少年たちは真っ直ぐな目をしている。
ひとつが悪戯な視線を彼方に向けて、もうひとつがそれを熱を帯びた眼差しで追ったとき、さいごのひとつは息を止めた。


【微熱少年】


ぽた、と耳元を伝った汗が畳に落ちる音を聞きながら、虚心坦懐に天井の木目を眺めている。
隣で小さく熱い吐息が聞こえて、次いでぱたん、と何かを閉じた気配がした。

「・・・ダメだ、暑い」
「・・・やっと気づいたかよ・・・」

顔を上げることすら億劫で、目だけちらりとやったら折り目正しく座った少年の細い背中が見える。汗ばんで肩甲骨の間を三角に湿らせている背筋は、その下の皮膚を透かしていた。

「この暑さで本なんか読めるワケないだろ」
「そうだな・・・折角先生からお借りしたのに、汗でシミにしてしまいそうだ」
「集中力の話をしてんだ」
「・・・・・・ああ、それもダメだ」

ブーン・・・と首を振る扇風機の風に、細く柔らかそうな黒の毛束が流れて細い首筋に張り付いた。子供特有の白くほっそりとした首筋は自分にも備わっているはずなのに、そのうなじから透明な汗がツゥと垂れていく首の曲線をまるで未知のもののように目が追ってしまう。

「何だ高杉。あっ扇風機そっちに風きてないか?」
「やめろ、熱風かき回したって、」
「気休めくらいにはなるだろ」
「埒が明かねぇな。なあヅラ」
「ヅラじゃない桂だ」
「水浴びに行こうぜ。本はもう読まないんだろ」

ガラリ、と扉を開けたら眩しさに気圧されてしまって、うわ、と思わず声が出る。
踏み出した先の地面からむわりと夏が湧き出しているのに怯んだ。いつかの雨と草の匂いが蒸発して、濃縮されたようにまどろんでいる。
耳はあっという間に蝉しぐれに支配された。うぶな肌はすぐに熱射に刺し抜かれて、畳みかけるように襲ってくる空や雲の原色に負けた。
気休めを求めるように、桂の黒い頭を探している。

「高杉、帽子を被れ」
「嫌だだせぇ」
「だせぇとかの問題ではない。熱中症は怖いんだぞ」
「だってお前ソレぶかぶかじゃねぇか」
「今年はな。じきに小さくなるさ。なるといいな高杉」
「死ね」

真夏の太陽の下ならば、桂はどこにでもいる少年だった。利発な容姿は絵になるけれど、そんな絵を欲しいと思う年頃でもなかった。
ふたりして大きな麦わら帽子を被って歪な影を揺らし、町はずれの小さな橋を渡って川を遡るように山に入る。じゃぶじゃぶと我慢できずに足だけ浸かって、足首の熱を強烈に奪われる快感にふたりして思わず歓声を上げた。何だか、最近は桂と妙に仲良くなった気がする。先生について町を出るまでは、こんなことはなかった。桂はいつだって、兄のような世話焼きで。

岩がごつごつと粗削りになってきて、深くなった水の中に銀色のきらめきが増えたころがゴールだった。子供が二、三人寝転がれるほど大きな岩に泳げる程度の水深。ここへ来てから見つけた水場のなかでは一番の気に入りだ。
石にぶつかる水音に紛れて、桂の熱を上げた吐息が漏れた。膝までたくしあげて握りしめていたせいで、汗ばんで色を変えている袴。その下からすらりと伸びた色白の足が水滴を散らして川面に揺れている。麦わら帽子の下から伝う汗が頬に瞼に垂れてきて鬱陶しそうに頭を振るうアンバランスさに何故か鼓動が跳ねた。

「あっ、高杉おまえまだ、」

ざぷん!

隣で鳴った心音を隠すように深みに飛び込んだ。服をぐしゃっと丸めて放り投げて、褌ひとつの無防備な姿で。
ゆっくりと落ちていく身体。のぼせた身体の熱を強引に流し去ってしまう水温。水上の音は何も聞こえなくなる。
きっと桂はまだ来ない。あいつは、すぐに冷たい水に入るなとか言うから。だからきっと、不自然に上がった身体の熱が桂に流れていってしまうなんて、そんなことはない。

「ぷは」
「高杉!また準備運動もしないで」
「今までさんざしてきただろ。早くこいよ」
「いま行く!」

最後にきゅ、きゅ、と腕をまわして、桂がざぶざぶと水をかきわけてやってきた。深みに浸かる瞬間、にやり、と悪戯にわらったのを何だと考える間もなく足首を引っ張られて、そのまま水底で転がりあう。こぽぽ、と桂の笑ったような息遣いが聞こえた。

「ぶっは!何すんだヅラァ!」
「ヅラじゃない桂だ。ほら、準備運動をしないから足がつった」
「誰のせいだよ。河童かてめぇは」
「川は危ないんだぞう。しっかり準備をしない奴は・・・こうだ!」

ざばん!

