贈り物



※最終話まで読まれている方向けです
(ネタバレ回避したい方はこの時点でブラウザバック推奨です)

↓以下ネタバレ非配慮の補足事項
※生存IF
※ざっくり設定→無事にシリウスと結婚することができた世界線。ジェームズとリリーは生きていますし、戦争も終わっています。シリウスはどこかで働き始めたという設定ですが、何をしているのかはご想像にお任せします。
意識的に繋げているわけではありませんが、「幸せを共に(結婚式エピソード)」の続きのような感覚です。





その報せを受け取ったのは、結婚してから数年経った頃のことだった。
計画があったわけではないのだが、とにかく運に恵まれなかったらしい。半ば諦めていたところに、奇跡は突然舞い降りる。

「────妊娠3ヶ月です」

医者からそう告げられた時、思わずここ最近の不調を全て忘れて立ち上がってしまった。
真っ先に思い浮かんだのは、大切なパートナーのこと。

シリウスとの子供が、この身に宿った。
別に無理に産もうとはしていなかった。自然に授からなければ、一生2人きりで生きていこうと笑って話していたくらいなのだ。

それでも、愛した人とのその絆を形にできたなら、と望まなかったわけではない。

シリウス、どんな顔するだろう。喜んでくれるかな。驚かせるかな。
1年も経つ頃には、私達は3人家族になるんだ。
まだ何も知らない、何も持っていない小さな命を、私達が育てるんだ。

でも────。

その時私は、確かな喜びの中に小さな不安を感じていた。

ずっと仄かに授かりたいと願っていた。2人で生きていくのも楽しいが、時折リリー達から手紙をもらう度、忙しくも賑やかな3人の日常が羨ましく思えていた。
だから、心の中に占める大半の気持ちが喜びであることに間違いはない。

それなのに、隅の方に巣食う小さな靄を無視することはできなかった。
────理由はわかっている。

私達は、幸せな家族を知らない。

何事も常に最上位の成績を取り、誰からも愛される"立派な子"になることを強いられていた私。
自分の意に反した思想を押し付けられ、人生を縛られていたシリウス。

それが家族じゃなかったとまでは言わない。愛が全くなかったとも言わない。
ただ、その形は私達にとって到底受け入れられるものではなかった。同じことを自分の家族にしようとはとても思えなかった。

だからこそ、不安が拭いきれないのだ。
理想ならある。幸せなら知っている。それでも、幼い頃に刻まれた家族という呪いからは、そう簡単に解放されない。"何をしてはいけないか"ならわかっても、"何をしたら良いか"がわからない。
刷り込まれた"家庭の形"を、無意識のうちに再現してしまったらどうしよう。知らない間に、お母様と同じようなことを言ってしまったらどうしよう。だって私、親子の交流の仕方なんてわからない。子供の幸せを願い、豊富なコミュニケーションを取ろうとするあまり、「我が家の子供としてあるべき姿」なんてものを説いてしまったらどうしよう。

こんな子になってくれたら嬉しいな、という慎ましい願望が、こんな子にならなければならないという義務を強いてしまうことになったらどうしよう。

安定しない情緒を抱えたまま、私はひとり家に帰る。
なんだか実感がない、というのが正直なところだった。そもそもまだ薄いこの腹を見て、どうやって家族が増えるという実感を持てば良いのだろう。あと半年少しで、この体から血を分けた子供が生まれてくるという事実を、どう受け止めれば良いのだろう。

ぼんやりと思考が霞む中、ほぼ無意識に家のことを片付ける。何もしないでいるとまた悪い思考に囚われてしまいそうだったから、という理由で動き回っていたのだが、かといって体を止めなければ無心でいられるかと言われるとそういうわけでもないらしい。

はっと我に返ったのは、すっかり夜になってからシリウスが帰ってきたその物音に気付かされた時だった。

「お、おかえり」
「ただいま。────どうだった?」

朝のうちに病院に行くことは伝えていたので、シリウスの様子もどこか浮足立っているようだった。荷物だけ乱暴にいつもの場所に置くと、心配そうな顔をして私の元に駆け寄る。

