その男、狂犬につき。



君だけの僕より

朝起きてから枕元を見ると、掌に乗るサイズの小さな赤い包みがベッドボードに置かれていた。金色の細いシルクのようなリボンを解くと、中には"よくある"ハート型の濃茶色のチョコレートが入っている。

差出人は書かれていない。魔法の痕跡もない。あるのは、小さなハートとグリフィンドールの主張だけ。
それだけで、全てがわかった。

今日は3月14日、ホワイトデー。
1ヶ月前のバレンタインのお返しに、男の子が女の子に感謝、友情、愛を伝える日。

「シリウス…」

夜中のうちに運び込まれていたみたいだ。しもべ妖精にでも頼んだのだろうか、ベッドに入った時から私の睡眠を妨げる気配など何もなかったので、私はシリウスの"小さくて濃密な愛"をじっくりと満足のいくまで眺める。
顔を洗って、歯を磨いて、きちんと目を覚まして口の中をさっぱりさせてから、彼の愛を舌の上に乗せる。苦味の効いた中に、後に残らない甘さが香った。少し鼻に抜けるような感覚があるのは、お酒が入っているからなのだろうか。
シリウスみたいな味だ、と馬鹿みたいなことを思ってしまった。

ゆっくり味わってからお腹に愛を収め、着替えてから談話室に降りる。
バレンタイン同様今日は休日だったので私が起きたのは例によって昼前だったのだが、談話室はいつになく人に溢れていた。
よく見ると、そこにいる大抵の男の子が大抵の女の子に、何かを渡している。

まあ、バレンタインの日にも似たようなものは見ていた。生憎当日私は6年生用の部屋で悪戯仕掛人に仕込まれた愛と呪いの判別作業を行っていたのでチラリとしか確認できていなかったのだが、基本的に全員学年を超えて仲の良いグリフィンドール生達は、主に友情の気持ちを込めてお菓子を贈り合っていたのだ。大方、先に女子から男子に渡していたその気持ちのお返しを、今男子の方から女子にしているというところなのだろう。

だって、ほうら。

「イリス、先月はありがとう」
「チョコ、おいしく食べたよ! これは皆で一緒にお金を出し合って持ってきたハニーデュークスの新作!」
「フォクシー、ハニーデュークスのお菓子好きだったろ? パッドフットは別で用意してたみたいだけど、僕らからはちゃっちいものを3つ贈るより、デッカいものを1つ贈った方が喜んでくれるんじゃないかと思ったんだ」

リーマス、ピーター、ジェームズが私に向かって言葉通りとても大きな包みを差し出してくれた。

「ありがとう!」

ちゃんとことわりを入れてから、早速包みを開く。その中身は少し前から広告されていた、確かに新作のホワイトチョコレート。中にドライラズベリーが入っているとのことで、古典的ながら私はそれを味わえる機会をずっと楽しみにしていたのだ。
やっぱり、6年も一緒に過ごしていれば、大抵の好みはわかってもらえているらしい。

「────シリウスはいないの?」
「ウン。バレンタインの時もそうだったけど、こういう感情の絡むイベント事に顔は出さないって決めたんだって」

ピーターが「モテモテだから、お返しの日もきっと大変なんだろうね」と言いながら寝室にチラリと視線を遣る。誰にも返さない、と決めているのはきっとそうなのだろうが────確かに、折角の休日(つまり、寮から出なくても良い日)にあちこちから期待のこもった目を向けられながら歩くのは彼の本意ではないのだろう。

「一応深夜に君の枕元に届くように手配はしていたみたいだけど、シリウスからのお返しはちゃんと届いてた?」
「うん、朝一にいただいたよ。明日私からもお礼は伝えるけど、寝室に戻ったら喜んでたって伝えておいて」
「まあ、どうせ夜にでもなればフォクシーの顔見たさに降りてくるだろうさ。それより、エバンズは?」
「さあ? 私達、起きるタイミングが違うから午前中は別行動を取ってることが多いんだよね。今日は特に約束もしてないし…。まあ、夕食の頃には一回戻ってくると思うけど」
「オッケー、てことは僕が寮を出た後にどこかでエバンズと会えれば、運命の方が僕に味方をしてくれたってことになるわけだ! お返しをしに行かなきゃ!

ジェームズはそう言って、ひとりだけさっさと談話室を出て行ってしまった。リーマスとピーターの表情を見るに、彼はきっと起きたその瞬間からそのことだけを考えていたのだろう。

「まったく、1ヶ月前には死の呪いを贈られたばっかりだっていうのに、本当にジェームズは元気だね」
「おやイリス、ジェームズがそんなことくらいで大人しくなると思っていたのかい?」
「……それもそうだ」

殺されかけたところで、生きてさえいればきっと翌日には元気いっぱいに笑っているのがジェームズなんだろう。もしかしたら、殺されたその先でも彼なら笑っているのかもしれない────という"もしも"は、あまり考えたくないが。

「イリス、僕らはこれからわかる範囲でバレンタインのお返しをしに行くけど、一緒に来る?」
「本命の子がいたら私、邪魔じゃない?」
「流石に本命と思ってくれてる子のところには連れて行かないさ。それに…申し訳ないけど、僕は誰にも応えるつもりがないからね。直接じゃなくて、手紙を添えて郵送するようにしてるんだ」
「直接断らないの?」

私だったら、もしシリウスと別れなければならないって言われた時には、きっと目を見て納得のできる理由と一緒に説明してくれない限り…────うん、多分、「わかった」とは言わない。切ない片想いをチョコレートに託して渡す、なんて可愛らしいことはできなかったから、うまく彼女達の気持ちを投影できている自信はないけど……。でも、"言葉"でしか伝えられないものがあるんじゃないか、って思ってしまうのも事実。

ただリーマスがまっすぐ女の子の気持ちに応えない、なんていう選択肢の方が考えられなかったので、私は疑問を素直にぶつける。そんなに難しいことを訊いたつもりはなかったのだが、リーマスはなぜか悲しそうに笑い、私から目を逸らした。

「望んでいる人が自分を見てくれないなら、せめて事実を告げられてショックを受けた時の顔くらいは隠したいからね。それに、手紙に書いたら文字として残る。聞き間違いじゃないか、とか、翌日起きた時に夢だったんじゃないか、とか考えずに済む」
「…随分具体的な話だね?」
「でも、納得できる話でもあるんじゃないかな。少なくとも僕はそういう考え方をするから、その話も含めて誠実に返したつもりだよ」

────なんだか、それ以上はあんまり深く訊けない空気だった。寂しそうな雰囲気を醸しているのに、「それ以上は近づかないで」というメッセージが読み取れてしまう気がしたのだ。シリウスとリリーを除けば、その次に親しくしているのがリーマス(恋人や友達に順位をつけるものではないということはわかっているけど、あくまで理解しているという自信を持っているかどうか、だから…)。彼の心の内なら、それこそ言葉にされなくてもそこそこ理解できる。

深くは聞いたことがないけど、彼が私以上に色々なことを経験して、私以上に色々なことをいつも考えていることなら知っている。だからきっとそれはリーマスにとっては"誠実なこと"であり、それならつまり彼はそれを"誠実に"女の子に伝えることもできるのだろう。

「…そっか。お友達のところに回るだけなら、私も今日は暇だしついて行こうかな。メイリアとかアンナのところにも行く?」
「もちろん。それにウィリアムやレイも君にお返しをしたがってるだろうしね」

そうだった。私とリリーは1ヶ月前、大量の一口チョコレートを生産して、知り合いという知り合いに配って回っていたのだ。最初は"リリーからジェームズにチョコレートを渡すきっかけが欲しい"と思って材料を必要以上に買っただけだったのだが、それを無駄にすることはあまりにもったいなかったので、5年以上この城で過ごしてきたお陰で増えた知り合いに、友情を込めて回収してもらった。

そうだな、ウィリアムやレイみたいな監督生仲間なら、お返しをねだってみても良いかもしれない。きっと笑って、小さなお菓子を返してくれるような気がするから。

リーマスとピーターについて、談話室を出る。
すると、そこには────。

「────あっ、ああー…その、申し訳ない。ここにいたらそのうち君が出てきてくれるんじゃないかと思っていたんだけど…よく考えたら、待ち伏せしていたみたいで気味が悪かったな」

