「はい押さないでーこっちに並んで・・・糖尿病患者は立ち入り禁止だ銀時」
「ゲッヅラ・・・お前チョコとか好きじゃないんじゃなかったっけ」
「ヅラじゃない桂だ。別にこういうのは好きだからやるとかいうものでもないだろう・・・チョコ買いにきたのか?貴様こないだの検査の結果はどうだったんだ」
「バレンタインにデパートで売ってるチョコ様なんざ買えねーよ高くて。でもなんか甘いニオイがしてたからついこう、フラフラっとね」

甘味に対して正の走行性があるらしい銀時は、蛾のようなことを言いながらふらふらっとやってきて、フロアをぐるっと一周したあと名残惜しそうにまたふらふらっと帰っていった。
2月14日、バレンタインデー当日のデパートの特設コーナーは詰めかけた女子らの熱気でチョコレートなぞ溶けてしまうのではという盛況だ。フロア全体に甘い匂いが満ちていて、ここに何時間も立っているだけでくらくらする。
急募、のポスターを見て、単発だし予定もないしいいかと応じてしまったのがまずかった。

さっきから辟易しているのはフロアいっぱいに充満したチョコレートの香りだ。絡み付くような甘さに身動きがとれなくなる。
堕落してしまう匂いだと思う。
匂いにも肌触りがある。怒涛のように押し寄せるチョコレートの甘い匂いはまさにどろどろに溶かしたチョコレートそのもの、ねっとりと絡みついてくるような粘度のある質感をしている。それが鼻から脳に絡みつき、そのとろりとしたところで脳をすっかり覆ってしまって、麻酔にかけられたように頭がぼうっとする。そして少しだけ、性的な気分を連れてくる。
どろりと脳を冒されて、ずるりと引きずり出された本能は馴染んだ男の唇に向かった。
その、肉厚の唇がすらすらと動いていくのに釣られるように目がいって、無性にそれを押し付けてほしくなった。とろんとした匂いは柔らかい触感とよく馴染んで、柔らかそうなものを見れば欲しくなる。チョコレートなら食べるのだから、唇に。

(・・・女子や職人らは、よく耐えられるものだ)

日頃から官能に馴染んでいればこんな浅ましい欲求不満なぞ引き出されないのだろうか。
堕落させる匂いだ、と、思うのはこういうわけで、デパートが閉まる19時まで、交代要員の余裕などない急募の求人ポスターを理不尽にも恨めしく思っていた。

そうして、いま俺の袂には日給とブースを出していた店舗が好意でくれたチョコレートが入っている。有名店のものらしいそれは綺麗な箱にひとつずつしずしずと収まっていて、もうチョコなのか宝石なのかわからない。
幾人もの女子らがうっとりと見つめていたそれだが、生憎甘いものはよくわからないので俺では宝の持ち腐れだと思う。銀時ならば喜ぶだろうが。
銀時ならば喜ぶだろうが・・・、どろりとしたチョコレートの誘惑は未だに脳に絡みついていて、きっと今銀時に会ったらもの欲しそうな顔でその唇を見つめてしまう。

「げ、またオメーかヅラ」
「・・・銀時」

万事屋の近くまで来ておいて、何とか銀時に会わずに渡せないかと考えていたら、グワラリッと勢いよく玄関を開けた銀時と目が合った。遠出をする格好ではないが、飲みにでも出るのだろう。好都合だ。

「銀時、これをやる」

ブンッと二階の男のもとまでチョコを投げたら、銀時の顔が目に見えて輝いた。マジでかァァァサンニコルじゃんさっきダントツ食いたかったんだよコレでかしたヅラ、と興奮した銀時の、その動く口元にやはり気がいってしまって目を背けた。やはり、やはり駄目だ。ここにはいられない。
そうか、ではなと足早に立ち去ろうとした俺の背中に、珍しく銀時が声をかけてくる。

「ンだよ、サンニコル様に免じて今日くらいはもてなしてやるから入れよ」
「結構だ。大体お前だってどこかへ行くのではないのか」
「おーさっきから無性にチョコ食いたくてコンビニ行こーと思ったんだけど、こんなん来た後じゃ今更アポロンには戻れねーわ。オラ早く入れ茶ァ淹れろ」
「もてなしてくれるんじゃなかったのか貴様・・・」

結構だと言ったのに、聞いているのかいないのか銀時は俺が付いてくる前提で踵を返して部屋の中へ入ってしまった。このまま帰ってしまおうかと思ったのだが、玄関が開けっ放しになっていたので放っておくのも気がひける。
リーダーに話相手になってもらえばよいのだと思い直して、俺は万事屋の古い階段を上った。

冷えた室内、コタツのある部屋だけ暖められて、銀時が台所から茶を持って急いで駆けて行く。
器用に足だけスライディングをかまして、銀時はすばやくコタツに潜り込んだ。早く閉めろ寒ィんだからと俺に檄が飛んでくる。

