声を嗄らして愛を叫びなどしなかった。
おろか、頬を染めて思慕を打ち明けることなぞも、
熱を帯びた瞳で見つめることは・・・ほんとうに少しだけ。

けれども確かに、


【オールライト・ウイズ】


斉藤が生活する屯所内の八畳間は、襖を開けると廊下に雨戸、その先は庭に繋がっている。
足元で燈籠の火を入れたように篝るドウダンツツジの葉、菊花に勝るとも劣らない飴色に浸った楓。色づく秋が深まるこの時期には、風流などどこ吹く風の真選組屯所も艶やかな装いに染まる。
油彩のカンバスのような秋の盛りの庭が、斉藤は好きだった。
少し肌寒いけれど襖を思いきり開け放って、風に揺られてふらふらと踊る狐の尻尾のような落ち葉を見ているのが好きだ。気まぐれに暖を取りにいく楓の葉を下のツツジが受け止める。鼈甲のような濃い金色は燃えるようなツツジに触れて一層色を増したようだった。
見上げれば鱗雲。天高く馬肥ゆる秋。
遠くで聞きなれたバズーカ音がして、斉藤は書類仕事をしていた手を止めた。
きっと、沖田がいまあの男を追っている。
秋の夜長の色をその髪に映し抜いた彼の姿は、突き抜けるような江戸の秋空にとても似合っているだろう。それを一目見てみたくて、庭先まで出ていった。勿論、見えやしないのだけれど。

「・・・?」

目当ての跳ねとぶ夜空は見つからなかったが、悠然と流れる鱗雲はふよふよと赤い風船を連れてきた。
どこかで子供が手放したのだろうか。それともオープンしたてのパチンコ屋あたりから飛んできたか知ら。
深みを知らない単純な赤に目を取られた斉藤を叱咤するように、庭でツツジがざわざわと濃淡さまざまな火入れ時の色で揺れた。
ツツジの思惑など知ったことかと気ままに流れてきた風船は、やがて上からの風に押し下げられてぐっと高度を落として降りてきた。そして、斉藤が好んでいたあの楓の木に引っ掛かって上がれなくなってしまう。
あ、と気づいた斉藤は、庭へ下りて行った。
見上げれば楓がしっかり掴んでしまっている風船に、手は届きそうにない。

「斉藤隊長!?何やってるんですか」

ガサガサと木の上から音がして見上げた隊士は、明るい茶色の髪を更に鼈甲細工で彩って下りてきた斉藤を見てぎょっとした。斉藤が唐突に木登りなどしだしたことにも、その手に子供のように赤い風船など持っているのが似合っていないことにも。
隊士の戸惑いの視線を受けて、生来無口な斉藤は困った。赤い風船を抱えて、とりあえず曖昧に微笑んだつもりが何故か隊士はビクッとして逃げてしまう。ああそういえば自分の笑顔はひどく不評だったと斉藤はやっと気がついてしょんぼりとした。
後日斉藤隊長が風船爆弾の試案をしていたなどという風聞が広まることを、まだ斉藤は知らない。
頭をふるって鼈甲細工を落とし、赤い風船を部屋に持ち帰った。

「・・・」

持ち帰った。のは良かったが、どうしようかは考えていなかった。
風船だけならば、ほんとうはどうでも良かったのだけれど。
それに「手が届かない」ということが、何故だか妙に悔しかったのだ。
気の置けない友人も、誰とでも仲良くできる社交性も、手が届かないものなんて沢山あった。つい先日もそれを突き付けられたばかりだ。
若竹の背しなやかに、人の古巣を翻弄して。殺されかけたことも、彼の立場を思えば当然の行動だった。けれど屋根の上で斬りかかってくる自分を待っていたとき、どうしてほっとしたように微笑んでくれたのだろう。手が届かないことが心底悔しかったのは、あのときが初めてだ。腿の傷が治っていってしまうのを惜しむくらいに、深く深く刻みつけられたあの微笑。
こちらが手を出してくるのを待っていた。そして誰でもない自分が斬ると言ったひと。
こちらを見てほしいと思っていた心のうちを、まるで知っていたかのように。

風船は、気流に乗れば海を越えていくこともあるという。
斉藤は思いついて、手元の紙に筆を走らせた。
一度墨が反故用紙に落ちてみれば、もうそうする以外の選択肢は初めから無かったかのようにさらさらと真っ黒な文字が溢れていく。
文鎮に足をとられた赤い風船が机の上で揺れている。
たぶん、この風船も知っていたのだ。持て余しているこの心のうちを。


ざわ、とひんやりとした風が寄せた。
空は相変わらず甕覗の水色。雲が群遊する鰯のように流れていく。
きゅ、と先ほどの紙きれを風船の足に結んで、斉藤は赤い風船を手放した。
しばらく風を待つように斎藤のまわりをゆらゆら揺れていた風船は、斉藤の言付けを受け取るとふいよと浮かび上がっていく。
ふらっとやってきた時のように、またふらっと舞い上がって遠くなっていく赤い風船。運んでいったのは、宛先も差出人も書いていないラブレター。

たまにこうでもしておかないと、いつか胸がはちきれちゃうでしょう。

頬を撫でていった冷たい風は、そのまま風船も運んでいく。子供が親にしてもらうように頭を撫でられているような気がして、少しむずがゆいような思いでそれを見ている。
風船は斉藤の心の奥を預かることを知っていたように揺れて、誰にも届かない高さへ昇っていった。
誰にも言えないこと知っているのよ。そんなふうに微笑んで。


火の入ったツツジの竈は揺れていよいよ炎を燃やすようになり、透き通った琥珀の葉を脅かしている。赤い風船が飛んでいった向こうから、あの赤が溶け出したように空が朱鷺色に染まっていく。
もうこの空に溶けてしまっただろうか。それともまだどこかに落とす場所を探しているか知ら。
風船を運んでいった涼やかな風が雲を流すのを、暫くそのまま見上げていた。
秋の夜長の色を映し抜いた彼に、届いてほしいとは思わない。
若竹の背の美しいあの男に、届いてほしいとは思わない。
ただどんどん育ってしまう虚しい恋を、空に溶かしてそこをあなたが跳ねるなら。
ただどんどん膨れてしまう愚かしい思慕を、海に溶かしてそれをあなたが眺めるなら。




風船は、気流に乗れば海を越えていくこともあるという。
鱗雲の泳ぐはるか遠い海の上を、赤い風船が飛んでいく夢をみた。










少女漫画斉藤。












































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