天気快晴。ジリジリと焼け付く日差しはまだまだ夏の開放感に満ちている。
真っ赤なオープンスタイルのスポーツカーは太陽光線をきらりと受けて、風に乗って流されていくことを想定した音量の80年代カフェ・ミュージックは少し五月蝿いくらいだ。
大きめのサングラスをこなれた風で少しずらせば、まさに水曜ロードショー1の伊達男。

「・・・欠席続きと思ったら、グレてたのか?」
「デートのお誘いでさァ」


【「月の高さは どのくらい?」】



8月31日。夏休みの終わりのこの日、最後の手習いに来たチャイナとメガネが帰ったあとで、桂の家に赤いオープンカーで乗りつけた。
挨拶もそこそこに助手席に乗るよう促すと、桂は車と俺の顔とを交互に見ながらこわごわと革張りのシートに腰を下ろした。見るからに新車とわかるその側面に真新しいキズがいくつもついているのを強張った顔で見つけている。
それを確認して運転席に滑り込み、かんかん照りのなか鉄板のような熱さになったハンドルを握る俺を、桂はまだ信じられないような目で見ていた。

「貴様免許持ってたのか。意外とチャラい車のチョイスだな」
「これァ最近車買った隊士に借りたんで。免許なんざなくても俺のドライビングスキルはピカイチで真選組のイニシャルSなんて呼ばれてたらいいのにな〜」
「ちょっ待て下ろせ!!下ろして!」
「じゃっ、出発〜」
「ギャァァアアア!!!」

桂の抗議もむなしくイケイケのハデなオープンカーはするりと公道に入り込んだ。途中ちょっと電柱にサイドミラーをぶつけたり、縁石に乗り上げたのを無理矢理飛び越えたりしたが、車体はともかく人身事故は起こしていない。車を貸した隊士は泣くだろうが、それはまあどうでもいい。
いきなり道路に飛び出してきたガキを堂に入ったスピンでかわしたところヤクザの黒塗りベンツの行く手を阻んでしまい、そのままちょっと挑発したらガンガン撃ってきたので命がけのカーチェイスで何とか逃げ切ったあたりから桂はもう文句を言ってこなくなった。
実は、一応免許は持っている。
いくらなんでも警察官が無免許運転で交通事故など洒落にならないというのが表向きの理由。あとは、いつか桂が水曜ロードショーにかぶれて言った戯言を、冗談半分本気半分にして免許をとったからだ。
本日の目的地は芝浦湾だ。あっちこっち逃げ切るために海岸に近づくどころかどんどん遠ざかっていってしまったが、夕方までには何とか着くだろう。

「やっぱドライブデートっつったら海岸ですからねィ」
「海岸はいいが今彼岸を見たぞ。目的地の設定をし直せ」
「知ってますかィ、人は危険を共有すると恋と勘違ェして惚れ合うそうですぜ」
「貴様が招いた危険だろうがァァア!」

さっきまで頭上を弾丸やら何やらが飛び交っていたせいか、振り乱された桂の髪はすっかり結い紐が解けてしまって、今は長い髪をさらさらと晩夏の風に靡かせている。
もうほとんど変装の体をなしていないのに桂がこれを一向直さないのは、これが最後と知っているからだろう。何たって今日は子供たちの夏の夢が終わる日なのだ。子供のための書道教室は、今日で終わった。
赤いオープンカーなんてカッコつけちゃって。ひと夏の思い出作りのつもり?
時速110キロに流される長い髪の一筋一筋が、くすくすとこちらに笑いかけてくるようだった。そう。一丁前にひと夏の思い出とやらを作りに行くのだ。少年の日の思い出というには、隣の男はちょっと育ち過ぎているようだが。








ザーン・・・ザザーン・・・

目の前に海岸線が開けたとき、目線より少し上では大きな夕陽が海を真っ赤に染めていた。浜辺は静かで、たまに犬の散歩をする近所の住民と、波打ち際でまだ夏休みも知らない子供が父親に連れられて水遊びをしている。
ハイスピードのオープンカーにもすっかり慣れた桂は寛いだ様子で寄せる波を見つめていた。白い肌が朱色に染められて、少しべたつく潮風も街中の熱風よりは、よほど涼しく心地よい。