「リーダーはどうしたんだ!?」
「何か最近バレンタインデーは女子の日なんだってよ。お妙ン家で女子会やるっつってた」
「・・・そうか・・・」
「な、何だよ泣きそうなカオして・・・アイツに用でもあった?」
「いや、そうではないが・・・」

嗚呼、俺の最後の頼みの綱が。お妙殿のところで女子会って、じゃあ新八くんが追い出されて万事屋に来てくれればいいじゃんもー!
姉弟の仲の良ささえ嘆くのは初めてのことかもしれない。情けない。
せめて銀時の口元に目をやるまいとして自然と目線が下に向く。だがしかし、女の帯を解くように恭しく包装を外していく銀時の、その指遣いが肌を這うそれを思い出させてもう・・・。
その指で唇をなぞられたい。あの唇を押し当てられたい。キスをしてくれ。
銀時が開けた小箱から仄かに漂ってくる嗅ぎ慣れた甘ったるい匂いは引きずり出された官能を思い出させて、もう今銀時などどこを見ていいかわからない。だって銀時はその指で丸いチョコレートを摘んで、あーすげェいい匂い流石サンニコル様などと言いながらもったいぶってリップ音をたてて、それからその舌に迎え入れている。俺のしてほしいことを一身に受けているチョコレートは、どろりと銀時の舌と俺の脳のなかで絡みついて溶けていく。

「・・・どったのオマエ、さっきから」
「・・・・・・何でもない」

頼むから今こっちを見ないでくれ。お前が俺に近づいて話なんてし出したら、ついポロッとキスしてくれなんて言ってしまいそうだ。
肌を重ねたことだって一度や二度ではないはずなのに、白昼堂々口づけをねだることのなんと恥ずかしいことか。もういっそ俺から奪ってしまえばいいのか。そうなのか銀時。
俺の視線は恨めし気になっていただろうか、銀時はハッと気づいた顔をしてやんねーぞと小箱を抱え込んだ。

「いらん」
「じゃァ口でも切ったか?さっきから随分舐めてっけど」

ずいっと銀時が身を乗り出して俺を覗き込んできた。突然唇が目の前に近づいて、ひっと思わず声に出そうになるのを喉の奥で噛み殺す。さっきから、って、俺の態度ではなく唇のほうか。知らず知らずのうちに自分で舐めていたらしいことに気づいて顔から火が噴きそうだ。
それでも銀時がやっぱ見ただけじゃわかんねーわと俺の口元をまじまじと見るものだから、この距離をあとちょっと縮めれば唇は触れてしまう。その距離は少し考え込む躊躇いのあと、ぐっと俺に寄せてきて、唐突なそれに俺は思わず目を瞑った。
のだ、が。

「・・・舐めっと逆に乾燥すんぞ。リップクリーム塗っとけ」

触れるかと思ったそれは俺の耳元まで移動して、伸びた手は俺の後ろの戸棚に入ったリップクリームを探している。俺ンだけどいいだろと渡されたそれはあてつけるようなチョコレートフレーバーで、俺はまたこの甘ったるい匂いに脳みそをやられながらリップクリームを押し当てられた。
何か触れていれば落ち着くだろうという期待に反して、艶を持った唇は少し動かすだけで口づけの、あの湿り気を思い出させて却って辛い。自分の唇同士がぬるっと触れあうだけで、ああ銀時キスがしたいと縋りそうになる。まさか銀時がそれを分かって仕向けたわけではなかろうが、よくも、ともはや恨めしい。
銀時は満足したのか、またチョコレートに夢中になっている。銀時、銀時、助けてくれ。俺は今どうしてもお前にキスしてほしい!

「やっぱさァ甘さもさることながらチョコは匂いがいーよな。このアタシ甘いですゥ〜ッってカンジたまんねー」
「・・・俺はその匂いは嫌だ・・・」
「あーオマエカッチカチだもんね。チョコ様の強烈な色香にゃたまったモンじゃねーんだろ、よくバレンタインの特設コーナーなんかに1日中いられたよな。脳みそどろどろにされちゃう気がしない?」
「そうだな。貴様もそんなものばかり食べていると精神が堕落す」
「リップも逆効果だったろ」

遮られて、弾かれたように見れば銀時が底意地の悪い顔でニヤリと笑った。
いやらしい葛藤などすべて見透かすその顔。色と欲と嗜虐と憐憫の混じった脳を溶かす嗤い。そうまるで、どろどろに溶けたチョコレート、の、よう、な、、、
・・・銀時、まさか、まさか貴様、いつから・・・。
銀時は甘い匂いのするようになった俺の唇に見せつけるように、摘んだチョコレートにキスをした。

「で、オマエ何か銀さんに言いたいことある?」















(小粋なリードで私を誘った あんな男が今更許せるでしょうか)

















































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