どぉぉぉん・・・パラパラパラ・・・

こんな夜に隅田川の河川敷は歩けない。
江戸のなかでも大規模な花火大会のある川べりは、毎年のように将棋倒しの怪我人が心配されるほど人口密度が高いのだ。

「別の道を行くべきだったな」

ごったがえす人込みの、その上を走るようにかかる橋の上ではあったけれど、ここだってこれからあの人の群れに飛び込もうとする命知らずの若者たちで賑わっていた。止まらないでくださーい、ともういい加減イヤになったようなお巡りさんの声が、スピーカーにのってやってくる。やっと元通りに伸びた髪を夏の夜風に靡かせることもしないまま、桂は自らの選択を悔いるように呟いた。

「なあ、高杉」
「ククッ・・・よく言うぜ」

菅笠を目深にかぶって、女性もののような紫の着物を着崩す姿は、真夏の人込みでもきっちりと涼し気な桂の着こなしと対照的だ。わざわざご丁寧に誘いこんでくれたのに乗らねェほど野暮じゃねぇよ、と傘の下でにやりと口角を吊り上げる。
高杉が桂を見つけたのは偶然で、艦に戻る前に折角だから少し「ご挨拶」でもしておくかと気配も隠さずその後を追ったのだ。桂が高杉に気付いたのは必然だった。そのままわざと人込みに紛れ込み、刀も抜けない間合いまで待って桂はさも同行者にするように高杉に声をかけた。

「いいのかい。ちッと小刀抜きゃァ刺さっちまうかもしれねェよ」
「こんな人込みのなかで物騒な話はするものではない。もォ〜すみませんウチの子が」

小刀だの刺すだの、剣呑な単語に高杉の前を歩いていたカップルの男がぎょっとして振り返る。桂がそれに謝るように高杉を軽く制止するジェスチャーをした。男は連れの女を庇うように前に行かせたが、人込みは進まない。止まらないでくださーい、の警官の声も空しかった。
どぉぉぉん・・・と橋の上で大玉が上がる。もしかしたらここのほうがよく見えるんじゃない、なんて囁き合う声もあちらこちらで上がった。

「この橋を渡り切るまで待つことだな」
「・・・つまらねェ趣向だな」

両手を組んでいた高杉の袂から出てきたのは小刀ではなく煙管だ。それに火をつけようとして、歩きタバコは迷惑だからやめなさいとまた桂に叱られる。
おかしな話だった。袂を別ったはずなのに、桂の髪が元通りになるのと同じように、昔のように桂に叱られながら往来を歩いている。

「元気だったか」
「生憎なァ」
「蒸し暑くて嫌になるな。お前そろそろ夏バテして食欲無くなる時期だろう。ちゃんと食べてるのか」
「・・・有難ェことに宇宙は快適でね。おいヅラ、何のつもりだ」
「ヅラじゃない桂だ。仕方ないだろう、こんな場でできる会話は限られる」
「お優しいねェ。蹴散らしてやってもいいんだぜ」
「いっぱいの警官に囲まれてな。艦は近くか?」

警備員がどれだけいようと、桂と高杉が刃を抜けばものの数ではないことは明らかだった。それでも高杉がぴくりと眉を上げてそれきり黙ってしまったのは、桂が指摘したのが寄港している艦のことだったからだ。高杉と桂が無益にやり合っている間に、捜査の手が春雨の艦に向くのは歓迎しかねる。たとえそこにいるのが精鋭の鬼兵隊であってもだ。

「ああそうだ高杉、貴様この人込みで菅笠はKYだぞ。さっきからメッチャ当たるんだけど」
「・・・」

不機嫌そうに眉を寄せて、高杉はチッとひとつ舌打ちをした。

ゆるゆると人は流れて、花火が上がるとまた止まる。大江戸産業様ご提供の・・・と、スターマインのアナウンスが流れると暫くそこから動かなくて、橋の真ん中を歩いている桂と高杉はひっそりと二人、止まる人込みに息を潜めていた。
ドォンドォンといくつも光のアーチが伸びていって、大砲のような火花の弾ける音といくつもの歓声に包まれる。隣にいても、少し声を張らなければ聞こえないような気がして、高杉は少し小さな声で呟いた。