どんな表情を返せば良いのかわからないまま、私は無理に頬の筋肉を釣り上げてみせた。

「……うん、いたよ。赤ちゃん」
「────!」

そう言った瞬間、シリウスの目がぎゅっと細まる。疲れた顔にぱっと色が差し、薄い唇が孤を描く。
大きく息を吸うと、彼はそのまま勢いに任せて私を力強く抱きしめ────そして、何かに気づいたようにはっとすぐ腕を緩めた。大方、この体に小さくて弱い命がもうひとつ存在していることを忘れていたのだろう。

「ありがとう、イリス。すごく…嬉しい」

それから彼は、「まずはプロングズ達に手紙で知らせてやらないとな。これから忙しくなるぞ、とりあえず仕事は早めに帰らせてもらうように言っておこう。君の体にかかる負担を引き受けられない代わりに、君の心にかかる負担だけでもできる限り減らせるよう全力を尽くすよ」と興奮したようにあれこれと喋り出した。
うまくその調子に合わせられず曖昧な表情を浮かべるばかりの私に、彼はしばらく経ってから気が付いた。一向に返事をしない私を見て、怪訝そうな表情を浮かべる。

「────どうした、どこか痛むか?」
「ううん、そういうわけじゃないんだけど…」
「そういうわけじゃないけど…なんだか不安、とか?」

隠していたつもりではないが、シリウスには何も言わずとも全てお見通しのようだ。彼は「ひとりで舞い上がって悪かったよ」と言って、私の手を引きソファまで連れて行くと、自分の隣に優しく座らせた。

「…嬉しいのは、本当だよ。私だって…子供、欲しかったし」
「ああ」
「けど私…自分が母親になれる自信が…」
まあ、僕達はまともな家族を知らないからな

あっけらかんとした言い方に、つい言葉を切って彼の顔を見てしまう。

「…自覚、あったの?」
「むしろ自覚がないと思われたことが心外だ。そんなに無責任に見えるか?」
「そういうわけじゃないけど…」

そういうわけではない…が、彼の顔には何かを憂いている様子なんて微塵も窺えなかった。いまいち気分を乗せきれない私に対して、シリウスは小さく溜息をつき、優しい顔でこちらを見つめる。

「新しい命が増えるのは喜ばしい。しかも君との間に生まれる子なんだ、今からもう愛おしくて堪らないよ。でも────自分の愛し方が素直に子供にとって"愛"として伝わるかどうかはわからない。僕達が正しいと信じているものが、もしかしたらその子にとっては誤りにしか見えないかもしれない。そうなったら、僕達がどう思っていても────その子にとって"家族"はただの"呪い"になってしまう」
「……」

自分達がかつて味わった気持ちを、これから生まれてくる大切な命にまで抱えさせたくはない。私はそもそも子供に自分の親から受けてきた仕打ちを繰り返してしまわないかというところで躓いていたのだが…シリウスの言うことだって最もだった。たとえ自分が親を反面教師にしながら精一杯心を配って、"自分にとって理想"の姿を実現させたとしても、子供の方がそれを"是"と思わなければ、どんな行動であれそれを愛として受け入れてもらうことはできない。

他人であれば、合わない人とは縁を切れば良い。
でも、家族は簡単に切り離せない。自立できるようになるまで、その子はこの家に縛られることになってしまう。私のように痛みに気づかず支配されるようなことになるかもしれないし、シリウスのように居心地が悪いと言って余りある環境で抑圧されることになるかもしれない。

子供を授かったことを後悔したくない。ただ、実際にこの身が重くなったことで、確実に未来に対する不安は膨れていた。

「────だからひとつだけ約束しよう、イリス」
「約束?」

顔を上げると、シリウスの灰色の瞳と視線が絡んだ。透き通るガラスの向こう側には、不安そうな顔をする私が映っている。

「これから生まれる子のことを、いつどんな時であっても"ひとりの人間"として尊重し、その言葉に耳を傾けるんだ」

約束と言うからには、何かもっと重い話を持ち掛けられるのだとばかり思っていた。ある意味当たり前のことを言われてしまい、私はその約束を呑む前にぽかんとした顔を晒してしまう。すると、その表情に気づいたシリウスがクスクスと上品に笑った。

「僕達が他の奴らより何か幸せだとしたら、それは"どんな人とでもわかりあえない可能性がある"ことを知ってるってところだ。たとえそれが血を分けた家族であっても、同じ人間じゃない限り折り合えない部分はある。大事なのは、それをどう受け止めて、その上でどう付き合っていくかを"一緒に"考えることだ。そうだろう?」

