「なんでワタシまでオマエのブチ撒けた墨の後始末しなきゃならないアルか」
「喧嘩両成敗っつってたろィ」
「喧嘩でもないアルあんなの。じゃっ、終わったからワタシは帰るネ。ヅラに手ェ出すなヨ」
「男に手ェ出してどうすんでェ」
「ソッチじゃねーよこのホモが。
・・・忘れるなヨ、ワタシ達がオマエに会わせたのはただの『書道の先生』アル」

そう言って一度振り向いた少女は、真っ赤な夕暮れに同じ色のチャイナ服を溶かして兎のように跳ねていった。ざぱぁ、と流したバケツの中身は、数時間後の空の色をしている。あるいは自分の本来纏うべき色を。

「そりゃ・・・ありがてーや」


【天国はまだ遠い】


昼間に近所でバシャバシャやってた打ち水が、この時間になると空気に充満する。
湿った土の匂いと落ちてくる暑さの残骸、そのあと東のほうからやってくる少しばかりの涼しさの予感が歩くたびにまとわりついてくる。隣の家は、今日はカレーライス。
ガラン、とワザと大きな音を立てて空のバケツを置いた。その音で桂は振り向いて、じゃぶ、と桶の中の氷水から手を引いた。

「終わりましたァー」
「そうか。リーダーはどうした?」
「やるだけやったらサッサと帰りましたぜ。ガキァ堪え性が無くていけねー」
「貴様が言うな。堪え性というのは例えば硯とか投げんことだ」

明らかに前の住人が置いてきました、というカンジの古い桶にはさっきまで扇風機に煽られていた氷が随分小さくなって転がっていた。それに丁度バケツ2杯分くらい張られた水と、少し小ぶりなスイカがごろんと存在をアピールしている。
じゃぶ、と桂はもう一度桶に手を入れて、そのスイカを取り出した。

「賑やかにしていたからか、さっき隣のマダムから頂いてな。リーダーも喜ぶと思ったのだが・・・」
「あれがいたらペロリと食われちまわァ。温くなるんで切っちまいましょう」
「・・・まあ帰ってしまったなら仕方が無いな。じゃあ童、この目隠しを巻いて十回回ってだな」
「妙なオプションいらねーから早く食わせろィ」

やるとは思った。
桂はノリが悪いとか何とかぶつぶつ文句を言いながら勝手口のほうへ歩いて行った。
リーリーリー・・・と、そろそろ夕べの虫たちの声がする。もの悲しげなその音はあまり好きではなかったが、夏の日暮れの匂いや桶の中の冷水の涼やかさとはひどく似つかわしい。
どすんと無造作に縁側に腰を落として、そのままごろりと寝そべった。古い柱が目に入って、僅かに畳の匂いがする。さっきも嗅いだはずのそれらの匂いは、外の空気と混じって知らないものになっていた。

「童、そんなところで寝て風邪を引いても知らんぞ」

しばらくそうして目を閉じていた。そのうちにばたばたと桂が足音を殺しもせずにやってきて、ごとんと何かを置いてこちらを覗き込んでくる。似合わない丸メガネが顔を俯けるせいで今にもずり落ちそうだ。初日にさっそく取れた口ひげに続いてまた騙される口実を失いそうで、桂に眼鏡を押し付けるようにして手を伸ばし、そのまま身体を起こした。

「つまみ食いにしちゃ食いすぎじゃねーですかィ」
「誰がそんな真似をするか!とりあえず半分だ」
「ケチケチしねーで全部切っちまいましょうや」
「水モノなんだから沢山食べるとお腹壊すって言ったでしょ!まったくもォ〜」
「オメーは俺のかーちゃんかィ」

赤い西瓜は先が少しひび割れていて、あまりうまそうには見えない。だが桂はひび割れているほうが旨いのだと言って譲らなかった。しゃぷ、とかじれば瑞々しさより先に絡み付くような甘さが口じゅうに広がって、そうして自分が黙ってしまうのを桂はしてやったりとばかりに笑んでいる。

「大人の言うことは聞くものだ」

たかだか西瓜で、何をえらそうに。だが桂は楽しそうに口にためた種を庭に飛ばしているので、今何を言っても聞きとどけちゃもらえない気がする。

ぴしぴしっ

真似してこちらも種を飛ばすのに、狙いは見事に命中して、間抜けヅラを晒す白い横顔に黒いシミをいくつもつくった。
桂がぎっ、と勢いよくこちらを振り向く。

「貴様、」
「子供の悪戯は許すもんでさ」

しれっと返して、いまだこちらを険しい顔で睨む桂の頬に手を伸ばす。
種を取ってやろうなんて考えたわけじゃない。取るようなそぶりでむしろねりこんでやろうと思っていた。
そうして手が初めて桂の頬に触れるのに、桂が意外そうな顔をしてふと眉間をゆるめたので、
それから、触れたその頬がまるで女の胸のように柔らかだったので、


・・・ジィーーー ・・・・・・


遠くで鳴いていたヒグラシはいつの間にか眠りについて、蝉のか細い声が日暮れに融けた。
手元から熟れた西瓜の甘い匂いと、桂の家の畳の匂いが立ち上ってきて、こんなに不自然な一時停止が、妙に生々しい。

桂は少し困惑したような顔をして、けれどこちらの好きにさせている。


「か、」
「ヅラァー俺お前ンとこに今週のジャンプ置きっぱにしなかったっけ」

かつら、と呼びそうになって。
まるで兄弟の部屋に入るような気安さで玄関開けてやってきた万事屋の旦那に助けられた。ような、激しく邪魔されたような気持ちで慌てて触れた指をスイカの種ごとその頬にねじこんだ。
ああ銀時ちょうど良かったスイカをな、と突然の来訪を諌めるでもなく頬を抉られたまま応じた桂の、その声があまりに何事もないふうだったので、ねじこむ指を一層強くしてやった。









ちなみに隣のマダムは未亡人のおソメさん(78)
この話における真のライバルです














































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