「・・・傷は残ったか」
「少しな」
「相変わらず地獄耳してやがる」
「傷は残ったか」
「あんなかすり傷で残るワケねェ」
「そうか。残念だ」

別段残念とも思っていないような表情で桂がふっと微笑った。
光の粒が降るように注いで、桂と高杉に複雑な陰影をつけていく。夢中になっている人々の声は途絶え、小気味良く打ち上がっていく花火の音ばかりがふたりの声をここだけのものにしていた。

「ちゃんと寝ているのか」
「テメェのお節介は直らねェなァ。母親でもあるめェ」
「寝ているのったら」
「・・・・・・まァな」

ぱぱぱぱぱ、と取り取りの光が瞬いて、ジャァッと夜空に霧消していった。
どおんどおん、と続いて大輪がいくつも空に散る。

「・・・おれはお前がきらいだ」
「そりゃこないだ聞いた話だな」
「お前は昔ニンジンが嫌いで」
「・・・は?」
「俺はお前に何とかニンジンを食べさせようと夕食当番のときは苦労したんだ。小さく刻んだり、さらに小さく刻んだり、まあ大体刻むしかなかったんたが」
「・・・」
「馬鹿だと銀時には笑われたよ。そのうち銀時がお前のニンジン嫌いが直ったといって、それでお前は嫌々ながら食べてるんだからな。俺があんなにしたって食べなかったのに」
「・・・オイ、これァ何の話だ?」
「俺とお前とはそんなことの積み重ねだ。お前に対して俺の愛情はいつも空回りだ」
「・・・」
「だからおれはお前がきらいだ。昔も、」

ザァァァと黄金の枝垂柳が夜空を染めた。

「・・・今もだ」

喝采のような金糸が滝になって降り注ぐ。歓声のあがる方角を眺める桂の隣で、高杉の眉を寄せた表情が見られることはなかった。
そんな昔話を聞かされても。大体、あれだって銀時が桂のことを高杉の母親みたいだと揶揄ったのに腹が立って、意地っ張りで食べるようになったものだ。桂との衝突なんて、大体は桂への甘えを断ち切る気持ちと銀時への反発心からきている。それを桂が知らないでいるとすれば、高杉の愛情だって桂に対してはいつだって空回りで、高杉も桂のことをきらいだ。
これを嫌いだというのなら。
スターマインの終わりを告げるひときわ大きな大玉が、地を震わせる大太鼓のような音で打ち上がった。

「・・・高杉、気付いているな」
「あァ」

ゆるゆると流れ出した人の波にのって、たまに止まって、そろそろ橋の向こうが見えてくる。橋の向こうは二股。人気は分散して、きっと走っても何とか人込みを抜けられるだろう。
少し後ろに、気配を消してこちらを注視しているいくつかの人影。恐らくは警備に当たっている新選組隊士だろう。折角の人込みなのだから普通にしていれば気配も紛れてしまうのに、綺麗に消してしまうのだから却って不自然なのだ。

「もう少し話したかった気もするが、もう話したくない気もするな」
「そうかい。・・・ヅラ、」
「ヅラじゃない桂だ」
「橋を渡り切ったら、時間を2秒だけ止めてやる。2秒したら適当に撒きな」

ゆるゆると人が流れて、橋の袂で人がばらけた。高杉と桂だけが、人波の中洲に取り残された。後ろの気配が不意にざわっと動き出す。
高杉は菅笠で顔を隠すようにして、けれどそれとわかるように桂の顎に指をかけて見せつけるようなキスをした。

ヒュゥ・・・ドォン、

赤い大玉が打ち上がるのが、たっぷり2秒。
唖然とした後ろの気配を確認して、2秒後、ふたりともが何も言わずに駆け出した。人の流れの筋を見極めるようにして、それぞれ別の道へ。
ハッとした隊士たちが慌ててバラバラと追いかける。桂は軽やかな足取りのまま、手ごろな屋根に飛び乗った。

「・・・フン、あいつも、」

ファンファンとパトカーの音がして、それを縫うようにひらりひらりと駆けていく。
夜空に溶けるような長い黒髪が散って、あの日高杉に見せた散切りの面影はもうない。

「なかなか粋な挨拶ができるようになったじゃないか」

空に打ち鳴らす大太鼓が、また2秒、大輪の華を散らした。










【ロマンスの抗議】









































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