※10000HIT御礼企画、リクエスト【3Z、銀八・桂・土方の三角関係】


ガコン、と落ちたらしゅわ、という音さえ聞こえた気がした。
白い腕が半袖から伸びて缶を拾い上げる。水滴がその手首を湿らせる。
フェンスの向こうからは野球部員のかけ声。遠くで聞こえるプールの水音。被さるようにトランペット。競うような蝉しぐれ。
彼のいるここだけは、何からも切り離されたように静かだ。

「・・・買わないのか?」

また、しゅわ、と弾けた。



桂小太郎について、知っていることはそう多くない。
同じクラスの、隣の席。真面目で成績優秀だが、品行怪奇。電波だ何だと囃されながらも人を惹きつける性質らしく、何をやってもよく目立つ。白い変なペットを連れている。
伸びた背筋と、長い黒髪が、綺麗だ。

「おい、土方。俺はもう済んだぞ」
「あ、ああ」

半分外になっているような渡り廊下の隅に、赤い自販機がある。手頃な紙パック入りの飲み物が売っていないのと購買から離れているのとで、あまりここを使う生徒は多くない。たまに、購買には売っていない炭酸飲料を買いにくる奴がいるくらいだ。こんなふうに。
今日は暑かったから、サイダーが飲みたくなった。そんな気分を隣の席で密かに共有していたのか、桂の手には白いサイダー缶。少年たち夏の定番・OIWA印の四谷サイダー。ちなみに今知ったことだが、それが最後の1本だ。

「もしかして貴様もサイダー買いに来たのか?」
「・・・いや、まあコーラでも」
「仕方ないな譲ってやろう。まあ、俺は別にサイダーが飲みたかったわけじゃないんだ」
「間違えたのか?」
「いや、昨日スーパーでラムネを見てな・・・それがプラスチック容器だったのが何かショックで」
「最近大体そうだろ」
「わかっている!でももう無いのかと思うとガラス瓶が恋しくなるだろう!そんなことを今日までずっと考えていたらなんかラムネが飲みたくなって」

じゃあそのスーパーでラムネ買えよ。
喉元までツッコミが出かかったが、つまり桂はプラスチックのラムネを認めたくないらしい。中身が一緒でも容器が違えばサイダーになるように、ガラス瓶でなければラムネという気がしないのだろうか。まあ、その無駄極まりない反骨精神は分からないではない。大体が男子高校生から「無駄」と「過剰」をとったら何も残りやしないのだ。
桂から缶を渡される、その下で柔らかな指が触れた。
しゅわ、とまた音がした気がした。
髪が靡いてさらりと揺れる。毎日のように校則違反だとがみがみ言わなきゃならないせいで、桂とそれ以上の話ができない。学生服を着崩すこともしないこいつが断固として譲らない長髪は、そこしか違反がないので攻撃を逸らせない。分かってくれ。俺だってホントにその綺麗な髪を切っちまえなんて思ってるわけじゃないんだ。

「じゃあこのぶんは近所の駄菓子屋でラムネ奢ってやるよ。あそこガラス瓶だから」
「マジでか!ありがとう土方」
「・・・これから行くか?」
「俺は構わんが・・・貴様古文の課題出してないだろう。もう出来ているならまとめて持っていくが」
「あ、・・・すまねェまだだ」
「では自分で提出しに行けよ。しかし珍しいな」
「範囲聞き逃したから聞いたんだけどよ・・・総悟のやつ間違って教えやがって」
「・・・まあ、いずれはやるところだ」

涼しい風が抜けて、またその髪を散らした。
本当はいつも探している。よく似合っている、と、言ってもいいタイミングを。誰もいないこの場所なら、そんな幸運も巡るだろうか。
風紀委員がこんなに葛藤するというのに、何でもないふうで担任の国語教師は毎日毎日髪を切れと言って桂をいじる。ホントに切っちまったらどうする、と隣で内心気を揉んでいることなど、きっと想像もできないのだろう。
いじるのは頼み事の前振りになっていて、いつの間にか桂は国語の教科係のようになってしまった。放課後になると毎日のように、課題をクラスぶん集めて持っていく。今日もまた。
隣をするりと抜けていった彼は、こちらを振り向きもせず校舎に吸い込まれていってしまった。
あっという間に残されて、ぷし、とひとり手元のプルタブを開ける。

ジョワジョワジョワ・・・
おいレフト何やってんだー・・・ピーッぱしゃんぱしゃん・・・プワーーーー・・・
ジョワジョワジョワ・・・

夢から目が覚めるように、喧騒が戻ってきた。






昼の癖に薄暗い高校の廊下は、白いタイルが無機質に浮かんで不気味だ。
どこか埃臭い湿った空気、生徒を威嚇するように閉まった特別教室のすすけた扉はそれぞれが秘密を隠しているようで、そこで蠢いている「センセイ」を得体の知れないものにする。
不健康だ、と思う。青少年の裏の葛藤を一身に詰め込んだような暗い廊下は、じっとりとした不健全さに満ちている。
階段を上がって右、教室が途切れた突きあたりの国語準備室。黴と煙草の匂いの混じった教師の棲家は、生徒の知らない大人の顔をしている。
この中にいま、桂がいる。それは蜘蛛の糸に搦め捕られた羽虫を見るようであり、けれどその不健全さは妙な色気を与えもするようで、扉を引く手を躊躇わせた。

ガラッ!