ヘンリーがいた。私のことをまっすぐに見て、申し訳なさそうにしながら。

待っていた、という風にはあまり見えなかった。ちょうど彼は談話室の階段を降りようとしていたところのようだったので、もし私が出てくるのを本当に待っていたとしても、既に帰ろうとしていたと考える方が自然だ。とても「出てくるまで動かない」という、それこそちょっと怖くなってしまうような雰囲気はない。そもそも、ヘンリーがそういう粘着質な人だとは思ったことがなかったのだから、突然会ったところで「待たせてごめんね」という言葉くらいしか出てこないと思うのだが。

「────待たせてたんだね、ごめんね」
「いや、僕が勝手にしていたことなんだ。その、これを渡したくて」

ヘンリーは最初の戸惑いから立ち直ると、いつもの気品を取り戻した上で私に正方形の緑の小箱を渡してくれた。リボンは赤色のシルク(きっと本物なんだろうな)で結ばれていて、まるでクリスマスのプレゼントのよう。でもきっとこの配色は、ヘンリーなりの気遣いなんだ。スリザリンとグリフィンドールが仲良くなれますようにという、共通の願いを込めて。

「もしかして、ホワイトデー?」
「そう。バレンタインの日には、ミス・エバンズと一緒に素敵なチョコレートをありがとう。これは我が家が代々お世話になってる老舗のチョコレートブランドのお店で買ったものなんだ。手作りのものに対して売り物なんて申し訳ないんだが、どうか良かったら受け取ってほしい」

一口チョコが、見るからにわかるほど高級なお菓子になって返ってきた。手作りか売り物かなんてそもそも気にしていないし、むしろ誰でも作れてしまうあんな小さなチョコレートに対して貴族御用達の老舗ブランドのチョコレートで返してもらえるなんて、こちらが気後れしてしまう。

「こ、こんなの貰っちゃって大丈夫なの…!?」
「君さえ嫌でなかったら。ああ、もちろんミス・エバンズの分もあるよ。君は…その、僕の憧れの人だから…それと比べてしまうのはあまりに申し訳ないんだけど、感謝の気持ちは込めているんだ。良かったら君から渡しておいてもらえるかな」

そう言って、ヘンリーはポケットからもうひとつの包みを取り出す。大きさや色は変わらないけど、「比べるのは申し訳ない」と言われているなら、中身がきっと違うのだろう。外側だけでも同じ仕様にしてくれているところが、とてもヘンリーらしい。

「…ありがとう! そういうことなら、喜んでいただくね。嬉しい!」

結局私は、その気持ちをちゃっかり貰ってしまうことにした。ヘンリーはたまに見せる親しみやすい顔で笑い、「じゃあ、また」と言って早々に階段を降りて行った。

「ヘンリーは本当に良いやつだなあ」

リーマスが感心したように言う。私はそれに心から同意しながら頷いたのだが、彼はすぐに顔を厳しく引き締めた。

「ただ…そうか、ヘンリーはこの城にたくさんいるからなあ…」
「え?」

たくさんも何も、スリザリンのヘンリー・スペンサーはひとりしかいないはずだ。また何か含みのあることを言っているのだろうとは思ったが、私にはうまくその意味を掴み取れない。

「リーマス?」
「…ううん。なんでもないよ。ちょっと待ってて────」

リーマスは答えを濁しながらも、その場でさっとポケットからメモを取り出し、何か一言だけ書き込んで、魔法をかけてから談話室の方に飛ばした。合言葉を呟いたことで太った婦人は「わかったわよ」と溜息をつきながら扉を小さく開け、メモが通る隙間を空けてくれた。

「今の、何?」
「君が今日1日を快適に過ごせるようにするためのおまじないさ。それより…どうする、君自身も談話室に戻るかい?」
「どうして?」
「うーん…まだなんとも言えないから…まあ、良いか。シリウスに任せよう」
「…シリウス?」

前言撤回。私、リーマスの言いたいことがひとつもわからない。
ヘンリーからチョコレートをもらったら、リーマスが何かを考え始めてメモをどこかに飛ばし、シリウスの名前を突然出した。
考えられることとするなら、ヘンリーが私に(おそらく本命の)チョコレートを渡してくれたから、シリウスにそれを報告した、というところだろうか。ヘンリーとはもう告白をされた上で良い関係を築けているし(彼の大人びた性格のお陰で)、それに、もう貰ってしまったものは仕方ないと思うのだが。今更シリウスがヘンリーに何かを言ったところで、シリウスの子供臭さが目立つだけだ。

