折からの雨は一層激しく、コンクリートの色を深く染め抜いていった。
バラバラバラ・・・と絶え間なく重い雨粒が黒い傘を押し下げてくる。パーッ、と喧しいクラクションが鳴って慌てて寄せたが、飛沫がピッと裾を濡らした。暗い雨夜に黒い傘、全身真っ黒の隊服では気づかれただけ良しとすべきかもしれないが。

チッ、と舌打ちひとつして一本脇の道に入れば場末。飲み屋が何軒かぽつぽつとこんな雨の夜でも店を開けていて、雨宿りの客を待っている。

『・・・でしたー。さて、10時になりましたここからは花束のように歌を贈ろうミュージック・リザーブのお時間。お相手は引き続きわたくしKANRININがお送りいたします。
このコーナーではリクエスト・ソングをあなたとあなたの大事な人のためにリザーブ。毎週10時から11時のこのお時間に心を込めてお贈りします。
ご希望の方はお名前ご記入のうえ、お相手のお名前とメッセージを添えて番組までお送りくださいね。あなたとお相手とのエピソードなどもお待ちしております。お名前はお互いがわかるようなラジオネームでも結構ですよー。
さて今週のミュージック・リザーブは武州横濱のラジオネーム土桂一線越えろさんから・・・』

その時、何故重い傘を押し上げてそこを見たのか知れない。
明りの灯るスナックの二階、真っ暗なそこに続く階段を上がった先の戸口は僅かに開いていた。
そこに二人いる、と知ったのは、一人がちょっと動いて、その髪が白かったので暗闇にぼやりと浮いたからだ。そして、その男が顔を・・・恐らくは唇を合わせていたであろうもう一人の腰に手を回していたものだから、そこにもう一人いるとわかった。もう一人は長い黒髪で、地味な色の着物を着ていたから、一人でいたら気づくまい。

白髪の男はもう一人の男の腰を抱いて部屋に入るよう促した。そのとき、ちらり、と朱い瞳がこちらを射抜いたように見えたのは、偶然か知れない。
促されて玄関を踏んだ長髪の男が、白いかんばせでちらり、と俺を見たような気がしたのも、また。


≪ほらまたひとつ 胸にちくりと
 あなたの言葉が刺さる
 俺の前であいつの話なんかすんなよ
 聞きたくもねェよ・・・≫


「おうトシ、おかえり」
「ああ。ひでェ雨だな、傘持ってって正解だったぜ」
「ははっ、泥跳ねてるぞ」
「品川500か・626のエリザワゴンR(白)だ。アイツ許さねー」
「・・・お前ホント視力良いな」

こんな視界の悪い中で良く見えるもんだ、警察官の鑑だよと近藤さんに肩を叩かれ、折角なら記憶力も褒めてくれよと軽くじゃれた。
汚れた隊服を洗濯に出して風呂に入り、板張りの暗い廊下を帰っていく。雨戸の向こうではまだざあざあと雨が降っていて、庇から落ちた雨粒がまた水溜りを鳴らす。
使い込まれて艶の出た板張りの廊下はぺたりと足を滑らせればひんやりと吸いついて、ちょうどこんな夜に震える人肌のようだ。
こんな肌を知っている。睡蓮のように透き通った白い肌は、予想に違わずひやりとしていた。

(・・・馬鹿なことを考えちまった)

パタン、と障子を閉めれば暗闇。電気は付けずにそのまま行燈に火を入れて、適当なところでもう寝てしまおうと思っている。
灯し油を注したら指先に油が付いた。その、ぬる、とした指ざわりにぎくりとする。慌ててこれを拭ったが、一度掠めてしまったその画は行燈の火に炙られても飄々としている。

ちらり、と俺を一瞥したような白い顔。一度だけあれに口づけた。
自分の身体でなかったことが忌々しい。ふらりと訪れた桂を逃してなるものかと引いた腕。驚いたような無防備な表情。そんなつもりはなかった、なんて言い訳もできないほど吸い寄せられた唇。「銀時。何だらしくもない」、と眉をしかめて、どこか嬉しそうにする苦笑。

自分のものにならないなんてとうの昔に知っていた。それが何だ。

ざあああ・・・と外の雨が強くなる音にはっとする。
心惑わす幻覚を見せたような行燈の火はゆらりと一度ゆっくり揺れて、ぼぼぼとか細く鳴いた。このぶんだとあと一刻ほどで消えるだろう。
ああそうだ、寝るんだっけとそんなことをようやく思い出して布団にもぐりこむ。
布団のカバーが白いのが嫌になるほどもう頭はそればかり囚われているのに、寝るなんて選択肢が自分のなかにあることが驚きだ。
さっきのあれ、あれが見間違いではなかったら。邪魔者でもなんでもいいから、踏み込むべきだったろう。自分の職務としても心情としても、それが一番合理的な選択だったはずだ。
けれど黒い傘はすぐにあれを見ないふりをした。
・・・見たくなかった、が、正しい。

(あんな目を向けられることなんざお前にゃ無ェんだろ)

日頃刃を合わせるときの、あの射殺しそうな目。あんな目つきで唾を吐かれたことなんてあろう筈がない。お前は、だって攘夷戦争を一緒に戦い抜いた大事な戦友だもんな。
触れてみたかった黒髪、あんなに傍にあるのに梳きもせずに腰を抱いていたあの白い頭の鬼。あの男と入れ替わったとき、訪れた桂が向けた穏やかな瞳にどれほどの間呼吸を止めていたことか。
銀時、銀時と俺を呼んだ声なんて初めて聞く音だった。あいつあんな声できるんだって、あれだけでもう万事屋でもいいかなんて一瞬心迷いかけた。
惹かれたのは爆炎の中でも煤けないその真っ直ぐな背中にだ。惚れたのは俺のど真ん中を射抜いてきた鋭い瞳と自由な魂にだ。
それは桂と刃を合わせた者にしかわかるまい。けれど俺だってMではないので、忌々しげにされるよりは銀時、銀時と安心しきった顔を向けられるほうがいい。だから俺は万事屋が嫌いだ。

あの肌は、今ごろ色づいているのだろうか。あの男の腕の中で。

雨はまだ外を濡らしている。
振るいもしないまま閉じた黒い傘は、きっと冷たい玄関でじわりと小さな水溜りを広げているだろう。
無遠慮に行き去った白いワゴンは、今ごろどこにいるだろうか。
良いことと悪いこととは同じ分量でやってくる。泥水を跳ねかけられたことが悪いことだったとすれば、暗い夜の街で今夜惚れた相手が一人で濡れそぼっていることはない。それを知ったことは、きっといいことなんだろう。


≪他の奴が好きだって 俺なんか見てなくたって
 惚れちまった俺は惚れぬくしかねェ≫

≪そうだろ?BABY・・・≫


絶え間ない雨音は、やがて子守唄のように幼い眠気を誘い出す。
部屋の隅に置き去りにされていたラジオが歌っている。
聴かせるつもりのない恋の歌は、音量0のまま知られぬように桂の耳を通りすぎていく。
聴かれない恋の歌を、それでもその先を促すように息を吐いた。
お前に惚れたよ、なんて、言わないから気づかないでくれ。それが優しさってもんだ。

ちらりと俺を見た、白いかんばせを思い出していた。今夜は、せめて幸せそうにこの肩に腕をまわすアンタの夢が見たい。

(・・・安っぽい失恋しやがって)



『さてお次のリザーブは住所秘密のラジオネームマヨラ13さんから、住所不定の革命家さんへ。ミュージック・リザーブは阿部真央で【もうひとつのMY BABY】・・・』

























































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