引っ越し作業は、荷造りのときが一番楽しい気がする。実際、楽しかった。
いつも過ごしていた自分の部屋は、思い出がいっぱい詰まった、びっくり箱みたいな宝箱だったことを思い知ったから。
全然荷造り作業が進まなくて母親に小言を並べられたりもしたけれど、気合いとノリでどうにかなった。テスト前の一夜漬けみたいに。

県外の大学進学に伴い引っ越しを決めたこのワンルームには、未だ生活感というものが無い。
入居日の昼に荷物が届いて、まさか一日二日でどうにか出来るわけもなく、寝床だけ作り上げ、積み重なった段ボールと共に二晩を過ごした。
そして今朝起きてコンビニで買った朝食を頬張りながら、さてそろそろ本気で手を付けるべきかなと考える。何からしようか。
紙パックのジュースを飲みながら、何が入っているかもわからない段ボールを開封していると、着信音が鳴り響く。

「はいはーい」
「あ、唯さん?おはようございます」
「おー、おはよー」
「起きてました?」
「うん、ばっちり」
「そうですか、良かった」

耳元で響く、低い声。見送りのときにも聞いたはずなのに、ずいぶん懐かしい気がする。距離というのは、錯覚を起こさせやすくて困る。
一度ケータイを耳から離して時間を確認すると、9時を表示していた。

「どうしたの。部活は?」
「なんか今日、新入生の説明会みたいなのがあって、在校生は学校入れないんすよね」
「あぁ、そんなのあったねぇ。じゃあ今日は自主練?」
「んー……、そーッスねぇ」

どことなく歯切れが悪い言葉に首を傾げながらも、片手間にガムテープをびりっと剥がす。
あれこれ適当に詰めたものだから、何が入っているのかを段ボールの外側に書けなかったのが痛い。

「荷解き作業、進んでます?」
「全然」
「……胸張って言うことじゃないですよ」
「張ってないもーん」
「ああ、張る胸がありませんでしたね」
「何だと!?」

あはは、と雪成が楽しそうに笑い声を響かせる。目尻下げて、くしゃっとした顔で笑ってるんだろうなと思うと、胸の奥がきゅうっとなった。

「今日はずっと荷解きですか?」
「そうだね、いつまでも段ボールと生活したくないし」
「段ボールは、唯さんの大嫌いな黒い虫の絶好の住み家だって言いますしね」
「ぎゃああああああっ!?」
「っ、うるさ……!」
「バカ!雪成のバカ!」
「うん……、すみません、謝りますから、ちょっとトーン抑えて……」

名称をぼやかされたところで頭の中にははっきりと存在を主張してきたモノの影を掻き消すように、頭上で手のひらをぶんぶん振る。
鳥肌が立った。バカ雪成め。心の中で尚も毒づきながら腹いせにわざと通話口を近付けてガムテープを乱雑に剥がすと、「う」と低い声で雪成が呻く。

「あの、唯さん?」
「何ですかー」

遠慮がちな声に内心笑みをこぼしながら、ああ別に見えていないんだから、頬くらい緩んだっていいかと思い直す。電話は、厄介で便利な道具だ。

「オレ、今日部活休みで、ですね」
「……うん?さっき聞いたばっかりだよ」
「で、明日は、もともと休養日なんですよ」
「じゃあ、連休だ。珍しいね」
「……ん。ほんと、滅多に無いことッスよね」

箱学の自転車競技部は、とにかく練習量が多い。
春になり、彼らにとってはずいぶんと長かったであろうシーズンオフが明け、これからまた更に忙しくなるんだろうなと思う。
今年は雪成の気合いの入り方が違うのが、私にもはっきりとわかる。だって、彼にとって、最初で最後のインターハイが待っている。

「この先、夏が終わるまで、無いことだと思うんですよ。連休なんて」
「そうだねぇ。でも、雪成のことだから、どっちみち今日も明日も自転車には乗るんでしょ」
「……そうですね。今日と明日は、ロングライドかな」
「休みなのに!?」
「休みの日にしか出来ないでしょう」

あっけらかんと言われ、確かにそうだなと思いつつも呆れ返る。自転車部には自転車バカしか居ないのか。
私も運動部だったけれど、休日にまで身体を動かすことは無かったし、部活が休みの日なんて喜んでた記憶しか無い。
どこまで行くのか尋ねようと口を開きかけたとき、雪成の少し甘えたような「ねぇ」という声が耳をくすぐった。

「オレ、そっちに手伝いに行っていいですか」
「…………は?」

言葉を理解するのに、結構な時間が掛かった。何を言っているんだこの子は。ロングライドって、まさか。

「車でも2時間近く掛かるんですけど……?」
「ロードなら3時間ですね」
「そんなさらっと!」
「だって必要でしょう、手伝い。唯さん、家電の配線わかります?」
「う、」
「無線LANとか一人で設定出来る自信あります?」
「え、と」
「米とか調味料とか洗剤とかの買い出し、一人じゃ大変だと思いません?」
「ぐ、」

畳み掛ける問い掛けに、答えることも出来ずに言葉に詰まる。そりゃあ、男手があればこんな狭いワンルーム、すぐに片付くだろうけど。
それでも長距離を自転車で来てもらうほどのことではない気がするし、ここで甘えてしまっては、独り暮らしの先行きが不安でもある。

「悪いよ、そんな、遠くから……」
「あー……、じゃあ、訊き方を変えましょうか」

小さく聞こえた咳払いに、背筋がぴんと伸びた。咳払いは、緊張すると声が上擦る雪成が、大事なことを言う前にする癖だからだ。

「……会いに行って、いいですか」

空気が、止まったような感覚がした。耳元をくすぐった大好きな低い声は、なんて可愛い言葉を紡いでくれたんだろう。

「……その訊き方はずるくないですかね、雪成さん」
「へぇ、ずるいと思ってくれるんだ」

そうやって不意に敬語じゃなくなるところもずるいんだよとは言えず、代わりに盛大な溜息を吐いた。
本当に、ずるいなぁ。私にはどうにも出来ないと思えてしまう距離を、こうも容易く埋めてくれるのだから。

「雪成」
「はい」
「……会いに来て。最速で」
「ん、お安い御用です。すぐ行くから、待ってて」
「うん、待ってる」



黒猫さんから届いたものは

(何よりいちばん見たかった、季節外れの雪でした)


単行本表紙記念。フットワークの軽さに定評のあるうちの雪成さん。(お正月夢参照)
15.04.09

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