美術館というのは、特殊な場所だなといつも思う。
他の一切を遮断して、ひとつの世界を心ゆくまでたゆたうような、少しだけ、贅沢な時間。

「唯、荷物こっち貸して」
「あ、ありがとう」

鞄をロッカーに預け、チケットを渡して入場すると、一枚の大きな水彩画から今回の世界は始まった。
淡い色を重ね合わせて描かれていたのは、梅の木にとまる一羽のウグイスだった。題名は、『春告鳥の朝』。

「綺麗だな」
「ね、綺麗」

そう返すと青八木くんはふわっと笑って見せた。
お喋りが苦手な青八木くんも、美術館ではぽつりぽつりと静かに言葉をこぼすことが多い。自転車の話をするときと一緒だ。
男は趣味の話になると口が止まらないんだよ、と兄が言っていたのを思い出す。

「ちょうど、時季だもんな」
「そうだね、梅もウグイスも」

美術館デートは2度目だ。前回は、絵画より物作りが好きな私を、パッチワーク展に連れてきてくれた。
「今回はオレの趣味に付き合って」と言われてすぐに頷いた。異論なんかあるわけない。そもそも今日は青八木くんの誕生日を祝うデートなのだ。

「順路、あっちだ」

外デートの時はいつも手を繋ぐけれど、美術館内では繋がない。惹かれる作品が違うから、作品の前で足を止める時間も違う。
私がひとつ先の作品を見終わっても青八木くんはまだ前の作品を眺めていたりして、これがなかなか楽しいのだった。

私は本来、芸術というものに疎い。物作りは好きだけど、それはあくまで日用品にしか過ぎず、芸術には程遠い。
青八木くんと付き合っていなければ、美術館を訪れることなんてそうそう無かっただろうなと思う。
花を見れば綺麗だと思うし、写真のような絵を見れば感動もする。だけどそれは、日常の中の些細なひとコマでしかなかった。
美術館という場所に足を運んで感動を体験する、という選択肢が、私にはなかったのだ。
綺麗なものを綺麗だと思う。単純が故に意識しづらいその行為に、青八木くんは多くの時間を費やす。彼のそういうところが、すごくすごく好きだ。

「唯」
「ひゃいっ!?」
「……ごめん、大丈夫か」
「う、うん、私の方こそごめん……」

好きだなんて思った瞬間、背後から大好きな声が聞こえたものだから、びっくりしてしまった。
ばくばくうるさい心臓に手を当てて深呼吸をしていると、青八木くんが静かにくつくつと笑い出す。

「どしたの」
「いや、ごめん。唯のリアクションが、部活の後輩に少し似てたから」

こんな反応をする子が自転車部には居るのか、意外だ。ふ、と息を整えるように吐いた青八木くんが、私たちの前にある水彩画を見上げた。

「これ、好きなのか」
「ん?」
「ずいぶん楽しそうに眺めてたから」

見られていたのか、恥ずかしい。楽しげな表情の理由はあなたですよとは言えず、彼と同じように目の前の絵を見上げる。
大きなキャンバスにはキラキラとした宝石がたくさん散りばめられている。『万華鏡の奥』と名付けられたその絵は、とても繊細なものだった。

「……私、万華鏡って小さい頃に見たきりかも」
「オレも」
「小さい頃、飽きもせずにずーっとくるくる回してたなぁ」
「唯なら、大人になってから見てもくるくる回してそうだけど」
「……そうかな」
「否定はしないんだな」

小さく笑った青八木くんに、髪をくしゃりと撫でられる。私の背中をぽんとたたいた青八木くんが次の絵の元へ向かうのを、静かに追い掛けた。
それからも時折立ち止まってはぽつぽつ言葉を交わして、小規模な展覧会だったはずが、会場出口に着いた時には一時間近く経過していた。
館内にあるミュージアムショップで青八木くんは前回の展覧会同様、パンフレットを買う。気に入った証拠だ、良かった。

「脚、疲れただろ。ちょっと休むか」
「そうだね、隣にカフェあったよね?」
「あぁ、行くか。ほら」

ロッカーから取り出した荷物を持つと、もう片方の手を差し出される。短い距離でも手を繋ごうとするのは、甘えなのか甘やかしなのか。
未だに計り切れないけれど、結局繋いでしまうのだからどちらでもいいのかも知れないなと思う。
からんからんと音を響かせてカフェの扉を開くと、一瞬にしてコーヒーの香りに包まれる。それから、焼き菓子の甘い香りも。
青八木くんのブラックコーヒーと自分のカフェラテを頼み、お誕生日なのだからと言い包めて奢らせてもらうことにした。
彼が先に席を取りに行ったことを確認して、追加で店員さんにケーキを頼んだ。小さめのモンブランケーキと、苺のショートケーキ。
窓際のカウンター席に座っていた青八木くんの元に、慎重にトレイを運んで、かたん、と目の前に置く。

「…………え?」
「お誕生日なので、ケーキもどうぞ」

青八木くんが目を真ん丸にして驚いてる表情なんて、珍しい。
少し頬を紅潮させて口元に手を当てて「あり、がと」なんて言われたものだから、何だかこっちまで照れてしまった。
照れを紛らわすように、椅子に座ってカフェラテを手に取り、「おめでとうございます」と畏まってカップをこつんと当てる。

「青八木くん、いつもブラックコーヒーだね。甘い飲み物、きらい?」
「ん……きらいっていうか、苦いものは苦いもののまま好きになれたらなって……、ジュースとかは、普通に飲む」
「あぁ、なるほど」
「それに……、……いや、やっぱいい」
「え、なに、気になるよ」

ケーキに手を伸ばしながら、途絶えた言葉の続きを促す。私を横目でちらりと見て「笑わない?」と確認してきた表情が可愛くて、何度も頷く。

「……大人になった気がする、から」

ぽつりと呟かれた言葉は、まったく想像してなかった理由で、一瞬ぽかんと口が開いた。
気が緩んでしまい、頷いたことも忘れて、ふ、と息が漏れた。長めの前髪から覗く目に小さく睨まれ、両手を合わせて「ごめんね」と謝る。

「大人になりたいの?」
「……誕生日だってオレの方が遅いし、背だって小さいし」

そういえば去年も、誕生日が遅いことを気にしていたなと思い出す。
小柄なことも、気にすることないのに。だけど男の子としては、そういうわけにもいかないのだろう。

「誕生日はどうにもならないけど、唯よりは大人っぽく居たいし。……まぁそれは大丈夫だと思うけど」
「んん!?」
「この先、背だって純太を追い越すし、体格だって田所さんくらいに大きくなるから」

それは恐ろしいなと思ったけれど、思うだけにしておいた。少しムキになった口調が、ひどく可愛かったから。
ここ最近、ごはんをいっぱい食べるようになった青八木くんが、どう成長するか楽しみだ。

「青八木くん」
「ん?」
「お誕生日、おめでとう」
「うん、ありがとう」



色彩は淡く心に滲んで

(じりじりじんわりじっくりと、染まっていくのは何色だろうか)


お誕生日おめでとう。男前な青八木くんが大好きです。
15.02.24

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