一緒に考える。
押し付けるのではなく、聞き入れるのでもなく。

「そ、っか…」

シリウスに言われて、ようやく気が付く。
私はどこか、生まれてくる子供は自分の一部だと────"前提としてわかりあえる"存在だと思っていた。だから"わかりあえなかった時"のことを考えた瞬間、その思考にバグが発生する。お母様と私のように、ひとつズレてしまえば何もかもが合わなくなるのだと恐れている。

そうじゃない。子供だって、結局は別の人間だと────そのことを、もっとポジティブに捉えるべきだった。別の人間だから尊重する。別の人間だから、わかりあえなくて当然だと理解する。その上で、譲り合えるところを探して関わっていく。

まだホグワーツの2年生だった頃、私は自力でその答えを導き出したはずだったじゃないか。

「人はひとつとして同じもののない幸せな生き方を探すものだって、そう教えてくれたのは君だろう? 僕達が子供にしてやれるのは、自由にその"幸せ探し"をさせることくらいだよ。僕達の掴んだ幸せの具現が、新しい幸せを紡いでいくって────そう考えたら、少しワクワクしないか?」

シリウスが、まだ形の伴わない幸せに触れるように、私のお腹にそっと手を乗せる。

「もちろん、不安が消えるわけじゃないさ。特に僕は合う人間と合わない人間がかなり顕著に分かれるタイプだし、人の親になれるほどの人間でもないからな。でも僕は、それでもやっぱり君との間に生まれた子供を愛さずにはいられないと思う。理想の家族の姿なんてさっぱりわからないけど、僕は僕なりの幸せを目指して、その子と向き合いたいと思ってる」

すっかり大人になった彼の、優しい顔。周りに反抗して、周りを嫌うことばかりに心血を注いでいた彼の、愛に溢れた言葉。
きっと今ここに私しかいなかったとしたら、たちどころに不安に圧し潰されてしまっていたことだろう。
でも、そうじゃない。そうじゃないのだ。
私にはシリウスがいてくれる。そしてシリウスには、私がいる。孤独と戦う私達は、悪意に晒され傷つきながら生きる私達は、もうどこにもいない。愛を知らなかった2人が、今ではこうして互いの愛を確信しながら小さな幸せを築いている。

「…そんな風に言われたら、まるで私が子供を愛せないみたいじゃない」
「そんな心配は全くしてないから安心してくれ。君が子供を愛せなくなるのは、きっと僕のことも愛せなくなった時くらいだよ」
「随分と愛されてる自信があるみたいだね?」
「そりゃあ、今更君の愛を疑うような付き合い方はしてないからな」

ようやく、力を抜いて笑えるようになった。シリウスの手に自分の手を重ね、そっと息をつく。

「…楽しみだね、生まれてきてくれるの」
「そうだな」

いきなり全ての不安が消えるわけではない。それでも、彼の言葉と温度が、少しずつ私の中に溜まる靄を洗い流してくれるようだった。










それから、半年と少しの月日が経つ。
出産の予定日を間近に控え、私のお腹もすっかり大きくなっていた。
産まれてくるのは女の子らしい。シリウスは浮かれ切って「君に似た美人になるぞ」と口癖のように言い始め、嬉々として可愛らしい洋服を買って帰るのが習慣になっていた。

買い物のために寄り道をしているとはいえ、妊娠後期に入るといよいよシリウスは仕事を早く切り上げて帰って来ることが多くなった。そして家にいる間は、私に一切家事をさせない。「ちょっとくらいは動かないと逆に体に悪いよ」と言うと、「じゃあ散歩に行こう」と手を引いて一緒に外を歩いてくれる。

「…なんか、思ってたのの100倍過保護でちょっとびっくりしてるよ私は」
「人間の体の中にもう1人の人間の命が入ってるんだぞ。放っておけるわけがないだろ」
「シリウスも人並みに心配するんだね、いや人以上か」

茶化して言ってはみたが、実際彼の振舞いには助けられているところが多かった。
体調が悪くて動けなくても、シリウスが身の回りの全てを片付けてくれる。
体と共に心が弱っても、シリウスが傍にいて励ましてくれる。
なんだかしてもらうばかりで申し訳ないと零したこともあったが、「その子を守れるのは君しかいないけど、君のことなら僕でも守れるからな。何より子供は2人で育てるって決めただろ、今は君に尽くすことでしか手を貸せないんだから、世話くらい焼かせてくれ」と一蹴された。

それまでも、シリウスなら良い夫あるいは良い父親になるだろうとなんとなくは思っていた。彼は親しい人達にはいつだって優しかったし、私にはいつだって大きな愛を注いでいてくれたから。
でも、彼が何かを"無条件に庇護する"ところを見たことがなかったせいか、労わられる度に少しの意外性を覚えてしまう。よく考えてみれば、今まで彼の交友関係は常に"自立している対等な人間"でのみ構成されていた。力を合わせることはあっても、相手に縋るようなことはない。私も身重になるまではそのことをあまり意識していなかったのだが、私達は結婚してもなお、良い意味で互いに依存しない関係を築いていた。

意識していなかったのは、それで良いと思っていたから。
でも、今はここに守られるべき弱い命がひとつある。私達2人だけなら自分の足で立てても、お腹の中に宿る子供はそうはいかない。
もしかしたら、どこかで彼にこの小さな命にも自立を求められることを想像していたのかもしれない。少し薄情なことを考えてしまっていたことに、申し訳なさを感じる。

シリウスは私が思っていたより、ずっと温かい人だった。
あるいは、成長とともに心も育ったのかもしれない、と11歳だった頃の彼のことを回顧しながら思う。

「…なーんか、大人になったねえ」
「なんだ藪から棒に」
「昔の無鉄砲で自分本位なワガママシリウスがちょっと懐かしいなって話」
「おや、それじゃあ今の紳士的な僕はお嫌いかな?」
「冗談だよ、すごくありがたいって思ってる」

わざと媚びるようにシリウスの腕を取ると、彼も目を伏せて声を殺しながら笑った。

「本質は何も変わってないんだけどな」
「わかってるって。今でも夜中に何だかよくわからない道具を作ってるの、私知ってるんだから」
「赤ん坊が産まれたら思いっきり笑わせてやろうと思ってね」

おやおや…庭に新しい中古のバイクが置かれていたようだったけど、もしかしてそれも育児に使う予定なのだろうか?
ちらりとそんな皮肉が頭を掠めたのだが、本当は今すぐにでも外を駆け回って遊びたいのであろうシリウスが子供のために家に留まってくれていることを思い、意地悪は言わずにそっと優しく彼の腕を掴む手に力を込めた。

その夜、夕飯を食べ終えてさっとシャワーを浴びてから寝室に戻ると、何やら難しい顔をしたシリウスがベッドに座っているところに出くわした。

「どうしたの、どこか痛い?」
「…いや、考え事をしてたんだ」

ものすごく深刻な顔をしているが、まさかこの短い時間に何か悪い報せでも入ったのだろうか。

「私に話せそう? 何があったか」

慎重に尋ねると、彼は私の目を見て小さく頷く。
それを確認してから、私は静かに彼の隣に腰掛けた。

「────そろそろ子供が生まれるだろう?」
「うん」
「僕達、今まで色々と準備をしてきたよな。服とか、子供用のベッドとか食器とか」
「そうだね」
「でも、大事なことをまだ話し合ってないことに気づいたんだ」
「…何?」

改まって何だろう。必要なことはその都度話しているし、会話が不足しているとは思ったことがないのだが。こと子供のことに関して言えば、シリウスはこれ以上ないほど私の良い相談相手になってくれている。

────子供の名前を考えてない
「………んっ?」

思ってもみなかった方向からの"話し合い"に、一瞬反応が遅れる。

「…名前?」
「生まれてきた時に真っ先に名前を呼んでやりたいから、さっきからとりあえず一人で考えてみてはいたんだが」
「うん…」
「絶対に人と被らなくて、世界で一番輝いて、それでいて悪目立ちしない名前となると意外と難しい」
「……そっかぁ」

笑ってはいけない。シリウスは真剣なのだから。

でも、微笑ましいと思った私のことは誰にも責められまい。

「シリウスの家系の人はみんな綺麗だよね、星の名前で」
「お褒めに預かり光栄だが、せっかく縁を切ったのに名前を拝借するなんて絶対嫌だぞ」
「わかるけども」
「だからここらで神話とかから取るのはどうかと思ったりして」
「いや、多分悪目立ちする」
「…やっぱりそうだよな。でもよくある名前は嫌だ」
「名前自体はありきたりでも、そこに唯一無二の意味が込められたら良いんじゃない?」

