瞳は静かに凪いだ湖畔のようで、そのくせ瞬きひとつ見逃してはならないような緊張感に満ちていた。
指示を出す指の先まで意思が通っているような、相手の背を伸ばさせる佇まい。
芯の通った背中は涼しげで、風に揺れる裾まで計算されたようなできすぎた姿に目が吊られていく。

ここ一週間ほど、大真面目にバカをやるきりっとした、それでいて緊張感のない顔やら、
得意げに笑う顔やらムカつくしたり顔やら、そんなものばかり見てきた記憶をがらりと覆すような。


【あまやかにあつく、 3】


その日は桂のバイトが終わるのを見計らって迎えに行った。
店の裏口から出てきた桂は待ち構えていた党員に呼び止められて、何やら話しだす。その雰囲気が常とは違い、きぃんと氷の鐘を打つような静寂と近寄りがたさを感じて、俺は思わず足を止めてしまった。尤もそれは長くは続かず、桂は弥勒のような洗練された指づかいで流れるように党員に指示を出すと、ついと俺のほうを見た。破顔一笑。それぎりあの近寄りがたさは消えてしまった。

「おお、トッシー。待たせたな、すまない」
「い、イエ・・・。桂、さん、その、何かあったでござるか」
「いや、大したことではないのだ。また会合の折にでも皆に話すだろうよ」

あんな姿を見せておいて、「大したことはない」はずはない。少なくとも、求人バイトや老舗の蕎麦屋の話題なんかじゃなかったはずだ。
桂に気づかれて、思わずどぎまぎとどもってしまったのが情けない。ちったあ立派な党首の顔を見せてくれと思っていたのは確かに俺だ。けれどこれは。近寄りがたい、上に立つ者の顔。それに立ち竦んでいた直後の、一笑。
今までいくつも危ない橋を渡ってきた。心臓に悪いぜと思いながらギリギリで応戦したこともある。正直、それに近いものがあった。鼓動で視界が揺れるなんて。
桂は俺のほうなど気にもとめずに俺の少し前を歩いていく。

「あっおねぇ・・・おにいちゃん!」
「ん、てる彦くんか。お使いか?えらいな」
「へへっ、母ちゃんが二日酔いでヘバってるからね」
「西郷殿ほどの豪の者が珍しいな。お大事にと伝えてくれ」
「うん!」

「あら桂さん、イケメン連れてぇ」
「おミツさん。新入りのトッシーだ」
「おや桂さん、こないだ言ってたアレできたよ」
「マジでか親父殿。明日にでも伺おう」
「桂さん、こないだアンタの連れが作ってったツケなんだけど」
「まだ払ってないのか銀時ィィィ!請求書は万事屋に送ってください」

大通りを歩いていると、桂はちらほらと声をかけられる。ガキから老婆まで、指名手配犯とは思えない馴染みっぷりだ。
攘夷浪士に対する市井の反応は一様ではない。
先の戦を経験した者もいれば、天人の傀儡政権を苦々しく思う者もいる。一方で、攘夷を語って悪さをするチンピラの被害者や、過激派のテロに巻き込まれた者の遺族も。
桂は江戸に流れてきた当初こそテロをいくつも企てるような過激派だったが、ある時期から民間人に危険が及ぶようなテロ活動をしなくなった。今や桂が穏健派と言われる所以で、そのためか市井の評判も桂の攘夷党ばかりは庇うような口調が多い。
子供や老婆に、桂が向ける眼差しは優しい。
捨て身のテロリストがこんな目をするようになるまで、桂に何があったのかはわからないが。

「トッシー?どうした」

ぼうっとしていた俺に桂は気づいて声をかけた。
あの天パのせいか。それともあの白いのか。あるいは、高杉の一派に何かされたのか。
桂の中の煮え立つ攘夷心を変えたのは、そうまで桂を変えたのは、誰だ。

「桂・・・さんは、」

張り込み捜査をする場合、相手に恋をするように観察しろという。
潜入捜査をする場合、相手に私情を抱くなという。
潜入捜査でもあり張り込み捜査でもある場合・・・観察に必要なぶんだけ近づいて、あとは慎重に距離をとって、決して相手自身に興味など持たず、

「攘夷を為すために民間人の犠牲もやむなしとは思わないんですか」

興味などを、待たず、捜査が終われば直ぐにそれを忘れることだ。
私情を持てば迷いがでる。まして桂のような強い求心力を持つ相手ならばなおのこと、それに惹かれるようなことがあってはならない。
桂は、暫く無言で俺を見ていた。

「・・・ここには、少々長く居すぎてな」

ぽつり、と零れた桂の低い声に顔を上げたら、落ちる夕日が肩にかかって、桂の頬を照れくさそうに染めていた。

「全てを壊すつもりならば高杉のようにさっさと出て行ってしまうべきだったろうよ。俺はちょっとしくじってな。しがらみを色々作ってしまった。壊したいはずのものを、・・・それでも性懲りなく抱え込んで守ると言い出した奴もいるし」

「おかげで舵取りが大変でな。描く絵が美しければ美しいほど理想は理想然とする。それが現実になることを逆に誰もが信じられなくなるのだ。だがしかし」

足を止めてしまった俺を促すように、桂はまたくるりと踵を返して歩き出した。
長い日がゆっくりと落ちてきて、通りの向こうからは焦がした魚の匂いが漂ってくる。
カラコロと下駄を鳴らして銭湯へ駆けていく子供らに、すれ違いざま桂はまたあの優しい目をしてみせた。

「・・・まあ、それをするのが我々革命家だからな」


夕日をたっぷりと浴びて、歩く桂は日の出に向かうようだった。
華奢な影がすうとまっすぐに伸びて、その瞬間、その影を連ねてどこまでもこの背に付いていきたいと、

(・・・こりゃあ、ウチの組のなかに適任はいねェ)

近藤さんの背中を見た日を思い出していた。
逞しいその背は勢いと温かみに溢れていて、自信と尊厳に満ちた桂の背とは少し違う。
けれどきっと近藤さんに惹かれた者は、同じくらいの強さでもって桂にも惹かれてしまうだろう。

俺にも近藤さん以来のことだ。
その瞬間、その影を連ねてどこまでもこの背に付いていきたいと、確かに思っていた。

























「そろそろ頃合だな」
『桂さん、ホントに連れていくんですか』
「何のために今まで囲ってきたと思っている。精々役に立ってもらわねば」


「・・・エリザベスよ、罪を人に擦り付けるなぞというのは悪いことだな」
『そうですね』








 




































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