天才少女の憂鬱
5月下旬のある日、学校が終わった私やはるか達は、みちるの希望で会員制スポーツセンターの最上階にある、屋内プールへと来ていた。みちるは水着へと着替え、私とはるかは制服のまま、靴下だけを脱ぎ、プールの中へと足を運んだ。


「わー…他にお客さん、誰もいないや…。貸し切りだね!」

「ふふ…そうね。」


私の言葉にみちるは小さく笑うと、優しく私の頭を撫でてくれた。そんな、みちるに大人しく頭を撫でられている私に、はるかが問い掛けた。


「夏希は、本当に泳がなくてもよかったのか?」

「うん、いいの!今日はそんな気分じゃないし、第一水着持って来てないし…」


私ははるかの問い掛けに、小さく苦笑を漏らしつつそう答えた。


「水着なら、下で買えただろ…」

「だって、スポーツセンターに売ってる水着って言ったら、競泳用か、フィットネス用の水着しかないじゃない…。(はるかが見てるから)そう言うのは嫌なの!それに…その………泳ぐなら、はるかも一緒じゃなきゃ…やだ…」


私は顔を赤く染め、はるかから視線を逸らすと、ギリギリ聞き取れるかどうか位の音量でそう呟いた。


「やれやれ……一体夏希は、どれだけ僕を君の虜にしたら気が済むんだ…?」


私の小さな小さな呟きが聞こえたらしいはるかは、私を思いっきり抱きしめた。ちなみにみちるは、いつもの事だと少し呆れた表情を見せ、準備体操を終えるとそうそうに水の中へと入って行った。

はるかに抱きしめられた私は、赤かった顔を更に赤くさせると、はるかの言葉に反論した。


「わ、私は別に虜になんて…!は、はるかが勝手になってるだけでしょ…?」

「そりゃそうだけど…僕を虜にするような行動を、いつもいつも無意識に取るのは夏希だろ?」

「そ、そんなの知らない!」

「あ、おい!待てよ、夏希!」


恥ずかしさのあまり、はるかの腕の中から逃げ出した私は、追い掛けて来るはるかから逃げる為に暫くプールサイドを走り回った後、プールを飛び出し、ジャンプ台の上へと逃げ込んだ。しかし、暫くして同じくジャンプ台の上へと上がって来たはるかに、逃げ場のない私は、あっさりと捕まり、再びはるかの腕の中へと閉じ込められてしまった。

「どうして逃げるんだ…?」

「……だって…はるかが、あんな事言うから…」


そう小さく呟く私に、はるかは口元に優しい笑みを浮かべると、再び私に問い掛けて来た。


「恥ずかしくなった…?」


そんなはるかの問い掛けに、私は小さく頷き、顔を俯かせた。


「…いつの時代も、夏希は照れ屋だな…。ま、そこがまた可愛い所でもあるんだけど…」


そう言うとはるかは私の額にそっと口付け、私をきつく抱きしめた。それから暫くして、ジャンプ台の上に腰を下ろしたはるかは、私を自分の膝の上に座らせ、腰に腕を回すと首筋に顔を埋めた。


「こうやって夏希を抱きしめてると、昔を思い出すな…」

「そうだね…。…はるかは、昔っからこうやって抱きしめるの好きだよね…」


私はそう言うと、昔の幸せだった頃の事を思い出し、小さく笑いを漏らした。そんな私につられてか、はるかも小さく笑みを浮かべると、ゆっくりと口を開いた。


「…落ち着くんだ。こうやって抱きしめて、夏希の体温を、匂いを感じると…。今僕の目の前には、最愛の人が…誰よりも大切で、守ってあげたい人が、ちゃんとここにいるんだって……他の誰でもない、僕の腕の中に…」

「…ずっといるよ…?他の誰でもない、はるかの側にずっと…。私はもう、はるか以外の人なんて、好きになれないもん…」


そう言って私ははるかの首に腕を回し、彼にギュッと抱き付いた。


「僕もだ…。もう夏希以外愛せない…」


はるかはそう私の耳元で囁くと、私の顔を上げさせ、暫く見つめ合った後、ゆっくりと顔を近付けて来た。そして、今にも唇が触れそうな距離で一度動きを停めると、再度愛を囁いて来た。