「・・・桂!?」

目が合った。一瞬だけ交差したそれは驚いたように絡まって、すぐに大粒の涙とともに振り払われた。あとには、ぱたぱた・・・と上履きの駆ける音の残響と、薄暗い埃っぽさばかり。
部屋の主は出てこなかった。
傷ついた背中が階段の下に消えていく。生温い風が、舐めるように準備室から流れてきた。
踏み込む先でばたばたと薄汚れたカーテンが鳴いている。ノートが積まれた机に頬づえをついて採点をしている銀髪が靡く。

「ん、あとオマエだけだぞ土方ー」
「・・・・・・泣かせたのか」

ゆら、と濁った朱い瞳がこちらを向いた。
不健康を繭にしたような薄暗い白い部屋の外で、ジョワジョワと蝉の声が遠く聞こえる。
ピー・・・とプールサイドのホイッスルが風に乗って細く靡いた。
溌剌とした真夏の空気は、この鉄筋コンクリートの一部屋にむわりと澱んでたゆたっている。
こんなところに桂がいたのだ。こんなところに。

「・・・優しくしたつもりなんだけどね」
「テメェ何しやがった!」
「何にもしてねーよ。生徒に何かしちゃマズいでしょ」
「・・・」
「・・・・・・そのうちわかるよ、アイツもさ」

ごくろーさん、と動けない右手からノートを受け取り、銀八はそれを積まれた山のてっぺんに重ねた。
ふー、と吐き出される煙草の煙が、ここが学校だということを忘れさせてしまいそうになる。空き教室で練習をしているフルートが廊下に響いて、この空間との距離を何とか保たせようとしていた。
不健全だ。
何もかもが不快だった。埃っぽい部屋の匂いも、知らない煙草も、纏わりつく生温い風も。ちらちらと揺れる銀色の癖毛も。毎日切れといじられても桂が強情に髪を切らない、その理由も。
胃液がこみ上げるような苦々しさを感じていた。寄せた眉根を隠しもせずに踵を返したら、背中を間延びした声が追ってきた。

「いーこと教えてやろうか」
「・・・何だと」
「アイツさ、俺に惚れてるみたいなんだよね」
「それのどこがいいことなんだよ」
「こー見えても教師だからね、卒業するまで手は出さないよ。ま、それまでがチャンスってこった」
「・・・は・・・何でンなことわざわざ俺に言うんだ」

肩越しに振り向いたその目に銀八の顔は映らなかった。
遠い青春を顧みるように窓の向こうをぼんやり眺めている。ばたばた揺れるカーテンと彼の白衣、それからくゆる煙がその表情を覆い隠して、言葉の色だけをくっきり浮かび上がらせた。
今ならわかる。この男も本当は、桂に髪など切ってほしくないのだ。髪を切れと言って桂がそれを切らずにいる、桂が自分の言葉を待っている毎日が続くかどうかを一方的に試している。そういう狡さと臆病さが桂を傷つけることを知りながら、試さずにいられない。今もこんなふうにして。

「・・・後悔するぜ」

捨て台詞ひとつ、小さく呟いたかもしれない返答など聞かないままに飛び出した。
不健全だ。不健康だ。あんな狡い大人に惚れたっていいことなんざありゃしない。
こんな黴臭いところにいるからだ。なあ早く太陽の下に行こう。自転車飛ばして、ガラス瓶のラムネを飲み干して、ビー玉取り出すのに苦戦しよう。そうだ、来月の花火大会は一緒に行かないか。引退試合が終わったら、受験生らしく図書館デートもいいさ。1日1本、どっちが先にゴリゴリ君のアタリ出せるか競争しようぜ。チャイナがクラスの皆でやりたがってるバーベキュー、お前も来るだろ。夜はちょっと抜け出して、散歩でも付き合ってくれないか。抱きしめるのは勇気がいるから。
無駄な足掻きか?過剰な期待か?上等だ、俺だって男子高校生だ。それを取ったら何も残らない。
そして、そんな無駄も過剰も大人になったあの男にはもう、持てない。
だからあんな繭のなかに踏み込んでいくのはやめろ。俺に、お前の髪はすごく似合ってるって、言わせてくれ。

細い背中に、昇降口で追いついた。伸びた背筋はまるで雨に打たれたように痛々しかったけれど。

「桂!!」

外に出るなら一緒に行こうぜ。野球部がやかましくて、プールの水音が涼しげで、クラリネットの音が合ってなくてそれさえかき消すような蝉しぐれの中に。男子高校生同士、無駄で過剰な極彩色の思春期を楽しもうじゃねぇか。雨に打たれたみたいなその背中は、夏の太陽に乾かしてもらえ。

「行こうぜ、今から」
「土方・・・、どこに」
「ラムネ、奢ってやる」


しゅわ、と弾ける甘い青春、お前と一緒に痺れたい!








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