シーズンに入ると毎日が忙しく過ぎる。
会社でそれなりの立場にある彼女も自分の仕事がごたついているのか、俺たちはここ何ヶ月もの間すれ違いの生活を続けていた。
送られたメールも時間帯が大幅にずれ、互いに返信一度で終わる程度。
残業続きの彼女に電話をかけたとしても大抵出るのは留守番電話サービスの品のいいアナウンスでもう彼女本人の声を聞いたのはいつのことだか忘れるほど会話と言う会話をしていない気がしていた。

そんなことを考えながら遠征を明日に控えベッドで一人ぼんやりしていたところに携帯の着信音が鳴った。

「ヒロー明日遠征よね。もう寝るとこだった?時間大丈夫」

久しぶりに聞こえた彼女の声に胸の奥が温かくなる。

「大丈夫だ。明日起きたらバス乗るだけだしな。まだ9時だろ、寝るには早いさ」

「えーホントはもうベッドの中で半分寝かかってたんじゃないの」

「寝転がっているだけだ。年寄りみたいに言うな」

ケラケラ笑うその声も久しぶりだ。

「お前は?何してた」

「うん。今ね接待中……っていうか」

歯切れの悪い言葉に疲れが溜まっているのかと心配になる。

「どうした?調子悪いのか」

「違うの。元気。ま、接待は接待なんだけど…」

仕事に対してプライドの高い彼女が会社にとって必要不可欠な接待を嫌がるなど今までにあっただろうか。

「珍しいな、苦手な相手か?」


「ヒロ………会いたい」

仕事モードの彼女の口から突然にこんな弱音が出るとは予想していなかった。

「何かあったのか?」

年甲斐もなく焦っているのだろうか少し声が上擦った気がする。

彼女の声もいつになく頼りない。

「接待だと思ってたの。だけど来てみたら…知らない男紹介されてて…ね?何これ?何なの?」

少し冷静さを欠いたような彼女の声。
冗談で返せば少しは落ち着くだろうか。

「なにってお前それは、接待という名の見合い……」

「なんでそんなに冷静なのよ!!」

「別に仕事の話の流れでだろ?いつものように上手く交わして…」

「心配じゃないの?他の男が私にプロポーズしてるのよ?」

な!?なに…何て言った?

「…プロ……って……受けるのか?」

「……。そういうこと言う!?」

「じゃ、どう言えばいいんだ!?決めるのはお前自身だろう」

しまったと思ったときは既に遅かった。

「ヒロ…最低っ!もういい!」

一方的に切れる電話からむなしく響くツーツーという機械音。
今までにだってこういうことはあった筈だ。
なぜ今日に限ってこんな電話をかけてきたのか。
少なからずも心が揺らいでいたと言うことじゃないのか?
仕事で対応に困って電話をかけてくるなど今までに一度も無かったのだ。
普通に考えれば何かがおかしいとわかることなのに、俺は彼女に対して何処か安心しきってはいなかったか?
思いなおし携帯を開いてリダイヤルのボタンを押す。
が、俺の耳に届くのはやはり留守番電話サービスの品のいいアナウンスの声だけだった。

会えなかった時間が何か俺たちの間に見えない溝を作っていたのかもしれない。
この日以降彼女からの連絡は一切途絶え、移動中のバスから若い男と連れ添って街を闊歩する彼女を見た時、あーそうか俺たちは終わったのだと認めざる終えなかった。


何ヶ月も過ぎたある日、練習を終えクラブハウスを出たところにポツンと彼女が立っていた。
少し痩せた…か?

「ヒロ…久しぶりね」

「あぁ。どうした今日は」

「待ってたの。話があって」

もうこうなっては嫌な予感しかしない。
吹く風になびく髪を押さえる細い指に光る指輪を目にした、これが決定的瞬間だ。

「この間、一緒に歩いていた男と………するのか?」

「ん?一緒に歩いてた?って……あー指輪見たいって言うから一緒に」

「そうか」

異常なまでに鳴る俺の心臓は無くしたものの大きさを物語る。

「そんな高価なものじゃない方がいいって言ってるのに見栄張っちゃって…」

「幸せ…なのか…」

独り言のように呟いた声は彼女には届かない。

「それでね、ヒロにも出席してもらいたいって」

は?
それはないだろう?別れた男を自分の式に呼ぶってどういう神経してるんだ。

「ちょっと待て、別れた俺がお前の式に出席出来る訳ないだろう?」

きょとんとする彼女に俺の目も見開いたまま戻らない…

しばらくたって彼女が大きな口をあけて笑い出した。

「何言ってるの?私じゃなくて弟よ。弟がヒロにも来てほしいって。それにいつ別れたの?私たち」

一気に気が抜けた。

「いや…しかしその指輪…」

差し出す薬指にはいかにも彼女が好みそうなシンプルな装飾の指輪が光っている。

「よく見てヒロ、これ右手。それにこれは仕事が上手くいった自分へのご褒美よ」

「ご褒美?って自分で買ったのか…」

「右と左の区別も付かなくなっちゃったの?大丈夫?ヒロ…」

相変わらず遠慮なしに笑う彼女に俺の心が深く深く息を吐いた。


接待で紹介された男からの申し出は、やり手の彼女らしくきっちり断りをいれたらしい。
俺との電話でぶち切れ、仕事とプライベートを混同する気はないと一気にまくし立てたのだという。
そんな彼女に惚れ込んだその相手と今は仕事でいい関係を築いていると自慢げに話している。


笑いすぎるくらい笑った後の彼女の表情はくるりと変わり真っ直ぐ俺を見るその瞳には涙が浮かんでいる。

「会いたかった。ヒロ」

腰に抱きつく腕は少し震えている。

「全然連絡くれないから…怒ってるのかって思って」

「怒ってなんかいない…寧ろ怒っていたのはお前で…」

どこか安心しきって言葉が足りなかったのかもしれない。
馴れ合っていたつもりはないが言葉だけじゃなく、誠意や思いやりや色んなものが少しずつ抜け落ちていた為に生まれた誤解。


「ね、安心させて。離れてた分いっぱい…」

「ああ、」

見上げる彼女の額に口付ける。

「ダメ、もっと」

「…愛してる」

俺の身長にあわせ背伸びをする彼女に近付くように少し腰を落とし唇を重ねる。

「ん、もっと」

「コラ、こんなとこで誘うな。これ以上はここじゃ無理だ」

そう言うと悪戯っぽい顔で彼女が笑う。

「明日オフでしょ?さっき村越くんに聞いた」

「うち来るか?」

「もちろん。買い物一緒に行こう?久しぶりに美味しいもの作る」

二人でゆっくりできるなんてすごいうれしーと笑う彼女の左手をぎゅうと握り、歩き始めた俺の頭の中は彼女に似合いそうな指輪のことでいっぱいになっていた。



END≪ストレートな誤解≫
あしたあさってしあさって:ちか様


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