「シリウスに何を任せるのかはわかんないけど、私は私の意思であなた達について行くつもりだよ」
「そうだね。君はそれで良いと思うよ」

相変わらず含みのある言い方にピーターと2人顔を見合わせ、私達はよくわからないまま彼の後ろをついて行った.
彼が最初に向かったのは、大広間。寮の隔てなく、昼頃のこの時間帯であればホグワーツ生が一番たくさん集まっているはずだ、と私も考えていた通り、そこにはいつも以上に(見える)生徒が談笑している。

「おはようリーマス!」
「あれイリス、今日は早いね」

私とリーマスに声がかかりやすいのは、私達が監督生だから。他寮の生徒ともそこそこ仲良く、余程のことをされない限り下級生にも上級生にも、もちろん同級生にもできるだけ快い付き合いをしようと心掛けている。それが功を奏し、私達は普段から割と多くの生徒から気持ちよく接してもらっていた。

「おはよう。午前からイリスを連れてるのは、ほら────このためだよ」

リーマスが早速大きな麻布の袋からチョコレートを取り出すと、女子男子に関わらず「流石リーマスね!」、「ちょうどイリスにバレンタインのお返しをしたかったんだ!」と群がってくる。もちろんその輪の中にはピーターもおり、やはり主にハッフルパフの女子生徒に「先月はありがとう」と満面の笑みで包みを渡していた。

「お返しだよ、イリス。シリウスにはちゃんと特別なものを渡せた?」

レイブンクローの監督生のレイが、いつも通り真面目に心配そうな顔をして確認しつつ、小さなキャンディの包みをくれる。

「イリス、先月は何も用意してなくてごめんね。リリーにもさっきお返しができたわ、良かったら2人でお茶でも入れながら食べて」

私達は先月、顔さえ知っていれば男女問わず誰彼構わずチョコレートを配り歩いていた(それだけ余ってたから)。本当はそんな"消費"のためのような渡し方をするなんて申し訳なかったのだが、ハッフルパフの監督生、アンナはそんなこと気にしていないというように笑ってクッキーを渡してくれた。

もちろん、他にもウィリアムやメイリアが私にそれぞれの気持ちを用意してくれていた。アンナの妹のキールなんて、「早いうちに会えて良かった…。イリス、先月は助けてくれてありがとう」と言って少し豪勢なお菓子のパックをくれたくらいだ。バレンタイン用のお菓子を作り終えた後、厨房を出たところでスリザリンのバナマンから「闇の陣営に加わる意思の人間がいないか調べてこい」と脅迫されていたところを防いだ、というそれに対する感謝のようだったのだが、私は今でも、あれを防げたのはキール自身の勇気が大きかったお陰だと思っている。

「あの、リヴィアさん…?」

恥ずかしそうに笑って立ち去るキールとすれ違いながら、知らない男の子に声をかけられた。まだ幼いその顔を見るに、3年生以下の"少年"といったところだろうか。

「どうかしたの?」

話したこともなければ、私はそもそも彼の顔も知らない。それでも敵意なく丁寧に話しかけてくれたその姿を邪険にする理由などないので、身長が私とほぼ変わらないか、言ってしまえば少し低いくらいの彼の目線に合わせ、尋ね返す。

「その…僕、バレンタインに何かを貰ったわけではないので、本当に勝手なことをしようとしているだけなんですが…」

モジモジと要領を得ないことを言いつつ、彼はポケットの中をまさぐり始めた。
なんだろう。バレンタインには確かに何も渡していないが、このタイミングに乗じて何かお菓子でも渡してくれるのだろうか。バレンタインを差し置いてでも、私が彼に何かを与えた記憶などどこにもないのだが、一応監督生という目立つ立場である以上、どこか知らないところで間接的に感謝を持ってくれるような出来事があったのかもしれない。

