ひとり立つ台所は足元が寒い。
捨て猫が古い犬小屋をあてがわれるように転がり込んだスナックの2階には、小さな台所が付いていた。大家の婆が同居するでもなく、家賃を払うためにとりあえず始めた万事屋稼業に人を雇える余裕もない。1人で料理をするのは気が進まなかったが、必要に迫られたとしかいう他なかったのだ。今日は依頼人が畑で取れたというニンジンをくれて、冷蔵庫には卵かけごはんにするには不安な卵がいくつか残っていて、スーパーに来てみれば油揚げが安かった。そんな色々な偶然が重なったがゆえの。
アレにしよう。油揚げを巾着のようにして、中に刻んだ野菜と卵を入れて醤油とみりんで煮るやつ。
昔は結構好きでよく作っていたのに、そういえばもう何年も食べていない。そんなことをふと思い出して、何の気もなしに椎茸と油揚げを買った。「葉物も食べたいけど、巾着の中にはもう入らないからな」という幼い声が不意にこめかみの右から左に通り過ぎて、ホウレン草も一ワ買った。

トントン、と軽快なリズムに乗ってニンジンと椎茸が刻まれていく。みずみずしいオレンジ色とふっくらした茶と白のコントラストがいい。みじん切りにするとなおさらニンジンの青々しい甘さが鼻をくすぐる。
なんでニンジンとシイタケなの、と聞いたことはあったかどうか。「別に、何でもいいんだ。タケノコでも大根でも」と言った少年の横顔が瞼にちらついた。
そうだ。これは昔桂が作ったやつだ。気に入って作り方を教えてもらった料理だった。
刻む手がぎくり、と一瞬戸惑うように止まった。けれど何度も作った料理だ。作れるはずだ。
作り方教えて。と言ったら嬉しそうに笑って一緒に作ろうと言った。隣でこうだそうだと教えてくれる、脳裏にあの頃の桂の声が浮かんでは消える。

『油揚げは短い辺のほうから包丁を入れてな、突き破らないようにそーっと』
『あっやべ』
『まあちょっとなら破れても構わん。シイタケとニンジンつめておけ』

油を纏っていかにも切りにくそうな油揚げに慎重に包丁をいれる。一度刃を破るギリギリまで通したら、あとは指で広げていくほうが破れにくい。指をべとべとにして、四枚入りの油揚げを巾着にする。おんなじように油にまみれた小さなふっくらとした手が近づいた気がした。

『まず刻んだニンジンとシイタケを適当に入れて、そのあと卵を割り入れる。野菜詰めすぎると卵が入りきらないから気を付けるんだぞ』
『これ入り口どーすんの』
『爪楊枝で止める』

ぱんぱんになった巾着袋をよっつ手鍋に並べて、醤油とみりんを、確か、

『醤油:みりんで1:2くらいかな』

まあテキトーでいいんだ、と幼い桂があっけらかんと笑う。でもホントにみりんだけだったか。甘いの好きだし、砂糖でも入れたいところなんだけど、

『みりんだけのほうが油揚げの味が出てうまいぞ』

と、きっと砂糖を入れたことなどないのだろうが、桂が懐かしい顔でそんなことを言うのでそのまま砂糖は入れなかった。そうだ、卵焼きはめいっぱい甘くしたけど、これには昔から砂糖を入れたことがなかった。
醤油とみりんと水とが温まると、醤油の匂いがいっぱいに立つ。いつの間にか隣に立っているような幼い桂の幻影が、銀時、と袖を引いたので、ああそうだっけと換気扇をまわした。
くつくつと巾着が揺られて、お揚げの内側が固まった卵でほのかに白くなる。鍋の香りが少し甘くなってくる。うまそうな匂いが漂ってきて、もうよそってしまいたくなる。昔からこれを待つのが苦手だった。湯気の向こうで小さな桂と俺とが同じように湯気を見つめている。

