Is that MURDER?



昔から、新しいものに目がなかった。両親曰く、幼い頃の私は目につくもの全てを指さしては「あれはなに?」、「これはなににつかうの?」と訊きまわっていたらしい。
幸いにも、家にはある程度の系譜と財産があった。私は本に溢れた部屋をあてがわれ、天球技、雲の流れ、人々の歩んできた歴史、今敷かれている政治────それら全てを素直に吸収できる環境が与えられた。

知識と技術を身に着けた偉人達は、皆が何かしら素晴らしい功績を残していた。
だから思ったのだ。私にも、何かを生み出すこと、できるかな、と。
このまま知りたいことを知って、学びたいことを学んで、それを自分の武器として使えるようになった時、私も新しい世界の礎になることができるかな。

きっと私は、誰かが生み出したものに人一倍興味を持っていた代わりに、自分が生み出したものに対しても人並みに興味を持ってもらいたい、という承認欲求も併せて持っていたのだろう。自分が知りたい、そして────自分を知ってほしい────。

────そんなあらゆる欲にまみれたまま育った私の元にも────。

12歳になる年の夏、ホグワーツ魔法魔術学校からの入学許可証がしっかりと届いた。
両親ともども…いや、それ以上に遡ってみても、私の家系は代々魔力を受け継いだ、いわゆる純血家系。イギリス最高峰の学校から入学許可証が届くことはわかっていたし────きっと、私はスリザリンに組分けられるのだろうということもわかっていた。
だって、両親もその先祖も、ずっとスリザリン生だったから。

でも、そこでも私は純粋な疑問を持ち続けていた。

どうしてリヴィア家の子供は、みんなスリザリン寮に組分けられてきたのだろう。
確かに、流れる血が同じ…ないし代を重ねてきた以上、同じ素質を持つ者同士として同じ寮に惹かれがちなその原理自体はわかる。

でも、本当に組分けは"血"で選んでいるのだろうか?
サラザール・スリザリンの思想は、私の思想と本当に合致しているのだろうか?

前情報として聞く限り、私のしつこい知識欲と顕示欲は、どちらかというとレイブンクローの求める資質に近いように思えるのだが。

それでも、皆が言うのだ。
「イリスは、スリザリンにこそ相応しい子だ」と。

もしそれが本当だったなら、私はこの7年をかけて、どうして自分がスリザリンに入れられたのかを絶対に突き止めよう。そしてもし他の寮に組分けられたなら、帽子が何を以てして生徒を組み分けているのか、調べ上げてみせよう。

────そんな魂胆を胸に、1972年、9月────私はホグワーツ特急に乗り、子供の頃から憧れていた、私の人生における最も強い神秘であるホグワーツ城へと辿り着いた。

周りをきょろきょろと見回しながら、私と同じ新入生の顔ぶれを観察していく。
あの子、きっとマグル生まれの子だ。蝋燭がふわりと浮いてその子の顔に近づく度、びくりと体を強張らせているから。マグルの生活って、どんなものなんだろう。気になるな。仲良くなれそうな兆しが見えたら、ちょっと聞いてみよう。
あ、あっちの子は小さい頃に会ったことがある気がする。名前は忘れちゃったけど…純血の家の子同士はよく幼い頃に親同士の交流のついでて会うことがあるから、そういう子達の顔もいくつか確認する。

あとは────。

ああ、やっぱりいた。
レギュラス・アークタルス・ブラック。

私達なんかより、もっとずっと歴史を重ねてきた、"最も高潔なる純血家系"である聖28族の一員として数えられる、由緒ある家柄の次男。
長男であるシリウス・ブラックは私達以上に長らく続いてきたスリザリンの系譜を打ち破り、去年グリフィンドールに組分けられたと聞いた。

その弟が同じ学年として入学してきたとなれば、当然気にもなるというもの。
一体、どんな子なんだろう。お兄さんと同じようにグリフィンドールに入るのかな。それとも、歴史をなぞってスリザリンに入るのかな。

完全なる野次馬精神で彼の組分けを見守っていた私は、その後すぐに後悔することとなる。

────帽子が彼に触れようとした瞬間、くたびれた茶色がぱかりと開いて「スリザリン!」と叫ぶ。割れんばかりの拍手の中、レギュラスは腕の一振りにも乱れを見せることなく堂々とした仕草で大広間、壁際の道を────まるでその道こそが王道のようにまっすぐ歩いてみせた。
全ての視線が、似た背丈の同じような格好をした小さな男の子に集まる。その異常な光景に、私の全身が鳥肌立つ。

彼は、異物だ。

スリザリンの系譜を破った反逆児? そんな革命なんて、たちどころに霞んでしまうほどの"存在感"を私は頭が殴られるほどの衝撃として受けた。
彼は、一体何者? あれは、本当に11歳が浮かべられる表情として正しいの?

歴史に引きずられた結果なんかじゃない。
本能的に理解してしまった。レギュラス・ブラックは、スリザリン寮の中で生きていくことを、望んでいた。もっと言えば、彼はきっとそれを入学前に確信していたのかもしれない、とすら思えた。

じゃあ、私は?
望みも目的もない私は、一体どこに分類される? 全てを見通すと言われている組分け帽子は、私の未来を一体どう見るの?

「リヴィア・イリス」

マクゴナガル教授の声が、私を呼ぶ。緊張より不安よりも、圧倒的に勝る好奇心を胸にしながら、私は軽い足取りで木の椅子に腰掛け、帽子を被る。

「────ふうむ…」

頭の中に直接、深いおじいさんのような声が響いてきた。何かを考えているようだ。

「これは非常に興味深い存在だ…知的好奇心に溢れている。新しいものに対するチャレンジ意欲が高い。いざという時の行動力も持ち合わせつつ、周りの話を素直に聞ける誠実さも備えている。ただ────それ以上に、自分の心にまっすぐ従って走り続けたいという熱が感じられる、ときた。────君は一体、ここへ何をしに来たのかね?」

そして、私に問いが投げられる。
でも、そんな質問ならこれまでにも"何度だって受けて来た"。

どうして私が神秘を追い求め続けるのか。
どうして私が、まだ知りえない世界に自ら進んで飛び込みたがるのか。

そんなもの、決まりきっているじゃないか。

「私は、私が望むものを全て手に入れるためにここへ来たの」

知識。魔法。歴史。そして、自分の限界。

幼い頃にはどうしても知ることのできなかった────限界。それを、ここでなら解放できる。そう期待して、私はここへ来た。
貪欲だと言えば良い。身の程知らずと笑えば良い。それでも私は、私が欲する"全て"を、どんな手を使ってでも絶対にモノにするつもりでいた。

そんな私の覚悟をどう受け止めたのか、帽子は再び唸り、そして────。

「ならば君には、君が最も輝ける場所で研鑽してもらうのが良いだろう────スリザリン!

