうかなと思い始めたところで、唯ちゃんの呼び掛ける声が耳に届いた。
はいはいと返事をして衣服を脱いで洗濯機に放り込む。腰にタオル巻いて浴室に入ると、唯ちゃんは湯船の中で体育座りしとる。
最近ハマってるらしい乳白色の入浴剤のせいで見えへんし、脚伸ばしたらええのにと思いつつ椅子に座りシャワーを浴びる。
落ち着かへんし手早く済ませようと考えていると、彼女の視線を感じて思わず手が止まった。

「なん」
「お背中流しましょうかー」
「……要らん。ちゃんと肩まで浸かっとき」

何を言い出すかと思えば。本日何度目か知れない溜息を吐き、簡単に洗髪を済ませる。
僕の言うた通り肩までしっかり浸かっとる彼女を視界の端で確認しつつ、身体まで洗い終える。今までの風呂で一番早いんちゃうやろか。
「ちょっと寄せて」と唯ちゃんに言い、湯船に入る。僕が身体を沈ませると流石に結構な量のお湯が溢れていった。

「身体、だいぶ温まった?」
「ん、おかげさまで」

ふわっと笑って見せる彼女の腕を軽く引っ張り、腕の中に閉じ込める。
あたふたする唯ちゃんの腰に手をまわし、くるりと反転させると再度両腕で包み込む。ほんま、身体はだいぶあったかくなったようや。
首元に顔を寄せると、同じ香りのはずやのに全然違うような香りがして、何だかたまらない気持ちになる。

「……唯ちゃん」
「んー?」
「……さっき、怒っとらんって言うたけど、……ほんまはちょっと、怒っとる」

唯ちゃんが首を小さく傾げたのがわかって、彼女の鎖骨あたりにある髪の毛先を指で弄りながら言葉を続ける。

「呼んでくれたらよかったやんか、電話でもメールでもして。少しでも雨がおさまるまで学校で時間つぶしててもよかったし。……軽蔑するかも知らんけど、唯ちゃんが他の人の傘盗ってさして帰って来たって、ボク、それでもええと思うてしまうよ」
「翔くん、」
「なぁ、ボクな、キミが大切なんよ。せやから……、キミに、ボクを頼って、ボクを使って、自分のこと大切にして欲しいって思うのや」

なんて子どもじみた感情論やろかと自分でも思うたけど、止まらへんかった。
目と鼻と喉、それらすべての奥のほうがきゅっとなったけど、どうにか涙だけは溢れんように堪える。
ちゃぷんとお湯が跳ねる音がして、彼女の指が僕の手を撫で、そのまま指を絡められた。

「ごめんね、連絡するべきやったね。翔くん来るから早よ帰らな、って……それだけで頭いっぱいで」
「……ん」
「心配かけて、ごめんなさい。でも、心配してくれてありがとう。翔くんが優しくて、嬉しい」
「……別に、なんも特別なことやないやろ」
「そうやね。でも、二人で居れば、特別やないことの方が嬉しいこともあるよ」
「……ほやね」

そう頷いて唯ちゃんの首筋に頬を寄せると、くすぐったそうに身を捩る。こういうのも、特別やないけど嬉しいこと、なんやろか。

「明日は晴れたらええね。休みやし、お出掛けしたいな」
「……傘、新しいの買わなあかんしな」
「そうやね。あれお気に入りやったのになぁ」
「とびきりかわええの買うたるよ」
「ほんま?そしたら、前の以上にお気に入りになるね」

顔見えへんのに、ふにゃっとした笑顔浮かべとるんやろなってわかるような声で、そんなことを言う。
彼女は本当に、僕の心の真ん中にすとんと落ちるような言葉を紡ぐのが上手で困る。

「……唯ちゃん」
「なぁにー」
「お風呂でのぼせんのと、ベッドで汗かくの、どっちがええ?」



40度よりあたたかい36度で

(僕の冷たい感情なんて、きっとこの先も易々と溶かされていく)


「不要」と「必要」が極端な御堂筋が愛しい。
15.01.11

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