『まだだぞ銀時。ニンジンが柔らかくなるのと、あとまだ黄身まで火が通ってないから』

しゃーねぇなわかったよ。我慢のきかないガキを桂は根気強く待たせようとして、くだらない話をいっぱいした。最近勝手口の傍にやってくる猫の話とか、みんなして呼ばれた道場の誰それの誕生日パーティーでの振舞い方とか。ニンジンと卵の黄身に火が通るまでの、他愛もない話。

『ふふ』
『突然何だよ気味悪ィ』
『お前と料理を作るのは楽しいな』
『・・・あっそう』

何がそんなに嬉しいのか、あんまり笑わない奴のくせに、そのときはまるで花がほころぶようににっこりと、しあわせそうに笑ったのをまだ覚えている。


そういえば皿がないんだっけ。
何も考えずによっつも巾着ができてしまった。甘いお揚げの匂いが部屋じゅうに広がって、冷えた足元を少しだけ温めてくれるような気がする。仕方がないので味噌汁茶碗にひとつよそって、味噌汁は諦めた。
つぷ、と箸を入れたら柔らかいお揚げはじゅわっと汁を広げてほぐれていく。真っ白な白身を黄身とニンジンのオレンジが広げた巾着からぱっと見えてほっとした。それはたぶん、ちゃんと1人で作れたことに。
箸でつかみあげて大きな口で頬張った。優しい甘さの汁が口のなかで卵の黄身に染みていくのが美味しい。うまみをいっぱいに吸った椎茸が一足遅れて存在を主張してくるのも。

「・・・」

美味しい、には美味しい。よくできていると思う。でもこんな味だっけ?
いや、どこが違う、というほど違うわけじゃない。まあこんな味かもしれない、という程度のもの。
けれど何か違うという違和感はじわじわと油揚げにまで染み込んでしまって、二口めはすっかり違うものを食べているような気がした。作り方も味付けも、ホウレン草を茹でて添えるところまで、そっくり同じにした筈なのに。
三口めをためらった箸の先から湯気はすっかり消えていて、幼い2人の面影も見えない。懐かしい声も聞こえなくなった。
ちら、と台所を見ればまだ手鍋のなかにはみっつも巾着が残っている。味は美味くできているのだから、気にせず食べればいいのだけれど。

「・・・」


結局、大家の婆にふたつ、婆のダンナにひとつ持って行った。
食わせてもらった大福の礼だよと言いながら、綺麗に整えられた御影石を見て苦く笑っている。
失ったんだと思った。

「・・・半端なモン食わせて悪ィね」

巾着のなかは空っぽだった。ニンジンやシイタケや卵をあんなに沢山詰めたのに、まるで何も入っていないようだった。昔の小さな桂の面影を、隣で桂に怒られる自分を、晩飯時になると台所を覗きに来る先生と高杉を、もう見ることはない。だからもう、好きだった巾着玉子は永遠に食べられやしない。
失ったんだと思った。
命の恩人にそんなものを食わせるのは気がひけたが、買ってきたものでヘンに取り繕うよりは余程いい自己紹介になるだろう。そんなものが女房の傍にいるんじゃ心配かもしれないが、脚立の代わりくらいにはなるとでも思ってもらえれば光栄だ。
御影石はあの日と同じように何も言わぬまま、ただ全てを受け入れるように佇んでいた。









ぴんぽーん

お邪魔します、と声がして、こちらが玄関を開けもしないうちからガラッと引き戸が開いた。
足音という足音もしないままひょこっとリビングまで顔をのぞかせてきたのは暇人のお尋ね者で、今日は何やらビニール袋を手に提げている。だらりとソファに寝そべったまま嫌そうに目だけ動かしたら、あっちもけしからんというように眉を顰めた。

