「こんな世の中ンなっちまったからね、誰も占ってまで未来なんか知りたかないのさ」

廃業するのだと言った占い師の婆さんは、ところどころ抜けた歯を見せてにやりと笑った。

「・・・人の夢なんざ知ってどうする」
「それで求めているものがわかることもある。人にとって夢は最後の救いさね。あんたにあげるよ」


【グレトナグリーンを発つ朝のこと】


その日も近藤さんと桂の接見に行った帰りだった。
互いの頭を取り戻すためにかつての敵が味方となり、敵の頭同士は友情で結ばれた。そんなイカれた日々が始まったせいで、俺が桂に面会にいくという、有り得ない事態が常態化している。
毎日、とはいかないが、我ながらかなりの頻度で、俺は2人に会いに行った。
近藤さんと桂の奪還に2人は関与させていない。だから面会なぞ殆ど体調確認と雑談をしに行くだけなのだが。きっと俺も、寂しかったのだと思う。
接見室の硝子は、思いの外厚い。
硝子の向こうには包帯で片目を隠した桂が静かに座っている。煙草を吸っていいか、と聞くと、ここは禁煙だ、と答える。降っても晴れても特にそこから会話のできない俺にとって、このお決まりのやりとりは桂に対する挨拶のようなものだった。

白詛のせいで町に人など滅多に見かけなかったが、その日は大きな風呂敷包を抱えた婆さんが頭の悪そうなチンピラにからまれていた。
少し脅かしたらチンピラ共は散った。腰を抜かした婆さんを立たせてやり、危ないからと注意して送ってやった。この辺は、まだ自分が警察だった頃の名残か。
無事に送られた婆さんはそこでやっと安心したらしく、お礼にといって人の夢に入れるのだという小瓶の詰まった箱をくれた。
押し付けられるように、俺はその小瓶を持って帰ってしまった。
昼のうちはそんなものすっかり忘れてしまっていたが、寝る前になってふと思い出し、今に至る。
思い出したのは、桂の面会になぞ行ったせいで、万事屋のことが頭に残っていたからだ。行方知らずの万事屋の、夢に入ることができればそれは生存確認になりやしないかと考えて、やめた。何も映らなかったときの恐怖と絶望を思えばどうしても身がすくむ。
それを知ったあとどんな顔して会えばいいのだ。万事屋のガキどもに。未払いの家賃とともに待っている大家の婆に。・・・桂に。

正直に言おう。俺は桂に少しばかり惹かれていた。
まだ白詛が蔓延する前のことだ。江戸の青い空の下を桂は大洋に躍り出た魚のように自在に跳ね回って、刃を合わせる瞬間の、その所作の美しさに俺は面白いように翻弄された。この空が白く濁ったせいで、もうこの美しい魚が碧い海を泳ぐところを見られない。それは俺の人生を何割も面白くないものに変えた。
暗く小さな接見室の椅子に座る桂は相変わらずの無表情だ。俺達がエリザベスと組んだと知れば、頼もしいことだと微笑し、それからは少し打ち解けたようだった。
万事屋が消えたことについて、桂は語らない。
淡々と現在の状況のみを見つめているようで、だからこちらから水を向けることも躊躇われた。
昔白夜叉と呼ばれたその男と桂が、互いに大事な存在だったことは知っている。何とも思っていない筈はない。
知りたいと思う反面、自分から聞けないまま時間ばかりが過ぎていくのは、どうでも臆病者が慣れぬ恋などするからだ。

『人にとって、夢は最後の救いさね。』

万事屋について何も語らない桂の顔を思い出した。昼間の婆さんの言葉がフラッシュバックした。
自分にその絶望を救えると思い上がった訳ではない。起きている間は淡々と未来を見据えている桂に、万事屋を待つ夢の中でくらいは救いが与えられていると信じたかった。
小瓶の中身を一息に煽って、俺の意識は落ちていった。







桂の夢は映画館のドアだ。
重く大きなそれは観られたくなどないかのように、静かに頑なに閉じている。
触ればぴりりと拒否されそうで、あるいは触れたそばからどろりと溶けてしまいそうで、触れるのを躊躇った。
何のために来たんだ。意を決してぐっと身体で押し出せば、誰もいないシネマに投げ出される。
無機質な座椅子の列が大教室のように並んでいる。暗く足元も覚束ない空間に、カララララ・・・と映写機を回す音がした。
真ん中には目を焼くようなスクリーン。スクリーンというよりも、もう少し危うげな網膜。それはどちらかというと薄張硝子から向こうを覗き込むような、ふるふると頼りないストロボ。
無声映画のようだった。
硝子の向こうで男がこちらを見て笑っている。
桂は、そのシネマの中央席で1人それを見上げていた。