「愛してる…夏希だけを、永遠に…」


そう囁き、はるかはそっと私の唇に自分のそれを重ねた。



―――――



それから暫くジャンプ台の上でイチャイチャと過ごしていた私達は、プールの入り口に設置されてる自動ドアの開閉音に気付き、会話を止めると、落ちないように気を付けながら下を覗き込んだ。


「あれ…?彼女、確か…」

「亜美だ…。何でこんな所にいるんだろ…?いつもなら、今頃火川神社で勉強会してるはずなのに…」


水の中へと潜って行った彼女を見た私達は、覗き込んでいた顔を上げ、再びジャンプ台の上に座り直した。


「ま、いいんじゃないか?たまには息抜きも必要だ。勉強ばっかじゃ、息が詰まるだろ…?」

「そりゃそうだけど……あの亜美が、勉強会サボるなんて…」

「別にサボってるわけじゃないかもよ?時間が変更になって、それまでの暇潰しかもしれないし…」

「あ、そっか。そう言う場合もあるんだ…」


はるかと私がそんな会話を交わしたところで、みちると亜美がほぼ同時に水の中から顔を出した。


「こんにちわ…」

「あなた…あなたも前世は、水の世界の人だったのね…」

「え?さあ…私は…」

「…競争しましょ?」

「え…?」


自分の発した言葉に戸惑う亜美に近付いたみちるは、戸惑いを見せる彼女を構う事なく、彼女に水泳勝負を持ち掛けた。


「おっと…こりゃ、みちるの負けず嫌いに火が点いちゃったかな?」

「…かもしれないな……よーい!」


私の問い掛けにはるかは答えると、2人が勝負を始められるように、掛け声を掛けた。


「向こうの端までね?」

「は、はい!」


みちるの言葉に頷いた亜美は、慌てて体の向きを変え、スタートに備えた。それを確認した私が、2人にスタートの合図を切る。


「ドン!」


私のスタートの合図に、2人は一斉にゴールまで向かって泳ぎ始めた。


「おー……2人とも、泳ぐの速い…」


私はジャンプ台に上に寝転ぶはるかの隣から、すごい速さで泳ぐ2人の友人を眺めた。それから少しして、2人はゴールに辿り着く。勝負の結果は同着で、どっちがより速いかはわからなかった。


「引き分けですね。」


みちるはそんな亜美の言葉を無視し、プールから上がると、タオルで濡れた髪を拭いた。そんなみちるを見て、亜美もプールから上がると、背を向けて髪を拭くみちるに再び声を掛けた。


「あ、あの…!」

「何故スピードを緩めたりするのかしら?」

「え…?」

「私に花を持たせたつもり?」

「あ、ごめんなさい……そんなつもりじゃ…っ…ごめんなさい!」


少し怒ったようなオーラを見せるみちるに謝った亜美は、今にも泣きそうな顔を見せ、自分のタオルを手に取ると慌ててプールから出て行った。


「あっ……待って、亜美!」

「あら…」

「あーあ、泣かせた。」

「!私は別に…!」


はるかのその言葉に、みちるは亜美が出て行った方へと向けていた視線を、ジャンプ台の上にいるはるかへと変えた。


「友達になりたかっただけだぜ、彼女。見た感じ、自分に自信が持てないタイプだから、無意識に争いを避けたんだ…。それなのに苛めて…」

「ちょっと、はるか!別にみちるは、亜美を苛めてなんか…!」

「そうよ!私はただ、力一杯勝負しましょう、って言おうとしただけなのに…!」


私達の必死な言葉に、はるかは冗談だとでも言うような笑いを漏らした。


「もう…はるかったら…」

「…けどあの子、このままだと可哀想ね…」

「…確かにな…」

「(亜美…)」


私は2人の言葉に、再び亜美が出て行った方へと視線を向けた。



―――――



あれから少しして、私はやはり様子のおかしかった亜美が心配になり、シャワーを浴びに行ったみちるに伝言を残すようはるかに行って、私はスポーツセンターを出た。スポーツセンターを出た私は、携帯を取り出し、すぐに火川神社へと電話を掛けた。