最後の言葉は、大広間中に響き渡っていた。
割れんばかりの拍手は、さっきレギュラスがその道を完全にレッドカーペットにしてしまった一番端のテーブルから聞こえて来た。

私は胸を張り、"彼"が歩いた道をそのままなぞり、そうして温かく端のテーブルに迎え入れられた。彼のように格好良くは歩けなかったけど────私だって、彼と同じ寮に組分けられた気高い生徒(になる予定だ)。入学した今何もわからなかったとしても、卒業する頃には自分のことも、世界のことも限界まで知って、最もスリザリンに相応しい生徒としてここを出て行くだけだ。

奇しくも、空いていたのはレギュラスの隣の席だった。湧き出る知的好奇心をなんとか抑え、「よろしくね」とできるだけ上品に聞こえるよう声をかける。

「よろしく、イリス」

レギュラスの表情は────これまた感心してしまったのだが────どう頑張っても読めなかった。
小さい頃から周りの表情は常に観察していた。言葉の中に一瞬現れる感情。取り繕っていても、必ずどこかで綻びの出る挙動。

彼にはそれが、一切なかったのだ。
笑っている。握手もしてくれた。私が取りやすいように、大皿に乗った料理までこちらの方に近づけてくれている。
行動は紳士的、模範的。誰が見たって好印象を抱くような優しい微笑み。

なのに、そこに感情が一切乗っていないことに気づかないほど、伊達に人間観察を趣味にしていない。
レギュラス・ブラック。相当の曲者だ。

観察対象としてこれ以上面白い人を────私は未だかつて、見たことがなかった。

良いね。知識や歴史は本から。魔法は、先生から。派閥は、仲間から。
そして────信念を持つ他人の根幹という神秘は、彼から得ることにしよう。

────私がレギュラスという人に関心を持ち始めたのは、そんな完全な打算によるが故のものだった。

でも、私が意図的に彼に取り入るような真似をする必要は…なぜか、なかった。

知識を得に、図書室へ行く。すると、彼がいる。
授業を受けるために、早めに教室へ行く。すると、彼がいる。
私はお腹が空いた時だけ食事を取れば良いやと思っているので、食堂に行くタイミングもまちまちなのだが────ほぼ必ずと言って良いほど、彼がいる。

「…よく会うね」
「多分、スリザリンの男子生徒より君に会う機会の方が多いだろうな」

クスクスと笑いながら隣の席を勧めてきたレギュラスは、相変わらず造られた笑みを浮かべるのが上手だった。同じ寮の仲間だから、いつもツンと澄まして歩いているレギュラスも、こういう時だけは薄皮を一枚剥いで親しみやすそうな態度で接してくれる。

「レギュラスって本当に勉強熱心だよね。食事のタイミングが合うのは偶然…にしても、図書室で自習とか教室一番乗りとか、なかなか他の子はしないじゃない?」
「まあ…せっかくホグワーツに来たんだから、色々と調べたいことや知りたいことがあるんだ」
「…私と一緒だ!」

でもきっと、レギュラスは私が"今"知りたがってる情報なんて全部知っているんだろう。その上で、もっと深い知識を求めに行っているんだろう────と自然と思わせてくるくらいには、入学してからのこの2ヶ月、彼の行動はあまりにも全てができすぎていた。

先生に何を尋ねられても完璧に答えるし、なんなら既に同じ年の寮生の勉強の面倒も積極的に見始めている。それだけじゃない。私がまだなんとなく近寄りがたい(言ってしまえば、品定めをされているような空気すら感じる)先輩とも十分に打ち解け合っている様子が見えるのだ。
レギュラスは、完全に私より遥か先を進んでいる。────だからこそ、興味が湧く。

「ねえ、レギュラスはいつも何を調べてるの?」
「何って…課題のこととか、先生がチラッと言ってた古代魔術のこととか、そんなところだけど。イリスは?」

あ、なんか今話をはぐらかされた気がする。すごく薄っぺらいこと、私でもそのくらいは調べてるよ、って言えることを簡単にまとめられた気がする。

「…私もまったく同じだよ。課題の参考書に使ったり、先生が初めて出した言葉について調べてるの」

…レギュラス、あなたはそれを聞いてどう思う?
私でさえ、自分が彼より劣っていることを自覚している。

そんなあなたに、私のような「手当たり次第の情報をとりあえずインプットしたいんだ」なんて生温い女が"自分と同じ"だって扱いを受けたら、流石に不快感を覚える?
────そうしたら、私はやっとあなたの"人間らしい"顔を見ることができる?

でも────予想は、裏切られた。

「君も勤勉なんだな。そうだね…僕達は、一緒だ」

私の挑発は、よく見るいつもの上辺の顔で一蹴されてしまう。
…思った以上に、やっぱり彼の方が何枚も上手だ。ありきたりな煽りじゃ動じない。

それでも、私は彼のことを知りたかった。
歴史や魔法なら本で調べられる。でも、人の心の動きは本じゃわからない。人が持つ信念の原動力とその先に描く未来は、その人にしかわからない。
だから私は、レギュラスのことがずっと気になっていた。"何を考えているのか予想もつかない"上級生より、ずっと身近にいる"何か明確な目標があるのはわかっているけど、それが何の因果から生まれてどこへ向かっていくのか"がわからない同級生の方が、余程私にとっては身近な謎だったのだ。

「じゃあさ、明日一緒に勉強会しない?」
「勉強会?」
「私、古代魔術の方はからっきしなの。でも、逆に天文学なら得意。…レギュラス、この間シニストラ先生に当てられた場所、答えられてなかったでしょ」

もちろん、それにだって理由はあるかもしれないけど。
でも、私はとにかく彼と接点を持ちたかったから────それに、"薄皮一枚"の彼だったら、同寮生の頼みを断るわけが────。

「…よく見てるんだな、君は本当に。じゃあ古代魔術の代わりに、天文学のご教授を願おうかな」

目論見通り。レギュラスは笑って私を懐に入れ────る演技をしてくれた。

翌日。
私は約束通り、18時には図書室に入り、天文学の本が置いてある棚の近の机に向かった。するとそこには既にレギュラスがいて、打ち合わせていた『空の神秘』ではなく────なぜか、『闇に葬られし古の記憶』を置いて、向かい来る私を迎えてきた。

「…なあに、それ」
「なんてことはないさ。君が来るまで暇潰しに読んでいた本だよ」

レギュラスはしれっとそう言って、わざとらしくその本を私からズイと遠ざける。「今日はよろしく」と言って隣の椅子を引いてくれる仕草はとても紳士的だったのだが、私の関心はそんなところではなく────。

「『闇に葬られし古の記憶』は、禁忌指定になっている闇の魔術に関する本じゃない? そんなものを、暇潰しに読むの?」

自分の声が鋭いことには、すぐ気づいた。本当ならもっと気楽に、無駄話の延長でするつもりだった話。やっぱり私は、彼ほど演技に長けているわけじゃないらしい。
でも、どうしたって放ってはおけなかった、これは私の生まれた時から持っていた好奇心。禁忌指定になっている学校内の本は、ホグワーツの先生の許可証を取らないと読むことが許されないはずだ。

しかも、私はこの数ヶ月で既に自他共に認める"知りたがり"の名を馳せていた。そんな私の目の前で、そんな興味深いものをこれ見よがしに、読む? それを私が放っておくなんて────彼に限って、本当にありえる?

「────どうして、その本を"今"読んでいたの?」

私の質問は、本来の意図から離れた。レギュラスのせいで。
模範生として、良くも悪くも目立たず優秀に過ごしているレギュラスが、そんな派手なものを"知りたがり"の前に持ってくるわけがないのだ。ならばそこには、絶対に私に見せたいと思った理由がある。
そして────その理由を、私に尋ねてほしい。そうでしょう?

レギュラスは本に視線を遣り、それから私を見て────「敵わないな」と白々しく言った。

「君は、失われた歴史をどのくらい知っている?」
「…定義によるけど」
「どうして今、マグルと魔法使いの間に埋められない溝があるのか。どうして魔法使いの中でも、純血主義の人間が優遇され────そして、一部ではその考え方が"差別的"と敵視されているのか。今となっては当たり前になっていることが当たり前になる"前"のことを、どのくらい調べた?」

レギュラスは突然、まるで前もって準備していたかのようにいくつもの質問を私に投げてきた。でも、その顔は今までずっと遠くから見ていたどの日よりも真剣で────。

私はその時初めて、彼の本心の片鱗を見たような気がした。

試されている。

直感的にそう思ったのは、きっと間違いじゃない。
だから私は、嘘をついてはいけない。

「────調べられることなら、なんでも。私は魔法使いの家に生まれたから、ある程度の歴史は知ってる。でも────私が知っているのは、そんなある程度の血を繋いできた魔法使いの家にならどこにでもある本の内容だけ。誰がどこで声を上げて、いつ何が起きて、今外の世界がどうなっていて────これから一体この世界がどうなっていくかなんて、知らない」

これが、私の答えだ。
綴られてきたものなら、知っている。だからきっと、レギュラスの問いに一言で返すなら「YES」で済んだのだろう。

でも、これからの未来を拓く手段は何も知らない。レギュラスが私に尋ねたのは、決してそんな"私なら当たり前にわかっているであろうこと"じゃないはず。言葉の上では"過去"と"現在"の知識を訊かれたけど────彼が知りたいのは、きっと私が思い描く"未来"だ。

「レギュラスは、それを知ってどうするの?」
「そうだな────君は、どう思う?」

なんて傲慢な人なのだろうと、そう思った。
きっと今私は、レギュラスの核に触れようとしている。完璧な鎧に覆われた"作品"のレギュラスでもなく、私達寮生に向けて接してくる"薄皮をつけた"レギュラスでもない────その皮を剥いだ、もしかしたら何よりもおぞましいものかもしれない、そんな中身を見ようとしている気がする。

「────前から、気になってたの」

入学式の時に感じた、衝撃。
家柄としてスリザリンに入ることが決まっている、と噂されていたはずなのに、まるで自らその寮を勝ち取ったかのように優雅な仕草で緑色のローブの群れに迎え入れられて行った姿。
あの異様な空気は、あの夜限りのものだった。
翌日からはぴたりとその嵐のような雰囲気が鳴りを潜め、彼は工作したかのような巧妙さで周りの生徒に"紛れて"みせた。

確かに、成績は優秀だ。素行も良いし、友人への当たりも良い。

でも、彼が表立って"何か"をすることはなかった。
入学式の時には「彼がホグワーツの法則を全て変えてしまうのではないだろうか」なんて、馬鹿げたことすら考えてた。そんなこと、たかだか十代の魔法使い見習いひとりにできるわけなんかないのに。少なくとも、上級生や先生達は、「品行方正な子が来たな」くらいにしか思ってないはずだ…って、冷静な頭でならわかっていた。
それでも私には、直感でそう思ってしまうほどの雷が走っていたのだ。それが突然消えたら────どう思う?

違和感なら、ずっと持っていた。"あれ"と"これ"は、本当に同じ人なのか、と。

「あなたは、何かを隠してる。今じゃないいつか、"何か"を起こすつもりでいる。でも、きっとそれは誰にでもできることじゃない────だから、刻が来るまで身を潜めてるんじゃないかって。"闇に葬られた記憶"みたいに誰の目にも留まらないまま、準備を整えてるんじゃないかって」

例えば、校則でも変えちゃう? 誰か親の仇になっている先生でも辞めさせるつもり? それとも逆に、誰か先生に取り入って、より邪悪な魔法を習いたいの?
わからない。私はただ、レギュラスが何かを秘密裏に進めようとしている気配を仄かに感じているだけ。突っ込んで"知りたい"と思い、ずっと観察し続けてようやく見つけたのが、そんな朧げな空気だけ。

だから、わかるわけがないのだ。

「あなたが"真実"を知ってどうするかなんて、私にはわからない。だって私はそもそも、あなたの考えを何も知らない。そこに本が一冊あったところで、100人の人が読めば100通りの感想が返ってくるだけでしょ。そのうちの1つを、今の不確定要素だけで推測しろなんて…あんまりにも愚かじゃない?」
「────でも、君は今日僕をここに呼んだ。それは、知りたかったからじゃないのか? 僕の"考え"を」

やっぱり、私の浅い打算なんてとうに見抜かれていたらしい。そのことに、私は却って安心する。このくらい看破してくれなければ、私が7年の歳月をかけて追う価値などないのだから。

「…テストに合格してるなら、教えてくれる?」

あなたが試した私が、あなたのお眼鏡に叶うというのなら。
人間という生き物の中に秘められたひとつの謎を、私に見せてくれる?

「もっと愚鈍だと思っていたことを、詫びるよ」

期待を込めて答えを待っていたのに、返ってきたのはそんな不躾と言って余りある言葉だった。

「君は僕の想像を遥かに超える────…どころか、僕の思い通りに動かす駒にすらなってくれなさそうだな」
「生憎、私は世界がどう回っていくのか俯瞰的に見たいだけなの。誰かの人形になるなんてまっぴらごめんなんだよね」
「そういうことなら、聞いてくれるか?」

もちろん。早く、あなたの中で出されている最適解を教えてよ。

「────僕はいずれ、世界をひっくり返す」

その先にあった"謎"は、いとも容易く私の想像を超え、そして────着地する場所を見失ったまま泣き始めてしまった。

なに、それ。

「世界を、ひっくり返す…?」
「戯言だと笑って去るなら今だぞ」

レギュラスはそう言って────ニヤリと笑った。私の見たことのない顔で…まるで、私がそこで去らないことを確信しているかのように。

震える手で、私は自分の頬を触る。そして、その時点でもう私は逃げられないことを悟った。
だって、私も同じように────笑っていたのだ。

「詳しく聞かせて、その話」





レギュラスの思想は思っていた以上に根深いものだった。
このご時世、簡単に純血主義を名乗る人はたくさんいる。聖28族が良い例だ、彼らは自分達が特別な家系に生まれたことをよくよく自覚しているが故に、理由もなく自らが最も高潔な人種だと思っている。
それに反抗するのが、親マグル派。時代に合わせ、理解あるマグルから生まれた魔法使いとは積極的に手を取り、かつて魔法使いとマグルが共に生きてきた世を喜ばしく迎え入れようとする、前者とは真逆の存在だ。

どちらも、極端な位置に陣取って声高に叫ぶ者は少ない。特に学生である私達は、ただ"なんとなく"でマグル生まれを差別したり、"なんとなく"でスリザリンを嫌悪する。
そんな中、誰もがふわふわと揺蕩う水槽の中でしっかり地に足を付けて立っていたのが、レギュラスだった────と言えば良いだろうか。

両親は、盲目的な純血主義者。兄は、まるでそんな両親に対抗するためだけに生まれてきたような親マグル派。シリウスについてはどこでそんな思想を拾ってきたのか、はたまた本当にただの反抗期だったのかは知らないが、とにかく魔法界の根源に繋がる深い思想の部分で大喧嘩をする中、息を潜めて育ってきたのがレギュラスだったらしい。
そんな彼の主張は、両親とも兄とも違うものだった。
むしろもっと理解しやすく単純な────"生まれてきたものが、あるがままの姿でいられる世界"を望んでいるのだという。

「どうして?」
「むしろ、どうして自分の命を他人に定義されなければならないと思っているんだ?」
「それが多種多様な人間を統率するために作られた秩序の上に成り立っているから────……ああ、だからあなたは…」
「そう。新しい"秩序"を作りたい。それが混沌としたイメージにしかならないのは当たり前だろう、だってそんな世界はまだないんだから」

新しい世が生まれる時、そこには必ず混乱が生じる。そりゃあそうだ。知性を持った人間が複数集まって生きていくためには、ルールを敷かなければならない。だからといって法を敷いたところで、それに命を持つ全ての生き物が賛同することは決してない。それが"当たり前"になり、新たに生まれた者が「そういうものか」と洗脳されたまま生きていけるようになるまでは相応の時間が必要だ。

「僕は、自分の命を他人に定義されない秩序を作りたい。それが僕の命のある限りでは叶わなくとも良い────その、礎になりたいんだ。だからそのために仕える主と、共に歩んでくれる仲間を必要としている」

レギュラスは、私に何かを訴えるようにこちらを見上げた。勧められた椅子に座ることを忘れた私は、ついその灰色の瞳に魅せられる。

「────それで、私にその話を?」
「…呑み込みが早いのは見込み通りだな」

その話をするためだけに。私がどこまで理解できるのか────そしてそれにどこで拒絶反応を示すか試すためだけに、彼は禁忌指定の本を私の視界に入れた。
それがどれだけ大きな賭けだったのか、想像するに難くはない。

私はきっと、初対面から信用してもらえるほどの人間ではなかった。
魔法使いの生まれとはいえ、純血の家系と誇れるほどの系譜はない。加えて、この知りたがり屋な性格は災いすれば、そういった秘密裏に進めたがっている人の情報を勝手に漏らす恐れだってある。
ただ、知りたがりということはつまり、それだけ己が多くの情報を持っている可能性もあるということ。私が"どちら"の思想も見せなかっただけに警戒された部分はあるだろうが、先にレギュラスへの興味を示していたのは私の方だ。あとはその脳と心もレギュラスの方へ向けば、少なくとも忠誠という観点からは強い味方になりえる。

だから試された。まずは、レギュラスの考えに思考が追いつくかというところを。
そして、きっと今は問われている。

レギュラスの目指す未来に、心が追いつくかというところを。

「君は、どう思う? 僕の思うことが現実味のない子供の意見だと思うなら、そう言い捨てて今すぐ去った方が良い。そんな人間と一緒に勉強する時間はもったいないからな」

あくまで彼は真剣だった。初めて見せる本気の顔で、まばたきすら抑えて私を見ている。
私は、どう思う?
例えば、それを言ったのがすぐ隣のベッドに拠点を持っているクロエだったら。あの子が突然朝起きて、「新しい秩序を作るわ!」なんて言い出したら。きっと私は、もう一度彼女を眠らせていたと思う。

でも、ここにいるのは誰だ?
入学した日から気にかけ、その内に秘められた"何か"を見抜こうともがいてきた相手。
今私は、彼の核に触れている。秘められている"何か"にようやく辿り着いている。

彼の言う通り、引き返すなら今だ。
思った以上に、彼の抱えている野望は大きかった。冗談だと笑い飛ばすことはなくとも、そこについていく、まだ彼を追うと決めたのであれば、その決断には重い拘束力がつく。ともすれば、他の何もかもを捨てて彼の────実現するかどうかもわからない未来を追い続けなければならないかもしれない。

今まであらゆることに等しく興味を向けてきた私に、それができる?

────ううん、本当はそんな疑問が出る時点で、わかっていたんだ。

今まであらゆることに等しく興味を向けてきた私が、その全てを捨ててでも追い求めたいと思ったたったひとつのものにこの瞬間出会ってしまったということを。

ここで迷う時点で、答えは出ていた。だってレギュラスのことを否定するのなら、私は考えるより先に「もっと違うことにも興味を持ち続けていたいから」と、彼と"今まで通り"の薄くて厚い距離感を保とうとしていたはずなのだから。

「具体的に、私はあなたのために何ができるの?」

YES、NOの前に"その先"をいく答えを出すと、レギュラスは笑みを深めた。まるでそれはお兄さんが私達を見る時に向ける顔────要は、何か"悪いことをしようとしている"時のようで────そんなところで、私は生まれて初めてレギュラスがあのお騒がせなシリウスの弟なのだということを深く認識した。

「ほう、これまた驚く答えを出してくれるんだな…。僕はどうやら、自分に驕りを持ちすぎたあまり、他人を過小評価する癖がついていたらしい。反省しよう。君にはきっと、僕が何かを願うより先に動いてくれる力があるんだな」
「それを期待してくれるっていうんなら、今の時点であなたがやりたいことを教えてよ。できる限り、私にできる範囲のことを私もやってみるから」
「いや、実際そうは言っても今君に特に何をしてほしいということはない。────もうこの際だから正直に言うが、君を今ここで自由に動かして下手な間抜けを連れて来られても困るからな」

なんだ、ちゃんと人を見下した言葉だって言えるんじゃないか。
誰にでも良い顔をして、誰にでも好かれるように振舞って、そうやってつつがなく7年を過ごしていくものだと思っていた。入学式の時の直感を信じ続けた私の本能は、正しかったらしい。

「それなら、私が動ける時が来た時にまた良いように使って」
「とは言うが────既に君が、僕の駒にならないことなら明白だぞ。あくまで利害が一致しているからこそ同じ目的に向かって動くことができる、その舞台が整っているだけじゃないか。いざ僕が君を道具扱いした時、君は本当にその全てを命令通りに遂行するのか?」
「私の主義に抵触しない限りは、多分」
「実際こちらとしても呑み込みが早いのは助かるが、君の行動原理はあまりに僕にとって不確定要素が過ぎる。念の為に聞くが、僕だって君が"新しい時代を創る"ことに差し当たっての興味がないことなら察しているんだ。それでもなお僕の手を取ろうとする理由はなんだ? 君に、それで一体何のメリットがある?」

どこまでも慎重なレギュラスは、ただ単純に私の「ついて行くよ」という言葉を信じれば良いだけなのに…むしろその言葉を期待してそんな話を持ち掛けてきたはずなのに、まだ私を疑っているようだった。まあ、一般的には笑い飛ばされがちな話を二つ返事で請け負われたのだ。戸惑うのも、少しは仕方のないことなのかもしれない。

きっと、レギュラスが私にとって未知の存在であると同時に、私の存在もレギュラスにとって未知だったんだ。

「私は今まで、"そこにあるもの"にだけ興味を向けてきたの。でも、あなたの言っていることには、それを遥かに凌駕して余りある興味を惹起させてきた。新しい時代を創る? そんなこと、11歳の少年が言うなんて、少なくとも私の世界にはありえなかった。ありえなかったことが、もしかしたら今後ありえるのかもしれない。────それだけで、私が生涯を捧げるには十分な"知りたいこと"になるんだよ」

心からの気持ちを込めて、そう告げる。
私だって、周りから見ればただの"知りたがり屋"。誰とでも適度な距離を取っていた方が当然警戒されずに無難な情報を集められるし、まず情報を得るためには相手との信頼関係を築かなければ始まらない。だから────そう、私も言ってしまえば、彼と同じだったのだ。
外面を良くして、誰にも不快感を与えない程度の言動を見せて、うまく懐に入ることを第一目標にする。

だから、まずはこちらから、心を開く。生涯を捧げるという言葉に少しの偽りも生まれないよう、まっすぐ彼の瞳を見つめ返して。
────するとレギュラスは、ようやく安心したように笑ってくれた。それは、私が初めて見る…先生にも、他の寮生に見せるものとも違う、まだあどけない子供のような笑顔だった。

「それなら安心して、君の自由を尊重しようじゃないか。僕が頼みたいことは、都度言うだけ言ってみよう。それで君にとってもメリットが生じる話があったなら、その通りに動いてくれるだけで構わない。メリットが生じない話だったとしたら────うん、僕の持ちうる語彙の全てを使って、君をその気にさせてみせる努力をするとしよう」
「良いね。他人に興味を持って自分から首を突っ込むばかりだったから、そうやって私の心の内を探ろうとしてくれる人の存在は私にとっても新鮮な経験だよ」
「呆れた。君は本当に、欲深いんだな」
「利害が一致していて良かったね」





そうして私とレギュラスの共同戦線が始まってから、1年が経つ。

「作戦会議をしたり、呪文の練習をする場所が欲しいな」

いつもの天文学コーナーの蔵書が並んでいる一角のデスク。天文学を寮の談話室以外の場所で根詰めて学ぼうとする人などそうそういないので、ほぼここが私達の秘密基地と化していた。
寮の談話室は、意外と声が通ってしまう。スリザリンはその特性上すぐに"闇の魔術の道を選ぶ"と思われがちだが、実際は全くそんなことはないのだ。闇の帝王に加担するような話を出せば当然敬遠されるし、最悪"現代の正義感"を持った寮生にダンブルドアへ密告される恐れもある。

レギュラスは私を誘った後も積極的に仲間を集めているようだった。まだ派手には動けないということでスリザリン寮内でも目立った純血家系・闇の魔術に系統している人間を中心にしているとのことだが────それでも、既に5、6人は私達の"同志"になっている。

「呪文の練習っていうのは…あの、セブルスが考えているっていう?」
「そう」

1学年上のセブルスは、入学した時から7年生にも匹敵するほど闇の魔術の使い手として能力が長けているという話だった。とても親しみやすい性格とは言えないのだが、彼のある種執念じみたその闇の魔術への研究には確かに尊敬を覚えるものがある。新たな呪いを考案しては宿敵たるポッター(なぜグリフィンドールの彼とセブルスがそこまで揉めているのかについても情報を集めたが…どうやら、ここでもまた思想の違いによる争いが勃発しているらしい)に奇襲を仕掛けるタイミングを狙っていると専らの噂だった。

「彼の考案した魔法は、それこそ真っ向勝負から相手方への妨害にも役立つものばかりだ。セブルス本人とは交渉中だが…あれを、僕達の陣営全員が使いこなせるようになれば、向こう側への脅威として十分成り立つ」

私はその時のことを想像し、思わずぶるりと震えた。まだ十代である私達が、熟練した大人の魔法使いを未知の魔法で圧倒していく姿────そんなことが本当にできたのなら、それはきっとどれだけ”レギュラスにとって”面白いことになるのだろう。そして私は、新たな魔法の原理を知った時、どれだけ面白いと思うのだろう。

「君なら何か知らないか? ある程度の人数を収容できて、話し声や魔法の行使をしてみても周りに悟られないような…そんな夢のような空間を」

もちろん、私がそんな"愉快な場所"を知らないわけがないじゃないか。

「中央塔の7階にある"必要の部屋"って知ってる?」

案の定、レギュラスはきょとんとした顔をしてみせてくれた。
実際、私があの部屋を見つけたのも元々は偶然の産物によるものだ。とにかくなんでも良いから"目に見えるホグワーツ城の中にはないものを見たい"と願いながら廊下をうろちょろと歩き回り、彷徨い果てた末に7階へ辿り着いた時のこと。そこにはただ何もない廊下が広がっているだけだったので、「何かがおかしい」と思い隅から隅まで観察しながら何度も往復していたのだ。
するとどうだろう、3回ほど廊下を往復した頃、そこには今まで影も形もなかった"扉"が現れた。やっぱり"何か"があったんだ、と好奇心のままに躊躇なく扉を開けると、そこにはおそらく管理人辺りに見られればすぐに没収されると思われるようなジョークグッズに闇の道具、それから図書室にはない蔵書やらとてもじゃないが学生の身分では手に入らないような高価なもの(とはいえ私の5倍ほどはあろうかという銅像や、それを持って歩き回ればすぐに見つかるであろうやかましい絵画のような、持ち出すには不向きなものばかりだったが)に溢れていた。

何の部屋なのだろう、と思った。珍しいものや、それこそ生徒から没収したものを置いておく部屋? でもこれはまるで、さっきまで私が願っていた"目に見えるホグワーツ城の中にはないもの"で溢れている部屋そのものじゃないか。偶然という可能性もあるが、同じことを考えながら何度もその場を往復したことで"扉"が出現したのなら、この部屋が私の"願い"に呼応した可能性は大いにありえる。だってここは、なんでもありの魔法の城なのだから。
そう思った私は、試しに別のことを願いながらもう一度廊下を何度か往復してみることにした。

ふかふかのベッドで眠りたい。あわよくば、今日は柔らかいベッド、今日は固いベッド、と分けてみたり、枕も気分によって変えてみたい。それから、スリザリンはどこを見ても緑色に染まっているから、他の寮の色の天蓋がついたベッドにも腰かけてみたい。
そんな小さな我欲に満ちたことを願いながら、往復すること再び3度。
部屋を出た瞬間、まるで絵具で塗り潰したように消えていってしまった扉の装飾と形は、私がベッドで頭をいっぱいにしながら目を開ける頃に再び出現したのだだった。

ただ、扉の外観に特段の変化はない。
今度は却っておそるおそる、内側の方が変わっているかどうか心配しながら扉に手を掛ける。
すると────驚いた、今度はものの見事なダウンライトに優しく照らされた無数のベッドがそこにあるじゃないか。夢想した通りの雲のようなベッド、家具量販店によくあるような硬いベッド、赤、黄、青の天蓋がついたベッド…どれもこれも、私が見たいと思ったものばかりだ。

そうやって何度かくだらない希望を企んでは部屋を出入りしているうちに、確信した。
その部屋は、廊下の前を通った者が”必要”としているものを用意してくれる、まさに"必要の部屋"とでも呼ぶに相応しい場所なのだと。

早速私はレギュラスを中央塔の7階に連れて行く。「何もないじゃないか」と訝しむレギュラスに「まあ見てて」と笑って返し、心の中で「何を話していても誰にも聞かれない、魔法の訓練を秘密で行える部屋がほしいです」と念じながら歩くこと3往復。

────部屋は、しっかり私達の要望に応えてくれた。
中にレギュラスを案内すると、そこにあったのは談話室にあるような柔らかくて大きなソファが3つと、それに囲まれたテーブル。本棚や羊皮紙とペンまでご丁寧に用意してある。
そして、その空間から板張りの壁1枚で隔たれた向こう側には、少し足場の悪い凹凸が目立つ地面が広がっていた。対人訓練も想定されているのだろうか、木彫りのトルソーのようなものも数体隅の方に置かれている。

「どう? この部屋、私は勝手に"必要の部屋"って名前を付けたんだけど…。廊下を行ったり来たりしながら願いを念じると、その通りの部屋が現────」
「────すごいじゃないか、イリス!!」

そろそろ情報屋でも名乗ろうか、なんて調子に乗ったことを考えながら部屋の説明をしていると、見たこともないレギュラスの笑顔(この人にはまだ笑顔の種類があったのか)とかち合った。目をキラキラさせ、いつもお上品な三日月を描いている口は丸く開き、心なしか頬も紅潮しているような気がする。

私はその時初めて彼のことを、"小さな王"ではなく"11歳のレギュラス"として見たような気がした。

「これだけの広さがあれば戦闘訓練にはもってこいだ。クールダウンも兼ねて頭を使う作業はこっちでできるし…。イリス、この部屋に再現性はあるのか? 例えばここに持ち込んだものが、一度部屋を出ると消えたりする、なんてことは…」
「ないよ。教科書で試してみたけど、ちゃんと一番最初に置いた場所と全く同じところに残されてた」
「開ける人が同じであれば条件を満たしたと見なされるのか? いや、それとも同じ"願い"を持った人間が開いた部屋であれば共通して物は保存されるのだろうか…。もし後者なら、もう少し念入りな願いを唱えることで先人の知恵もどこかに遺されているかもしれないな」

いつも堂々とした口調で論理的かつ簡潔に話す。それ自体は何も変わっていないのだが、どうにも気持ちが上がっているせいなのか、今のレギュラスはまるで普段とは別人のようだった。頭で考えるより先に口も体も動いている、そんな雰囲気を見て私は思わず笑ってしまう。

「思った以上に喜んでもらえて嬉しかったよ」
「侮っていて悪かったよ。僕はいかんせん遠くの未来を見据えすぎる癖があるから────その手前にある足元の道を勝手に敷いてくれる君の行動には、驚かされてばかりだ」
「ねえ、あなた、私のことを軽んじすぎていない?」
「そんなことないさ。ある程度人間観察もしてきた、自分の振舞い方を覚えて生きてきたと自負する僕が、唯一予測できない行動を取る人間が君なんだ。しかも、僕に心酔しているわけじゃないから、言うことをなんでも聞くわけじゃない。────君が敵じゃなくて心底良かった、と思っているところだよ」

調子の良いことばかり並べたてるレギュラスを見て、私は思わず喉の奥で笑ってしまう。
────なんだかこの人とは思った以上にうまくやれそうだ、と思った。





レギュラスとの共同戦線が始まってから、2年。
私はまたも、レギュラスの小さな秘密をひとつ知ってしまった。
きっかけはとても些細なこと。夜中にお腹が空いたので、入学1週間後には見つけていた厨房に忍び込んで、ホグワーツで働いているしもべ妖精さんからおやつを貰おうと思い抜け出したのが全ての始まりだった。

うちはしもべ妖精さんを雇える(そもそも彼らとは雇用関係が成り立っているのだろうか?)家ではなかったので、初めてその姿を見た時には大層驚いた。ただ、彼らはその見た目に反して(と言っては失礼だが)とても綺麗好きで、大抵の子が愛想も良く、いつだって気前良く食べ物を振舞ってくれた。ついでに、こういった真夜中に校則破りをしても黙っていてくれる良い友人達だった。

そんなこんなですっかり厨房の常連になっていたつもりだったのだが、その夜だけは違った。

「リヴィア様、こんばんは! 本日のお夜食はいかがいたしましょう!」
「…イリス?」

しもべ妖精さんの甲高い声の後に聞こえたのは、毎日聞いている少年の涼やかな声だった。

「レギュラス?」

まさか。
レギュラスが、わざわざ真夜中に校則破りをしてまで…しかも一般には公になっていないはずの厨房にいることに驚いた。
そして、その姿を見た私は更に驚かされることになる。

レギュラスは、3人のしもべ妖精さんとリンゴを齧りながら楽しそうに話し込んでいたのだ。

「なんでここに?」
「それは僕のセリフだろ」

レギュラスは私ほどに驚いた様子を見せることもなく、優雅な仕草で、まるでキスをするようにリンゴに歯をつけた。

「わ…私は、お腹が空いたから…」
「まあ、そんなところだろうとは思った。君がこの場所を知らないわけがないしな」
「じゃ、じゃあ、レギュラスは?」
「おんなじようなものだよ。腹が減ったからここに来て、ついでにこいつらと話をしていたんだ。なあ、ミラベル、ギーグ、ウェリー」

ミラベルとギーグ、それからウェリーと呼ばれたしもべ妖精さんは、それが最上級の賛辞であるかのように跳ね上がって喜んだ。

「…仲、良いんだね」
「レギュラス様は、私達のような者にもお気を遣ってくださる誰よりもご寛大な方なのです!」
「今日はリンゴをいただいてしまったのですが、まさか私達がそのまま本当にいただくわけにはいきませんので、レギュラス様の明日のおやつになるようパイを焼いているところなのです!」
「だから、あれはお前達と一緒に食べようと持ってきたものだったのに」

意外だった、と言ったら双方に失礼になるだろうか。普段は非魔法使いのことを「何も知らない傲岸なマグルが」と罵っているレギュラスが、一般的には奴隷と同等、あるいはそれ以下の惨い扱いを受けているしもべ妖精さんとまるで対等な友人のように接している。

しかし私は、そこではたと気づく。
そういえば、レギュラスはずっと"生まれた命がありのまま存在できる世界"を尊重していると言っていたじゃないか。

しもべ妖精さんの在り方は? 彼らは────この姿が"ありのまま"なのだろうか?
私の家にしもべ妖精さんがいたことがないからわからない。ホグワーツにいる妖精さん達は楽しそうに働いているし、ダンブルドアがよく気にかけてくれるのだと嬉しそうにしている。お給料は貰っていないと聞いたけど、昔一度だけお父さんのお友達と行った寂れたバーで働いていたお兄さんは、同じように「給料なんていらないさ。衣食住が確保されているだけで満足だよ」と言っていたのだから、その辺りだって人(妖精?)によって違うのかもしれない。

「しもべ妖精さん達は、良いの?」

単刀直入に、しかし彼らに失礼にならないよう、レギュラスがここで居心地良さそうにしている理由を尋ねる。聡いレギュラスはすぐその真意に気づき、いとも簡単に頷いた。

「────僕の家には、クリーチャーというしもべ妖精がいる」
「うん…?」
「よく尽くしてくれる、良いお手伝いさんのようなものだと思っている。彼らには、"心"がある。"矜持"がある。もしかしたら、しもべ妖精の中には自由や人権を求めるものはいるのかもしれない────でも、僕はクリーチャーが当たり前のように僕がしてもらったことに対して"レギュラス坊ちゃまが喜んでくれるなら、それがクリーチャーの本望です"って本当に嬉しそうに言ってくれるんだ。だからその感謝を込めて、たまには何かしてやりたいと思うんだが…どれだけの対価を提示しても、要らないと固辞するんだよ。だったら僕にできることは、彼を大事にすることだけなんだ」

レギュラスの顔は、この上なく優しかった。きっと、本当に彼を"家族"として見ているのだろう。肝心のクリーチャーが、それを是としていないだけで。

「しもべ妖精は、自らのできること、できないこと…出るべきところ、出るべきでないところを弁えている賢い生き物だ。加えて、人間の魔法使いには扱えない魔法も使える。それだけの能力があるのに、これもまた歴史のせいで、ゴミ同然に扱われているのが"当たり前"になっている。────おかしいと思わないか? 彼らは僕達に尽くすことを喜びとしてくれているのに、一般の魔法使いはそんな健気な生き物でさえ簡単に蹴り飛ばす。僕にはそれが、理解できないんだ」                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                                             

そして今度は、わかりやすく悔しそうな顔をする。
本当に、彼は自分のしもべを友人のように見ているんだ。自分に向けてくれた好意、そして自らの力を過小評価している相手には、もっと権利を主張して良いとすら思っているに違いない。

だからきっと、他のしもべ妖精さんとも関わりを深めようとしているのだろうか。クリーチャーがどれだけレギュラスからの"対等な仲間"としての申し出を受けようが断り続けるから────他のしもべ妖精さんがどれだけのことを本当は望んでいて…言うなれば、ブラック家という家柄に縛られるクリーチャーの奉仕精神が本心から来ているものなのか、確認したがっている節もあるのかもしれない。

「君ならわかってくれるだろうが、僕は"生きている"ものが"ありのままの命"を謳歌できる世界を望んでいる。その対象は人間に限られない。────もちろん僕が統治を望むのは人間の世界だけの話だ、最初から関係のない生き物を巻き込むつもりはない。…ただ、しもべ妖精や小鬼のように、"人間と関わりながら生きる命"もあるだろう。僕は魔法使いによる独裁を敷きたいわけじゃない。真の統治、真の共存を実現させるためには、できるだけ多くの魔法種族との"対話"が必要なんだ」
「人間と関わって生きる命…それじゃあ、大イカとかケンタウロスもそれに入るの?」
「ああ…残念ながら、大イカ語は習得していなかったな。ただ、ケンタウロスとの対話はとても有意義だったよ。彼らは人間との共存は望まない。同じ土地に生きることができても、あくまで政治は別。どの勢力にも敵対しないし、味方もしない。彼らは彼らの領域を侵されない限り、こちらにも干渉しないと明言した。あれは良い勉強になったよ、同じ言語を解するものでも、根本的な営みが違う種族もいるんだな」

嬉しそうにぴょんぴょんと跳ねながら、「おいしく焼けました、レギュラス様!」とまだ湯気の立っているアップルパイを持ってくるしもべ妖精さん。その姿を見る彼の眼差しは、どこか切なげだった。