「流石にこのへんは涼しーや」
「そうだな。まあ汗が引いたというのもあるだろうが」
「おや汗かかせましたかィ。エスコートにゃ気ィ使った筈なんだけどなあ」
「・・・次からはカーチェイスにエスコートはせんことだ」

せっかくデートに誘ったくせに、このシチュエーションで見詰め合うことすらしないまま、ぼうっと寄せては引く波を二人して眺めている。他愛ない話などをぽつりぽつりとしながら、海の響きを懐かしむように。
けれど桂はちゃんと分かっているのだ。互いに夏休みが終わったことを。

「桂ァ、」

寄せては引き寄せては引き、どうせ引くなら寄せなきゃいいのに、波は浜辺に手を伸ばすことをやめない。
健気なそれにひきかえヒトというのは面倒くさいイキモノだ。
惚れてる、と一言伝えるためだけに、物騒な言葉を幾重にも重ねなきゃならない。

「俺がアンタを斬った時ァ、その首俺にくだせェよ」
「フン、やれるものならやってみろ。首なぞ何に使うのかは知らんが」
「しゃれこうべにして晩酌相手にでもなってもらいまさァ。アンタには、聞いてほしい話がいくらもある」

いつか、と心のどこかで思っているのか、他愛もない江戸の話題は日々更新中だ。
いつか、と心のどこかで思っているのか、手習いは続けるつもりで筆と硯を買ってきた。
いつか、今みたいに並んで世間話ができるなら、野ざらしでも牡丹燈籠でも構わない。
それまではその身に纏う自由さで、空を染めてくれ。

「俺もこの国を立て直すという大事業があるのでな。そうそう簡単にこの首やれんが」

べたつく潮風に撫でられて、しかし向けられた桂の微笑は清々しい。
眼鏡を外して、髪を下ろした桂にまっすぐ見つめられて、やっと久しぶりに桂を見たような気がした。

「沖田、賭けをするか」
「アンタの世直しまでにその首取れたら俺の勝ちですかィ」
「そうだ。首でも何でも好きにしろ。俺が勝ったら・・・貴様の首なぞ俺はいらんから、そうだな、」

童、と、桂はもう呼ばない。

「それはそれはつまらない世間話に夜通し付き合ってもらうとしよう」

そうして桂は俺の記憶にないほどうつくしい顔で微笑った。いつか寺院の屋根の上で微笑みかけた、あの柔らかさが胸をよぎる。
桂は忘れていなかった。毎晩電話をかけてきた小童を、蕎麦屋の出前を催促する客を。不毛な色恋の賭事なら、それだけで勝ったようなものだ。
成人への通過儀礼のように、桂の微笑につられた俺はちょっと身を乗りだし、触れるだけの口付けをした。驚くだろうかと思ったそれは予想に反して、鼻が触れ合う距離のまま、桂はタレ目の癖にそれはそれは意地の悪い笑みをしてみせた。まるで、こうされるのも予想のうちだと言わんばかりに。
子供扱いはしてもらえるうちにされておけ、という桂の声が不意に耳に蘇る。なるほどこんなものを間近で見せ付けられるのは、子供には刺激が強すぎる。
子供を卒業したばかりの自分はこの画をずっと忘れないだろう。きっと今夜も桂の首を斬った日も近藤さんの隣で時代を見ている隙間にだって、

「そりゃ・・・死んだ方がマシですねィ」
「そうだろう。しかも貴様の都合はお構いなしだ」

微笑に息を止めた自分に気づいただろうか。桂はすっと身体を引くと、そのままサイドミラーの曲がった助手席のドアを開けた。このまま桂は送らせてもくれずに帰ってしまうのだろう。「桂小太郎」は、この車の助手席には乗れない。今はまだ。

「全力で来ていいぞ。俺はそうそう死なんからな」
「はじめっから手加減なんざ知らねーや。地獄の果てまで追っかけまさァ」

桂は満足そうにフフンと鼻を鳴らした。そのまま白拍子が裾を引くように繊細な仕草でするりと踵を返すと、もうそれ以上一度もこちらを振り返ることなく歩いて行ってしまった。
その姿が見えなくなるまで、ずっとその背中を目線で追いかけた。志半ばで通えなくなってしまった書道教室のセンセイに、当初の目的をせめてその背にぶつけながら。

「・・・adios」









そうして今日も江戸の空に黒髪が跳ねていく。











お付き合いありがとうございました!













































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