「バイビー」

その男は女を放り上げて、落ちていった先のトラックの荷台に華麗な着地を決めた。
ピッ、としなやかな指を二本懐かしの仕草で寄越して、そのままエンジン音とともに消えていく。生真面目なほどの無表情で、80年代アイドルみたいな台詞を吐くけれど。

「「「古うぅぅぅぅぅう!!」」」

きゅんっ

「・・・・・・きゅん?」

ハートを撃ち抜かれたその音は、確かに今女の腕をひねり上げている彼から聞こえたと思うのだが。


【C調言葉にご用心】


桂の残した手紙とテレビ局への照会で、結局桂の放り上げた花野というアナウンサーは身元を確認ののち帰された。
報告書を作成して提出すると、年若い上司はおうごくろーと飄々とした声で刀の手入れをしている。
小麦色の髪をさらりと揺らして、恋などまだ知らないというような少年の目をした沖田隊長の姿はとてもじゃないが一目惚れ直後の男の姿ではない。初めて人が恋に落ちる瞬間を見てしまったと思ったのだが、あれはやはり何かの間違いだったのだろうか。

「隊長、この桂の手紙は・・・」
「ああ、それは後で筆跡鑑定用のマスターにするってよう。添付しとけ」
「はい。・・・いやあ敵ながら見事な字ですね」
「そうかィ。俺にゃ字なんざどれも一緒に見えらァ」

さりげなく桂の話題を出してみたが顔色は変わらない。ちらりと盗み見るようにしながら、やはり勘違いだろうかと内心首を捻る。
勘違いならばそれでいい。対テロ特殊対策部隊真選組一番隊隊長、なんて若くして重々しい職責を背負う彼が、よりにもよってテロリストの頭に恋なんて冗談でも笑えない。しかもあんなくだらない一声で。
しかしやはり、それでもやはりあの「きゅんっ」は沖田隊長から聞こえてきたような気がするんだよなあ。この隊長のことだから、殺意が芽生えるときもそんな音がするのかもしれないが。
言われた通りに報告書に桂の筆跡の残る手紙を添付してその旨を書き添えた。
自分の字と比較してみれば、いかに桂の字が美しいかがわかる。
男らしく、それでいて流麗・繊細で思わずほぅと息を吐くほどだ。別段美文字フェチという訳でもないが、攘夷の暁・貴公子といった美貌の攘夷志士・・・いや、攘夷浪士のイメージを裏切らない。
けれど桂の文字が見えるようにさりげなく添付した手紙にも沖田隊長は目もくれず、おうと言って空の菓子箱に突っ込んだきりだった。


江戸全域を警備範囲としている真選組にとって、毎日の巡察はそれだけで一苦労だ。エリアを区切り、パトカーで回る。時々歩いて怪しい人影をチェックする。
今日は沖田隊長と鏡橋南エリアの担当だ。あの海辺のあたりというのは寺院や地方領主の屋敷が多くて、それなりに警備も息が抜けないのだが、月慈本願寺を越えて南小俵町に入ったあたりから町屋ばかりになる。低い屋根ばかりの並ぶこのあたりは、初夏のこの時期七夕飾りがよく映える。

「やー、綺麗ですねぇ」
「そうかねェ」

夏の青空を覆うように、我も我もと天高く捧げられて、江戸の笹は屋根から立てるのだそうだ。江戸モンの考えることはよく分かんねェよな、と我々芋侍のもっぱらの笑いの種だが、屋根からざわざわと背の高い笹が空を覆うさまは壮観だ。

「あんなに欲望たっぷり吊るしちゃ、笹も流しきれねェってよう」

子供のころ、田舎では七夕の願い事といえば女の子は芸事の、男の子は書道の上達だったものだ。だが煩悩を刺激してやまないこの江戸では願い事はそんなものばかりにとどまらないらしい。欲しいものからやりたいことまで色とりどりの欲が笹に吊られている。
ふと、先日見た桂の字を思い出した。古式ゆかしい願いが天の川の向こうにおわす神々に届き入れられたならば、あんな字が書けるだろうかと思う。

ざあああああ・・・

潮風に煽られて空の笹がざわめく。赤白黄色、黒緑・・・ちらりちらりとはためく五色の短冊は成程笹の波に流されて青空に泳ぐようだ。

「!」
「沖田隊長!?」

頭上の川の流れに気をとられていたら、前を歩いていた隊長が突然駆け出した。町屋の角を曲がって、すぐにキャッと若い女の声が聞こえる。えっナンパ?と思って追う足を止めればやがて向こうからバツの悪そうな顔で戻ってきて、間違えちまったと首元を掻いた。
改めて通りを歩けば、さっきの角から女が怯えた顔でこちらを見ている。たぶんさっきの娘だろう。謝るように会釈をして覗き見れば、男物のような地味な着物を着ていた。すらりとした色白の肌、たっぷり墨を含んだ筆のような滑らかな黒髪が目立って綺麗で、沖田隊長が誰と間違えたのかそれで分かった。

「オイ」

前を歩く隊長の顔は見えない。
耳の先がちょっと赤くなっていたのは、人違いを恥じたせいか、それとも。
小麦色の髪を揺らすその上で、笹飾りが流されていく。赤い短冊のような耳元ばかりは流しきれないままに。
恋などまだ知らないというような目をした少年は、恋をした瞬間にそれを飼い殺すことを決めたのかもしれなかった。


「誰にも言うんじゃねーぞ」


それはそれだけ聞いたら人違いの失態のことなのだろう。
けれどド真ん中撃ち抜かれた心音を、聞かれたことに気づいていないとも限らない。
今すぐに大人にならざるをえなくなった、目の前の少年の立場を口惜しく思う。
ざああああ・・・と天の川まで欲望を運ぶような笹が影をつくって足元を流れていった。黒い背中だけがその水面に取り残されていく。
静かな声は水底の石のように沈んで、川の流れを聞いている。

いつかこの少年が、欲望の川を渡り切って堂々と彼の手を取れる世が来ればいい。彼の字が天の川の応えを受けたようにあんなに綺麗なのならば、この願いも聞き届けてもらえる余地があるような気がした。
はい。と、呟いた声は、ざああああ・・・と流れていく笹の川に、呑まれたか、どうか。

















(砂の浜辺で何するわけじゃ ないの恋などするもどかしや
乱れそうな 胸を大事に風に任せているだけ)










































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