『はい、火野です。』

「あ、もしもし、私日向と言う者なんですけど…」

『あら、夏希?』

「あ、レイ?急にごめんね!そこに亜美来てる?」

『亜美ちゃんなら今さっき来たんだけど、何か忘れ物したとかで、また出てっちゃったわよ?』

「そっか…ありがとう、レイ!用はそれだけなの。またね!」


私はレイにそう言うと、携帯を切り、制服のポケットへと仕舞った。その時、後ろの自動ドアの開閉音が聞こえたと思ったら、スポーツセンターの中からはるかが出て来た。


「!はるか!」

「あれ?まだこんな所にいたのか…まあ、いいや。夏希を探す手間が省けた。」

「?私に何か用…?」

「みちるから、夏希1人なのは心配だから、僕も一緒に彼女を探すように言われたんだ。それと、彼女をもう一度ここに連れて来るようにね…」

「何で、もう一回…?」

「再戦したいんだってさ。今度こそは、全力でね…。さ、探しに行くならさっさと行くぞ。」


そう言うとはるかは私の腕を引き、バイクを停めた場所まで行くと、フルフェイスのヘルメットを私に渡した。私はそれを被ると、既にバイクに跨っているはるかの後ろに座り、彼の腰にしっかり腕を回し、抱き付いた。


「しっかり掴まってろよ?」

「うん!」


はるかの言葉に、私は“掴まる”のを口実に、更に彼に後ろからぴったりと抱き付いた。それを合図に、はるかは亜美を探しに街へとバイクを走らせた。


「(亜美は心配だけど、はるかと2人って言うのが嬉し過ぎて、どうしても顔緩んじゃう…。ヘルメットがフルフェイスタイプでよかった)」


そんな事を考えてる内に、赤信号ではるかはバイクを一時停止させた。


「どこ行けばいいんだ?火川神社?」

「さっきレイに電話して確認したんだけど、火川神社には亜美いないって!」

「それじゃあ、この辺を探してみるか…」

「何だったら、私が亜美の気配追おうか?」

「確かにそれだと手っ取り早いけど…それじゃあ、夏希が疲れるだろ?夏希に無理はさせたくない。このまま適当に走らせて、彼女を探すよ。それに、その方が夏希と2人でいられる時間も長くなるしね…」


はるかがそう言い切った所で信号が青に変わり、はるかは再びバイクを走らせ始めた。


「大好き、はるか…」


バイクのエンジン音とヘルメットで聞こえないのをいい事に、私は彼の背中に向かって小さくそう呟いた。それから暫くバイクを走らせた私達は、漸くスポーツセンター近くの橋の上で、落ち込む亜美の姿を見付ける事が出来た。


「亜美!」


バイクを降りた私は、すぐにヘルメットを取り、亜美の元へと走った。そんな私の呼び掛けに気付いた亜美は、私達の姿を見付けるなり少し驚いたような表情を見せた。


「!夏希ちゃん!はるかさんも…どうしてここに?」

「亜美が心配で探してたの…何だか、いつもの亜美と違って見えたから…」

「…ごめんなさい、心配掛けて…」

「ううん…悩み事があるなら、私いくらでも聞くよ?まあ、聞くだけで、大したアドバイスとかは出来ないけど…」


そう言って苦笑を漏らす私を見て、亜美は小さく笑った。


「ありがとう、夏希ちゃん……あたしね…」


そうして、亜美はゆっくりと自分の悩みについて話し始めた。私はそんな亜美の話しに、橋の手摺りに背を預けると静かに耳を傾けた。



―――――



「ねぇ、亜美。亜美のいい所って、本当にそれだけ?」

「え…?」

「…私の知ってる水野亜美はね、優しくて、友達思いで、たまにお茶目な一面も見せてくれて、いつも一生懸命で、夢を叶える為に、病気や怪我で苦しんでる人を1人でも多く救いたいって、その為にはどんな努力だって惜しまないって言うような、立派な人間だよ?」

「夏希ちゃん…」

「亜美はさ、もっと自分に自信、持ってもいいんじゃないかな?亜美にしかないいい所、いっぱいあるんだから…」

「…ありがとう、夏希ちゃん。」


私の言葉に、亜美は漸くいつもの優しい笑みを見せてくれた。それを見た私も、安堵から小さく笑みが零れた。


「…子猫ちゃん、話は終わったかな?」

「終わったよ。待たせてごめんね、はるか。」


私ははるかに謝り、亜美の側からはるかの元へと戻った。


「気にしてないよ…そんな事より、彼女。」

「え…あたし、ですか…?」


はるかに突然声を掛けられた亜美は、少し驚きながらもはるかへと視線を向けた。


「僕の相棒が再試合を御所望でね…。さっきのスポーツセンターで待ってるんだけど、受けてもらえるかな?」

「亜美、私からもお願い…。滅多に我が儘言わないみちるが頼んで来たの…受けてあげて…?」

「…わかりました。お受けします。」


亜美の承諾の返答を聞いた私達は、亜美を連れて、スポーツセンターへと戻った。それから私とはるかは、先程と同じく靴下を脱ぎ、裸足になるとプールに向かい、亜美の着替えが終わるのを、先に来て少し泳いでいたみちるを混ぜた3人で待った。


