【アンダーザスキン 11】


「斉藤、・・・どうしたんだ」

腰が抜けたようにへたりこんだ俺を支えながら、斉藤は器用にペンを滑らせていく。
すらすらと筆談に応じるその姿も、さっきまでの切羽詰まったようなキスも、まるで突然目の前の男が別人になってしまったようで、あんなに身近に感じていた存在の得体が知れないのに困惑を隠せない。

『あんな寂しそうな顔でちょっと撫でるだけなんて』
「・・・友人はそれ以上しないだろう。お前だって分かっていたから距離をとったんじゃないのか」
『私が1度出ていったときのこと覚えてますか』
「?お前が職務質問されてたときか」
『あのとき、私が身の危険を感じるのはお門違いだって言ったでしょ』
「ああ。お前はペットだったからな。俺はペットにそんなことはせん」
『今までみたいに私と友人にしないようなことしたら、ペットにも疚しいことしてたみたいで嫌だった?』
「っ!」
『そんなもの』

見透かされていた葛藤を暴かれてカッと頬に熱が集まった。それを宥めるような優しいトーンで、斉藤は罪を共有するかのように自らの秘密を打ち明けた。

『私はずっと疚しいペットだった』

怖がらないようにと、たまに背をぽんぽんと叩いてくれる左腕は優しい。俺の表情を伺うように顔を近づけてくれる仕草も。ただ目の奥だけが、ちりちりとさっきまでの熱を燻らせたままで首筋をざわつかせる。

『私の髪を撫でてくれるあなたの手が』
『私を呼んでくれるあなたの声が』
『私に向けてくれるあなたの微笑みが』
『毎日、欲しくて、欲しくて、』
『あなたごと全部欲しくて、』

『さっきのキス、』
『ほんとは毎朝してたんです。ごめんなさい』
『バレたら、出ていこうと思って』
『もうペットじゃないから、優しくしてくれなくていいです。殴り飛ばして逃げてくれてもいい』

ぱらぱらと捲れていくノートが止まった。
と思えば突然視界が90度回転して、ぐっと近づいた斉藤の顔しか見えなくなった。けれどそれも上に灯る蛍光灯で逆光になって、表情がよく見えない。
押し倒されたのに、身体を打つような痛みはなかった。斉藤が背中に回した左腕を引き抜いて、やっと肩がカーペットに触れる。
暗がりで見た最後のノートは、震えた手で書いたように文字が歪んでいた。

『私はもう一度あなたにキスをしたい』

やっと見えた斉藤の表情が泣きそうに歪んでいた。
こんな顔は知らない。初めてウチに来たときから、ほとんど何を考えているか分からぬ無表情で・・・、けれどどこかで見たことがあるような気がする。
よぎるのは初めて斉藤を呼んだときの躊躇いの足取り。頭を撫でられて気持ちよさそうに目を細める安堵の仕草。風呂場に乱入されてぎゅうぎゅう詰めになっていた絶望の硬直。失恋した背を支える労りの腕。密やかに触れる唇。
そうだな。今まであまり顔に出てこなかっただけで、お前のこころはちゃんとどこかに表れていた。それをちゃんと見ていたんだから。この身体のどこにお前の気持ちが顕れたって、俺は分かるに決まってるんだ。
いつか家出から帰ってきた斉藤が、いつものように俺に撫でられながら一度ぎゅっと指を握ってきた。そのときの縋るような痛みに、今よく似た顔をしている。知らない顔などではないのだ。まるで別人に見えていた斉藤がやっと戻ってきたような気がして、それだけで安心する。
これが、これが無くなるなんて考えたくない。友人なんかじゃなくていい。疚しくてもいい。少しだけ体温の低い、この肌に触れていたい。それ以外のことは、大したことなんかじゃない。
俺は愚かだ。どうして大事なものにこんな顔をさせなければ気づけないのだろう。

「さっきのじゃない」
『・・・え?』
「毎朝こっそりお前がしていたアレは、あんな荒々しいやつじゃない」
『え、』
「・・・もう一度してくれ。いつもみたいに」

名前なんて気にする必要なかったな。友人にしては不自然で、恋人にしてはたどたどしくて、ペットにしては疚しい。なんかそんなものがあったっていいだろう。泣きそうに歪んだ顔と不安げに揺れる亜麻色の髪を見ていたら、もう答えなんてそれしかなかったような気がするんだ。
あえて言うなら、もう一度キスがしたい。そんな関係だ。

「・・・おいで、」

泣きじゃくる子供の頭を撫でるように両腕を伸ばしたら、おずおずと静かな口づけが降ってきた。
優しい夜明けの唇に、ようやく失くしものを見つけられたような気持ちになる。
両腕を首にまわして、俺はやっと斉藤の首にまわっていた透明な首輪を外した。










「ではな。ちゃんと来年で卒業しろよ」

春、俺はアパートを出た。斉藤が駅の改札まで見送りに来るのを最後に1度撫でてやる。やはり僅かな寂しさは拭えないが、なに、たった1年のことだ。

「待っている」

改札を抜けて歩いていく俺を、きっと斉藤はこの姿が見えなくなるまでずっと見送っている。ハチ公みたいだな、とちょっと思って、懐かしいペットの姿をそこに見た。
少し距離は離れるが、連絡はとれる。アパートの場所も聞いた。何よりもう俺たちを不安にするものはない。
きっと来年の今頃は、俺があいつを迎えに行くのだ。
携帯の電話帳に追加された『斉藤終』の文字を見返しながら、今からその日を待っている。

















お付き合いありがとうございました!



















































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