1981/11/3
※最終話まで読まれている方向けです(ネタバレあり)
ぴぴぴ、とアラームが鳴る。魔法使いの目覚まし時計は喋るわ暴れるわ、終いにはこちらの頭を容赦なく叩いてくる始末でとにかくやかましいので、魔法をかけてマグルの目覚まし時計と同じ仕様にしてやった。
…この生活が始まってから、朝早く起きることに抵抗がなくなった。ひとり森の中で目を覚まし、ごつごつとしたとても寝心地が良いとは思えない枕代わりの丸太から身を起こす。
────シリウスと不本意に別れさせられてから、まだ2日しか経っていない。
ジェームズとリリーが殺されたあの夜を越し、日が昇った後にピーターを追い詰めたところで、マグル大量虐殺の事件が起きた。シリウスはその冤罪を着せられ、裁判にかけられることすらなくアズカバン送り。私は情けなくもその場を逃げることしかできず、今はロンドン中央地から少し離れた、まず理性のある人間であれば立ち入らないであろう森の中で身を潜めている。
ただ、私がピーターと何か違うところがあるとすればそれは、ただ逃げて終わる気などさらさらないというところ。
夜は視界が悪くなるのでしっかり休み、夜明けと共に行動開始。ネズミが動くのであれば夜が最も活発的なのだろうが、そこは人間には不利と切り捨て、痕跡探しをするところからその尻尾を捕まえることに力を注ぐことにしていた。
もちろん、ピーターが既にロンドン、いやイングランドからも逃げている可能性はある。ただ、灯台下暗しという言葉もある。可能性で行動の全てを決めることこそ愚かだ。たとえイングランドを潰す頃に遠くへ行っていたとしても、それはそれで地の果てまで追いかければ良いだけのこと。
「シリウス、今日も頑張るからね」
遠い遠い、海の孤城に取り残されているシリウスに小さく語り掛けながら、私は鞄をかけて歩き出した。
────と、そこではたと気づく。
今日は捜索を始めて3日目。
11月3日────シリウスの、誕生日だ。
数年前は、一緒に家でなけなしの御馳走を用意して、戦争が終わった後の明るい未来で使ってほしいと願いを込めて用意したプレゼントを渡して、"一緒に"祝っていたのに。
あの一晩で、私達の日常の全てが狂った。祝うどころか、彼が隣にいないなんて…あの時、想像はしていても本当に現実になるとは思っていなかった。
「……」
私はフードを深く被り、顔が見えないようにすると、ブリストル地区の方まで出向いた。
今日くらいは慣れ親しんだロンドンで過ごしたかったが、既にロンドンは調べ尽くしてある。この数日どこにも痕跡がなかったので、もう既にピーターはここにいないか、巧妙に自身の居場所を隠匿しているのだろう。今目立つ行動を起こして余計に警戒心を与えてもいけないので────ロンドンを再び探すとしたら、それは彼が油断する頃合いまで待った後だ。もっとも、彼が油断という言葉を知っているかどうかはわからないが。
電車を使ってブリストルの中心地まで行くと、人目を憚りながらマンホールを開け、手近な下水道に降りていった。
案の定、そこにはネズミが何匹かいた。人間の姿を見て慌てて逃げ去ろうとしていたが────私はこの2日、死ぬ気で"ネズミ語"を習得したのだ。逃がすつもりはない。
「待って、私はあなた達に危害を加えるつもりはない。ただ、探しているネズミの友人がいるの」
ネズミ達は、人間ほど魔法の存在を警戒していない。私がネズミ語で彼らの足を止めると、「友達?」、「魔女だ」、「こいつ知ってるぞ、ロンドンでお尋ね者になっている魔女だ」と口々に好きなことを言いながら寄ってきた。
「突然住処を荒らすような真似をしてごめんなさい。私はロンドンに住んでいる魔女、イリス・リヴィア。訳あって1匹のネズミを探しているんだけど……左前脚の小指が欠けた灰色のネズミを見なかった?」
「それがお前の友達なのか?」
「元々は、そう。彼は元は人間なの。魔法でネズミに変化することができる魔法使いで、私達の同胞を殺した罪から逃れるためにネズミの姿で逃げている」
「そんなやつが我々ネズミの姿で逃げ回っているのか。下劣なやつだ」
「我々のためにも協力してやりたいが、お嬢さん、すまない。我々もそのような汚いネズミは見ていない」
