臆病な君達に祝福を
※3年生。クラス替え考えるの大変だったのでバレー部のクラスは全員2年生の時と同じという設定にしています。ヒロインとは3年になってから初対面。
恋に落ちたのは本当に突然のことだった。
上品な笑い方をする。ご飯の食べ方が丁寧。みんな寝ているような数学の授業でもきちんと最後まで起きてノートを取っている。
第一印象は「またすごいコテコテの優等生がいるもんだ」。
そんな優等生が何もない廊下でステンと器用に転んだところを見た瞬間、なぜか俺の脳天にとすんと彼女の存在が刺さってしまった。いわゆるギャップ萌えというものだろうか、と彼女と一緒になって転んだ心が冷静にそう言う。
我ながら、人のことは言えない古典的な恋の落ち方だ。
「治、どうしよう。俺、みょうじさんのこと好きかも」
早速クラスメイトに抑えきれなかった想いをぶつけてみると、返って来たのは殴りたくなるほど綺麗に傾げられた首と戸惑ったような顔だった。
「誰やそれ」
「…侑のこと人でなしってよく言ってるけど、治も大概だよね」
「俺はあいつとはちゃうわ。つーか話したこともないクラスメイトのことなんかよう知らんでも当然やろ」
「結局知ってるんじゃん。連絡先教えて」
「はあ? 俺も知らんし。自分で聞けや」
すげなくそう言われたのは、まだ3年のクラス替えがあって間もない4月の終わりの頃。
去年から同じクラスだった友達と楽しそうに話している女子の輪に入っていくのは気が引けたけど────。
「みょうじさん、連絡先聞いても良い?」
ちょうど人が捌けていく移動教室の直前、俺はなんとか彼女に話しかけることに成功した。
「ええよ! あー…えーと…」
「角名です。角名倫太郎」
「ごめん、角名君。私人の顔と名前一致させんのむっちゃ苦手で…あ、ていうか待ってごめん! 今日な、スマホ忘れてきてんよ…。せやから明日とかでもええかな」
…スマホを、忘れた?
そんなこと、ある?
「スマホ忘れるとかまずありえないよね。これ絶対嘘ついてるよね。連絡先教えたくないってだけだよね。言い訳すら古典的すぎない?」
「本人に言えや」
治は今日も元気に弁当3つを平らげていた。その食欲が羨ましいと、全く喉を通らない自分の弁当を見ながら思う。
出鼻を挫かれると、なかなか次の一歩が踏み出せない。結局翌日になっても、俺は彼女にスマホを差し出すようお願いすることができなかった。
唯一幸いだったのは、俺と彼女の席が隣に配置されていたことくらい。一度転んでしまった俺には、彼女の横顔を眺めているのが関の山だった。
彼女はいつも前の席の女子と楽しそうに話していた。時折俺も知っているような内容の話題が出る度に混ざっても良いだろうかと指先がぴくりと動くのだが、「それ俺も知ってるよ」という簡単な言葉が、どうにも喉元につっかえてうまく出て来てくれない。
普通隣の席になったら少しくらいは話さない? せめて挨拶とかだけでもするものじゃない?