そこに私は、またもレギュラスの"今まで見たことのなかった"顔を見る。
入学して間もない頃からよく顔を合わせていたし、仲間として勧誘されてからはほぼ毎日一緒に過ごしていたから、いつの間にか彼のことをもうほとんど知ったつもりになってしまっていたんだ。
私がいない間、彼がこうやって人とは違う種族とも言葉を交わしていたことを、知らなかった。彼が"ヒト"の世界の統治にどれだけ本気で人生を懸けているのか────恥ずかしいことに、私はまだ理解しきれていなかったのだ。

でも、そこまで一貫した強い信念を持っているのなら、当然こんな疑問も出てくる。

「ケンタウロスとは対話するのに、マグルとは対話しないの?」

彼がマグルとの対話を試みなかった、とまでは言わない。ただ、彼は私と初めて会った時からずっと"マグルが魔法使いを排他した"、"マグルには魔法使いの本当の力を理解させる必要がある"と言い続けてきた。幼少期、彼の周りに、マグルはいなかったはずなのに。

「どうしてしないと思う?」

考えることなくそのまま疑問を口にしたら、逆にレギュラスの方から唇の端に薄い笑みを浮かべながら尋ねられてしまう。

────レギュラスに脊髄で物を言うと、たまにこういう意地悪をされることがある。
そして、大抵そういうことを言われる時は、"考えれば"すぐにわかるようなことばかりなのだ。
だから、考えた。

ケンタウロスは、ホグワーツでさえ最初から禁断の森に棲んでいる…要は、その"歴史"を振り返っても人間と全く関わらない世界で生きてきている。
じゃあ、マグルと魔法使いは? 過去に共存を試み、実際に共存していた過去があった。それでも力を搾取しようとした両者は決裂し、その後魔法使いが身を隠すという形で今の世界は成り立っている。

同じ種族でも、流れている魔力の有無によっては違う種族として見なければならない場合がある────いや、誤解を恐れずに言えば、魔力の有無だけで区別した時にはケンタウロスや小鬼、しもべ妖精さんの方がマグルより我々魔法使いに近しい存在である可能性だって存在するのだ。

「────対話に失敗した歴史の上に、現在が成り立っているから…?」

レギュラスは先程私に悪戯っぽく問いかけた時から一転して、苦そうな顔をしながら頷いた。

「同じ人間だからって、全てが同じなわけじゃない。国籍と同じだよ、国が違えば文化も違う。フランスやアメリカの魔法使いとはお互い不干渉を貫きつつも、国際連盟を通して共通規則は成り立っている。でも、それがマグルとはできていない。ごく一部のマグルを除けば、我々は"いない"ことになっている────僕はそれが納得できない、という話なんだ。だから逆を言えば、同じ人間ではない別の生き物でも、共通する"魔力"というステータスがある限り、その間で交わす取り決めはあった方が良い。そういう理由で、僕は"魔力を持つもの"とは対話を試み、"魔力を持たないもの"には既に色々と諦めた上での統制を提言していくつもりなんだ」

彼はその"諦めざるを得ない過程"を、これまでずっと必要の部屋や図書館の禁書で調べていたのかもしれない。ここまでものを深く考える人が、ここまで行動力を持っている人が、もう今更偏見や周りの意見に流されて"彼にとっての"過ちを犯すとは思えない。

彼は、ちゃんと自分で"最善"だと思っていることの全てをやっている。
それに、しもべ妖精さんを見る目を見ていればわかる。彼は本当にきっと、この小さな生き物達を友達だと思っているんだ。だってそこには、仄かながら温かさが宿っているから。
レギュラスは決して、マグル生まれというそれだけで誰かを差別したりはしない。いつも通りの感情のない目で、"そこにいる人"として認知しているのかしていないのか…傍を素通りするだけだ。彼が感情を露わにした瞳を見せるのは、"スリザリンの寮生"を"スリザリンだから"という理由だけで蔑視する人、あるいは"魔法使いとマグルはもっと仲良くなれるはず"と声高に吹聴して回る人。前者はきっと"お互い様"と、そして後者は"もっとその主張に信念を乗せてこい"と言わんばかりの、厳しい目で視線を向けていた。

「イリス、夜食は良いのか?」

またひとつレギュラスのことを知る。その度に、私の思考がひとつ奥へと進む。
その感覚に浸っていると、いつの間にやら手作りのケーキやクッキー、パンにスパゲティまで取り揃えたしもべ妖精さんに取り囲まれている私を見ながら、レギュラスがおかしそうに笑った。

温度は多分、36度くらい。私の平熱と、おんなじかな。
人の顔色を観察しているうちについた"表情に温度をつける癖"が出たところで、私は初めてレギュラスが私には他の人のような"低体温"とは違う目を向けていることに気づく。

「レギュラス、一緒に食べようよ」
「は?」
「だって妖精さん達がここまで用意してくれてるんだもん。まさか、"友人達"の厚意を無碍にするなんて、あなたほど情に厚い人がそんなことをするわけないよね?」
「…癪だけど、その通りだな。僕の思考回路を理解させすぎたんだろうか、僕の言う言葉で洗脳をかけるならともかく、君の口車に乗せられるのはなんだか釈然としないな」
「そこまで私を買ってくれるなら、そろそろ無意識で私のことを見下すの、やめたら?」
「僕より成績が悪くて、呪文を当てるのも下手くそななのに?」
「あなたより人の懐に入るのがうまくて、細かい情報も拾って来れる存在なのに?」
「────……オーケー、僕の負けだよ。というか、心の底ではとっくに君を対等な存在だと認めていたんだ。もう見せかけの"僕が主体となって君を動かす"フリはやめにするさ。…じゃあ、一緒に夜食を食べようか。もちろん、お前達も」

────2年も同じ夢を見ていれば、彫刻のような顔にも人間味が出てくるものなんだな。しもべ妖精さん達は最初レギュラスの提案も固辞しようとしていたが、私とレギュラスがその場で食べ物を深夜のノリに任せて食べつつ彼らにも勧めているうちに、申し訳なさそうにそれぞれが一口ずつ食べ始めた。

「自分達が作ったご飯、とっても美味しいでしょ。それを私達に毎日、落ちないクオリティで支給してくれることには本当に感謝しているよ」

そう言った瞬間、ワッと泣き出したしもべ妖精さん達を見て、私とレギュラスは目を見合わせてつい吹き出してしまった。
"友達"って関係────…今までどんな人ともそれなりの距離を取って知識欲を満たすことと人間関係のいざこざに巻き込まれないよう気を張り続けていた私にとって、その新しい接点の持ち方は、案外心地良いものだった。









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