自帰於佛 当願衆生 体解大道 発無上意・・・

朗々と響き渡る読経の声が敷地いっぱいに満ちて、川からの風に乗って日本橋の向こうまで流れていく。
賑やかな屋台の縁日を抜けて薬師堂、今日はいずこも花を抱えた人々で溢れている。余所行きの綺麗な着物で身を飾った幼子らが親に手をひかれお参り。たどたどしい手つきで釈迦像に甘茶をかけるその姿に、親たちはみな一様に目を細めている。

自帰於法 当願衆生 深入経蔵 智慧如海・・・

ぶわっと隅田川からの風が寄せた。
吹雪のように視界を染めていくのはいっぱいに飾られた木蓮か、あるいは本堂の前で揺れる彼岸桜。
天上の光景を見る思いがする。


【草もさげてや花御堂】



ちりんちりん、と鈴の鳴る音がする。
屋台も人の腕も花で賑やかに彩られ、日頃静かな境内も今日ばかりは色彩に染まる。
青竹の柄杓にぺんぺん草を巻いたものが珍しいのか、子供らがこれを取ろうとする。それを母親がたしなめて、仏様のお誕生日なのよと言って甘茶を汲ませている。
ふらりと戯れに寄った薬師堂の常ならぬ華やかさに、桂は眩しいな、と思う。
幾年越しかに見た懐かしい白い癖毛も花に紛れてよく揺れている。

「銀時、それは仏前に供えるための餅だ」
「うおっヅラ・・・いいじゃん買った餅を食おーが供えよーが勝手だろ」
「ヅラじゃない桂だ。そのぶんでは貴様の糖尿は悪化の一途だな、そこの甘茶で目薬をしておくがいい。糖尿病は目にくるらしいぞ」

供え物の戴き餅を売る屋台から白い頭をふわふわさせて満足げに出てきたのは先日会ったばかりの彼の幼馴染だった。餅をひとつつまみふたつつまみ、供える気なぞ無さそうだ。
風が寄せて、線香の匂いが全身を覆う。
ちゃぷちゃぷと花御堂から甘茶をかける音がした。
懐かしい男の顔は、絶え間なく響いている読経の声と線香の匂い、そして極楽のように彩られた花々がそこかしこに舞っているせいで現実離ればかりしている。銀時は桂の知らない服を着て、刀の代わりに桂の知らない木刀などを刺していた。その木刀は実は鞘で中には真剣が入っている・・・なぞということはないのだろうなと桂は痛ましい思いでそれを見ている。

「・・・オメーよく俺の前にツラ出せたな。散々な目に遭わせやがって」
「爆弾の件はそっちの娘御が原因だぞ。お前の娘か?」
「馬鹿言うなあんなでけーガキいてたまるか」

白い花吹雪がふたりの髪を揺らしていく。
どおんどおん、と大きな太鼓がふたつ鳴った。
読経の声が大きくなる。

「今日は坊主じゃねーのか」
「本職が揃う場所では下手な真似事など却って目立つのでな」
「ああ下手な自覚はあったの。で?日本橋くんだりまでわざわざ俺を待ち伏せてたってワケ。言っとくが戻んねーぞ」
「己惚れるな。たまたまだ」
「あっそ」

銀時と桂の少し向こうで、赤い縮緬の着物を着た小さな女の子が泣いている。転んで、甘茶を零してしまったようだ。それを姉らしきお揃いの着物の女の子が立たせてやって、二言三言声をかけるとやっと泣き止んで素直になった。
今年はお天気が良くて、と挨拶を交わすかみさん連中の声もする。
いっそ違和感を覚えるほどのどかだ、と桂はくらりとする頭をわずかに押さえた。桂を残して歩いていってしまった銀時の後ろ姿を目で追いかけている。
銀時は、この長閑な景色にもう慣れたのだろうか。知らない背中を俺に見せたままで。
銀時はふらりと花御堂へ近づいていったと思うと、甘茶を貰って戻ってきた。その向こうで振り散る白い花弁は、たぶん今その髪に絡んでしまってもわからないだろう。

「ん」
「ああ、すまんな。これ飲めるのか」
「茶なら飲めんじゃねーの」

華やかな彩りの中でも本堂の重厚な居ずまいの重々しさは変わらない。何十年も風雪に耐えた証のくすんだ深い古木の色は、浮きたつ景色に泣きそうになる心を慰めてくれる。
結局変わらないものが愛しいのだ、と桂は思う。
目の前の男が変わっていないのは分かっているのに、上辺や寄ってたつ場所が変わってしまったためになかなか歩み寄れない。今はそれがひどく悔しい。
ほんとうは、今すぐ退っぴきならない事態に巻き込まれたい。そうしたら俺たちは、ちらと目配せしあったきり、一言二言じゃれあったきり、また駆け出していける。
そうして踏み込んだ足のまま、ただ会いたかったと叫んでやる。
銀時の差し出した甘茶は薬草を煎じたような癖をもって、そのくせ妙に甘ったるかった。

「げ、まじぃ」
「甘党のお前でもこれはいかんか」
「甘けりゃいいってモンじゃねーよ」

お互い、小さな紙コップに入ったそれをぐっと一息に飲み干した。
馴染んだ仕草で桂は銀時の手元のそれを受け取る。
ちゃぷちゃぷと花御堂のほうから甘茶のたゆたう音がして、子供らのじゃれあう声が風にのってやってきた。

「ではな、銀時」

空になった紙コップをふたつ重ねて、桂は境内に背を向けた。
長い黒髪が風に流れて、そこから線香の匂いがする。
屋台にも花御堂にも沢山に積まれた白い花弁が舞っている。時々ざああと渦を巻く。
花に紛れるようにして、ちょっと銀時を見るために首を傾いだ桂の白いかんばせがゆるりと弧を描いたので、銀時は一息だけを喉の奥で押し潰した。現実離ればかりしている、と。

どおんどおん、と境内の奥から太鼓の音がする。
読経の声がまた大きくなった。

「オイ待てヅラ」
「ヅラじゃない桂だ」
「俺ァこないだの一件まだ許してねーからな。そこの屋台で林檎飴買ってこいよ」
「フン、許してもらうことなぞ無いわ。だがまあ、子供らを巻き込んだ迷惑料ならばそれもよかろう」
「あとチョコバナナと水飴とたまごせんべいと」
「林檎飴だけだ!」

ちりんちりんと鈴の音がする。
ざああと白い花吹雪が通り過ぎ、読経の声が橋の向こうまで流れていく。
薄づきの青空には線香の煙が昇ったような薄い雲がひかれ、そこを木蓮が舞った。
どおんどおん、とまた太鼓の音がふたつする。
桃色の着物を着た幼子が手を引かれてやってくる。


こんなに長閑な風景の中で、お前と笑いあっていないなんて嘘だ、とどちらかが思っている。












再会直後。











































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