どぷん、と桂の頭が消えたと思うとすぐに水面下でわき腹をくすぐられて、のけぞるように水の中に潜らされた。それでまた、桂の腕を引いて腹をくすぐってやったら桂もまたやりかえしてきて、高い笑い声を響かせて大きなしぶきをたてながらざぶんざぶんと子犬のようにじゃれあっている。
相当暑さが堪えていたのだろう。くしゃくしゃに笑うことの少ない桂が、本当に小さな子供みたいにこんなことをして笑っているのが思いがけなくて、ついつられて夢中になった。水底の大きな石を拾いあったり、川魚を素手で捕まえようとしたり、大きな岩からへんなポーズで飛び込んだり。
ひぐらしが鳴きだすころには、岩の上に座り込んだらそのままふたりとも立てなくなった。

「この程度でヘバってんじゃねぇよ・・・」
「お前だってヘバってるだろうが。眠いが寝るなよ。この後まだ帰り道が長いのに」
「寝ねぇよこんな岩の上で。ちょっと休めばすぐ歩けるようになるだろ」
「夕餉までに帰らないとな。今日の当番銀時でよかった・・・」

桂はごつごつとした岩の上に寝そべって、そのうち無理な態勢だったのか上体だけ少しもたげた。少し疲れた緩慢な仕草。水滴を弾く二の腕。清流に熱を流し切って、蜻蛉の羽のように透き通る肌。
こうなると桂はいけない。こうなったら、こんな少年はもう桂のほかにどこにもいない。
瀬にかかる梢の影が桂の投げ出した身体をちらりちらりと光らせた。幼子のふくよかさがすらりと、睡蓮のような繊細な曲線を描くようになって、小さな顎から鎖骨にかけての、まだ声変りをしない細い喉のなだらかなラインは、例えばこれが硝子細工ならば完璧な芸術だった。こんな無骨な岩の上に無防備に皮膚を押し付けて、桃のような危うい柔さの白い肌がいつかつぷりと切れて甘美な汁を滴らせやしないかと、脇腹に垂れる水滴にその匂いまで感じた。
青年の精悍さと子供の甘えた膨らみの同居した頬が、桜色の唇の動くのにつられて動き、それが自分に向けられるたび、頭の先から熱が上がり、足の先から冷たくなった。

「今日銀時はチエ子殿と甘味処に行ったのだったか。こっちの方が涼しいのにな」
「店ならクーラーとか付いてんだろ」
「ああそうか・・・でもこっちの方が楽しいのにな。ばかなやつ」

常ならず子供っぽい口調で桂はぽそりと吐き捨てた。
銀時のことを話すたび、桂のなかの熱が内からこのまっさらな身体を汚していく。もう一度、冷たい水の中に桂を突き落として全ての熱を洗い流してしまいたくなる。
水面にゆらりと揺れる琥珀色の瞳は水温よりも少し籠った熱を持っていた。さっきまで水の中にいたから、すっかり冷えてそんなことを忘れていたとでもいうように。

「あ、痛」
「切ったか?」
「いや、切れてはいないと思うが・・・」
「見せてみろ」
「何だ、大袈裟だな」

桂が弾かれたように背中を起こした。その肩が擦れている。
ほらみろ、と言いたくなるのを堪えて桂の白い背に触れた。稽古で引き締まって筋肉のついた、それでいて細い背。発育途上の骨の細さと肩の繊細さは、それでも確かに少女ではなく少年のそれだった。
その肋骨の下が、少し岩で擦れたように赤くなっている。それがこの背の完璧な滑らかさを損なわせているのは確かなのに、何故だかしら滲む赤に艶めかしい何かを感じた。
自分も大して変わらない身体のはずなのに。
夕暮れの風が寄せてきて、川べりの涼やかな匂いが脳の熱を冷ましていく。
桂は深刻そうな、けれどどこかぼうっとした顔つきで水面を眺めている。

「・・・高杉。銀時はチエ子殿と交際をするのだろうか」

ぽつり、と、ほとんど唇を動かさないまま言った。
水に熱を吸われて青褪めた横顔が詰るように見えた。

「知らねぇよ。言われりゃするかもな」
「・・・そうか」
「嫌なのか」
「嫌というのではないが・・・」

珍しく言い淀んだ唇の先は、小さく萎んでひぐらしの声と一緒に山の向こうに吸われていった。
段々と濃くなる梢の影は、桂の肩の白さをいっそう人形じみて見せていた。それに触れた手のひらの熱が、じわりと桂に染みて人間の温度にしているようだ。

「寂しいんだろ」
「そうだろうか」
「女と付きあったらお前の知らないことも増えるだろ。銀時に置いていかれる気がしてるんだよ」

きっとそういう心持ちだって桂のなかにはあるのだろう。
けれど全てではない。それを知っていて言わないのは、桂がまだそれを知らないからだ。
まだ間に合うと思っているからだ。
じわりと触れた手が汗ばむのがわかった。

「・・・そうか。そうかもな」
「くだんねぇ。お前にだって銀時の知らねぇことなんかいくらでもあるだろ」
「今まではな。でもこれからは難しいな。一緒に住んでいるんだから」
「お前銀時がいない間何もしないつもりか?今だって俺と川に来たくせに」
「ははっ、それもそうか。でも帰ったら話すだろ」
「秘密にしたっていい」

ざわ、と風が流れて冷えた身体を震わせた。流れた言葉に自分でぎくりとした。
桂に触れた手のひらばかりが妙な熱を持ちだした。じわ、と手汗が背に染みる。
次が継げない喉の奥を不思議に思うように、波のような涼やかな曲線でもって桂が顎をついと引き上げてこちらを見上げた。
目の前の友人に何の疑いも持たない目で。その手のひらの熱に体温をもらって動いているというような、小さな動きで。

「・・・・・・秘密に・・・」


ひぐらしが降るように鳴いて、陽はそろそろ落ちていくようだ。































































人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -