「ペット」なんてふざけた関係がいつまでも続くわけじゃない。わかっていただろう?

でも、いつ終わらせようなんて、考えてはこなかった。
自宅の鍵を返しても、銀時が訝しんでも。言い訳に言い訳を重ねて、ずるずる、ずるずると。


【アンダーザスキン 9】


バタンと扉の閉まった音に、ただいま、の声がなかったことで斉藤は人参を切る手を止めた。
台所を通って、ふらふらと居間のドアを開ける。窮屈な背広を脱ぎもしないまま大きなクッションになだれ込むのを見てか、斉藤が寄ってくる足音がする。

「・・・斉藤・・・」

隣に膝をついたような気配がして、クッションに埋めた顔からちらりと目だけそちらに向けた。
予想通り、斉藤はおずおずと覗き込むようにこちらを見ている。疑問と心配を混ぜ合わせたような顔だ。どうしたの、具合でも悪いの・・・といったところだろう。最近はこいつの無言にもだいぶん慣れて、何が言いたいのか大体わかるようになってきた。
なってきたのに。

「・・・おいで」

もぞもぞと身じろぎして、クッションに伏せったまま両手だけ伸ばせば斉藤は少し戸惑ったような顔をする。おいで、と、呼ぶときは大体俺は座っていて、斉藤がその膝に頭を乗せて撫でさせるというのが常だったのだ。
良い年した男2人でうすら寒い光景以外の何物でもないが、閉鎖空間というのは恐ろしいもので、1度慣れてしまうとそんなもんかな、でお互い済ませてしまう。今思えば人間の男相手に呼んだら来るように躾けて撫でる、なんてことをした俺が愚かだった。8カ月前の自分に冷静になれと言ってやりたい。
けれどそんなうすら寒い要求をされる環境に、斉藤は何を思ったか留まり続けている。それがまた「飼い主」を増長させてきたのだろう。相変わらず戸惑った目でどうしていいのか考えあぐねている斉藤の反応は真っ当なのに、何だか今日は無性にイライラする。

「・・・来い!」

鋭い声音で苛立ちをぶつければ、斉藤は少し驚いたような顔をした。そして慌てたようにすり、と顔を寄せて、両手で髪を撫でられるようにしてくれる。
ふわふわとした毛並が指に触れて、それをぎゅうっと力任せに引き寄せたら、バランスを崩した斉藤が倒れ込んだ。俺よりいくらか重い体重にのしかかられても、そんなものはどうでもよかった。
その髪を抱え込んで肩に顔を埋めて、そのうち斉藤の両腕が背中とクッションの間をぬうように差し入れられる。そのままきつく抱き締められる体温に泣きそうになる。
暖かい。暖かいな。俺の犬はこんなに暖かい。
大型犬は優しい気性が多いという。こんなに優しくて暖かい犬なのに。

「・・・転勤が決まったんだ」

斉藤を拾ったのは、社会人1年目の夏前。独り身で動きやすい新入社員は、大体2,3年くらいを目途に1度僻地に転勤になる。特に今年は人手が足りないから絶対何人か寄越してくれと、出向先から言われていたらしい。
しかし2,3年目の先輩社員は揃いも揃って要介護の身内がいたり身重だったり。桂くんまだ早いけど、君物覚え早いしもしかしたら前倒すかも、とは、部長から言われていた。こういうもしかしたらをわざわざ告げられるときというのは、大体もうそうなることが殆ど決まっている。まあ、覚悟は、していた。
していたが、そうなればペット関係など解消するだけだと思っていたのだ。その時は。本当の犬ならばともかく、斉藤は自分の家も生活費もある成人男子なのだし。
来春からと言われたとき、目の前が暗くなるような、こんな気持ちは予想していなかった。

「・・・引っ越し先に、大学生のペットなぞ連れては行けんだろうな」

背中にまわる腕が少し強張ったような気がした。
斉藤を拾ってから、もう半年近くになる。銀時が出て行って1人で暮らしてきた間は気楽でいいななどと思っていたのだったが、斉藤がいる生活に慣れてからは、以前自分がどうやって1人で暮らしてきたのか思い出せなくなっている。

(それもまた俺は忘れていくんだろうか)

携帯の電話番号もメールアドレスも知らない、俺のペット。意外と小心者なこと、コーヒーをブラックで飲めないこと、こんにゃくは実はあまり好きじゃなかったこと、そのアフロがふわふわと柔らかいこと、ブローされると気持ちよさそうに目を細めること、
・・・そんなことまで知っているのに、俺がここを出ていったら、連絡もとれない他人になるのだ。ペットではない、斉藤終。おいで、と言っても膝に頭など乗せてくれるはずもない。
まだ学生の斉藤は、この町で俺のいない1年を過ごす。例えば斉藤の就職先や、俺の赴任期間によってはまた一緒に暮らせる環境ができるかもしれないが、今度はその理由がない。
正当な理由もなく突然転がり込んできたから、「ペットなら置いてやる」と言ったのだ。わざわざ選んで一緒に暮らすことを、そんな関係では呼ばないだろう。
じゃあ、どんな関係ならいいんだ。
何て名前をつければ、わざわざ一緒に暮らすことを選んでもいいんだ。

「・・・斉藤・・・」
「・・・・・・」

助けを求めるように抱き締め合って、ころころと2人でひとつの毛玉になったみたいに。
ああ、お互い犬なら案外うまくやれるのかもしれないな、なんて、お互いヒトであることも忘れてそんなことばかり考えていた。





夜明け前。不意にぱちっと目が開いた。
あのまま2人して眠ってしまったらしい。食事もとらず風呂にも入らず、そんなことも気づかないほど手の中の体温だけを頼りに寂しさを紛らわせていた。
と、思っていたのだが、ナイーブになっていたのは俺だけだったのかもしれない。というのも、俺は着替えこそしていないものの背広は脱がされていて、ベルトも外されてベッドの中で寝ていたからだ。それでも2人して眠ったのだと俺が思い込んだのは、現にこうしてシングルベッドの中で2人、ぎゅうぎゅうと詰まりながら布団を暖めているからだろう。
背広を着ていないとはいえシャツのままでは息苦しくて、もぞもぞと身じろぎしたら隣の山もつられて動いた。
ぱち、と、開いた斉藤の目と目が合う。ペットとはいえベッドの中で抱き締められながらまじまじと顔を見られるというのは何だか、どうにも気恥ずかしい。けれどそれも来春までと思えば、この温もりや気恥ずかしささえどこか切ない。
腕を伸ばして、ふわふわとした毛並を撫でてやる。無意識なのだろう、気持ちよさそうに目を細める表情があどけなくて、ついつられて口角が上がる。

「斉藤。ここの生活は楽しかったか?」

目が開いた。小さく頷く。

「おかしな奴だな。男のペットなんて嫌だろ普通・・・」

くっくと笑うのを見ているのに、斉藤の肩は少し強張った。
馬鹿な奴だな。そんなんじゃない。
お前の知っている俺は、自分の都合でペットに出ていけなどと言うような飼い主ではなかっただろう?お前のほうはちょいちょい出ていったけどな・・・。

「貴様コッソリ生活費いれていただろう。生活はほとんどルームシェアだったのにペットなんて、奇特な奴だと思ってたんだ。それだけ居心地よく思ってくれていたなら良いけどな・・・」

髪をなでる手をとって、自分の頬へ押し付けた。すり、と大事なもののように頬ずりされて、まるでそれは、ペットでなければ恋人、のようだっだけれど。

「斉藤。・・・俺と友人にはなれないか」

目が合う。この目に何度見つめられたか知れない。深い赤銅色の瞳。

「もうお前がペットでいる理由はないんだ。だがもしお前が望むなら・・・友人ならばこうしてウチに来ることもできるだろう。お前の卒業後によっては、それこそルームシェアだっていい」

「・・・友人なら、まだお前と一緒にいたっていいだろう」

けれど今の今までお前は俺のペットだったんだ。仕草が恋人にするようだからって、「ペット」に疚しい思いを抱くのはとてつもない罪悪であるように思われた。明け方のキスを知っていたって、それを暴きたてて拒めない自分を吐き気を覚えるほど嫌悪した。
「ペット」なんて異常な関係を不埒な気持ちの捌け口にしていた訳じゃないんだ。何度か言っただろう、俺はペットにそんなことはしない。しなかった。
お前に誤解されたくはないんだ。知ってくれ。信じてくれ。恋人なんて名前をつけたら今までの思い出さえ疾しさで汚してしまいそうだ。
だから「友人」が一番都合がいい。そうだろう?


斉藤は探るような瞳でこちらを見つめて、ただ何か考えている。
やがて、頬へあてていた手を放して、了承するように頷いた。


ペットでなくなった今朝からの彼は、もう明け方のキスをしない。























 



































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