あまりにも真面目な様子なので、睡眠を促すためにも当たり障りのないことを言ってみる。しかしシリウスは私の言葉を受けて余計に悩んでしまったらしく、「なるほど、意味から逆に引くのはアリだな…」なんて更に深みへとはまってしまった。

「まあまだ1ヶ月あるし、ゆっくり考えようよ。名前なんて結局愛着を持てるかどうかだと思うんだよね。私、"イリス"の由来なんて知らないけど結構気に入ってるよ」
「響きの良さも重要ってことか」
「ねえ、なんか全部深読みしすぎてない?」

ダメだ、頭の良さが完全に仇になっている。私は1日重たい体を引きずってすっかり疲れていたので、早々にベッドに入らせてもらうことにした。

まあ、いよいよ出産を控えて彼もそわそわしているだけなのだろう。どうせ明日になったら落ち着いているだろうし、今は放っておこう。

そう、思っていたのだが────。

「…なに、これ」

翌日起きてみると、寝室のあちらこちらに家中の本が積み重なっていた。

「文献に出てくる人間の名前を片っ端からさらってた」

ケロリとして言うシリウスは、雰囲気こそ涼しげだったものの、完全に目を充血させてしまっていた。まさか、夜通しずっと子供の名前を考えていたというのだろうか?

「…もしかして、寝てない?」
「これというものが見つからなかったんだよ。徹夜なら慣れてる」
「そうかもしれないけど…」

恐れ入った。もはやここまでくると子煩悩とかいう枠を遥かに超えている。
妊娠が発覚した時からずっと子供のことを第一に考えてくれていたことならわかっていたつもりだったが、まさかここまでとは予想していなかった。

すると、私の呆れた顔が目に入ったのか、シリウスは本をぱたんと閉じて気まずそうに顔を背けた。

「…親馬鹿だって、思うか」
「まさか。思った以上に子供のこと大事にしてくれてるんだなあって感動してた」

肩をすくめて微笑むと、安心したような彼の視線が戻ってくる。

「────あんまりこういう話はするまいと思っていたんだが」
「うん?」
「…実は今でも、"良い父親"がどういうものなのか、わかっていないんだ」

まさかシリウスの口から今更そんな言葉が出てくるとは思っていなかったので、私は思わず返事を忘れて彼を凝視してしまった。ただ、彼の声色にネガティブな調子はない。少し恥じ入るように、それでいてどこか楽しそうにしている。

「子供と接したことなんてろくにないし、自分が子供だった時に親にされて嬉しかったことだって記憶にない。構ってやりたい、背中を押してやりたい、そういう抽象的な理想はあっても、実際何が子供のためになるのかなんてわからない。自分だってまだ子供みたいなものなのに、1人の人間を育てるなんて大層なことができるもんかって、悩む時もある」
「シリウス…」
「でも、わからないなりに最善は尽くすつもりだ。生まれてきてくれたことを誰よりも祝福して、成長していくことを誰よりも応援したい。僕にできることならなんだってしてやりたいし、与えられるものがあるなら存分に与えてやりたい。────だから"名前"は、いわば親になった僕達がその子に渡せる最初の贈り物だと思ってるんだよ」

望んだものを何一つ施されないまま育ち、全て自力で勝ち取ってきたシリウス。彼が"家族"や"子供"に対して少なからず複雑な思いを抱えていることは、昔から知っていた。
だからこそ、人より多少過敏な覚悟を決めようとしているのかもしれない。憧れという形でしか知らなかった家庭を自分の手で作ることについて、必要以上に肩肘を張っているのかもしれない。

彼に変な顔をされることはわかっていたので言わなかったが、私はその時、彼が私に好意を伝えてくれた時のことを思い出していた。
いつも勝気で自信過剰なくせに、彼は人に愛を与えようとする時、いつも少しだけ弱くなる。慣れていないから、あるいは、彼の中でもその感情を処理しきれていないから。

でも私は、いつだってそんな彼の拙い愛を信じていた。そしてその結果、私達なりの幸せを一緒に作っていけたとも思っている。

だからきっと、今回も大丈夫だ。
シリウスがまたブレーキをぶっ壊して暴走するようなら、私が止めれば良い。逆に私が及び腰になりすぎた時は、シリウスが力強く手を引いてくれるだろう。
私達はいつだってそうやってバランスを取りながらやってきた。子供が生まれた後だって、それは変わらない。どんな子になるかなんてわからないが、どんな子であっても「個として尊重する」という約束を胸に、精一杯の愛情を注ぐだけなのだ。