それなのに、彼女が俺の方を見ることは一度もなかった。そうこうしている間に、前の席の女子だけでなくなぜか俺の前の席の男子も交えて彼女は楽しそうな笑い声を上げるようになった。いや、なんでよ。
────うちのクラスの席替えはだいたい2ヶ月に一度。
6月になる頃には、結局彼女と会話を交わすことのないまま地獄の籤を引く羽目になってしまった。
確率は約40分の1。期待はしない方が良いだろう。
まあ、そうは言っても同じクラスにいるんだから、いくらでも話す機会はある。隣の席に固執しなくたって、学校行事や委員会を口実にすればいくらでも────。
「……」
ちょうど教室に対角線を引くように、廊下側の一番前の席を引いた彼女と窓際の一番後ろの席を引いた俺。同じ空間にいるはずなのに、とてつもなくその距離が遠いものに思えてしまった俺は、籤を引く前に状況を楽観視していた自分を激しく呪った。
隣の席にいた時でさえろくに話しかけられなかったのに、こんなに離れてしまったらいよいよ声をかけるタイミングがないじゃないか。
「角名、角名」
学校行事? 委員会? 今よりずっと"集団"としての意識が強まるそんなイベントを前に、"個"の和なんて深められるものか。項垂れる俺を、籤の紙切れを持った治がしきりに呼んでくる。
「なに、今俺めちゃくちゃ落ち込んでるんだけど」
「俺、みょうじさんの隣の席ゲットしたわ。お前の席次第では交換してやっても」
「言い値で買う」
「食いつきこわっ。いや、俺一番前が嫌ってだけやから、後ろの方の席やったら」
「一番後ろ、窓際」
「ほな交渉成立な。ついでに後でハムサンド買うてくれたり」
「する」
「…角名ってこんなチョロかった?」
神様降臨。日頃の行いで徳を積んでおいて本当に良かった。もしかしたら今日の朝練で北さんに見つかる前に侑の脱ぎ散らかされたジャージを畳んでおいてやったのが幸いしたのかもしれない。後で侑に何かたかろう。
今度こそ彼女に話しかけるんだ。わざわざ話す内容がないなら、無理にでも口を開かなければいけない状況を作り出せば良い。
「あ、教科書忘れた」
少し大きな声で、わざと家に置いてきた古典の教科書を探すふりをする。普通隣の席の奴が忘れ物をして困ってたら「見せてあげようか?(脳内再生)」って言い出すよね。ほら、言ってよ。
「なんや角名、古典の教科書忘れたんか。俺もさっき忘れた思て隣のクラスの奴に借りてんけど、さっき鞄よく見たら俺の分あったからこれ貸したるわ」
────そうしたら、後ろの席のクラスメイトが無邪気な笑顔で2冊手に持っている教科書の片方を俺に渡した。
「────アリガトウ」
みょうじさんは、俺の奮闘になど全く関心がないという風に、課題として出されていたプリントの見直しをしていた。…うん、そういう真面目なところ、好きなんだけどね。
仕方ないので、その授業中に次の作戦に出ることにした。
頃合いを見計らって、机の端に置いていたシャーペンを小指の先で弾く。シナリオ通りにいけば、落ちたシャーペンはちょうどみょうじさんの椅子の下に落ちて、「はい、角名君、落としたで(脳内再生)」って拾ってもらえるはず。
と、思っていたのに────。
「ほれ、角名。なにシャーペン落としてん」
目測を、誤った。
落としたシャーペンは思いの外勢いよく転がって行き、彼女の後ろの席の女子の足元まで辿り着いてしまった。揶揄うように笑いながら斜め後ろから渡されるシャーペンに、「あんたどんだけ転がるんだよ」と言いたくなったところを、なんとか抑えた。
「……アリガトウ」
みょうじさんはさすがにシャーペンが落ちた音には気づいたのか、持ち主の手に戻った後もまだ机の下をキョロキョロと見ていた。「あれ角名のやったで。もう返したから」と後ろの席の女子に言われて、「そっかあ、良かったわあ」と笑う。…うん、そういうちょっと抜けてるところも可愛いんだけどね。
「なんか…運命の因果律に阻まれてる気がする…」