ネズミという種族は、小心者で逃げ足が速いと思われがちだが、彼らにもきちんとプライドはある。こちらが腰を低くし、"ネズミにとっても不名誉な者が他人の領域を荒らしている"ことを伝えれば、大抵はこうして友好的とまでは言えずともある程度の会話が成り立つ程度には応じてくれるのだ。
その上、彼らはややもすると人間以上にコミュニティが広い。情報伝達の早さにおいては信頼していたのだが────どうやら、少なくともここら一帯にはいないようだ。
「そう…。ありがとう、突然お邪魔して悪かったわ」
「挨拶のできる者であれば、我々は決して攻撃しない。その上、我々の名誉を穢すネズミでもない者がネズミを騙るのであれば、利害も一致している。何か情報があったら知らせよう。お嬢さんの拠点は?」
「ここ数日はアンダーフォールヤード付近のアボン川の橋の下に隠れているつもり。積極的なお手伝い、感謝します」
「助け合いに種族は関係ない。その流暢なネズミ語、お嬢さんもこれまで相当ネズミと関わり、時には助けてくれたんだろう」
…ピーターを探し出すためだけに2日で習得したことは黙っておこうと思った。
その後はネズミ達に伝えた通り、アボン川の河川敷でちょうど人が隠れるにはちょうど良さそうな不法投棄されたゴミ溜まりを見つけた。
周囲に人がいないことを確認してから、そのゴミ袋達に魔法をかけ、新聞紙を詰めた新しい大きな袋と取り換える。見た目には同じゴミ袋にしか見えない、なかなかの出来だ。
ついでに染みついてしまった生ゴミの臭いも消し去り、綺麗な大きいビニール袋をかき分けて、体を横たえるための簡易床と枕をちょうど良い位置にセットする。
日が暮れるまでは、念の為この辺りも警戒して見ておくようにしよう。まだピーターがここに来たばかりで、ネズミ達ですらこの"不法入国"を知らない可能性がある。
おっと、その前に自分自身のための保護魔法も必要か。
私は袋をかき分けて再び外に出ると、人間が探知できなくなるような保護魔法を一通りかけ始めた。
────と、そこで。
「おい、リヴィアだ!」
「ブリストルにいるとはな! 四方に死喰い人を張らせておいて幸いした!」
川の上の道から、ガサガサに荒れた男の声が2つ、聞こえてきた。
ばっと顔を上げると、自分と同じように黒いローブを着て、フードを目深に被った上で趣味の悪い仮面まで被った人間がちょうどこちらを見下ろしている。
────聞くまでもない、死喰い人の残党だ。
ヴォルデモートが失脚して以来、ほとんどの死喰い人は解体されたと聞いているが、元の数が数だ、余程自分の体裁を気にするような者でない限り、ご主人様の意志を継がんとばかりにこうして私達"最もご主人様の名誉を穢した者"達を未だに追い続けている。
あと1分もしないうちに"イリス・リヴィアはこの場に存在しない"ことにできていたはずなのに────今もまだ、秒を争う戦いは続いている。
私は保護のために上げていた杖をすぐさま攻撃のためのそれに切り替え、間髪入れず男に失神呪文を放った。
男はそれをすんでのところで躱すと、姿くらましを使い一瞬にして私の目の前まで下りてきた。姿を現した瞬間、こちらに死の呪いが放たれる。
しかし私は、その程度のことは予測していた。男の姿が消えた瞬間には自分の周りにプロテゴを張り巡らせ、死の呪いを跳ね返す。
どうやら、敵は相当な間抜けだったらしい。姿くらましをした方は多少動ける人間のようだったが、もう片方がとんでもない愚鈍だった。私の跳ね返した死の呪いは特大ホームランを打ち、川の上まで飛んでいったのだが────それがもろに胸に当たり、こちらに来るまでもなくバタンと倒れて死んでしまった。
これを見る限り、手練れのほとんどはまだロンドンにいるのだろう。本拠地を離れて捜索しているメンバーは下位層の弱者達のようだ。
数において劣勢だったので警戒していたが、一人はいかにも馬鹿なやり方で命を落とし、もう一人も私の動きより速く動くことができない程度の人間。
随分と見くびられたものだ。まさか、私が愛するシリウスを失って腕を鈍らせたとでも思っているのだろうか?
死喰い人に厄介なところがあるとすれば、仲間がたとえ傍で死んだとしても動揺しないことくらいだろうか。私は一切気を抜くことなく、むしろ敵の一人が死んだことで油断しているのではないかと勘違いしたもう一人が即座に放ってきた呪いを武装解除呪文で弾き返した。
────敵が死ぬことで心が揺らいでいた時期は、とうに過ぎ去った。でも、私は今もできることなら、積極的に殺しに手を染めたいとは思っていない。
魔力量はこちらの方が上だ。彼が放った死の呪いより上回った威力の私の呪文が、彼の手元から杖を取り上げる。
リーマスと学生時代にさんざ練習した武装解除呪文。取り上げた杖はまっすぐ私の手元に収まり、完全に武器を捨てさせることに成功した。
もしかしたら、その杖は誰かから奪ってきたものなのかもしれない。全く未練を感じさせない動きで男が姿くらましをしようとしていたので、私は石化呪文でその動きを封じ、そのまま立て続けに失神呪文、縛り上げの呪文、目隠しの呪文を唱えた。
これで、生ける人形の出来上がり。こいつは明日、魔法省に連れて行くことにしよう…もちろん、匿名で。
簡単な戦闘が終わった後、私は再び自分が拠点とするべき場所の保護魔法を一通りかけ、その後で川の上にいる遺体も傍まで魔法で運び込んだ。
一人の死体と、一人の無力化され自分の意思では何もできなくなった男。
「────誕生日プレゼントにしては、ちょっと景気が悪いかなあ…」
むさくるしい男を2人も傍に置いて寝るのは少し気分が悪かったので、ついでに大きな袋をもう2枚用意し、片方は息ができる程度の小さな穴をあけた上で2人を袋詰めにした。
改めて寝床ができた後、私はそこにどっかりと座り込み、鞄の中から2つの包みを取り出した。
ひとつは小さな箱。もうひとつは、保冷剤と一緒に包んでもらった大きな箱。
まずは大きな箱の方を開けた。
中に入っているのは、栗がたくさん乗った甘さ控えめのホールケーキ。
「シリウスはケーキがそんなに好きじゃないだろうけど、街中をターキーの臭いに染めるわけにはいかないからね、許して」
独り言を言いながら、ろうそくを立てていく。
「でも、こっちはちゃんとシリウスが喜んでくれそうなものを選んだんだよ」
ろうそくを立て、魔法で火をつけてから、もう一つの小さな箱を開ける。
中に入っていたのは、小型のチェスセット。拡張魔法をかけることにより実際に遊ぶこともできるし、チェス盤まで含め両手を広げた上に乗せられるくらいの大きさなので、ちょっとしたインテリアにもなる。
「アズカバンじゃあどうせ、新聞に載ってるクロスワードくらいしかできないだろうからね。出てきた後、一緒にチェスでもやろう」
チェスセットをケーキの隣に置けば、準備は完了。私は小声でハッピーバースデーの歌を歌いながら、遠い遠い場所にいる最愛の恋人が生まれてきた日を祝い始めた。
「生まれてきてくれてありがとう。生きていてくれてありがとう。今は遠いところにいるけど────きっと、この気持ちは伝わってるって信じてるよ、シリウス。いつ戻ってきてくれるのか、指折り数えながら楽しみにしてる。また一緒にお誕生日を迎えることができたら、その時こそ盛大にお祝いしようね」
ハッピーバースデー、シリウス。
歌い終えた後、よく知っているシリウスの優しい吐息を真似しながらろうそくの火を吹き消す。
今日は珍しく、星のよく見える綺麗な晴天だった。すっかり夜になったその景色の向こうに思いを馳せながら、私はフォークでケーキをつついた。
冷却魔法をかけながら、少しずつ食べよう。そしてこれを食べ終えたら、また次の拠点に行かなきゃ。
急いでピーターを見つけ出して捕まえて……シリウスと再会できる日が、少しでも早まるように。
「…私、頑張るからね」
火の消えたろうそくから細く昇る煙に言葉を乗せ、私は静かな夜を過ごした。
ブリストルから、アズカバンへ────愛を、込めて。
長きに渡る戦いで麻痺しているという部分もありますが、シリウスと別れた後のヒロインは少しだけ無自覚に狂っている(敵が死んだことや、無力化させた敵を袋詰めにするシーンなど)ところがあります。
今まであまりシリウスと離れた後のヒロインについて語る機会がなかったので、ここで少しだけ書いてみました。
よりによって誕生日に!!!!!!!!
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