「お待たせしました。」

「水野亜美さん、来て下さったのね…よかったわ、あなたが来てくれて…」

「…さっきの事で気を悪くさせたのなら謝ります。それとも、私をからかってるんですか?」

「ただ勝負をやり直したいだけよ…受けて下さるわね?」

「…はい!」


みちるの問い掛けにそう答えた亜美は、水着の上に羽織っていたパーカーを脱ぎ、タオルと一緒にベンチの上に置くと、みちると共に軽くストレッチを済ませた後、飛び込み台の上に立った。


「自由形、100mで十分ね?」

「はい。」


亜美の返答を聞いたみちるは、審判を任せたはるかへと合図を出した。そしてみちるの合図を受けたはるかは、スタートの掛け声を2人に向かって掛ける。


「よーい!」


はるかのこの声に構えた2人は、次のはるかの合図でプールへと飛び込んだ。


「わー…やっぱ速いや、2人とも…」

「…互角だ…。みちるに付いて行けるだなんて、やるな…彼女。」

「うん…そうだね…」


私ははるかに捕まり、はるかの膝の上に座りながらも、みちると亜美、2人の真剣勝負を見守った。

それから暫くして、2人は100mの距離を全力で泳ぎ切り、みちると亜美の真剣勝負に終止符が打たれた。


「同着。」

「引き分け、だね。」


私はプールから上がり、プールサイドに座り込んで呼吸を整えるみちるの肩にタオルを掛け、2人に向かって微笑んだ。


「亜美、どうだった?」

「力一杯勝負するのも、悪くないでしょ?」


私の言葉に続き、みちるが亜美に向かってそう問い掛けた。


「はい!」


もう不安や迷いの消えた笑顔でそう答えた亜美を見て、私達は笑みを返し、彼女の手を引くと、彼女をプールから引き上げた。


「ありがとう。」

「こちらこそ…楽しかったわ。またご一緒しましょ?」

「今の亜美、すっごくキラキラしてるよ?それじゃ、また明日学校でね!」


私達は亜美にそう言い残すと、プールを後にした。



―――――



あの後、着替えを終えたみちると合流し、スポーツセンターを後にしようとしたその瞬間、突然辺りを包む妖気が濃くなったのを感じた私達は、すぐに物陰に隠れ、変身を済ませるとプールへと戻った。

しかし、それよりも早く駆け付けたセーラームーンが、タキシード仮面の協力の元、ダイモーンを倒し、ピュアな心を取り出されてしまった亜美を助けていた。


「今回もタリスマンではなかったようね…」

「あの子が無事でよかったって、思ってるんだろ?」

「あら、よくわかったわね。」

「当然だろ?しかし、今回は出番がなかったな…」

「そうね……やれば出来るんじゃない、セーラームーンも…」

「そうだな…。少しだけ、見直したよ…」

「それより行きましょ?彼女達に見付かる前に…」


ネプチューンのこの言葉に頷いた私とウラヌスは、ネプチューンの後に続き、彼女達に見付かる前に、その場から姿を消した。

あれから変身を解いた私達は、スポーツセンターを後にし、近くの喫茶店へと入った。


「亜美、泳ぐの速かったね。」

「ええ…勝てなかったのは残念だけど、でも久しぶりに楽しかったわ…」

「だろうな…。いつもより、みちるが生き生きして見えたくらいだ…な、夏希?」

「うん!別にいつもが楽しそうじゃないってわけじゃないけど、今日のは特別。いつもの倍は、楽しそうに見えた!」

「…そうね。そうかもしれないわ…」


私とはるかの言葉に、みちるは温かい紅茶を飲みながら、小さく笑みを零し、私とはるかはテーブルの下で手を繋ぎ、寄り添い合いながら、暫くの間静かな時を過ごした。
to be continued...
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