騒ぎ立てる心臓のあたりを押さえながらベッドに体重を預ける。口の中はカラカラで、正直考えることすら面倒だった。必死に息をしていた数分前とは比べものにならない脱力感。口を開いてみても掠れた声しか出なくて、その情けない姿はさながら弱々しい魚のようだ。逃げ遅れた、魚。我ながらいい表現かもしれない。私が必死に泳いでも泳いでも、私が欲しいあの人はいつも冷静で、落ち着いて。私といる時に必死な顔なんかしたことがない。コトの最中には、時折余裕のない表情もするけれど。しかしそれでも私の方がいつも焦ってしまうのだから、結局は私があの人を必死にさせることなんか出来ない。追いかけて追いかけて死に物狂いで泳いでいるうちに、いつの間にか追い越して。一人で勝手に騒いで焦って、そんな私を見て、あの人は静かに笑う。
捉えようとして、私の方が捕らえられている。

ふう、と息を細く吐き出す。生温い部屋の中を、カーテンの奥は照らさない。時計が手元にないから分からないが、まだ夜は明けないらしい。
静かな足音が聞こえてきた。そちらに目を向けると、下にだけスエットを履いた宏さんが帰ってきた。その手にはペットボトルが握られていたから、やっぱりキッチンに行っていたみたいだ。何も言わずとも彼はペットボトルの水を手渡してくれる。けだるい身体を起こして水を含むと、口許から身体の中を冷たいものが通るのが分かった。

「大丈夫か」
「大丈夫…じゃないです」
「ハハ…だろうな」

私が返したそれを戸惑うこともなく口に含む。彼の喉元がいやらしく動いた。なんていうか、色気がある。男の人らしさをデフォルメしたようなその形は、いつ見ても惚れ惚れする。

「私は動けないくらい辛いのに、宏さんは余裕ですね」
「お前と俺の体力を比べるなよ」
「それは、そうですけど」

さっきまでみたいに同じベッドに入り込んだ宏さんは、からかうように笑った。

触れてる訳じゃないのに、自分の身体がまとう空気、全てが温かくなった気がした。逃げ遅れた魚は、こうやって居場所を見つけてしまう。あまりにも居心地が良すぎて、自分を取り巻く全てのものを投げ売ってでもその場所を望んでしまうから。結局、自分から閉じ込められることを願ってしまうのだ。だから、本当は逃げ遅れたんじゃない。ただ逃げたくないだけ。

「どうした?」
「なにが?」「何だか、難しいこと考えてるような顔してるぞ」
「……あ、ばれた」

自分な身体を横向きに変えると、静かな笑みを浮かべた宏さんが同じくこちらを向いていた。

「宏さんを逃がさないようにするためには、どうすればいいかなって」
「ふっ……面白いことを考えるんだな」
「真剣ですよ」
「…そうか」

吐息が混ざる距離まで近づいて、二人とも笑った。宏さんの手が私の頭を撫でる。最初は年下扱いみたいで気にしていたけど、最近宏さんは頭を撫でることが好きなのだと気がついた。それならいいか、と思ってしまうのが私の弱さかもしれない。結局、彼がいいなら全ていいのだ。彼が好きなものは、私も好きになりたい。そのくらいには、愛してしまっている。きっと。

「方法があるなら、俺も教えてもらいたいかな」
「えー?」
「逃げられる方法があるなら、教えてくれよ」
「…じゃあ…ずっと教えない」
「じゃあ、ずっと逃げられないな」

ゆっくりと包みこまれるように抱きしめられる。その心地好さに次第にまどろんでしまう。夜はまだ明けない。朝が来るには、きっとまだ長すぎる。
宏さんの言葉が聞こえなくなる。視界が狭くなる。それでも、背中に回された大きな手の温度だけは、消えないままで。





≪体温の温度だけ鮮明≫
眩暈:ライコ様


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