「どうした。中二病はそろそろ卒業せえよ」
「せっかく毎日徳積んでるのに…神棚に毎日手合わせてるのに…」
「お前の家に神棚なんてあったか?」
「なかったから作った」
「ほなそれが悪いわ。お前手製の神棚とか閻魔様しか降臨せえへんぞ」
そうして夏休みが過ぎていき、二学期が始まり、今再び地獄の席替えの時期がやって来る。いや、むしろ閻魔様が味方についてるなら地獄の方がありがたいのかもしれない。
「治」
「いや、今回は離れとるみたいやわ」
「みょうじさんの隣、誰」
「山田ちゃう?」
それを聞くなり、俺は山田の元に猛ダッシュで駆け寄り、なんとか席を交換してもらえないか頼み込んだ。俺の勢いに完全に気圧された様子の山田は、俺の席がどこかも確認する暇さえ与えられないまま籤の紙を交換させられた。後で可哀想なことをしたな、と少しだけ反省したので、お詫びに昼飯を奢った。
しかしこの事件をきっかけに、俺はクラスの半数を味方につけることとなる。
「角名〜! 文化祭のスケジュールみょうじさんと同じ行程で組んだろか!」
「体育祭の種目、みょうじさんと同じがええやろ?」
「合唱コン、お前指揮者やらへん? みょうじさん嫌でもお前のこと見るで」
────どうやらうちの男共は、"みょうじさん"と引き合いに出せば俺が何でも奢る(ないし面倒事を代わる)と思っているらしい。そしてそれは間違いではなかったので、それ以来積極的に俺とみょうじさんを引き合わせようとさせる動きが目立つようになった。
それなのに。
文化祭当日、みょうじさんはクラスの女子とばかり楽しそうに話しながらクラスの催し物を切り盛りし、自由日も朝から夕方まで一切姿を俺の前に見せなかった。
体育祭当日、あろうことかみょうじさんは体調不良で欠席した。
合唱コンの指揮者は先生の推薦により吹奏楽部の奴が引き受けることになった。
更に一番最悪だったのは、春高を控えた12月のことだった。その日は去年に続き全国大会への切符を手に入れたうちのバレー部が、再び優勝候補などと謳われながら派手な壮行会を行ってもらっていた。
俺のクラスでも、ちらほら「東京行く?」「アホ、バレー部と吹奏楽部以外は行くな言われたやろ」「しゃーないな、テレビで見よかー」なんて会話がなされていたから、少しだけ期待した。
「なまえ見て、雑誌にうちの高校のこと書いてある!」
ナイス田中さん。その月バリなら今朝俺も見た。まあメインがユース候補にも選ばれたことのある侑になるのは当然のことだけど、その記事には"稲荷崎高校バレー部の猛者"として俺の名前も列挙されている(隅の方に顔も載っていた)。普段は無気力だの表情筋が死んでるだの散々な言われようをしてる俺だけど、黒のユニフォームを着てコートに立ってる姿を見てもらえたら少しは印象も────。
「わー、宮君がおる! クラスメイトがこんなデカく載ってるとなんかそわそわするなあ」
「いや、その宮は2組の方な。ほら、宮って双子やろ」
「そうやったっけ? 1組の治しか知らんかったわ。治はおらんの?」
「端っこの方におるわ」
「ほんまや、うふふ、ちっさいなあ」
………。
「…今からでもトリオになれないかな」
「もう聞かへんで。いい加減俺以外の相談相手見つけろ」
なんでこんな子のことを好きになっちゃったんだろうって、何度も思った。
些細と言って余りあるほど小さなきっかけ。ちょっと見た目のイメージと違った姿に目を奪われたという、それだけ。
それだけのことでも、"執心した"という事実は思ったよりも重たかった。
全く認識してもらえないから、気を引こうとする。
全く話す機会が訪れないから、なんとかしてその機会を作ろうとする。
ちょっとした反骨心のようなものも含まれていたのかもしれない。こっちを向かせてやる、口を開かせてやる、そんな邪な関心から芽生えた感情を抑えられなくなる頃には、もうすっかり彼女のことが頭から離れなくなってしまった。
今までにだって恋をしたことがないわけじゃない。彼女みたいなものも、多分いたと思う。