ここに来たことを、もう殆ど後悔していた。桂はずっとそこから動かず、ストロボの光に照らされている。
映し出された男は桂に向かって何か言い、また何か言い返されたのか、ばつの悪そうな顔でそっぽを向き、桂の少し前を歩いていった。男の顔は幼くなったり殺気立ったものになったり、知らないものがほとんどだったが、確かに桂の待つ男の顔だ。
このまま踵を返して、ドアを開けて出て行くべきだった。これは俺が見ていいものではないと思った。
しかし足ばかりは言うことを聞かず、どんどん中央席に近づいていく。そしてとうとう1人きりの観客の隣に腰かけてしまった。
突然現れた隣人に、桂は気づかない。
俺のことなどはじめから見えていないというように、ぼうっと光の向こうを目で追っていた。時折、男の口の動きを知っているかのように、それに答えるように僅かに口元を動かしていた。それは決して声にはならず、桂の喉元で消えている。時折、何か無言の応酬をしては、その次が告げなくなり、唇を震わせて目の端から一筋光るものが伝った。その間も桂はその男から目を離さない。
通り過ぎた夢を見るようなスクリーンの明かりに照らされて、涙に濡れた横顔は半月のように欠けていた。
魂の半分ほどを持っていかれたようだった。これが今の桂だった。

もういい。もうやめてくれ。

心臓をぎりぎりと締め付けられるような息苦しさを覚えていた。けれど桂の傍を離れる気にもなれないまま、何も言わずに2人、ずっとスクリーンを見つめていた。俺の知らない、桂に向けるその顔を。
気がついたら意識を手放していて、翌朝俺は布団の中で目が覚めた。


老婆に貰った小瓶はまだ何本か残っている。
あんな無声映画を、桂の濡れた横顔を、観ているのは苦痛だ。俺にとってはスクリーンとそれを1人眺める桂とのセットで1つの感傷的な映画だった。
その痛みを桂と共有したところで、それを桂が望んでくれるとも救われるとも思えなかった。桂は、たぶんたった1人であのスクリーンを眺めていたいのだ。そこに誰の手も求めていない。あの男以外には。
あれは、俺にはどうしようもない。
もう覗くまいとは思ったのだ。桂に事前に見てもいいかと許しを請うたら絶対に拒絶されていたであろうものを、ずかずかと土足で上がりこんで汚してしまったような罪悪感があった。
しかし瞼を閉じれば桂がまだ1人であの暗い映画館に取り残されている。俺のほうを見もしないで、ずっとスクリーンを見つめている。


桂の半身を独占するような万事屋に対する嫉妬があったことは否定しない。それから、今の桂を受け入れなければ向き合えないという気持ちもあった。そのために桂が知ったら嫌がるだろうと知ってはいても、あの画を一緒に観ることしか思いつかなかった。
何の慰めにもならないことを知ってはいても、頬を濡らした桂がいると知っていれば隣に添っていたかった。

たぶん、このとき俺はあそこに座る桂と心中したかった。





***






桂の夢はいつまでたっても同じだった。

なんの脈絡もなく、断片的に、場面が変わる。年も、時間も、ばらばらだった。
たまに、熱を帯びた視線で万事屋がスクリーンから桂を射抜き、桂を掻き抱いているのだろう画が映ったときは、俺は嫉妬と、熱情と憐憫と憧憬ともう何だかわからないもので胃の中がぐちゃぐちゃになった。

手元の小瓶は最後の1本になった。
その日も桂は暗い映画館にたった1人でスクリーンに照らされていた。このころもう俺は万事屋が桂を呼ぶ唇の動きをすっかり覚えてしまっていて、ヅラ、と呼ぶのか、桂、と呼ぶのかさえ判断できるようになっていた。しかしもう、それも最後だ。
結局1度も数度も同じで、俺ができることは何一つ無かったし、また万事屋と桂のすべてを共有しきってしまうこともできなかった。これほどまでに長く重く横たわるとは。この2人の時間を甘く見ていたつもりは、無かったのだが。
どうせ中途半端になるなら1度で懲りたほうが良かったんじゃないかと思ったが、過ぎてしまったことだ。
視界が段々薄らいできて、ああもうそろそろ起きるなと思ったころ、常ならず桂がこちらを振り向いた。
ゆっくりと顔を俺に向け、視線が合う。俺は驚いてしまって、咄嗟に言葉も出ない。
名前を呼ばれた気がした。あと何か呟いたように唇が動いたが、それを何としてでも読み取りたいという俺の意思とは裏腹に、夢の終わりを告げる視界は闇の中へ落ちていってしまった。



