雪成が私の住む町に着いたのは、お昼前だった。電話をした段階で、もうすでに箱根からは出ていたらしい。なんて気が早い。 待ち合わせた最寄りの駅が大きくて良かったと思った。おかげで迷わずに来られた、と雪成が笑ったからだ。 駅前のスーパーで出来合いの昼食を買い、迎えに来た時よりもゆっくりとした歩調で帰路を辿る。 家に着き鍵を開けると、雪成がものすごくおずおずと「お邪魔します」と入ってくるのが何だかおかしかった。 「いい部屋見つけましたね」 「ね。ワンルームだけど、まだ新しくて綺麗だし。雪成、着替えるでしょ。シャワーも使っていいよ」 「いや、どうせ荷解きで汗かくだろうし、着替えだけ……」 「ん?どした?」 「……唯さん。あの窓、カーテンは」 「あー……、まだ、買って、なかっ、たり?」 「っ、バッカじゃないですか、アンタ!」 「いやー、すっかり失念してまして」 そう言うと、はぁぁ、と彼が大きく溜息を吐く。 そうなのだ。ベランダに続く大きな窓のカーテンのことは覚えていたものの、部屋の西側にある窓のことを忘れていた。 入居日すぐに気付いて買わなくちゃと思ったものの、ホームセンターの場所やら行き方を調べることが面倒で放置したままだ。 「飯食ったらすぐ買いに行きますよ」 「えー、通販でいいよー」 「時間掛かるから駄目。……離れてるだけで結構不安なんですから、これ以上不安要素を増やさないでください」 「……やだ、雪成超可愛い」 「一人で行ってきますか?」 「ごめんなさい一緒に来てください」 ◆ 「大きいお店だねー」 「わりと近くにあって良かったですね。何か足りないものに気付いたら、すぐ来られますよ」 直行したカーテン売場は品揃えが豊富で、目移りする。来る前に測ったサイズと照らし合わせ、引っ張り出しては戻すのを繰り返す。 「……ねぇ、雪成」 「はい?」 「選んで」 「はい!?」 「カーテンの柄。あ、あと、目覚まし時計も」 「時計持ってないんですか」 「壁掛けはあるよ、出してないけど」 「……後で出しましょうね。で、何でオレが選ぶんですか。自分の好きなやつの方がいいでしょう」 レーンに掛けてあるレースカーテンを引っ張りながら雪成が首を傾げる。 「だって、カーテンは毎日開け閉めするし、目覚まし時計だって毎朝使うでしょ」 「そうですね」 「生活の一番傍に、雪成が選んだものがあれば寂しくないかなって」 私の言葉に雪成が目を丸くして、すぐに手のひらで顔を覆って大きな溜息を吐く。今日だけで、何度溜息を吐かれたことだろうか。 「……言っときますけど」 「ん?」 「今の、外じゃなかったら確実に抱きしめてましたからね」 手の甲でぺしんと私の額を叩いた雪成の頬は、ひどく赤い。 ああやっぱり可愛いなと思ったけれど、また機嫌を損ねそうだから、思っただけでやめておいた。 「どうせなら、オレっぽい柄にしてやりたいですね」 「何、自転車柄とか?」 「ねーよ」 ◆ 「結構片付きましたかね」 「うん、ありがとー。段ボールが空っぽになっただけで満足」 「うっわ、外もう真っ暗」 「お腹空いたね」 「どっか出ます?晩飯作れるほど材料買ってないでしょ」 雪成のその提案に頷いて、財布だけ持って家を出た。駅も大学も近いから、この近辺は飲食店が多く立ち並んでいる。 ふたり手を繋いで歩く道は、夜だというのに煌々と明るい。 「今日、ほんとありがとね」 「いえ別に。オレが来たかっただけですから」 「そんなに会いたかった?」 「まぁそれもありますけど」 「え」 からかいのつもりで言った言葉を潔く認められて、面食らってしまう。指先が熱くなったのが、伝わらないといいなと思った。 「でも何より、この町に来たかったってだけです」 「この町に?」 「そう。唯さんがこれから暮らすこの町を、オレがただ見たかっただけ」 「……そっか」 「あぁ、それと、唯さんの部屋に入る最初の男は、オレでありたかったってのもあるかな」 「……雪成以外、入れたりしないよ」 「うん、それは信じてるけど。気持ちの問題」 会話の途中に一度交えた咳払いが、胸に刺さる。私と同じように、彼も本当に不安なのだろう。 こんなところにまで会いに来てもらって、愛されているという実感は溢れる程に抱いている。私は彼に、何をどうすれば返せるだろうか。 メールでも電話でもいいから、くだらない話を毎日しよう。偶にはどうにもならないわがままも言おう。 不安にさせないように、大切だよって、冗談交じりでもいいから伝えよう。自惚れでも何でも、彼が好きになってくれた私のままで居よう。 大丈夫、と呪文みたいに繰り返して、雪成の細長い指の感触を刻み込むように、きゅっと指先に力を込めた。 「あ、雪成が最初の男じゃないや」 「は!?」 「ネット回線と引っ越しの業者さん入れちゃったもん」 「……ノーカンでしょ、それ」 雪成っぽい柄なら、きっとモノトーンか黒猫か雪の結晶。 15.04.14 |