「トシ、御苦労だった。当日は『千代古』を囲んで攘夷浪士の侵入を阻止する。館内の桂はお前と甲岡氏護衛の隊士とでひとまず足止めをしてくれ。お前の指示で俺と一番隊が入ろう」
「ああ、わかった」
「お前のことだから心配はしてないが、気をつけてくれよ」
「近藤さん、任せてくれ」


【あまやかにあつく、 5】


俺と、もう一人指示を受けた吉岡という党員は、名の知れた文筆家と雑誌の取材記者という設定だ。
女給に「センセイはあともう暫くでお見えになります」と通されたこじんまりとした部屋は、隣の鶴の間と襖で仕切られている。政府要人同士の会談にしてはセキュリティが甘いんじゃないかと店のチョイスを疑ったが、どうやら今日の会談はほぼプライベートらしい。内々で約束したために、まさかスケジュールが流出するなどということを疑ってはいないのだろう。そんな情報を桂の組織はどこからか嗅ぎ取ってくるのだから、やはりあの無防備なヒマ人の顔に騙されてはいけない。
暫く待ったが、吉岡という党員はやってこない。隊士たちにはあの男を見逃すよう言っておいたのに。
訝しく思うそばから隣の鶴の間に数人が入ってくる音がして、俺の意識はすぐにそちらへ持っていかれた。
部屋の中に、三人。徳川の甲岡と一橋の乙野、それから案内の女給。声からして、桂ではない。それから部屋の外に護衛が二人。
女給が出て行って、お部屋を担当致します市川と申します・・・と別の女給が入ってきた。桂だ。
襖に耳をそばだてて、刀をいつでも抜けるように構える。
暫くは、酒と食事で和やかに会話がなされ、会談は穏やかに過ぎていった。両人とも酒をよく飲むらしい。プライベートにしては特に仲が良いわけでもなさそうだが、ぎすぎすしているわけでもない。いたって表面的な、政治的な食事会だ。
桂が何度か出入りし、料理と酒を運んでくる。頃合いをうがっているのだろう。桂の気配に集中すると落ち着き払っているようで、注意深く二人の動きを追っている。
桂は、一緒にいる乙野も殺すつもりだろうか。徳川だろうが一橋だろうが幕府は幕府、生かしておく理由も特にない。桂一派の首謀だと特定されるリスクを考えれば、どうせ誰も把握しないプライベートな場だ、消してしまうのが好都合だ。俺ならそうする。
だが、それは桂のやり方だろうか。ずっと巣食っている違和感。乙野の処理だけじゃない。甲岡のことだって、将軍ならまだしも地位に変動のありうる部下たちを、それもわざわざ一人を狙い打って暗殺するような真似を桂は―――・・・

ふと、煙の匂いが鼻を突いた。厨房からかと思ったのだが、どうも下の階が騒がしい。まさか党員の誰かが放火の指示でも受けていたのか。馬鹿な、ここにはまだ桂もいるのに?大体桂なら料亭ごと焼くなんて真似をするはずが、

「おお、火もついたようだ。甲岡殿、貴殿にはここで攘夷浪士どもに殺されてもらおう」

襖の奥からどっと殺意が沸いた。
スパン!

ガキィンッ!

振り下ろされた男の刃は、俺と桂の交叉した刃の間に落ちて止まった。
鶴の間の入り口に立っていた護衛は既に伏して動かなくなっていた。桂は女給の変装を既に解いて、眼前でぶるぶると腕を震わせ後ろを見れなくなっている男の月代を冷やかに見つめている。

「土方、見ていただろうな」

刃の位置をずらして俺の刀が外れるように仕向けてくる。俺が刀身を収めて腰を抜かす甲岡へ駆け寄ると、甲岡はひっと小さく呻いて身を竦めた。甲岡殿ご安心ください、真選組ですと声をかけたらやっと安心したようで、その瞬間崩れ落ちるように気絶してしまった。
その身体を支えて顔を上げたら、桂はまだ男の刃を止めている。とはいえ、この後に及んでこの男に甲岡を斬ろうという気があるのではなく、ただ恐怖と緊張のあまり腕が硬直して動かないだけのようだ。

「・・・乙野殿、何故」
「ぐぅっ・・・」

乙野の刃の届かないところまで俺が甲岡を移動させるのを確認したあと、桂はコツンと乙野の刀を落としてみせた。握るものがなくなってやっと体の硬直が解けたのか、乙野は反復横跳びの要領でやおら後ろに飛び退くと、忌々しげな目をこちらに寄越してくる。俺としても、乙野が甲岡を殺そうとしたことは分かったがそれ以上事態が呑み込めないので、これ以上はかける言葉が見つからない。
火は消し止められるどころか勢いづいているようで、いよいよ本格的に二階を燃やし始めた。古式ゆかしい木造の料亭は、一階の階段に近い部屋から勢いを増して燃えていく。
炎よりも確実にぱしんと緊張を破いたのは、やはり桂だった。

「乙野、そこで甲岡を抱えているのは真選組の副長・土方十四郎殿だ。どういうことか、わかるな」
「・・・桂小太郎か。まさか貴様らに癒着があったとはな」
「なに、貴様らのおかげだ。攘夷浪士の暗殺計画などと吹聴して真選組を動かそうとしたものだから、こやつらは実に真面目に俺のところに潜入してきてな。折角だから連れてきた」
「・・・。何故貴様ら攘夷浪士が邪魔をする。倒幕の理想よりも名前を利用された怒りが大事か」
「ふん。貴様と違って俺の倒幕は皆殺しではないのだ。御側御用取次の職には貴様ら一橋よりもこの男のほうがまだマシと判断したまでのこと」
「そのせいでこの男は攘夷浪士と密通しているなどと言われて失脚させられるやもしれんなあ」
「心配には及ばん。知ってはいようがこの男貴様と違って幕内では随分人望が厚いようでな。失脚させるのも一苦労だろうよ。何せ証拠をあげつらおうにも我々は誰一人この男と面識がない。パイプがあるなら貴殿に作っていただきたいほどだ」
「・・・形だけの攘夷浪士ならばいくらでも」
「そのときは本物の攘夷志士が天誅を下す」

ふたりの会話が静かに流れていくのと裏腹に、火はいよいよ鶴の間を取り巻きだした。襖が燃え、畳がぶすぶすと不穏な音を立てていく。煙を吸わないように甲岡の口にハンカチを押しやっているうちに、副長!といくつか声がして、隊士が二、三人転がり込んできた。
人の気配に俺と桂の注意は一瞬逸れた。それを狙っていたかのように、乙野は火勢の強い階段側の部屋へ燃える襖を破って逃げ込んだ。

「ちっ」

桂はまだ言いたいことでもあったのか、乙野を始末するつもりなのか、乙野を追って寄せてくる火の波に呑まれていった。

どうして。
どうして俺にこんなものを見せたのか。
一橋の動きを徳川以上に嫌がっているのは何故だ。
俺は結局桂の手のひらで泳がされていたのか。
お前が火をつけたのか。
どうしてお前はやっぱり一人で火の中に飛び込んで行っちまうんだ!

ぐわっと血が沸いて得体のしれない熱が頭に上った。あるいは煙のせいかもしれない。呼吸がうまくできなくて、もう駆けて行ったあの青い背中しか見えない。

「桂!!」

甲岡を隊士に任せて、俺は燃え盛る火の中へ飛び込んでいった。
















 

















































「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -