―――ゴールのところで待っといてや。そしたら、すぐに会えるから。 柄にもなくあんなことを言ってしもたのは、きっと浮かれていたんやと思う。大切なひとにレースを観に来てもらうの、初めてやったから。 今思い返しても恥ずかしい。何より、それを僕も彼女も憶えているというのが恥ずかしい。 忘れてくれてええのにと思いながらも、ゴール後に彼女が駆け寄ってくると安心すんのや。今日かて、彼女の存在に随分と救われとる。 炎天下の中の表彰式が終わってテントに戻ると、唯ちゃんが待っていてくれた。おかえりと言いながら駆け寄ってきた彼女に軽くでこぴんをする。 「っ、なっ何やの!?」 「写真、撮っとったやろ」 「あれー、バレとる」 「目立つねん、この黄色ォ」 そう言って、唯ちゃんのワンピースの袖を引っ張った。小さくプリントされた向日葵を見て、そうやった、と思い出す。 右手に持った小ぶりの花束をぽふりと唯ちゃんの胸元に押し付ける。残念ながら向日葵ではなかったけれど、予定通りの、黄色い花束。 「黄色尽くしにしたげる言うたからな」 「ふふ、ありがとう。部屋に飾るね。あ、押し花にしよかな」 「好きにしぃや」 花束を見つめてあれこれ悩んでいる唯ちゃんに溜息を吐いて、ジャージのポケットからペットボトルを取り出して彼女の頬に押し付ける。 「ひぃっ!?冷たい!」 「それもあげるわ」 「……買うてきてくれたん?」 「熱中症で倒れられたらかなわんからなァ」 「ん、ありがと」 多分日焼け止めは塗ってきたんやろうけど、それでも顔や腕が少し赤くなっている。お風呂のとき、沁みるやろな。 写真なんて撮りに来んと、テントで待っていれば少しは日焼けも軽減されたやろうに。 嫌味のひとつでも言うたりたいけど、きっとその写真は、アルバムに綴じる為でも部屋に飾る為でもなく、僕の大切な人たちへ報告する為なんやろうと思うと、何も言えへんかった。 彼女はいつも、僕の大切なものを大切にしてくれる。デローザに触れる手付きも優しいし、久屋のおばさんたちとも、時には何故か僕より仲良うしとる。 それでも彼女は時折どこか抜けていて、こんなふうに自分の水分補給を忘れていたりする。自分かて、僕の大切なもののひとつのくせに。それを、知っとるくせに。 自分のことも大事にしぃやと言うたなら、お互い様やと、彼女は笑うやろうか。唇尖らせて、怒るやろうか。……きっと、笑うんやろな。 諸々考えながらデローザを解体していく。 別に隣県やしこのままペダル回して帰ってもええのやけど、唯ちゃんが電車で来とるから輪行袋に仕舞って一緒に帰る。 ザクどもと一緒のレースに出るときは学校がバス出してくれはるけど、今日は個人参加やから移動は自費。 せやけど、電車で帰るほうが僕は好きや。学校のバスには、唯ちゃん乗せられへんからな。 唯ちゃんが広げてくれた袋にデローザを仕舞い終えると、彼女が僕の胸元にあるメダルに触れた。首に掛けてたん、すっかり忘れとった。 「綺麗やね」 「……ほやな、一番やし」 「盾もトロフィーもええけど、私はメダルが好きやなぁ」 「かさばらへんしな」 「そういうこととちゃうよ」 くすくす笑いながら、メダルを優しく撫でる。ふと思い立って首から外し、彼女の首に掛けた。黄色の追加。 メダルを首に掛けられた彼女は不思議そうな表情で僕を見る。 「着替える間、邪魔やから。持っといて」 「あ、そっか。じゃあ私、外に居るね」 「暑いから、日陰に居らなあかんで」 「はーい」 テントから彼女が出たのを確認すると、手早く着替える。肌に密着するジャージに比べれば、普段着は幾分風を通して心地ええ。 身体が落ち着くと、レース後特有の空腹感にやっと気付く。昼過ぎたし、どこか寄って帰ろうかと考えを巡らせる。 脱いだジャージを仕舞い、荷物と輪行袋を担ぐと流石に重たくて低い声が出たけど、駅は近いし大丈夫やと思いたい。 カーテンを開けると、唯ちゃんが日陰でしゃがみ込んでデジカメを弄っていた。 「なぁにしとんの」 「表彰式の写真見とったー」 「さっき撮ったばっかの見て何が楽しいん」 「ちゃんと撮れたか確認してたのー。ほら、これとかベストショットやよ」 「いらん、何で自分の写真見なあかんの。帰るで」 しゃがんだままの唯ちゃんの腕を引っ張り立ち上がらせる。並んで歩き出してすぐ、彼女が僕の荷物をくいっと引っ張る。 「どしたん」 「持つ」 「ハァ?重たいからあかんよ」 「だからこそ、やよ」 「ジャージだけならまだしも、靴もメットもこっちに入れとるのや。あかん」 「駅近いし大丈夫!な?」 強情な彼女に気圧されて溜息吐きながら結局荷物を渡した。スポーツバッグをリュックみたいに背負って、ふにゃっと笑って見せる。敵わん。 駅までの短い距離を、手を繋いで歩く。唯ちゃんの手には花束、首にはメダルを掛けたままになっとって、運動会帰りの子どもみたいやな、と密かに思う。 小さな駅に着くと、運良く乗るべき電車が停まっていた。田舎やし昼間やから電車内はがら空きやった。僕らが乗った車両は、誰も居らん。 それでも自転車があるから、後から乗る人の邪魔にならんよう端っこの席に並んで座った。手は繋いだまま。 「貸し切りやね。優勝祝いかな」 「贅沢すぎやろ」 くぅだらん冗談言うてる間に、結局誰も乗らんまま発車した。静かな車内に、ガタンゴトンと音が響く。 隣の黄色尽くしの唯ちゃんを見て、ああそういえば、と思い出す。絡めた指に少し力を込めて、顔を覗き込むように近付き、そのまま唇を重ねた。 唇を離し目を合わせると、日焼けのせいで赤らんだ頬に更に赤みが増した。 「な、何……っ」 「さっき、邪魔されたまんまやったなぁ思て」 「だからって、いきなり……!」 「何やの、キスしよかって言うたら良かったん?どうせするんやから一緒やろ」 「そんな無茶苦茶な」 頬を赤らめたままの唯ちゃんをそのまま腕に閉じ込める。冷房の効いた車内で、唯ちゃんの体温がいつもより高く感じる。 絡めたままの指をきゅっと強く握り返されて、愛しい、とか、思ってしまう。 元々そんなに多くなかった大切なものは、唯ちゃんと出逢ってからというもの、少しずつ増えている。 失えるものばかりの世界やと、幼いあの日、思い知ったはずやのに。 レース後の黄色い感覚が好きやった。今は、その黄色い感覚の中で一際黄色い唯ちゃんが駆け寄ってきてくれるのが好きや。 唯ちゃんが言う「お疲れ」も「おかえり」も、全部全部、大切で、失いたくなくて。 「あ、翔くん?」 「なん」 「あの……この体勢、いつまで……」 「次の駅に着くアナウンスまでや」 「……そうですか」 衣服越しでも、唯ちゃんの心音が伝わる。緊張しとるのやろか。車内とはいえ、外やしな。 何だか様々考え込んでたのが馬鹿馬鹿しくなって、代わりにちょっとした邪心が芽生える。 「なぁ、唯ちゃん」 「ん?」 「もっかいだけ、ちゅーさせて」 「……はい?」 戸惑う彼女を無視してきつく抱き寄せ、次の駅の案内アナウンスを聞きながら、本日二度目の口付けを交わした。 いつだって願っているよ (どうか、君の体温と心音は、僕より先に薄れたりしませんように) 御堂筋が言うなら「キス」かな「ちゅー」かなと悩んだ結果、どっちも言わせた。 14.10.22 |