扉を引いたら埃臭くて、古い和室の匂いがした。
しゅ、しゅ、と布擦れの音がする。滲むようなかすかな血の匂いも。
足音も殺さずどすどすと歩いたら、ギィギィと痛んだ廊下が鳴いた。

「・・・銀時、ぴんぽんくらい鳴らせ」

渡った先の小さな八畳間に、桂は身体じゅうの傷も知らぬように座っている。



【二十過ぎれば、】


お前の家のインターホンはいつも壊れている、と銀時が文句を言えば、桂はそうだっけととぼけた。追われれば着の身着のまま飛び出てしまう桂にとって、仮の宿りのインターホン事情など気にも留めぬ事項なのだろう。そうだと知っているから、銀時は桂の家のインターホンなど鳴らしてみたことはない。そのくせこうして文句を言うふりをするのは、律儀な桂はいちいちインターホンを鳴らさぬことを咎めてみせるからで、そうしてくれれば、適度な軽口から会話の切欠を掴めるからだ。
しゅるしゅると真っ白い包帯が引かれていく。
桂の肌に無数に走る赤黒い切創は、こんな時でもなければ陶磁器のような白い肌に映えて綺麗だ。
久しぶりに見た、と銀時は思って、忌々しく思う癖に目が離せない。離せないが、銀時はこんなとき桂にどう話しかけていいものか、毎回分からなくなる。
日頃桂を追いかけている武装警察が、こんな傷を桂につけることはない。何かのっぴきならぬ事態が動いていたのだろうと銀時は予想をつけたが、確認することはしなかった。できなかった、ともいう。

「銀時、どうせなら突っ立ってないで手伝ってくれ。背中はやりにくくて」
「あのバケモン今日はいねーの」
「バケモンじゃないエリザベスだ。あいつは俺よりちと悪くしてな・・・休養させている」
「・・・あっそ」
「ホラ早くコレ巻いて。俺は今日誕生日なんだ、折角来たんだからサービスしていけ」
「祝いの強請りもここまでくるといっそ清々しいな!」

昼間でも薄暗い和室に桂の白い背がぼんやりと浮かぶ。陽の光を受けて雪洞のように明かりを入れる障子の影が、その背に格子型の痕をつけた。
誕生日だから、なんて。そんな理由をつけなくても包帯くらい巻いてやるのに。
膝を付いたら血の匂いが濃くなった。銀時にはよく馴染んだ匂いだ。血なんて誰でも同じ匂いがするに決まっているのに、桂の血の匂いなら分かりそうな気がしている。

今日が誕生日だと話す桂を祝う気がないではない。
子供のころにお誕生会の礼儀をこれでもかと叩きこんだ銀時と桂だったが、松陽が連れていかれた後は互いに祝いなどしなかった。それでも誕生日がいつかはちゃんと覚えていて、その日は決して1人にはしなかった。お互い何も、口にはしなかったけれど。
特に戦時中など、日付感覚も危うい毎日だったのによく覚えていたと銀時は思う。よく生きていた、と抱き締め合う日常では、生まれた日を意識するなというほうが却って難しかったのかもしれない。
銀時の戦争が終わっても、今日が桂の誕生日だと銀時はちゃんと覚えている。だからこうしてやってきたのに。

「よくまあ飽きずにこんなボロボロんなるよな」
「貴様にだけは言われたくない」
「・・・お前さ、」
「うん?」
「こんなに痛ぇんならもう死にたいって思ったことねーの」
「・・・無いといえば嘘になるが、肚は括った」

俺に生き延びる覚悟をさせたのはお前だ、と桂は背の向こうで笑った。
桂の背を抱き込むように腕を回して、銀時は慣れた手つきで包帯を巻いていく。
真っ白な包帯が、巻いたそばからじわりと赤く染みを作った。

「なんで」
「うん?なんでって言われても・・・やはりこの国の夜明けを見るまでは死ねん」

この国の行く末を。理想に殉じて散っていった仲間たちへ報いる途を。
いつも通りそう答えたら、いつも通りあっそうと気のない返事が返ってくる。
こんな妙な質問をされることが、1度や2度ではない。
あまりそういった話題には触れたがらない男である筈なのに、手を変え品を変えて、死にたくないと思う理由を聞かれ続けている。あんまりそんな妙なことを聞くものだから、桂は何か銀時が正解を用意しているのではないかという気がしている。
昔も今も最後の最後は、仲間のもとに帰りたいから、と、そんなシンプルなことしか考えてはいないのだが、桂のなかのどこか強情な部分が、何故だかその一言を銀時にだけは言えずにいる。

「ほい」
「ありがとう。やはりお前は上手いな」
「オマエが下手すぎんの。右腕既にヨレてんだろーが」

この際だからと右腕の包帯を解いて巻きなおすのを、桂は小さく笑って見ていた。「誕生日」の「サービス」だと、まさか本気で思っているはずはないが、少し嬉しそうな色の滲むそれに銀時は胸中で溜息をつく。
確かに桂の誕生日は今日だけれど、本当に銀時が待っているのは今日ではないのだ。

「オマエにしちゃ随分やられたな」
「フン、まあそれ以上の収穫はあったさ」
「・・・ヨカッタネー」

日本の夜明けを見るまでは。
そう言って桂は銀時が終わらせた戦争のなかをまだ走り続けている。
幼い頃、神童と呼ばれた桂は何をさせても頭ひとつ抜けていた。剣でこそ桂に負けたことのない銀時だが、勉強などお構いなしで打ち合いばかりしていた銀時や高杉と違って、学を修め先を見通す目を磨いた桂が2人に引けをとらず打ってくるのは恐ろしくさえあった。
その才覚はとどまることを知らず、桂の周りに人は絶えない。清濁併せ呑みながらも流れに呑まれることがない。銀時は桂をクソ真面目だカッチカチだと揶揄するが、その実桂の柔軟性を誰よりよく知っている。
この細い鶴首に、若竹の背に、琥珀の瞳に、国を導く夜明けの光が宿っている。

(・・・十で神童十五で才子、)

二十過ぎればただの人。
十歳のころ神童で、十五歳のころ才子であった桂は、もう二十歳などとうに超えたのにまだ「ただの人」になれない。
美しい理想がある。理想の叶わぬ世の中がある。桂を求める人々がいる。それが桂に二十の境を越えさせない。
二十過ぎればただの人。
神童と持て囃されても育てば大したことはない、と意地悪を言うだけの昔の諺ではない。少なくとも銀時にとっては。神童も大人になればただの人として平凡に暮らしていける、そんな世の中が理想的だ。国の未来など憂う理由も、革命の剣などとる必要もなく。
その理想のために桂が才子のまま戦場を駆けていることも、歴史がそうして動かされてきたことも、分かってはいるけれど。

「銀時、ちょっと痛いぞ。血圧でも図る気か」
「おー1回図ってもらえ。オマエの寝起きの良さって高血圧かもよ」
「夜中に踏み込まれるのにぐーすか寝ていられるか!」

桂の理想も、そのための歩みも否定する気はない。曲がるようなら責任もって叩き斬るつもりでいるが、桂は絶対に曲がらないと確信しているからそんなことも言えるのだ。
今日は桂の誕生日で、そのことを銀時はちゃんと覚えているけれど、本当に祝いたいのは桂の二十歳の誕生日だ。
お互いバラバラの方向を見ているような気がしていたけれど。桂の背中越しに同じものを見ている、と、最近になって銀時は思う。桂が理想を成し遂げて、「ただの人」になったとき。その日をずっと待っている。それまでは、ただの桂小太郎になれない6月26日に、何も言わずに傍にいる。

「ハイ終わり。で、この家酒ある?」
「おいまさか酒タカりに来たのではないだろうな。無いぞそんなもん」
「チッ、しょーがねぇな買ってくるわ」
「・・・・・・ああ、そうしてくれ」


そのときまでに銀時の望む答えに気づくだろうか。
そのときこそ桂は言ってくれるだろうか。
「銀時が泣いてしまうから、まだ死にたくないな」と、シンプルな正解を。









































































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