卒業しても、大人になっても、この1年を忘れられることなどないだろう。


【シーラカンスに伝言 1】


(・・・Zzz)

暁を覚えないのは春に限った話でもないが、輪をかけて春は眠い。
斉藤が欠伸を噛み殺しながらこんな時間にふらふらと廊下を歩いているのは、今日が日直だからだ。ちょっと早く来て職員室まで朝のHRの配布資料を取りに行かなければならないので、1限の寝落ちは早いと思う。起きるぶんには起きられるが、起き続けていられないのが斉藤である。
ついでに言えば教師やクラスメイトとのコミュニケーションも苦手なのが斉藤で、ゆえに日直の生徒たちで賑やかになる朝の職員室などは緊張の一瞬だ。例えば、出入り口付近で話しているあの白衣の教師と生徒。あんなふうに親しげに教師と話すことなんて自分にはできない。何だか言い合いをしているような気もするけれど、じゃれあって戯れてでもいるのだろう。あんなふうにはなれない、と、斉藤は足早に白衣の教師に抗議するような声の男子生徒の隣を過ぎ去ろうと、

ガシッ!

「俺なんてまだカワイイものですよ。ホラッ見てください彼の髪の色とアフロ。こんなモフモフ頭で学校に・・・モフモフの・・・あのスミマセンちょっと触らせてもらってもいいですか」
「!?」

すれ違いざま、その生徒のほうに突然右腕を掴まれて斉藤はぐんっと後ろに引かれた。
慌てて振り向くと吸い込まれそうな琥珀色の、期待に満ちた眼差し。唐突といえばあまりにも唐突なこの状況にクエスチョンマークが飛び交って離れない。しかし何か、この人はいま「触らせて」と言ったような?
・・・この髪を??

『・・・どうぞ』
「かたじけない。おおお・・・予想に違わぬモフモフぶり・・・」

斉藤が少し頭を下げると、生徒は堅苦しく礼を言いながら両腕を斉藤のアフロに突っ込んでその感触を楽しむようにかき回した。下がった視界に彼の上履きに青色のラインが入っているのに気が付いて、3年生だと知る。
ちら、と目の前を盗み見ると、彼は女子生徒でも今時ちょっといないような長い黒髪をしている。確かに、斉藤の頭はアフロだ。しかも結構明るい色のアフロだ。お蔭様で生徒指導には事欠かない。恐らくこの彼もこの綺麗な長髪のせいで無粋な「指導」をされていて、それに辟易して自分を見つけたのだろうというのは何となく文脈から理解できた。その彼が何故自分の頭を触りたがるのかまでは、斉藤の理解の及ぶところではなかったが。

「あー・・・じゃーお前らまとめて明日そのヅラ取ってこいよ」
「ヅラじゃありません桂です」

地毛ですZ。
桂と呼ばれた生徒が斉藤に構いっぱなしで置いてきぼりの白衣の教師は、はーっと溜息をひとつ吐くと失礼な一言を残して職員室に入って行ってしまった。
その背中を見届けて、桂は苦笑のような、意地悪のような、ニヤッとした笑みでくるりと振り向いて斉藤を見る。

「引き留めてすまなかったアフロ殿。銀八先生はウチの担任なんだが、毎日毎日俺の髪を切れだのヅラをとれだの・・・」

斉藤は思わず教師の入っていった職員室の扉を見た。
多分、あの教師もこの生徒に構いたいのだ。手放しで賛美することができないのならば、難癖をつけるしかない。いずれにせよ、放っておくということができないようなみどりの黒髪だった。初めて正面から見てみれば、陶器のような滑らかな白い肌に、挑発的な琥珀色の瞳、すらりとした出で立ちのひどく綺麗な男だ。こんなに美しいひとがいるものか、と、思わず息を呑んで立ちすくんでしまう。

「大体ウチの学校校則なんてあってないようなモンだろあんなもん」
『・・・切ってしまうのは、もったいないと、思います』
「ありがとう。アフロ殿もその見事なアフロは是非とも維持育成に励むべきだぞ」
『斉藤、終、です』
「そうか。俺は3年Z組の桂だ。桂小太郎」

3年Z組。斉藤とは付き合いの長い近藤たちがいるクラスだったから、色々な話は聞いていた。確かに、変な人が多いと噂のクラスだった。目の前の彼が変な人かは良く分からないが、さっきから斉藤が一言も喋らずノートを掲げて筆談するのに微塵も戸惑うような様子がない。

「しかし、斉藤・・・は2年生か。赤ラインだもんな。ということは俺は1年間もこの見事なアフロに気付かなかったということか・・・!」
『あまり、教室から出ないので』
「うん?・・・斉藤、携帯を出せ」

斉藤の言葉をどう受け取ったのか、桂は斉藤から携帯を受け取ると、ロックを解除させて唐突に何やら探り出した。斉藤が慌てたのも束の間、桂は「あ、なんだLINE入ってるじゃん」とアプリを起動して、ふるふるっと振って斉藤に寄越した。

「・・・お前とは、こちらの方が早そうだ。ではまたな」
「!」

そう言うだけ言うと、くるっと背を翻して廊下の向こうへ歩いて行ってしまった。
怒涛の流れに取り残されて、斉藤は後ろ姿をいつまでも眺めたまま廊下に呆然と突っ立っている。
初対面の人とこんなに話すことなんてあっただろうか。もう1日ぶんのコミュニケーション能力を使い切った気がする。
ひとしきり朝の雑踏に呑み込まれて、桂の後姿が奥の階段を上がって消えたのでやっと我に返った。ふと手元を見れば手元の携帯の画面には珍しく赤いマルがついていて、白いペンギンみたいなアイコンへの注目を集めている。

【桂 小太郎 さんが友達に追加されました!】
【新しい友達とトークしてみよう!】

(・・・ともだち)

3年Z組の【桂 小太郎 さん】。友達というか、「先輩」が正しい。
けれど「先輩」では遠すぎると画面の中で緑色のアプリが囁く。まるで心の奥底までお見通しだと言わんばかりに、無邪気な通知はこの人と友達くらい仲良くなってみたいだろとさっきからしきりに斉藤をせっつくのだ。
だってきっと素敵だ。あの人と友達になれたら。
その囁きに促されるように、流水のように流れ落ちる彼の黒髪を思い出している。



【斉藤終です】8:40既読
【知っている】8:40既読
【桂さん】8:41既読
【何だ】8:41既読
【って呼んでもいいですか】8:41既読
【好きにしろ】8:42既読
















































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