白詛の蔓延以降、人口減少に歯止めはかからない。何しろこんなところで女は子供を生まないし、死んでいく病人と地球外に脱出する者は増える一方だからだ。働き手はどんどんいなくなり、行政はほとんど機能していない。
収監施設の職員も例に漏れない。本来なら刑事被告人に立会人なしで面会できるのは弁護人のみの筈だったが、守衛はしばらく俺と桂のやりとりに立ち会ったあと、施設の奥に呼ばれて出て行った。
接見に適当な措置がとれなければ面会拒否にもできただろう。それをしないで適当に放置しておくのは、つまりこの国の司法や刑事手続なぞというのももはや投げ出されているということだ。こちらとしては、好都合ではあるのだが。

「最近会わないな」
「ああ、ちょっとバタバタしててな・・・それこそアンタたちの処刑期日が好き放題言われてて」

死刑囚となった今でも、真選組局長と攘夷党党首の名前は抜群の影響力だ。処刑の日がいつだとか、2人一緒だとか違うとか、噂がてんでんばらばらに流れるものだから、確認するのも一苦労だ。
エリザベス率いる攘夷党との連絡も込み入って、最近は接見に来れていなかった。近藤さんと桂の顔を見るのが随分久しぶりのように思われて、まだ目の前にいることにひどく安心する。やはりこの2人を失う訳にはいかないと、改めて思う。

「ちゃんと寝ているのか」
「ああ。最低限頭ァ働くようにはしとかねーとどうしようもねェからな」
「そうか。一時期随分邪魔しに来るのが来ないから、寝ていないのか死んだかと思っていたが」

え、と俺は弾かれたように桂を見た。
桂は俺がいることに気づいていた。やはり、あの夜の桂の視線は俺に向けられたものだったのだ。
折角独り占めしていたのに、邪魔してくれたな、と桂は冗談交じりに笑う。どこまで本気なのかは、あの夢の桂を見てしまった後では、ちょっと分からなかった。

「邪魔して悪かった」
「まったくだ」
「・・・最後の日、俺になんて言ったんだ」
「はて、俺は土方君に何か言ったか」
「ああ。俺のほうを見て、俺の名前と、あと何か言っていた」

近藤さんと交友を深め、真選組と攘夷党と協力体制を整えたあたりから、桂は俺を土方君と呼ぶ。俺はエリザベスの手前、桂さんと呼んでいた。
俺が黒い隊服を着ていたころは、こちらは桂桂と毎回のように叫んでいたのに、俺のほうでは滅多に名前など呼ばれた覚えがないのでそれは面食らった。
驚きが落ち着いたら、面映さが襲ってきた。桂が身内に向ける目は優しい。その中に己が含まれたときのむず痒さといったらなかった。

「うーん・・・覚えておらんな。なにぶん俺も夢の中のことだから」
「思い出してくれ。・・・いい加減にしろだの、邪魔だの、何でもいい」
「何か重要なことなのか」
「俺にとっちゃな。万事屋しかいなかったアンタの目に俺が初めて映って声をかけられたんだ、大変なことだろ」
「・・・そんなに深い意味はないだろう」
「そんなら作っちゃくれねェか」
「・・・・・・土方君、そんな目で見るのはよせ」
「桂さん、アンタは知ってただろう」

畳み掛けるような俺の言葉と思いつめたように帯熱する瞳に桂は困惑したようだった。無理もない。1人で大事にしていた記憶を無理矢理に暴かれて、挙句の果てに迫られる。居直り強盗のようだ。
自分のやり口は自分でも嫌になったが、けれど今しかないとも思っていた。万事屋が消えて空虚な心のままの桂に向き合う者がいることを教えるために。
桂は包帯で覆われていない片目をとうとう俺から逸らしてしまった。そうして、俺がやがて溜息をついて諦めるのを待っているようだった。しかし俺がいつまでも視線を逸らさないのでやがて桂のほうから溜息をつき、アレを見たんだろう、と言う。あの硝子のスクリーンを、桂の心をそのままに映し出したようなそれを、見ただろう、と。

「・・・俺は欠けているんだ。あれは俺の魂の半分だ。半身もないまま新たに誰かと向き合うことなど」
「じゃあ俺の1/4をアンタにやるよ。そうすりゃお互い3/4だ。似合いだろ」   

