もうひとりの家族



※最終話まで読まれている方向けです(ネタバレあり)
※ハリーが5年生の時の話







ハリーはふと真夜中に目を覚ました。
時計を見ると、ちょうど日付が変わろうかという頃を指している。あと30秒もすれば、クリスマス当日だ。
ベッドの脚下はまだ空っぽだった。ハリーはクリスマスプレゼントがどのようにして運ばれているのか知らなかったが、少なくとも日付が変わる前に届くということはないらしい。ロンのベッドをそっと見ると、毎年自分以上に小高い山を形成しているはずの彼の足元にも何も置かれていなかったので、自分だけ突然嫌われてプレゼントを差し止められたわけではないとほっと息をつく。

ここ数日の騒動のせいで、ハリーはすっかり消耗していた。ウィーズリーおじさんは無事だったし、クリスマスを大好きな人達と過ごせるのも嬉しい。僕がヴォルデモートの武器じゃないこともわかったし、心配することなんて何もない。
それでも、あの悪夢のような夜のことを全て綺麗に忘れられるわけではなかった。ずるずると廊下を這い回る感触、人を襲いたいと思ってしまった衝動。それはどちらも元々、ハリーには全く持ち合わせるはずのない感覚だった。だからこそ、あれを体感してしまったことで、自分が別の何かになったのではないかという不安が煽られる。

バカバカしい。そんなことを考えるのはやめよう。
少し迷った末、ハリーは水を一杯飲みに行くことにした。冷え冷えとした廊下を歩き、台所へ向かう。

すると階段を降りきった時、ちょうど厨房に仄暗い灯りがついていることに気づいた。
誰かいるのだろうか?

そっと中を覗き込むと、暖炉の揺れる赤色に照らされたシリウスの横顔が見えた。

「シリ────」

呼びかけようとしたハリーの声が、喉元で詰まる。

シリウスは暖炉の前に立って、手元の紙切れを見つめていた。ハリーが違和感を覚えたのは、その時のシリウスの表情だ。とても悲しそうに、微笑んでいる────。

「ん? ああ、ハリーか。どうした?」

ただ、最初に反射で滑り出た言葉の頭は聞こえていたらしい。ハリーがその表情の真意を推理する前に、シリウスの方が先に来訪者に気づいた。

「ちょっと目が覚めて」
「何か飲むかい?」
「うん、水を」

手伝おうとしたシリウスに「自分でやるよ」と言い、ハリーは戸棚からコップを出して水を注いだ。すれ違いざま、さり気なくシリウスの手元を見ると、そこにあったのはどうやら写真のようだった。いつかアルバムの中で見た若い頃のシリウスと、知らない女性が映っている。遠目で顔が判断できないということは、少なくとも母親や、他のハリーが知っているその世代の女性ではないのだろう。

「おじさん、それ────」

ハリーが覚えている限り、シリウスがあんな顔をするところを見たことはない。悲しそうなのに嬉しそう、寂しそうなのに楽しそう、矛盾するいくつもの感情を同時に併発させたようなあの顔を、人は何と呼ぶのだろう。たまに彼は懐かしそうに目を細めて父親の話をするが、それとはまた違う表情のような気がする。

もしかしたら人に見られたくないものだったのかもしれない、と後から思ったが、好奇心を抑えることはできなかった。

水を片手に手元を覗き込もうとするハリーを見て、シリウスはばつが悪そうに笑った。

────君のお母さんの、一番の友達だよ

そう言って、シリウスはハリーを手招いて傍に引き寄せると、よく見えるように写真を暖炉の明かりの前にかざした。

僕の母さんの、一番の友達?

そこに映っていたのは、とても綺麗な人だった。年は今のハリーより少しだけ上に見える。品があって、見るからに賢そうだ。その女性はシリウスの肩に頭を乗せており、シリウスもまた、彼女の腰に腕を回していた。シリウスがまるで彫刻に命を吹き込んだかのように楽しそうに笑っている傍らで、彼女は静かにはにかみながらハリーに手を振っている。

どこかで見たことがあるような気がする、と記憶をまさぐると────何度か同じ写真という媒体でその顔を見たことを思い出した。そういえば、両親の結婚式にシリウスと一緒に写っていた人と、同じ顔をしていたかもしれない。それに少し前にも、ハリーはこの顔を見たことがあった。あれは確か、ムーディに騎士団の創立メンバーの写真を見せられた時だ。名前は確か────。