でも、こんなにままならない想いを抱えたのは初めてだった。
取り返せないほど心が暴走したのも初めてだった。
冬休みが過ぎ、春高が終わり、そのままプロ入りの準備を進めて────。
秋を終えてからはあっという間だった。
彼女のことを一方的に見つめてばかりいるうちに、とうとう俺は最後の日────卒業式を迎えてしまう。
結局話したのは、クラス替えが行われた直後の「連絡先聞いても良い?」だけだった。スタートダッシュで盛大に転んだ俺は、一向にゴールに辿り着けないまま棄権させられそうになっている。
「角名、ええんか。みょうじさんこのまま帰ってまうで」
式典が終わり、卒アルに寄せ書きを書いたり写真を撮ったり、最後の思い出を残し合っている女子達を眺めながら、珍しく治の方からその話を持ち出す。その治もしょっちゅう女子達に駆り出されてはいたのだが、1時間も経って落ち着いた頃には他のクラスメイトと同じように帰り支度を始めている。
「もう良いよ。1年色々けしかけてみて一度も反応がなかったんだし。興味も縁もなかったんだよ」
「あんなあ…ずっと言おうと思ってたんやけど、お前"が"受け身すぎんねん」
鞄のファスナーを閉めながら、呆れたように治が言う。
「喋りたいならお前から話しかけえや。会いたいならお前から会いに行けや。カマかけて相手を思い通り動かす手腕はバレーならすごいなあって思うけど、片想いの相手にそれやったとこで反応ないのなんて当然やろ。今のお前は策士やなくてただの臆病者やぞ。悔しかったら写真の1枚でも撮ってこい。ええ加減男見せろや」
言いたいだけ言って、「ほなまた明日な」と治はさっさと教室を出て行ってしまった。
頭をがつんと殴られたような、衝撃。
俺が────臆病者?
相手を術中に嵌めることなら得意だった。駆け引きだって、少なくとも下手ではないという自負があった。
でもそれは、勝利を確信するまでは動いていなかっただけという、俺の怠惰の末路だったと────そう言いたいのか。
彼女は教室を出て行く友人をひとりひとり見送りながら、モタモタと帰り支度をしている。何か探し物をしているのか、同じところを行ったり来たりと、要領を得ない行動をとっていた。
ふと、そんな彼女を見ていたら、彼女も俺の方を見た。
約1年ぶりに合う視線。その目は何度も横から見ていた通り、光に照らされてとても綺麗な煌めきを放っている。
────喋りたいなら、俺から口を開かなきゃ。
────会いたいなら、俺から会いに行かなきゃ。
そうか、俺はずっと既に"勝負は始まった"と思っていたけど────まだ賭けすら始まっていなかったのだ。
「ねえ」
カラカラになった喉で、それでも声を絞り出す。彼女は手を止めると、どこか驚いたような顔で俺を見た。話しかけられると思っていなかったのだろうか。
そりゃあそうだよなあ。1年間同じクラスだったのにろくに挨拶すらしなかった男から、卒業式の日になっていきなり声を掛けられたんだから。
自分でも何をしているんだろうと思う。
本当なら、もっと早くこうしているべきだったのに。
彼女の驚いた表情があまりに素直すぎて、遅すぎる自分の行動があまりに滑稽すぎて、どちらに対してもおかしさを覚えてしまった俺の口が、自然と笑んでしまう。
「写真、一緒に撮ってくれない?」
これは、恥ずかしくなってしまうほど幼かった俺の、本物の初恋の思い出だ。
「────もちろん、喜んで!」
「ていうか、私4月に話かけてもろてから結局角名君に連絡先教えてへんよな? 今送ってもええ?」
「え、良いけど…まさか覚えてたの?」
「…うん、実は。ずっと話してみたかったんやけど…ちょっと照れくさくて言い出せへんかったんよ。やからあの日スマホ忘れてきたのほんまに11ヶ月ずっと後悔しとった」
「11ヶ月って……っふ」
「ごめんなあ、私よくボケとるって言われるんよ」
「良いよ。11ヶ月話せなかった分、これから仲良くしよ」
「やった!」
←