晋ちゃんヅラが晩飯当番ンときには必ず帰ってくるよなー、と銀時が意地悪く笑った。
奥からコトコトと音がする。
おお高杉、夕飯だぞと言って顔を覗かせた桂の後ろから、出汁と味噌の匂いが立ち上ってきた。


【尊かりけりうつせみの】


あれは、まだ少し歩けば汗ばむような夕方だった。
近くの八百屋で青菜を買っている後姿を見かけて、思わず立ち止まった。講武館期待の特待生の立ち寄る場所にはそぐわなかったから。主婦に紛れてあれこれと野菜を選ぶ小さな身体は妙に目立って、また小太郎くん、と話しかけられてはにかむ桂が物珍しかったというのもある。桂は、視線を感じたのかすぐにこちらに気付き、ぱっと顔を上げると「高杉!」と手招きをした。

「良いところに来たな。これを持て」
「やだ小太郎ちゃん、言ってくれればオバちゃんが一緒に買ったのに」
「おイネさんの手を煩わせるわけにはいきません。親父殿、俺とこいつでひとつずつだ」

いきなり手にキュウリの袋を握らされて、何だこりゃ買わねぇぞという間もなく桂は会計を済ませていく。ふと横を見れば、「キュウリ 大特価98円 ※お一人様一袋に限る」と貼ってあった。家の遣いでもしているのだろうか。それにしては桂は控えめな買い物をしている。キュウリ以外。
買い物袋を提げた桂に何となくつられて歩きながら、西日のせいでじわじわと汗ばむ通りを二人して渡った。

「ありがとう高杉。お礼に一本やろう」
「いらねぇ。お前そんなにキュウリ好きなのかよ」
「漬物になるから沢山買っても保存がきくだろ」
「主婦かお前は」
「うん?・・・まぁ、家のことをするという点ではそうだろうな」
「・・・?お前が家のこと全部やってんのか」
「他に誰もいないのだから仕方あるまい」

どうして桂と話すようになったのか、よく覚えていない。
桂は教室も違えば、もしかしたら学年さえ違うのかもしれなくて、知っていたのはただ何をさせてもやたらと優秀なのだという評判と、帰り道が一緒だということくらいだった。桂は放課後に友達と遊ぶこともせずいつも一人で帰っていったので、こちらは特待生なぞというものは遊ぶ間も惜しんで勉強でもしているのかと思ったし、桂は桂で、やはり友達と遊ぶでもなく一人でぶらぶらしている俺を寂しい奴かと思っただろう。暇を潰している神社が桂のいつもの通り道だったせいもあるのか。世話焼きの桂はいつから気にしていたのか、面識など無かった筈であるにも関わらず、いつの間にか夜回り先生よろしく不貞腐れている俺を回収しにくるようになったのだった。
母親は、と、聞こうとして飲み込んだ。片親の家などいくらもある。けれど桂の口ぶりは、片親どころかまるで一人で暮らしているみたいだ。家族皆から愛されて、将来を期待されている優等生。桂をそんなふうに見立てていた予想は隣を歩く横顔からブレはじめて、輪郭を取り戻そうと思ったころには知らずのうちに桂の家まで歩いていた。

桂の家は小さな平屋だった。もう随分古いように見えたが、こざっぱりとして清潔が保たれている。

「ついて来なくても良かったのに。まあ折角だから上がれ、もてなしは出来ないが」

玄関に桂のもの以外の下駄はない。誰か来るなどいつぶりかな、と前を歩く桂は少し嬉しそうで、もうすっかりこの家の主人のように見える。囲炉裏の前に俺を座らせると、奥の台所に買ってきた野菜を置いてヤカンに水を汲んだ。

「すまんな、すぐに茶も出せなくて」
「熱い茶ならいらねぇよ、この暑いのに」
「ああ、今日は暑いな。水でいいか」
「桂、お前ひとりで住んでんのか」
「ああ」
「・・・」
「別に寂しくはないぞ。お婆も来てくれるし」

