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彼女のことを、わたしはよく知りませんでした。知らないままで、幸せでした。

わたしの心の中に潜む悪魔のような感情の存在を認めることはできませんでした。けれどその感情は放っておいて収まるものではなく、むしろどんどん大きく育っていきました。「どうして彼女はわたしのことをすきになってくれないんだろう」「どうして彼女はわたし以外の何かを愛しているんだろう」「どうして彼女はわたしだけを見てくれないんだろう」悪夢でもみているようでした。みんながトレーニングに励んでいるとき、みんなの食事を用意しているとき、ゴミ捨て、水やり、就寝前、洗面台、何気ない会話の最中でさえ、わたしは平気な顔でこんなにも恐ろしいことを考えているのです。彼女のことを、わたしはよく知りませんでした。知っているのは、名前と、性別と、それ以外を少しだけ。そのほかのことは、知らないままで幸せでした。知らないままでいたかったから、わたしは何も聞きませんでした。わたしの苦しみは彼女の苦しみで、彼女の痛みはわたしの痛み。彼女の優しさはわたしの憂いとなって、彼女の憂いはわたしの感情を壊死させる。お互いを知れば依存し依存され、お互いを損ない合ってしまうことくらい、言葉を交わさなくてもわかっていました。そんなふうになりたくなかったので、わたしは何も聞かなかったのです。そしてそれは彼女も同じだったように思います。似たような、ほの暗い何かを胸に抱えていることをお互いの瞳に理解し合ったのです。