故郷は、遠くにありて思うもの

【そして悲しくうたうもの】



あれからどうなったんでしょうね、と新八が言った。
客も来ない万事屋のソファは神楽の昼寝場所になっていて、大きな口を開けて健やかな寝息をたてている。新八はその口にホコリが入らないように、部屋の隅から掃除をしていた。
開けた窓からうららかに差し込む日差しで座椅子はほんのりと暖かい。チッチッと時折名前もわからない小鳥が何羽か飛んで行って、開いたジャンプに小さな影を落としていった。
柔らかな風が髪をくすぐって、撫でられてでもいるような気分になる。

「どうなったって、ナニが」
「桂さんですよ。エリザベスがまさかあんなことになって・・・」

宇宙で一匹・変てこペットグランプリとか何とかいう大会に定春を連れて出場したら、見知った顔が対戦相手だった。
旧友に押し付けられるようにして、最近飼いはじめたらしいペットはことのほか堅物な男の心を溶かしたらしく、いつも連れて歩いている。桂はきっと大賞の豪華賞品(ドッグフードだったが変てこペットが犬じゃなかったらどうするつもりだったのかは知らない)などどうでも良かったのだろう。ただあのペットの可愛さを自慢したいだけだった。親ばかはまだ健在だ。親ばかというか、あそこまでいくとただのバカだけども。
デカいだけのただの犬、と言われた定春はといえば、いま神楽の傍でごろんと丸くなっている。床に寝ているはずなのに、ソファの上の神楽よりも背中の山が高くにある。
ただの犬がこんなにデカくてたまるか、と思う。どこの星の犬だか知らないが、ただデカいだけだって十分変な犬だ。桂の実家の太郎とやらは確かにデカかったかもしれないが、定春級というのは盛りすぎだ。まあ、売り言葉に買い言葉でウチの実家じゃエリザベスが蛇口から出るとかいう、アレは盛るどころか完全に嘘だが。

昔、道場で犬を一匹飼っていた。
道場の犬だったが、桂が拾ってきて桂が世話をしていたので桂にしか懐かなかった。だからほとんど桂の犬だ。
泥だらけで汚かったが、桂が洗ってやったら真っ白になった。お前の髪とどちらが白いかな、と嬉しそうにその背中を撫でていたのを憶えている。
名前もあって無いようなもので、皆好き放題に呼んでいた。ポチとかシロとか銀時2号とか。その度に桂はその白犬のしっぽのような、結った髪をぴょこんと揺らして訂正していた。「銀時2号じゃない、太郎だ」と。
桂は太郎をそれはそれは可愛がっていて、太郎が芸を覚えたりすれば一日中それを自慢してきたし、泣いている桂の顔を太郎が舐めて慰めてやれば、太郎はとても優しい奴なのだとまた一日中話はそれでもちきりだ。それくらいの優しさ俺にだってある、と言おうとして、泣かせた原因が自分にあったことを思い出してバツが悪い気持ちになったこともあった。
太郎は、確かにデカかった。
山犬かと思うほど大きくて、乗れるんじゃないかとソワソワしていたガキどもは俺と桂ばかりじゃなかった筈だ。何度か試そうとして先生に見つかってゲンコツを食らい、そのとき犬の背骨は思いのほか弱いのだということを初めて知った。それでも太郎は、桂なら乗せたがったかもしれないが。

俺の記憶が確かならば、太郎は俺たちが戦に出る少し前に死んだ。
病気だったのか、老衰だったのか知らない。今思えばあれだけ大きな犬が10年やそこらで死ぬとは思えないから、どこか悪くしていたのかもしれない。
動かなくなった太郎を桂は黙ってずっと撫でていて、もう舐めてもらえない頬を涙でぐっしょり濡らしながらその白い毛並を忘れまいとするように傍を離れなかった。
桂は、ずっと太郎の世話を焼いてきたから、俺たちが太郎にしてやったことなんてひとつもなかったと思う。たまにボールで遊んでやったくらいだ。それでも大きな太郎は桂ひとりじゃ抱えられなくて、俺が一緒に山まで担いで行った。木立のまばらな、開けた丘の上みたいなところだったように思う。見晴らしのいい場所に埋めてやって、泣いている桂の頬を拭ってやった。言葉で慰めるのは恥ずかしくて、ただずっと肩を抱いていた。それくらいの優しさ俺にだってある、ことを見せないと、太郎も安心できないだろうと思って。

「銀さん?」
「あ?あ、ああ・・・まァアイツもこれで懲りただろ。ウチとしては豪華賞品貰えりゃそれでいーよ」
「まあ、そうですけど。そのドッグフードもそろそろ半分ですよ」
「ハァッ!?馬鹿言うなよ1年分はある筈だろ」
「ただの犬ならそうですけどね・・・なんせこのサイズなんで」

定春がピスピスと鼻を鳴らした。
見たか桂。やっぱりウチの定春はただの犬なんかじゃない。太郎はよく食べるといってたけど、半年ぶんのドッグフード1カ月で消費したりしなかっただろ。
道場で飼っていた、桂の犬。「実家の太郎だって、」と桂が俺を見て言ったとき、最期に抱き上げた太郎の毛並みと、ずっと撫でていた桂の背中を思い出した。それから、桂がいつか言った一言を。

桂は俺たちと一緒に離れた郷里を懐かしがったりしなかった。ここはいいな、と桂がいつかぽつりと俺に言ったことがある。

『先生がいらっしゃる。高杉もお前も、太郎も・・・ここには俺の愛したいものが沢山ある』

あのとき桂が愛したかった場所を作れる人はもういない。
人も場所も、他でもない俺が手にかけたのだが、まだあの場所は桂の故郷であるらしい。
もう帰れない故郷。淡い夢のなかで太郎は桂に尾っぽをふる。
あの実家の、愛したいものが沢山あったあの場所の、そこにお前もいたのだと桂の目が言っていた。お前も俺の愛したいもののうちに入っているのだと言っていたようで、その度に打ちのめされるような、抱き締められるような、胸の締め付けられる思いがする。

いま愛したいものを、桂はまた見つけようとしている。どうしても色が白いのがいいのかは分からないが、あのペットは必ずそのきっかけになるだろう。
いつか桂の故郷がもうひとつ増えたとき、そこで幸せそうに微笑む桂を思い描くことができる。きっとあの時のように、可愛いペットの自慢話を一日中するのだろう。
「実家」に帰ってきた桂が、そんなふうにまた、ここはいいな、と言うのを傍で聞けたら、どんなにか俺は幸せだろうかと思う。想像すら罪悪感を抱くようなこんな気持ちも、そのときの桂の微笑みでどんなにか、、、

「はー、たまんねーなオイ大飯食らいが2匹もいてよ」
「気持ちのいい食べっぷり、とかいうレベルじゃないですもんね」
「大体犬なんざ犬飯でいいんだよ、朝飯のキライなもんとかコッソリやる楽しみ無くなんだろ」
「銀さん犬飼ってたことあるんですか」
「あ?あーウン昔実家に太郎ってのが」
「・・・ソレこないだ桂さんが言ってませんでしたっけ。ダメですよ人んちの犬に勝手にエサあげちゃ」


人んちの犬じゃない。昔俺の実家には犬がいた。
桂が拾って桂が世話して、桂にしか懐かなかった。俺はたまにボールで遊ぶ程度の、尾っぽのくるんと巻いた犬。
白くてデカくて、優しくてよく食べる。名前は、太郎だ。

















よしや うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
―――室生犀星『故郷』



















































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