「イリス・リヴィア…」
「驚いた、イリスを知ってたのか」
「ええと…ムーディに騎士団の写真を見せてもらった時に、名前だけ聞いてて。でも僕、この人が母さんの親友だったなんて知らなかった。それにこの人、おじさんと…」
「ああ、彼女はリリーの親友であり、私の最愛の恋人だった」

えっ、と思わず驚いた声が漏れる。
シリウスに恋人がいたなんて、想像すらしたことがなかった。彼は時折過去の話をしてくれたが、昔の彼の傍にいたのはいつも父親とルーピン、それから裏切者のワームテールだけだ。女性の影なんて全く見たことがなかったし、あまりにもそれらしい素振りがないものだから、ハリーは無意識のうちに「シリウスには恋人なんていない」と思い込んでいたらしい。

「今、この人はどこにいるの?」

もしシリウスに恋人がいたのなら、ハリーが今までに会っていないのはおかしい、と思った。母親の親友だったというなら尚更だ。ハリーが両親のことをどれだけ恋しく思っているか知らないシリウスじゃない、近くにいるのなら必ず紹介してくれるはずだ。

そういえば、シリウスは1年半前、バックビークに乗ってホグワーツを脱出した後どこか遠くの国へ行ったような雰囲気を匂わせていた。吸魂鬼の手を逃れるべく南へ下ったのかと思っていたが、もしかするとその女性がいる場所へ向かったのだろうか────?

「────彼女なら13年前に死んだよ」

すると、シリウスは再び悲しそうに笑ってそう言った。

「死んだ…?」

一瞬、ハリーの脳裏に緑の閃光が走った。ヴォルデモートに殺された父親と母親の姿が、写真の中で笑う女性と重なる。

呆然と立ち尽くすハリーを見て、シリウスが小さく息をついた。

「…少し、話をしようか」










「イリスは僕達と同じ年にホグワーツに入学し、同じグリフィンドール寮に組み分けられた、稀代の優等生だった」

頭の中に、ハーマイオニーの顔が浮かぶ。規則を重んじ、テストで毎回100点以上を取る勉強家のイメージが、写真の中の女性に刷り込まれた。

「素晴らしい人だったよ。実力があって、成績は当然常に最上位。それでも全く驕ったところがなく、誰にでも優しかった。ご覧の通りの美人でもあるしね」
「だからおじさんはこの人のことを好きになったの?」
「────まさか。そんな上っ面だけで知った気になれるほど、彼女は薄い人じゃない」

写真に落としていた視線を上げると、寂しそうに笑うシリウスと目が合った。

「私が彼女と知り合ったのはホグワーツに入学したその日だった。まあ…多少聞き及んでいるとは思うが、私は当時あまり利口ではなくてね。絵に描いたような優等生だったイリスとは、しょっちゅう衝突していたんだ。お淑やかで気が弱くて、場の平穏のために自分を抑える癖のあった彼女のことが、むしろ最初は苦手だったんだよ」

噂でなら聞いたことがある。シリウスと父親は誰よりも仲が良く、その姿と悪行の数々はウィーズリーの双子以上に先生方の手を焼くものだったと。今だって、規則第一のハーマイオニーや身の安全を何よりも心配するウィーズリーおばさんとは何度かぶつかっているところを見たことがある。きっと「苦手だった」というその言葉に嘘はないのだろう。

その時のハリーの頭の中には、ハーマイオニーの頭脳とネビルの性格を掛け合わせたオリジナルの人物像が浮かび上がっていた。ハーマイオニーも優しいとは思うが、決して気は弱くない。むしろ自分を抑えたり場の平穏を優先する辺りは、ネビルの性格の方が近いと思っていた。

「でも、彼女は────本当は、誰よりも強い人だった。どれだけの困難が待ち受けていても決して諦めない気概を持っていた。常に現状を疑う思慮深さと、それに合わせて打ち手を即座に何度でも修正する柔軟さも持っていた。気が弱いように見えたのは、単に彼女がまだ自分を信じられていなかっただけだったんだ。思い切った時のイリスはすごかったぞ、君にも見せてやりたかったな。1年生の時は私達を守るために、監督生だったルシウス・マルフォイに武装解除の呪いをかけて────」

生き生きと楽しそうにイリスの武勇伝を語り出すシリウスに、ハリーは思わず口をあんぐりと開けた。それは喩えるなら、ネビルがハーマイオニー並の精密な呪いをマルフォイにかけたようなものだ(その時ハリーの脳裏を過ったのは、息子のドラコ・マルフォイの方だった)。

「3年生の時にはリーマスが狼人間であることを自力で突き止めて、その上で他の奴らにその噂が広まらないよう、1人でポリジュース薬を煎じてリーマスになりきるなんて大胆な作戦も立ててきた

ハリーの驚きが止まない様子を見て、シリウスの語調が更に軽やかになる。

「4年生になる頃には、もう昔のイリスの面影は残っていなかったな。どちらかというと彼女を揶揄するために使っていたはずの"優等生"の肩書きを逆に利用して、表向きは人畜無害な顔をしながら裏では好き放題やっていたんだから。まったく、良い詐欺師になれるよ」

その時にはもう、ハーマイオニーもネビルもハリーの頭からすっかり抜け落ちていて────むしろ知り合いには全くいないタイプだ、と思った。

「私が彼女のことを好きになったのは、そんな強かさに憧れたからだ。ただめくらめっぽう周りに反抗することでしか自分を誇示できなかった私に対して、彼女はどこまでも計算高かったんだ。計画を立てている間は誰よりも慎重でありながら、実行に移す時は誰よりも大胆だなんて、そんな人、他のどこを探してもいやしなかった。だから5年生が終わる年の夏、私は彼女に────まあ、そこでも色々あったんだが────最終的には好意を伝えて、付き合うことになった」

ふとハリーは、知りえるはずのない両親達の学生生活を思い描いた。
そういえば、ここまで詳しくシリウスの口から学生時代のことを聞くのは初めてだったかもしれない。だからだろうか、自分もよく知っているホグワーツの教室で眠たげに授業を受ける父親や、いつもたくさんの友人に囲まれながら笑っている母親の姿が、自然と────まるで見てきたことのように、頭の中に形作られる。

シリウス達も、自分達と同じようにあの学校で7年間を過ごしていた。
派手に爆発物を撒き散らして怒られたことはあったのだろうか。試験前には、一緒に勉強をして夜を明かしたこともあったのだろうか。

シリウスとイリスは5年生の終わりに付き合い始めたのだという。今の自分とそう変わらない頃だ。でもシリウスはきっと、自分がチョウに接する時よりもずっとスマートにイリスをエスコートしていたのだろう。だって、あんなに格好良かったのだから。

「それからは晴れて恋人として堂々と彼女の隣にいられるようになったわけだけど────それでも、私はきっと最後までリリーにだけは敵わなかったよ。まるで姉妹のように────そうだよ、君のおばさんなんて目じゃないさ。私に言わせれば、イリスとリリーの方が余程本当の姉妹のようだった。あんなに息の合う2人組は見たことがない」
「僕、おじさんと父さんがそう言われてるところも聞いたことがあるよ。一心同体、兄弟みたいだって」

ハリーがそう言うと、シリウスはニヤリと笑って「似たところはあるな」と言った。

「ああ…それに実は、彼女は君とも会ったことがあるんだよ、ハリー」
「えっ?」
「ジェームズとリリーが結婚した時、誰よりもそれを喜んだのはイリスだった。君が生まれるとわかった時、真っ先に泣き出したのはイリスだった。君が生まれて1ヶ月くらい経つ頃、私達は君に会いに行ったんだが────イリスはきっと、ジェームズとリリーと同じくらい、君が生まれたことを幸せに思っていただろう」

改めて、写真の中にいるイリスを見る。優しくこちらに手を振る姿を見ているうちに、残っていないはずの記憶が蘇るような気がして、つい胸が熱くなってしまった。
この人が、母さんの一番の友達。僕が生まれたことを、両親と同じくらい喜んでくれた人。そして────シリウスの、最初で最後の恋人。

もしイリスと今会うことができたら、自分は彼女に何と言葉をかけるのだろう。彼女は成長した自分を見て、何と言ってくれるだろう。────そう考えて、彼女が13年前に死んだと言われたことを思い出す。

「────イリスは、どうして死んでしまったの?」

訊いて良いものか迷ったものの、結局真実を知りたいと思う心に負けてしまった。シリウスの顔色を窺うと、先程までの幸せそうな顔は消え、最初に見せていたあの何よりも複雑な表情に戻っている。

「彼女は────君のご両親が亡くなった翌日、私と共にピーターを追い詰めていた」

断片的に聞き続けてきた、両親の死んだ日とシリウスがアズカバンに投獄された日のことを思い描く。それらは全て、ワームテールのせいで引き起こされた凄惨な事件だった。ワームテールの裏切りによって両親は死に、ワームテールの工作によってシリウスは無実の罪を咎められた。その場にイリスもいたという事実は今まで聞いたことがなかったが、シリウスによって語られる人物像から導けば、彼女が両親の仇を討つべく早々に立ち上がったという話は何より納得感のあるものだった。

「きっと君は、その場にいた魔法使いはピーターと私だけだった、という風に聞いているね?」
「うん。それどころか、イリスの話自体を聞いたのも今日が初めてだった。そんなに僕の両親やおじさんと近いところにいた人なら、噂くらいは聞いても良いはずなのに────」
「まあ、彼女の立場はある意味特殊だったからな」
「どういうこと?」
「ピーターが自爆した直後、私はイリスにあいつを追ってもらうことにした。その時は単に二手に分かれただけのつもりだったんだが────結果として私はアズカバンに連行され、彼女は同じ疑いをかけられる前にその場から退却せざるを得なくなってしまった。苦しかったと思うよ、表舞台に出ればあの夜の関係者としてまず魔法省に連行されるだろうし、ピーターに復讐しなければならないという使命を負ったがために安全なところで隠れ住むこともできない。彼女は1年もの間、たったひとりで裏切者を追い続け────最後は死喰い人の残党との戦闘の果てに、命を落とした」

シリウスの拳がぎゅっと握られる。どう見ても、シリウスがその時のことを悔いているのは間違いないようだった。

「自身の死によって世間的な彼女の疑いは晴れたが、私達と近しかった者ほど彼女の晩年には混乱させられたことだろう。イリスがリリーを裏切るはずがない、しかしあのシリウスでさえ掌を返したのだから確かなことは言えない、そう思ったら今度は死喰い人に殺された────もはや何を信じれば良いのかわからなかったかつての友人達が、曖昧なまま美談として彼女のことを君に語るわけにはいかなかったのだろうね」

シリウスがどれだけ両親や自分のことを想ってくれていたのかは知っている。そしてこの話を信じるなら、イリスもきっとそんなシリウスと同じように自分達を守るため当然のように命を懸けてくれていたのだろう。

そんな人がずっと世間から隠され続けているという事実に、ハリーは少なからずショックを受けていた。何よりたった一夜で引き裂かれ、再会することすら叶わないまま最愛の人に死なれてしまったシリウスの気持ちを思うと、どうしようもなく胸が痛くなる。

「誤解されて広まるくらいなら、彼女のことは誰も知らなくて良い。そう思って私はできるだけイリスの話をしないようにしていたんだが────君を相手に黙っていたら、天国にいるイリスに却って怒られてしまいそうだったからね。"ハリーにはちゃんと私のこと紹介しておいてよ"って声が今にも聞こえてきそうだ。脱獄してからはとにかく互いに忙しくてこんな風に話せる機会もなかなか訪れなかったから…今日ここで君が降りて来てくれて良かったよ。ようやく彼女を紹介できるようになった」

そう言われて写真を見ると、まるで今までの話を聞いていたかのように、イリスが満足げに笑っていた。

「おじさんはどうして今日、その写真を見ていたの?」
「ああ────アズカバンを出てから、祝い事のある日には必ず彼女と"会う"ことにしていてね。特にクリスマスなんかは、学生の頃だと真夜中のうちに彼女を呼び出して、一足先にプレゼントを贈っていたんだ。その名残だよ」

ハリーは1年半前、シリウスが無実だと知った時のことを思い出していた。
新しい家族が増えるかもしれないという期待に、あの時ハリーは確かな幸せを感じていた。誰よりも長く濃密な時間を両親と共有し、その命を預け合ったというシリウス。理由がなくても絶対に自分の味方でいてくれると信じられたシリウス。結局一緒に暮らすことは叶わなかったが、それでもシリウスはハリーにとって特別だった。離れていても、自分のもうひとりの"家族"だと疑っていなかった。

そこに、もう1人の家族が加わったような感覚だ。
イリス・リヴィア。彼女と会った時のことは当然覚えていなかったが、何か温かいものが胸に灯ったような気がする。

どんな風に喋る人だったのだろう。どんな表情を浮かべる人だったのだろう。
シリウスの話から推測すると、とにかく世渡りが上手な人のように思える。それでいて、実はお茶目なところもあったに違いない。

もしイリスがシリウスの隣にいてくれたら、色々なことを教わりたかった。無駄に敵を作らない方法や、嫌なことを言われた時の躱し方も、イリスなら知っていたかもしれないのに。
そんな未来がないことはわかっていながら────ハリーは考えずにいられなかった。もしこの2人と僕が一緒に暮らせていたなら。もっと言えば────生きている両親と一緒に暮らしている中で、この2人が時折訪ねてくれるような、そんな明日があったなら。

「────僕も、イリスに会ってみたかった」

ぽつりと漏れた言葉を、シリウスは聞き逃さなかった。痛みを我慢するように無理やり目を細めて、ハリーの頭を乱暴に撫でる。

「きっとイリスがここにいたら、君を見て半狂乱になっていただろうな。"うわジェームズがいる! でもリリーもいる!"ってね。それからこうも言ったはずだ、"ハリー、世界で一番幸せな子になってね"、と。彼女はリリーもジェームズのことも大好きだった。そして大好きな友人の間に生まれた君という宝を、本当に大切にしていたんだよ」

シリウスの真似が巧かったのだろうか、それとも脳の奥底に眠っている生まれたばかりの頃の記憶が蘇ったのだろうか────その時ハリーは、覚えていないはずの女性の声で、覚えていないはずの女性の姿から、本当にそう言われているような錯覚を抱いた。

「────もしイリスがここにいたら、シリウスも…」

きっと、シリウスと今頃幸せな家庭を築いていたのだろう。たとえシリウスが社会に出られない存在だったとしても────この人がここまで信じ、愛した女性なのだ。そんなことは気にしなかったに違いない。

「……さあ、あまり遅くなると明日の朝に障る。そろそろベッドにお戻り」

あまりに残酷な"もしも"を口にしかけたところで憚っていると、何かを察したのか、シリウスが優しくそう言った。

「私はもう少しイリスと愛を語らうことにするよ。何せこの女、生きてた頃はあんなに口数が多かったのに、写真に収まってこの方一言も喋らないんだからな。仕方ないから、私がその分口を開かないと。ああ、それに今日は良い報告もできる。ハリーに君の話をしたって言ったら、きっと彼女は喜ぶ────」
「シリウス」

まるで喋っていないと泣きそうだ、とでも言われているかのようだった。

ハリーはその時になってようやく、シリウスが初めに見せていた表情の欠片を理解したような気がした。
あれは、"愛"だったんじゃないだろうか。ハリーに愛を噛み砕くことはまだ難しかったが────例えば自分が両親のことを思い出す時の、あの切なくて寂しいのに温かくなるような不思議な感覚を────シリウスも、抱いていたのではないだろうか。

「また…イリスの話、聞かせてくれる? ホグワーツにいた頃、どんな風に過ごしてたのか。母さんとどんな話をしてたのかとか…父さんとはどんな友達だったのかとか…それから、シリウスといる時、どんな顔をしてたのかとか」

暖炉の火がパチリと爆ぜた。シリウスの瞳が潤んだような気がしたのは、揺らめく火に照らされたが故の錯覚だったのだろうか。

「────いつでも、好きなだけ」

ハリーはひとつ頷いて、コップを軽く洗って水切り台に乗せると、台所を後にした。
しかし玄関ホールまで出たところでひとつ思いつき、顔だけ振り返ってシリウスを見る。

「そうだ、シリウス」
「うん?」
「それから、イリスに伝えておいてくれる? 今日は話を聞けて嬉しかった、いつかあなたにもう一度会いたいです、って」

少しだけ、寂しかった。今一番会ってみたいと思っている人なのに、どう願ってもそれが叶わないとわかっているのだから。
でも、その喪失感に誰よりも打ちのめされているのはシリウスなのだろう。誰よりもイリスに会いたいと思っているのも、シリウスなのだろう。シリウスはきっと、今晩のハリーよりずっと多く、色濃い"もしも"を思い描いてきたに違いない。

誰にも語らず、ひとりで恋人のことを閉じ込めてきたシリウス。彼は今日、ハリーにだからその話をした、と言っていた。
だからといって、シリウスの心に空いた穴を埋められるとは思わない。その絶望を共有できるとも思わない。

ただ、ハリーの前でだけは、イリスを"いないもの"として扱わないでほしかった。
シリウスが愛していたというなら、母親が信頼していたというなら尚更だ。ハリーが何も知らない分、たくさんのことを教えてほしい。両親の次に自分を大切にしてくれていたという、その女性について。

「…それなら、イリスに代わって答えるよ。"私は逃げないから、せめてあと100年は恋しがってて"

シリウスは裏声で、またイリスの真似をしていた。その声がどこか上擦って震えて聞こえていたのは、無理に高い声を出そうとしたせいなのだろう。そう自分を納得させることにして、ハリーは今度こそ階段を上がって行った。

────再び眠りにつくのは早かった。ベッドに入るなり心地良い睡魔が這い寄り、誘われるままにハリーは夢の世界へと落ちて行く。

そこには、ハリーの大好きな人達がみんな揃っていた。
ロンやハーマイオニー、ウィーズリー家の人達に、ハグリッドやルーピンもいる。
そんな中、ハリーは少し遠いところに"彼ら"の姿を見つけた。

シリウスと、写真の中から飛び出してきたままの姿をしているイリス。
2人はハリーの両親と大きな笑い声を上げながら話している。
たまらずそちらに近づくと、4人はすぐにハリーに気づき、喜んで歓迎してくれた。

「父さん」

ジェームズが大きく頷く。

「母さん」

リリーがハリーの頭を優しく撫でる。

「シリウス」

シリウスがハリーの肩を豪快に叩く。

「────そしてあなたが…イリス?」

イリスはぱっと嬉しそうに顔を輝かせ、にっこりと笑った。

「メリークリスマス、ハリー」

ハリーもなんだか嬉しくなって、4人の顔を見回し────そして、元気良く答えた。

「メリークリスマス」











「ハリー達に尋ねられてヒロインのことを話すシリウス」>>ヨルノ様
「ハリーがヒロインのことをどう聞いて、どう感じていたか」>>椎名様

リクエストありがとうございます。こちらはお2人に捧げます。

…ということで、「教えて! シリウスおじさん!」のコーナーでした。
ヒロインのことをシリウスから聞くハリーの話は、私自身いつか書いてみたいなと思っていた題材でした。素敵な機会をありがとうございました。

時期は5年生の時のクリスマス。場所はグリモールドプレイス12番地にて。
シリウスとハリーがゆっくり話せる機会があったのはこの年くらいかなあ…と思ったので、時期設定に深い意味はありません。ただもちろん、その日をクリスマスにしたのはシリウスも言った通り、「ヒロインと2人で静かに"会う"ことができる」日だったからです。

ちなみにまだハリーがスネイプの記憶を見る前なので、両親達には美化フィルターがかかっています。
あのOWL事件が発覚した後、ヒロインが悪戯仕掛人の中でどういう立場におり、どういう7年を過ごしてきたのか改めて知れば、また少しハリーの印象も変わるのかもしれません。

シリウスがハリーにヒロインの話をするなら、きっと「リリーの親友だった」ことを強調するだろうなと思ったので、若干その要素が強めになっています。
きっと内心では「リリーに敵わなかった」なんて一度も思ってないと思うんですけどね。

そしてヒロインのことを無茶苦茶に褒めちぎっているのは、全てシリウスの本心です。
もちろんヒロイン存命時に本人にも言っていますが、シリウスは心からヒロインを愛し、尊敬し、憧れていました。その話ができる相手がようやく見つかって、きっと浮かれていたのでしょうね。ヒロインの言葉を勝手に想像して真似しているところなんて、完全に調子に乗っています(ただ2人は他の誰よりも意思疎通できており理解しあっていたので、おそらく仮にその場に本人がいたところで彼女の言葉が変わるとも思いませんが)。

シリウスの言葉通り、実はヒロインが亡くなった後、その存在は半ば隠匿されるような状態になっていました。きっと人々はヒロインの無実を信じていたことでしょうが、何分シリウスに対する誤解があまりにも根強いので…。シリウスは恐らく、死んだ後もなお自分のせいで彼女の人生が明るみに出ないことに対し、そこでも強く自分を責めていたと思います。
でも、ハリーは別です。
互いの親友同士の子供であり、その親友を失った後も一度は共に育てようとすら言っていたハリー。シリウスはハリーに対してなら、永遠に輝かしい思い出として残しておきたい彼女の記憶を喜んで共有できると考えていました。

ハリーがヒロインの話を聞いてどう感じたかという問いについては、「家族が1人増えたような気がした」という一文に全てを込めました。
ハッピーエンドのつもりだったんですが…やっぱり残された側のことを思うと少し悲しくなりますね。生きていてくれたら良かったな、なんて思ってしまいました。

何はともあれ、とても楽しく書かせていただくことができました。
本当にありがとうございました。









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