こそこそ何かから逃げるみたいに電話ボックスに駆け込んだ。周りを見渡しても彼女はいないようで安心した。
 一息吐いて、これからどうしようかなと考える。考えながらじっと目の前で鎮座している受話器を見ていたら、いきなり電話が鳴り出した。
「わあっ」
 思わず床に座り込みそうになった。それでも不安定な中でふらふらしていたから結局床にべったりと座り込んでしまったのだけれど。
 なんで、どうして電話ボックスの電話が鳴るのか? 彼女の存在が頭に浮かんで怖くなったので逃げだそうとドアを押した。開かない。あれ、これは引く奴だったっけ、と思い引いてみたが開きそうにない。電話は鳴り止まない。扉を開けることすらできないのかと嘲笑うように鳴り響いている。
 これがあの心霊体験だというのか。まさか自分が体験することになるとは。
 とりあえず電話に出なければ此処を出ることができないのか。仕方ない。受話器に手を伸ばし、耳に当てる。
「・・・どちら様で」
 平静を装って声を絞り出す。実際受話器を持つ手は震えているし、先程から嫌な汗が背中を伝っている。
 受話器の向こうの人、かどうかも分からないが、緊張しているような、息を呑む音が聞こえた。まさか、まさか、あの、女では、いや、そんな訳はない、彼女は、あの日、
『いま、あなたの後ろにいるの』
 ああ、彼女の声だ。いや、だから、彼女はあの日、いや、そもそも、彼女はどこにいると言っていた? 後ろ? 馬鹿なことを。まぁ心霊体験だとしたらそれもありなのだろう。おそるおそる後ろを振り向く。誰もいない。
「は、やっぱり、いるわけない、よな」
 自分に言い聞かせるように呟いて、受話器を戻そうと前に向き直った。すると、目の前、いや、正確には電話ボックスの外。に、いかにも下卑た話の好きそうな中年のおじさんがいた。
「どうしたんだよ兄ちゃん、そんな若いのに死んだみたいな顔して」
 おじさんはまさにおじさんのテンプレみたいなありきたりな言葉を吐いた。とりあえず、電話ボックスから出る。今度はすんなり開いた。
 相変わらずおじさんはへらへらしながらそこにいて、凄く安心した。何でだろうな。名前も知らないし、さっき会ったばっかりの人だというのに。知らない人。だからこそ安心するんだろう。
「すみません見知らぬおじさん、今夜だけ付き合ってくれませんか」
 喜劇か何かであるかのように大仰に手を広げ声は近所迷惑にならない程度の大きさで話しかける。おじさんは少し驚いたけど気にしていない様子で了承してくれた。
 お礼に、とコンビニでビールとおつまみを少し買ってきたら悪いねぇ、と言われた。いやいやそんな。
 電話ボックスの近くのベンチに座って買ってきたものを広げる。おじさんはビールを飲んで「染みるねぇ」とまたしてもテンプレ的な科白。缶を一つ空けてからおじさんが口を開いた。
「それで、兄ちゃんは何だってこんな時間に外に?」
 おそらくもう草木も眠る丑三つ時というやつなんだろう。それを言ったらおじさんもじゃないか、と思ったが黙っておいた。
 理由、は、彼女に見つかりたくなかったから。けど結局は見つかってしまった。
「やぁ、女って怖いですねぇ」
 答えになってないな、と苦笑した。けどおじさんは何かしら察してくれたようでうんうんと頷いた。
「あぁ、うちの嫁さんもなかなか怖いよ全く。何、女で痛い目見たの」
「ん、うーん、まぁ・・・?」
 あの日のことを回想しながら曖昧に答えた。「好きな人ができた、もう君のことは愛せない、別れよう」と言ったあの日の事。彼女はやけにしつこくその好きな相手を聞いてきた。実際好きな人なんていなくて、ちょうど良さげな言い訳がそれだったってだけ。気分で別れたいなんてきっと彼女は許してくれないから。
 存在しない好きな人の名前なんて知る訳もなく、ひたすら彼女と正反対の女性の特徴を羅列して、こんな人だよ、と伝えた。
「まさか、あんな事になるなんて」
 ベタで陳腐な科白しか吐けない。なんせそれくらい恐ろしい状況だったのだから。
「…あれ、そういえば、兄ちゃんの顔どっかで…」
 見た事ある。テレビ? 新聞? 仕方ない、だってあんな大きな事故、事件?
 この人も気付いちゃったのかなぁ、いやだなぁ漸くまともに話せそうな人に会えたのに。残念だ、と眉をハの字にしてベンチから立ち上がる。
「ありがとうございました、話、聞いてくれて」
 そう言って頭を下げたのだがおじさんには聞こえないようで、頭を抱えてうんうん唸っている。そこまでして思い出したいのだろうか。そこまで面白いものでもないのに。いや、茶の間から見たら十分愉快なエンターテイメントか。浴室に女の生首と男の死体、加害者は直後に自殺、なんて。
「ああ思い出した! あの殺人事件の被害者の顔と一緒なん…え? 被害者?」
 それから数秒の間を置いて、悲鳴に近いというか悲鳴そのものな叫び声が上がる。声の主はおじさん。何が起きたわけでもない。自分の身に起きたことを実感して吃驚しているだけだろう。
 その様子が余りにおかしくてくすくす笑う。
 否定したくてもできないでしょう。だって酒も肴もそこにある。財布を見たってお金は減ってない。だって奢ってもらったのだから。おじさんは狐に摘まれたみたいな顔をしていた。
 遠くから彼女の声がした。あ、はい、ヨリを戻したのです。もう逃げられないことは痛いほど実感したので。
 無駄なことしてないで早く来なさい、だそうだ。無駄なことか。なら部屋を花や小物で飾り立てるのは無駄じゃないんだろうか。あれさえ無ければもっと物を置けるのに。そう思ったことが何度もある。でも女にとっては無駄じゃないらしい。
 いや全く、女ってのは分からないね。



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