アンジールはすべての力を使い果たし、異形の姿から解き放たれた。 しかしその代償は重く、ジェネシスよりも劣化が進行した状態で床に横たわっている。 アンジールは微かに首を動かし、隣に立つザックスに向けて微笑みを浮かべた。
「ザックス、よくやった」
心にしみる優しい声音によって、ザックスの瞳から大粒の涙が零れ落ちる。
「あとは頼む」
アンジールは右手に携えていた剣・バスターソードを差し出した。 彼の命の灯は儚げに揺らめき、今にもその温もりを失いつつある。 そんな状況の中で譲られた誇りの象徴。彼が意図するものを汲み取ったザックスは、嗚咽を堪えながら剣を受け取る。
「…誇りを忘れるな…」
弔いの如く、燃え上がる陽の光が3人を染めていく。 慰めの様に、静かな雨が3人を濡らしていく。 ルカは身動ぎすることなく、アンジールの穏やかな面を見つめていた。 しばしすすり泣く声だけが響いていたが、ふとザックスが泣き腫らした面を上げて息を飲む。 「ルカ、」と潤んだ声に導かれ、彼女は男の視線の先を追った。 涙の雨をもたらした雲と、その隙間から差し込む幾多の光の筋。 ルカは、隣で涙を流している青年の言葉を思い出す。
「――…"天使の梯子"」
旅立つあなたへの道標。 別れを惜しむよう、柔い風がルカの頬を撫でる。 床に散った白い羽は風に乗って宙へと舞いあがり、天から降ろされた光の方角へと流れていく。 ルカは彼方の空を己の双眸に映す。 梯子が消えていくその瞬間を目に焼き付けるために。 いつまでもいつまでも、見つめていた。
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眠りから覚めたルカは、しばらく瞬きだけを繰り返す。 天井や壁、窓辺のカーテンによって、自分がいる場所が恋人の寝室であることを悟った。
「…おはよう」
愚図る子どもをあやすような声が耳をくすぐる。 ルカの傍らに腰掛けていたセフィロスは、彼女の前髪をそっとかき上げた。 ルカは黙ったまま彼を見つめ返す。 彼女の脳裏をよぎるのは、自分の身に起きた一連の闘いのことだった。 ――アンジールとの戦闘を終え、天候が安定したおかげですぐさまヘリが到着した。 モンスターの襲撃によって急に通信が切れたこともあり、緊急事態を察知した神羅は迅速に対応してくれていたようだ。 十分な量の回復薬やマテリアの補給によって、ザックスとルカの怪我・解毒処置もヘリの中で行えていたことは微かに覚えている。
「…いま、何時…?」 「朝の4時だ。そろそろ夜が明ける」
久しぶりに声を出したせいか酷く掠れた音しか出てこなかった。 思考が停止した状態のまま神羅ビルのヘリポートに辿り着き、迎えに来たセフィロスを見た後から――記憶がない。恐らくすべての緊張の糸が切れ、気を失ったのだろう。 彼女の思考を読んだかのように、セフィロスは口を開いた。
「丸一日眠っていた」 「そんなに…、」
ルカは緩慢な動作で起き上がり、折れていたはずの腕を動かすが、痛みや違和感は一切感じられなかった。 憔悴しきったルカの瞳は次第に当惑に揺れ、やがて固く瞼を閉じる。
「ううぅう…っ!」
ルカは身体を駆け抜ける憤怒の奔流に抗うことが出来なかった。必死に唇を噛み、全身が火傷したかのようにのたうち回る。 ――…激しい魔法によってただれた皮膚も元に戻り、傷跡さえ残らなかった。 世界は、何一つ変わらなかったと突き放す。 戻れない覚悟を抱えていたはずの彼女を、嘲笑う。
(どうしてあたしはここにいるんだろう)
セフィロスは苦悶に暴れる恋人を抱き上げ、その腕の中に収めた。 半ば八つ当たりで、ルカはセフィロスの腕から抜け出そうと抗う。 広い背を無遠慮に引っ掻き回し、醜くもがいてみても彼はルカをけして離そうとしなかった。 抵抗する力は徐々に弱まり、やがて湿った吐息がセフィロスの胸元に触れる。 セフィロスはようやく片腕の力を弱めて、ルカの頭を撫でた。 ――彼女の嗚咽に耳を傾けながら、男は目を閉じる。 彼もまた、どうしようもない喪失感に駆られていた。 けれど思い出すのは4人でじゃれあった他愛もない時間ばかり。 得たいものは己の力や努力で手に入れてきた彼にも、けして届かないものがある。 その手をすり抜けて霧散し、淡く消えゆく存在がある。
(……せめて俺だけは、)
――セフィロスは、生まれて初めて神に祈る。 腕の中で震える恋人がこれ以上傷つかないように。
ルカを置いていくことなど、ないように。
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