愛を知らなかった私達は、互いに関わっていく中で初めて愛を得た。
今度はその愛を、無垢な命に与える番だ。

「────名前が決まったら、たくさん呼んであげようね」

シリウスの手を取って、優しさをこめながらそう呟く。
彼はそっと手を握り返して、すっかり牙の抜けた顔で微笑んだ。

「小さなレディに会えるのが、楽しみだよ」











「自身の子供の名前を永遠とも思えるくらい悩むシリウス」>>れい様

大変お待たせいたしました…!
パパになるシリウスの話でした。

この話を書く上でひとつ気になったのが、2人とも家族と縁を切っているという点でした。
ぱっぱと名前決めの作業に入っても良かったのですが、この2人は普通の人より"親になる"過程で葛藤するのではないかなと思ったので、ちょっと前置きが長くなっています。
ジェームズとリリーの場合は、ハリーが生まれる時にきっと幸せな未来だけを思い描いていたんだろうなと個人的に考えているのですが(132話のように戦争中という状況を踏まえて悲観的になることはあったと思っています)、シリウスとヒロインはそこまで明るくなれないだろうな…と。その上で、2人で乗り越えてきた今までの時間を思い返して、それでも最後には前を向いてくれるだろうと信じた結果、こんな形になりました。

書きながら「ちょっとシリウスが大人になりすぎてるかな(落ち着きすぎかな)?」と思ったりもしたのですが、アズカバンでの空白の十数年がなく、親友を失うこともなかったシリウスだったらきっとこうなってるだろうな…とその辺りは妄想で補うことにしました。
キャラがブレてるよ〜! と思わせてしまっていたら全力で謝罪させてください。

ちなみに、どんな名前に決まったのかはご想像にお任せする流れになっています。
これは読んでくださった方に自由に決めていただきたかったからです。娘とはいえ、もうひとりのヒロインみたいなものだと思っているので…。

ただ、私の中で「こんな名前だったら良いな」という考えがないわけではないので、自己満足で以下に勝手に決めてしまった名前で進行するアフターストーリーを載せておきます。
どんな名前でも良いよ! という方だけ、ちらっと覗いてくださると嬉しいです。

素敵なリクエストをありがとうございました。夢の膨らむとても楽しい時間でした。













「ママ、何見てるの?」

グレースの声で、はっと我に返る。
いけない、部屋を片付けていたはずなのに、本棚の奥から懐かしいアルバムが出てきたものだからつい見入ってしまった。

5歳になるグレースが、背伸びをして私の腕に捕まりながら手元を覗き込む。

「これ、ママとパパ?」
「そうだよ、ママとパパと…それからあなたも写ってる」
「えー、どこ?」
「ここ」

そう言って嬉しそうに写真の中から手を振ってくる私のお腹を指差すと、膨らんだそれを見てグレースは「どこー?」と困ったように繰り返した。

「まだグレースがママのお腹の中にいた頃だね」
「へー、このママかわいいね」
「ありがとう。パパも格好良いでしょ?」
「パパは世界で一番かっこいいよ!」
「ものすごくわかる…」

世界一の理解者の言葉に、私は思わず深く頷いてしまった。グレースがまだ写真を見たがっている様子だったので、私はすっかり片づけを諦めて傍の椅子を引き寄せると、彼女を膝の上に乗せて一緒にアルバムを開き直した。

「これはリリーおばさんとジェームズおじさんが遊びに来てくれた時」
「あ、ハリーがいる!」
「あんまり会えないのによくわかったね、賢い賢い」

グレースは褒められたことが嬉しかったのか、それから写真の中のあちこちを指差して「これはパパのバイク」「これはほうき」と無機物の紹介まで始めてくれた。

パラパラとページを繰っていくと、やがてグレースが生まれた時の写真に辿り着いた。まだしわくちゃな顔で、小さな手をぎゅっと握りしめながら大欠伸をしている。私の腕に抱かれているその姿は、生まれて数時間しか経っていない頃に収めたものだ。

「うわ、赤ちゃんだ」
「見せたことなかったっけ? これ、グレースが生まれたばっかりの時の写真だよ」
「えー、これがわたし? なんかかわいくない」
「何を仰る、世界で一番可愛いじゃない」
「ママより?」
「ママより」

力を込めて頷くと、グレースは「ふうん」と言って首を傾げる。そして同時に、「あ」と声を上げながら写真の隅を指差した。
そこに書かれていたのは、小さくて短いひとつの単語。

「ぐれー…す…?」
「よく読めました」

"Grace"というその文字を書いたのは、5年前のシリウスだ。

「わたしの名前?」
「そう、パパが書いたの」
「なんで?」
「なんでだろうね…きっと、嬉しくて仕方なかったんじゃないかな」
「なにが?」
「グレースが生まれてきてくれたことが」

今でも覚えている。徹夜を重ねて、一生懸命娘の名前を考えていたシリウス。
結局彼がグレースという名に辿り着いたのは、彼女が生まれてきたその瞬間だった。散々悩み抜いた末に選んだその名を、彼は本当に大切にしていた。それこそ、写真にまで書き込んで四六時中眺めていた時期があったほどに。

「…グレースは自分の名前、好き?」
「うん! グレースって"すてきなレディ"って意味なんでしょ? すてきなレディってどんなレディなのってきいたらね、パパは"ママみたいな人のことだよ"っていったの。だからわたし、グレースってお名前大好き!」

いけない、心臓発作を起こして死ぬかと思った。

「ママもグレースが大好き…」

優美で、上品。そんな意味の込められた言葉を名前に与えたシリウスに、「どうしてその名前にしたの?」と尋ねたことがある。
その時彼は、こう言っていた。

「僕が人生でただひとり愛した人を表す言葉だったからな」

別に娘にそれを求めるわけではない、私の面影をなぞれなんて言うつもりは毛頭ない、そういう風にも言っていた。
ただ、"彼"が愛した"私"の子供に、その"愛"を見える形で伝えたかったのだそうだ。

「それに君も、僕のことをよく"顔だけは上品"って言うだろ」

そして、"私"が愛した"彼"の姿も、そこに込められるようにと。

「君の僕への評価を反映させるなら"無茶苦茶"とか"人間爆弾"とかになるんだろうけど…さすがに子供にそんな暴言は吐けないからな」
「うん、そこは"グレース"に賛成」

どんな子に育ったって良い。その言葉には何の願いも使命もない。
ただ、私達は彼女に人生最初の贈り物として、精一杯の愛を手向けたかった。
今のところ、幸いなことにその愛はまっすぐ伝わっているらしい。グレースはとてもおしゃべりで、元気いっぱいで、明るい子に育っていた。私のこともシリウスのことも等しく好きだとよく口にしてくれて、こうして暇さえあれば私の腕の中に飛び込んできてくれる。

恐ろしくなってしまうほど、私は恵まれていた。

「…やけに静かだと思ったら、2人して何してるんだ」

グレースの髪を撫でながら写真鑑賞をしていると、私が掃除をサボッていることを察知したシリウスが呆れたように部屋に入ってきた。

「パパ!」

シリウスの顔を見るなり、グレースはぴょんと私の膝から降りて、今度は彼の腰に飛びつく。器用に両腕で受け止めて彼女を持ち上げながら(グレースは「キャー!」と歓声を上げていた)、シリウスは私の手元に視線を落とすと、ふっと小さく微笑んだ。

「懐かしいな、グレースが生まれた時の写真か」
「あなたがグレース病に罹ってた時の写真とも言う」
「やめてくれ、プロングズじゃあるまいし」

あからさまに嫌そうな顔をするシリウスを見て笑っていると、グレースがシリウスの腕を叩きながら注意を引く。

「ねえパパ、パパはわたしが生まれてきて嬉しい?」
「ん? ああ、すごく嬉しいよ」
「わたしもね、パパとママのとこに生まれてきて嬉しい!」

その言葉に、思わず顔を見合わせる私とシリウス。

「……」

それは今までの不安を全て吹き飛ばしてくれるような、魔法の言葉だった。

「────それは良かった。みんなが嬉しいと幸せだな」
「しあわせだね」
「幸せだね」

同じセリフを3回繰り返して、私達は同時に笑い出す。
幸せだ。何の迷いもなくそう言い切れるくらい、私は幸せだった。









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