「やはりいたか、銀時」
「いたかじゃねーよ何のためのインターホンだ」
「怠惰な恰好をしおって。リーダーと新八くんはどうした」
「神楽はトモダチんとこ。新八は道場」
「ほう。新八くんは稽古か、えらいな。それなのに貴様ときたら」
「ウルセーな俺は今日夕食当番なんですーそろそろ晩飯作るんですー」
「おお、それはちょうど良かった。これ使ってくれ銀時」

晩飯、と聞いてビニール袋を突き出した。押し付けられるまま手にとってみればカサがある割にそんなに重くないそれは、ぎっしり詰まった油揚げ。
何コレどーした、今日稲荷神社の祭りかなんか?と見上げた俺に桂はフフンと笑ってみせた。高く結っていた長い黒髪はさらりと垂れたけれど、こいつは昔からこんな笑い方をする。

「かぶき豆腐店さんから油揚げをたくさんいただいてな。俺とエリザベスでは食いきれぬからお裾分けだ」
「おーサンキュ。じゃあウチのおかずが一品増えたところでオマエ帰っていーよ」

しっしっ、と邪険に扱う手の傍ら、何に使おうかと考える。味噌汁の具じゃ芸がないし、いま残ってるのは昨日の残り野菜のニンジンたまねぎシイタケホウレン草、あと特売で3パック買ってきた卵・・・。
頬をふくらませて不服の意を表明する桂を邪険にする手が止まった。

「何だ」
「・・・ヅラ、お前まだアレ作れる?油揚げン中に卵いれて煮たやつ」
「ヅラじゃない桂だ。巾着玉子か?そういえば貴様アレ好きだったな。卵があるならそれにしよう」
「卵はやたらあるわ。あと何だっけ。ニンジンとシイタケ?」
「ああ。別に、何でもいいんだ。タケノコでも大根でも。おっ人参と椎茸あるじゃん」
「テメッ人んちの冷蔵庫勝手に開けてんじゃねェ!」
「ホウレン草もあるな、これも茹でるか」

桂は既に一緒に作る気になっているのかずかずかと台所に入っていって、卵とニンジンとシイタケを取り出した。それに渋々付いていくフリをして、袋いっぱいの油揚げを持っていく。こんなに沢山、到底食べきれるような量じゃない。けれど今ならいくらあったって神楽の腹に収まるし、呼べば新八もお妙も来るだろうし、何だったらババアもいるし、
・・・もう一度供えに行ったっていい。今度は安心させてやれるだろう。
ざふざぶとまな板と野菜を洗って、トントンと軽快な音のするのを聞きながら、大きな鍋など引っ張り出している。油揚げをつき破らないように慎重に包丁をいれて、卵が溢れないように気をつかいながら、2人して指先を油まみれにして。

「醤油と砂糖だっけ?」
「みりんだ」
「こんな大量に煮えっかなァ」
「あ、銀時アレ入れ忘れたらダメだぞ」
「エッ!?何かあったっけ」
「フフン、最高の隠し味は愛情だ。ンーまっ」
「鍋に投げキッスすんじゃねェ!カワイくねーんだよ!!!」

くつくつと鍋が煮えていく。甘いみりんと醤油の匂いが立ちのぼって、桂が換気扇を回した。
米を研いでホウレン草を茹でて味噌汁を作っているあいだ、ソワソワと巾着を見つめるのを、桂がまだだぞ銀時と言って笑っている。不服を唱えるように桂の肩に顎を乗せたら、桂の目線から湯気の向こうに小さな影がふたつ見えた気がした。鍋から気をそらせようとするように他愛もない話をしだす桂の声を耳元で聞きながら、両腕を後ろから回して桂に動きにくいと怒られる。
換気扇の隙間から、カンカン、と外の階段を上がってくる音がした。あの硬いブーツの音は、きっと神楽だろう。

「ふふ」
「突然何だよ気味悪ィ」
「お前と料理を作るのは楽しいな」
「・・・あっそう」











【行状記】
















































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