何と声をかければいいのかわからなくて、まごついていたら桂がさりげなく助け舟を出した。気を遣わせたかったわけではないのに。ふ、と大人びた笑い方をしてみせた。環境に恵まれた優等生の幻影はとっくに桂の前から剥がれ落ちて、逞しく生活する少年の口の端に美しい脆さを見せた。桂を綺麗だと思ったのはこのときが初めてで、自分でも持て余しそうなそんな感想は意識をして頭の隅へ追いやった。それで、様子を見に来るくらいなら一緒に住めばいいのにと、見ず知らずの婆さんに反感を持ったりする。
ガサッ、と買い物袋の中で野菜が崩れる音がした。

「・・・あれ、一人で食うのか」
「別に一日で食べるわけじゃない」
「わかってる。そうじゃなくて・・・」
「簡単なものなら俺だって作れるんだぞ。でもこれからの時期腐りやすくなるから大変で」

味噌汁が好きなのにどうしても作りすぎてしまって、結局すぐ悪くなるんだと桂が腕を組んで言う。同い年のガキどもが呑気に遊びほうけている合間に、神社で不貞腐れている間に、桂はひとり家の中を整えて、剣を振り、筆をとり、好きな味噌汁が腐ってしまうことを心配する。
そういえば、去年の夏の初めに一度だけ桂が休んだことがある。毎日生真面目に登校してくるのを同じ通りで見ていたから、珍しいなと思って覚えていた。あの時桂は味噌汁がすぐに悪くなることを知ったのだろうか。たった一人、この家で。

「今この家味噌ねぇのかよ」
「あるにはあるが・・・」
「作りすぎるって、どんだけ作るんだ」
「二、三食分くらいかな」
「・・・・・・じゃあ食える」
「え、」

大根さっき買ってたろ、豆腐くらいなら今から買ってくると立ち上がれば、桂が戸惑ったような視線を寄越した。親元へ帰さねばならぬと思う気持ちと、今夜誰かと一緒に食卓を囲めることへの期待とがない交ぜになっているのが見て取れた。
桂の視線をまるで無視するようにして、作ってろと声だけを殊更ぞんざいに聞こえるように投げて寄越した。玄関を開けて、すぐに走り出したのは言うまでもない。だってあんな目をした桂を、それさえ押さえつけようとした桂を、時々来るなんていうだけの婆さんに任せておくわけにはいかないような気がしたのだ。


帰ってみれば家の外から、小さく桂の鼻歌が聞こえた。開けた窓から出汁の匂いがする。
桂の鼻歌なんて初めて聞いた。知らない歌だった。ところどころ忘れている旋律を適当に伸ばして歌っているのは、桂自身そんなふうに浮き立った気持ちでいるのが久しぶりだからだろうかと、いつもの難しい顔を思い出す。さっきのような大人びた美しい顔でない、くしゃくしゃに笑う桂の顔が見てみたくなった。それだって、多分きっと、どうしようもなく綺麗だ。
さっき自分で閉めたばかりの引き戸を呆然と見上げた。今からこの家で桂と飯を食うのだと思うとなんだか不思議な気分だった。別に今まで仲が良かったわけでもないのに、どうしたって突然桂に関わろうとしているのだろう。手元の豆腐とネギが気にかかって、桂の待つこの扉の向こうにこれを持って入るのを誰かに見られやしないかと、わけもわからず緊張した。
カララ、と、意を決して開けた引き戸の音は思いのほか大きくて、さっきからの鼻歌はそれでハッとしたようやに止んでしまった。

障子を開けるころには、桂は大体のものを作ってしまっていた。
白米はふつふつと甘い匂いをさせている。それから漬物と味噌汁。青菜のおひたし。卵焼き。質素ながらこざっぱりとして潔い、この家で桂と飯を食うのにぴったりの夕飯だと思った。

「お帰り」
「ああ」

お帰り、だなんて。桂が。ああ、だって。俺が。
桂が手渡された豆腐とネギを手際よく切っていく。大根と一緒に煮込まれた豆腐がつるんと碗に滑り込んだら、たっぷりとネギをかけてくれた。ほうと立ち上る湯気から香る柔らかい味噌の匂いが、暖かい家庭の幻影を桂の周りに取り巻かせている。
ままごとでもしているみたいだ。子供が二人して、味噌汁なんかよそって。

「そろそろ飯も炊けたか。まだ蒸らしてもいないが」
「蒸らす?・・・いや何でもいい。食おうぜ」
「そうだな。いただきます」
「・・・いただきます」

ままごとだったら良かったが、ままごとだったら付き合わなかった。欠けた茶碗に山と盛られた白飯は少し水っぽかったが、柔らかく喉を通って腹の中にやさしく落ちた。拙い手でよそってくれた飯碗は何か特別なものをもらった気がして、ふくふくとした白い米粒を口に入れたときにはまるで初めて飯を食ったような気がした。ふと隣を見たら桂が静かに味噌汁をすすっていて、しっとりと透き通った大根を恭しく口に運んでいる。
俺が買ってきた豆腐が桂の箸に持ち上げられて、その桃色の小さな口につるんと滑っていった。

「・・・美味い」

桂は微笑んで小さく呟き、箸をゆっくりゆっくり動かして、時間をかけてやっと一杯を飲み干した。おかわりをすくうときに、ちらっとこちらを見て、少しだけ恥ずかしそうにしかめつらを作りながら。
会話が特に弾んだというわけでもないが、桂は一生懸命食べる傍らにも相変わらず世話を焼きたがった。何故か嬉しそうにおかわりは、としゃもじをちらつかせながら言われると、もういいとは言えなくて、結局ふたりして腹が張るまで食べた。食後の茶を出されるころには、ほら、と言って桂が渡してくるものを、ああと恥ずかしげもなく受け取れるようになっていた。
ご馳走さま、と、言ったら桂がお粗末さま、とはにかむ。また飯を食いに来る、と言ったら、桂はちょっと黙ったので、迷惑だったかとたじろいたが、食器を片付ける後姿は喉に詰まったような声でああ、と言った。

桂の婆さんが一昨年の冬に亡くなっていたことは、それから暫くして知った。





結局不貞腐れてぶらつく癖は治らなかった。むしゃくしゃした気持ちのまま夕飯時に帰るのを銀時は笑って、空腹には勝てないよなーとニヤニヤしながら小突いてくる。その向こうから桂がお前ら手伝わんかと怒る声がして、銀時はチェッと嫌そうな顔をしながらも台所に歩いて行った。
ついていくその向こうから銀時と桂の声が聞こえる。また味噌汁かよーたまにはコンソメスープとかしようぜ、うるさい文句があるなら食わせんぞと他愛もない会話だった。ままごとにもならないような。

「高杉が味噌汁がいいって言うんだ」
「エー晋ちゃん和食派?枯れてるゥ」
「うるせぇ」
「せめて豚汁とかさァー」
「おや今日は焼き魚ですか。美味しそうですねぇ」

ひとり、またひとりと食卓に人が集まってくる。きっともう桂はあんなにゆっくり味噌汁を飲むことはないだろう。だから別に、卵スープでもすまし汁でもなんでもいいといえばいい。
それでも桂が台所に立つときは、何となく味噌汁を食べたい気分になるのだから不思議だ。きっと初めてものを食べたような思い出が鮮烈に焼き付いてしまったのだろう。あるいは、あの小さく呟いた桂の微笑みが離れないだけかもしれない。
茶碗がよっつ並べられて、先生がにっこり微笑みながらいただきます、と言う。
いただきます、と桂は言って、ワカメの味噌汁に箸をつけた。
美味い、と今日も小さく呟いたのを、隣で焼き魚の骨を取っている俺だけが聞いている。
























































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