俺はその1/4をあいつに惚れた桂のために欠けさせておく。その先どんなことがあって桂が俺に心を許したとしても、決して埋まることがない。
いつか桂が誰かを想うことがあっても、桂の中から万事屋は消えない。俺がその誰かでありたいと思ったら、俺と桂と万事屋と、いびつな欠片を寄せて集めて、なんとか形にしなくちゃならない。
そういうものだ。桂に限らず、大事な者を心に抱えていれば誰でも、そいつだけの踏み込めない場所があるものだ。俺は幸福だったと思う。桂が心に抱えている者を知ることができた。そして、その男はそいつを想う桂のために俺も欠けてもいいと思える程度には、俺の気に入った男だったのだ。

薄暗い接見室の小さな蛍光灯に照らされて、桂は随分長く黙っていた。俺の言葉の意味を咀嚼しているようだった。そうして、自分の言葉を探しているようだった。
静寂が水面のように広がった。職員たちが何やら話しているらしい声の断片がたまに傍観者のように通り過ぎていく。ここは2階のくせに地下のように冷えて、それがじわりと足先に染みてくる。

「・・・・・・銀時は、前にも俺の前から消えている」

静寂と冷気とが足の第二関節まで侵食したとき、桂はぽつり、と呟いて水面に新たな波紋をたてた。
桂の声で銀時、と呼ぶのをもう何年ぶりに聞いた。桂も懐かしいその響きに自分で驚いたような顔をしている。一度溢れたら止まらないのか、桂は銀時、銀時と何度も呟く。

「戦後の、攘夷志士が厳しく咎められたころのことだ。10年近く生死が分からなかった。
・・・まだそれに比べれば大したことじゃない。銀時の不在をどうこう判断できる時期じゃない」

その言葉を桂が信じていないことは桂自身が一番知っているようだった。

「それにお前は銀時に似ている・・・外見や挙動の話ではない。どうとは言えない魂のありようだ。
俺は、お前に銀時を投影したり、また銀時にお前を上塗りしてしまうことがたまらなく嫌なのだ。だが今お前に必要以上に近づいたら、俺はそれをしてしまいそうな気がする」

桂は警戒していた。俺にではない、俺の提案を受け入れたときの自分自身に対してだ。
桂の答えを、俺はほとんど予想していた。いや、俺の予想よりも、桂の答えはよほど前向きに聞こえた。
一度経験したこととはいえ、不可解な状況や混沌とした世界の変化に飲み込まれて、以前と事情は全く変わっている。万事屋の不在に対して悲観的観測を捨てられないのは皆同じだ。桂はその現状で俺と万事屋に対する気持ちの折り合いがつけられないと言ってきたのだ。それは、いつか万事屋が帰ってきたら。あるいは、桂が折り合いをつけられたら。それがいつかは分からなくても。

接見の許された30分を過ぎて、俺は椅子を引いて立ち上がった。守衛もおらず、きっと話を続けていても誰も咎めはしないだろうが、欲張ってはいけないことを、俺は知っている。

「それでいい。・・・俺は、待つことができる」

接見室の扉を閉めて、コツンコツンと不気味なほどに靴音が響く廊下を抜けた。
桂がどんな顔をしていたのかは分からなかった。
俺は桂を傷つけただろうか。俺は待つことができる、なんて、まるで万事屋にはそれができないような物言いをした。万事屋が時間の流れから切り離されてしまった存在になっているとは、俺も思いたくはない。
俺がじっと待っている間に、万事屋がひょこっと帰ってきて、また桂をずっと捉えて俺を失恋させるなら、それが一番いいに決まってる。ある意味、誰よりも万事屋の帰りを待っているのは俺だ。
・・・恋の成就よりも、失恋を希求する日が来るとは思わなかった。

ロビーを抜けてガラス戸の向こうは死んだ町。鉛色の空と生温く淀んだ匂い。
足を向けた途端ひたりと伴う不吉の気配を肺いっぱいに吸い込んで、俺は灰色の道を踏んだ。






評定河原に筵をひいて、近藤さんと桂が座っている。
真選組と攘夷党の連合勢力は乱入の機会を伺っていた。この日をずっと待っていた。
ふ、と目線を野次馬にまわしたら、橋の上に万事屋のガキどもがやって来ていた。人なのかどうかよくわからないシルエットの、服装ばかりは万事屋に似た男を伴って。
不意に、男の唇が少し動いた。それは俺がいつか桂の夢の中で唯一覚えた、あの男の呼び声と同じ形に見えた。

その瞬間が近づいて、俺は突入の指示を出す。
耳の奥にカララララ・・・と映写機が回りだした音がいつまでも響いていた。









 



























































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