戯れに足を伸ばしたら、錆びた金具がギィ、と鳴いた。
気だるげに揺れるブランコに腰を預けて、台風の前のような湿気た夜風に髪を遊ばせている。
寄る辺なく揺蕩う黒髪は、まるで今夜の自分のよう。

【シーラカンスに伝言 8】


バチッ、と痛そうな音がして顔を上げたら、蛾が外灯に弾かれていた。
生ぬるく滞留する重い空気は時間まで止めるようで、どろどろと溶けそうな脳みそを抱えて桂はまたギィ、とブランコを揺らした。それだって、たぶん、クーラーのきいた部屋でこんな頭でいるよりはよっぽどマシだ。

(・・・爽快だった、あの日は)

背中越しに聞いた潮騒を思い出していた。
あの日から、もうずっとこんな所在ない気分でいる。疲れて、もう随分長いことどんよりしている気がするのに、まだ先週のことだなんて。
勉強も集中力が途切れがちで、あっちこっちふらふらしている。今夜だってこうして、特に用もないのに学校のそばの公園になんて足を延ばしてみたりして。
今は会いたくない。のに、まるで見つけてほしい、ようなことをしたりして。
そんな自分の女々しさにも嫌気がさす。

ガサッ

「・・・おっ?ヅラ?」
「!・・・・・・先生」

心の裡を見透かすように人の近づく音がして、桂は跳ねる心臓を押し殺して振り向いた。
シルエットが若干似通っていたのでドキッとした。落ち着いてみれば何てことはない、クラスの担任教師で、自分なぞより余程気だるげに歩いてくる。

「ひとり?オンナは?」
「こんな時間に女性を連れ出したりしません」
「ナニ、煙草?」
「吸いませんよ」
「じゃあその手元の缶ビー「コーヒーです」
「・・・・・・オマエ何が楽しくてこんな時間に出てきたの?」
「教師が言うセリフですか」

不良なセリフを吐く傍ら、すいっと距離を縮めて桂の隣のブランコにぎいっと腰掛けた。うまいな、と思う。きっと自分たちに見せているより余程、教師として踏んだ場数が身についているのだろう。
そう思うと、少し素直な気分になる。

「先生こそ何でこんなところに」
「あ?そりゃオマエ真面目な委員長がここでグレてるってタレコミが」
「あった訳でもないのに」
「カワイくねーな!まあ何だ、悪タレ高校の教師に夏休みなんてねーの」

いつの間に買っていたのか、銀八が手元の缶コーヒーのタブを開けた。
カシュッ、と爽やかな音がして、この時間が止まったような淀んだ熱帯夜に爪をたてたみたいだった。

「で、ヅラはさ、」
「ヅラじゃありません桂です」
「酒でも煙草でも女でもなくて、何でこんなトコで青春に取り残されてんの」

オマエね高校の3年だよ?もっとあんだろ何か、こんなところでブランコ乗ってんじゃなくてさ、と銀八の声が桂を刺した。
受験勉強だとか規則正しい生活だとかそんなことを銀八は言わない。桂にはいずれも無用の説教だからだ。そのぶん痛いところを的確に突いてくる。

「・・・後輩に、」

手を弾かれたのが何だかモヤモヤとして、と、言ったら銀八は少し眉を寄せた。色恋か、友情か、はたまた上下関係か、まだ図りかねているのだろう。桂は銀八にヒントを与えるように、少しずつ話し出した。
俺が自転車を漕がせたから、汗で髪がはりついていて。ちょっと除けてやろうと思ったんです、

「・・・けど、」

手に残るのは熱い熱い手の甲の感触。ぼうっとして、それからハッとしたように桂を見上げる眼差し。
慌てて、汗をかいているから触らないでと言った、多分その言葉に嘘はなかった。あんなに馬鹿正直に仲良くなりたいと好意を向けられて、払われた手ひとつで嫌われていると思い込めるほど桂も幼くはない。
ショックだったのは、他意のない斉藤の手ひとつでショックを受けている自分のほう。
後輩として。友人として。桂も勿論斉藤に好意は持っていたつもりだったが、でもそれはもしかしたら、

「・・・同じ友情じゃないんじゃないかって、」

青春に取り残されている、なんて言い得て妙だった。
白い背中越しに光弾ける紺碧の海が見えた瞬間、確かに最高の気分だった。突き抜ける蒼天、夏の雲。荒く荒く息を上げる熱い身体を笑うように、カモメがくるりと輪を描いていった。
出かけませんか、と誘ってくれた。気が急いたようにいつもよりも走った筆で。
あの瞬間の2人をいつまでも残しておきたかっただけなのに、どこで間違えたのだろう。

「・・・カッチカチだね委員長。悪タレ共の相手のほーがまだ得意分野だわ」

銀八が、煙草の煙でも吐き出すように細く息を吐いた。
ギィ、とヅランコを揺らして背中を丸める。こんな時でもぴんと伸びた桂の背筋から、銀八の背中の向こうを三毛猫が通ったのが見えた。

「そりゃ18だ。多感も敏感なオトシゴロだよ。オマケにこんな日々の生活に追われて思考停止してるオッサンより余ッ程時間も体力もあるワケよ。だから俺は日ごろから言ってんだろーが自分でクソ漏れるくらい考えろって。言っとくけどオマエらだっていずれこーなるんだからな」

ぐいっとコーヒー缶を飲み干して立ち上がる。ギィ、と鳴くブランコに膝を蹴られながら、桂が握りしめている空のコーヒー缶を上から取り上げてしまった。

「でもオマエの場合は別だ。あの考えナシ共には爪の垢でも煎じて飲ませてーくらいだが・・・思いつめて良いことなんざ何もねーぞ。どうせ10年20年したら忘れてんだから」

キライじゃないならいーじゃんそれで。と、2人分の缶を持って銀八はまたふらっと公園を出て行った。出入り口まで歩いてから、そろそろこのへんお巡りさんがパトロールに来る時間だから、早く帰れよと気だるげな声で呼びかけつつ。
銀八の影が夜に溶けて、また虫の声だけが桂を取り巻くようになる。
ギィ、と両足でブランコを揺らした。

(・・・10年20年したら、)

銀八の言うことも分かる気はする。子供が一大事と悩んで頭を抱えることなんて、時間が経てば悩んでいたことさえ思い出せないようになっていくのだ。
けれど色褪せることはない。桜色の図書室も真夏の海のきらめきも、頭の中の特別な引き出しにしまっておいて、いつでも原色のまま取り出せるところに。そのフィルムにはいつも、躊躇いの呼吸と戸惑いの瞳が共にある。

(さいとう、)

卒業しても、大人になっても、この1年を忘れられることなどないだろう。












  








































人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -