たまに、無性に会いたくなる日っていうのがあって、今日がその日だった。それだけの理由で、合宿終わりで疲れてるはずの脚でペダルを回す。
見慣れた道をしばらく走れば、夜道を照らしていたライトが彼女のアパートを捉えた。
駐輪場から見上げた2階の窓は真っ暗で、気持ちばかりが逸って何も連絡せずに来てしまったことを少し後悔する。
携帯を開いて時間を確認すると、23時と表示されている。少し早い気もするが、車も自転車もあるし、寝ているのだろうか。
階段を上がりながらポケットを探り、名前も知らない花のキーホルダーが付いた合鍵を取り出す。
実家ではほとんど自分で鍵を使うことが無いから、こうして鍵を持ち歩くのは未だに少し慣れない。

「お邪魔しまーす……」

室内は真っ暗で、自然と声が小さくなる。物音もしなければ、返事も無い。
台所を抜けて部屋に続く引き戸をそろりと開けると、壁際に配置されたベッドの上に彼女の姿を捉えた。
サイドテーブルに置かれた小さなライトは点いたままだけど、どうやら眠っているらしい。

「オレが点けっぱなしにしてると怒るのは誰でしたっけね」

小声でそう独りごちながら荷物を置き、ひとまず着替えようとクローゼットを開ける。置かせてもらってた部屋着があったはずだ。
気を付けていたつもりだったけど、静かな室内にはやはり音が響いてしまって、かたんという音の後に、背後から小さく唸るような声がした。

「……俊輔くん?」
「そうですよ。すみません、起こしましたね」
「んー……」

綺麗に畳まれていた部屋着を取り出して袖を通すと、家のとは違う、それでも嗅ぎ慣れた洗剤の香りがする。
着替え終わり振り返ると、唯さんが身体を起こして両腕を上げて背伸びをしていた。

「起きるんですか?」
「え、寝るの?」
「だって寝てたでしょう」
「でも俊輔くん来たし、寝てたらもったいないよ」
「別に何ももったいなくないですよ」
「だってせっかく一緒に居るんだよ」
「一緒に居る間ずっと起きてなきゃいけなかったら困ります。疲れてるんでしょ、ほら、寝た寝た」

唇を尖らせた唯さんの肩を軽く押してベッドに戻しながら、俺も布団に入る。
触れ合った彼女の足は少しひんやりとしていて、温めるように緩く脚を絡めてやると、くすぐったそうに小さく笑った。

「合宿、お疲れさま」
「うん、ありがとうございます」
「一番?」
「……いや、違う」
「あら」

今年の合宿も、一番は獲れなかった。去年はあのバケモノみたいな先輩たちが居たし、今年こそと思って走ってたのだけど。
しかもゴール間際で勢いのままにバカみたいな約束事を取り付けてしまったせいで、結局帰りのバスの中でまでずっと鳴子にあれこれ遣わされていた。

「凄いねぇ、みんな強くなってるんだね」
「…………」
「ん?」
「……いや、何でもないです」

俺はどうしても相手への悔しさとか自分への苛立ちにばかり集中してしまうけど、そうか、彼女の目から見れば、そういうふうに映るのか。
負けられないと思う相手が一番近い場所に居るというのは強みだよなと、ぼんやり思う。

「……オレもまた強くなるし、次は、勝ちますから」
「うん、期待してる」

そう言って、俺の髪や頬をゆるゆると撫でる。くすぐったさに身を捩ると楽しげに笑い、俺の胸元に顔を埋めてきた。
唯さんにされる子ども扱いがどうも嫌だと思えないのは、こうやって、甘やかした後にすぐ甘えてくるからだろうと思う。どうやったって敵わない。
寒咲のお兄さんと同級生で、俺よりずいぶん早く社会人になった彼女を甘やかすのは、とても変な感じがして、だけどどこか心地好いのだ。

「そんなくっついて、暑くないんですか」
「うん、大丈夫」

俺とは違ってどこもかしこも柔らかい身体を、猫みたいにすり寄せられる。柔らかいっていうか、この柔らかさって、

「……あの」
「ん?」
「もしかして、……下着つけてなかったりします?」
「やだ、えっち」
「当たったんだから仕方ないでしょう!」

夜中に大声を出してしまったと慌てて口を噤んだが、直後、彼女の笑い声も大きく響いて、何だかもうどうでもいい気分になる。

「あんな締め付けられるもの、寝てるときまで着けたくないよー」
「あっそ……」
「それに、寝てるときはブラ外してた方が、胸の成長を妨げないらしいの」
「とことんどうでもいい情報ありがとうございます」
「どうでもよくないですー。俊輔くんだって、どうせおっきい方が好きなんでしょー」
「胸の大きさが決め手なら、そもそも唯さんを選んでな、ッ、痛い!暴力反対!」
「暴言反対!」
「暴言じゃないでしょう、好きだって言ってんだから!」

グーで殴られた肩をおさえながら投げ付けた抗議は、思い返すとだいぶ恥ずかしい言葉だった。
さっきとは違った意味で口を噤んで、それだけじゃ足りない気がして手のひらで隠したけれど、どっちにしても意味は無かった。

「……ニヤけるのやめてもらえます?」
「むーりー。ね、ね、もっかい言って?」
「むーりー」
「なーんーでー。ね、好き?大好き?」

これは言うまで諦めなさそうだなと思ったものの、意識すればするほど言える訳も無く、ひとつ溜息を吐いて、唯さんの額に口付けた。

「夜更かしすると、明日に響きますよ。久々のお休み、出掛けたいんでしょう?」
「うん、お買い物行きたい」
「じゃあほら、早く寝ますよ」
「早く寝たら、好き?」
「……そうですね」
「じゃあ寝る」
「子どもかよ」

呆れ返った俺の言葉にくすくす笑いながら、再び俺の胸元に擦り寄って「おやすみ」と言ってゆっくり目を閉じた。
そんな唯さんに倣って、俺は彼女の頭を撫でながら抱き枕みたいにぎゅうっと抱き寄せ、目を閉じる。
自分でも気付いてる。無性に会いたくなる日っていうのは、レースや合宿の後が多い。もちろん、その日以外もあるけど。
彼女もそれに気付いてるから、今日みたいにいきなり訪ねても文句も言わずに受け入れてくれる。
甘やかすのが好きだと思いながら、結局のところ、ずぶずぶに甘やかされてしまっているのだ。
それでも、会いに来て良かった。自室のベッドに一人じゃ、こんな緩やかで幸せな気持ちで眠ることは出来なかっただろうから。
ごめんなさいと、ありがとう。それからさっき言えなかった一言を心の中で呟いて、大きく息を吐き、意識を手放すように眠りに落ちた。



愛を抱きしめ、愛に包まれ

(君の隣で眠りながら君の夢を見たいと思う程度には、君のことが、好き)


ヒロインの前ではスカせないスカシくんの話。
15.05.18

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