そういう気持ちは単純に嬉しい。そう思いながら、私は余計なことを言わず彼がポケットの中から白い綺麗な小包を出してくれるところを見つめて────。

────おや、それは"ミセスベリー・チョコレート専門店"のギフトチョコレートじゃないか。お目が高い

────いたのだが。

後ろから聞こえた気怠い声と、「おや」と言われたところでチワワのように震え始めた少年の顔を見た瞬間、私の口からつい重い溜息が漏れた。

「あっ、その、すみませんでした…っ!」

少年は私の手に白い包みを押し付けると、脱兎の如くどこかへと消え去って行った。

「……今日は寝室から出ないんじゃなかったの、シリウス

広い背をぐっと屈ませて私の肩に顎を乗せてきた大型犬に、私は遠慮なく厳しい目を向けた。

「なに、ちょっと気が変わってね。僕のプリンセスに献上された貢物の検閲くらいしておこうかなと」
「それで下級生を怖がらせてどうするの。せっかく何かを伝えようとしてくれていたのに」
僕を差し置いて君に何かを伝える? そんな度胸があるなら是非僕も一緒に聞きたいね」
「ほんっとに人の感情を軽んじるんだから…」

どれだけ責めようとも、シリウスが気圧される気配はない。なんならわざとらしく天井なんて見上げながら、軽い調子で笑ってみせた。

シリウスの意図はなんとなく読めている────きっと理由がどうあれ私に他の男の子からの贈り物が集まるということ自体が気に入らないんだろう。人によっては自惚れと思われるかもしれないが、バレンタインの時に私からのチョコレート以外興味がない、というあからさまな素振りを見せられていたこともあり、私はその辺りを却って謙遜しすぎないよう冷静に受け止めることにしていた。

「今の子はシリウスが牽制するほどの子じゃなかったでしょ」
「芽は出る前に摘むものだろ?」
「とにかく。私は私に対して良い感情を持って接してくれる人を蔑ろにしたりしないからね」
「どうぞご自由に。僕だって僕の意思で勝手に君の後ろについて行くだけのつもりだったからな。もう茶々は入れないさ」

その"だけ"にどれだけ影響力があるのか、彼は知っているのだろうか。
実際シリウスが大広間に来て私に(しかもいつも以上に)くっつき始めたことにより、視界の端にいた男子生徒があからさまに怯んだのが見えた。意識してはいなかったのだが、その反応を見る限り、彼らも私に何らかの贈り物をしてくれるつもりでいたのだろう。中には見知った顔もあったので、好意や感謝の前に、純粋な友情を渡してくれるつもりだった子もいたに違いない。

「……」
「バレンタインの二の舞に、そんなになりたいのか?」
「推測だけど、あなたに向けられる感情と私に向けられる感情は根本的に違うはずなんだよね。それに、私はあなたほど目立っていない────」

────から。
そう言おうと思った矢先、ちょうどシリウスが死角になっている壁の向こうから、こんな会話が聞こえてきた。

「ほら、今日はイリスに頑張って告白するって決めてたんだろ?」
「でも、あんなに目立つ素晴らしい監督生なんだから…もっと彼女を慕ってる人なんているだろうし、僕の存在なんて────」
「そうだな、彼女を慕ってる人がメチャクチャ多いことはわかってるさ。でも、なんでもまず行動しないと存在を知ってもらうことしかできないだろ?」
「そう────そう、だよな。うん。ただでさえ競争率が高いんだから、」
「それにシリウスが隣についてるし」
「うっ…挫けそう…」
「別にお前がシリウスからイリスを略奪できるなんて、誰も考えてないよ。ただそのどうしようもない片思いをちゃんと伝えられたら、それで十分だと思うんだな」

…どう鈍感になれば、これを"私に対する恋心ではない"と言い返せると思う?
自分のことをそこまで想ってもらえるような人間とは思っていないが、それでも彼らの会話を拾うなら、片方が私に"実らなくても良い片思い"を抱えてくれていることは事実なのだろう。

────思わず、隣のシリウスと目を見合わせる。

「…1人くらいなら、私は別に迷惑だなんて思わないけどな?」
「僕が隣にいてなお君に言い寄ろうとする男が、性質の良いファンだとでも言うつもりか?」
「それはまあ、知らないけど。でも呪いをかけられようとしてるわけでもないし」
「…君がそういうなら、僕は止めないさ。言っただろ、僕はただ君の後ろについて行くだけだって」

もしかしたら、毎年のバレンタインの災難のせいで、私も麻痺しているところがあるのかもしれない。本来なら、バレンタインのお返しとして友情の気持ちを返してもらったり、こんな私のことでも好きだと言ってくれる人の好意を受け取ったり────それって、とても素敵なことのはずなのに。
どこか、シリウスの言いたいことがわかってしまうような気がする。そして私は、そんな自分が少しだけ嫌だった。

シリウスのことは好きだし、過剰な好意に辟易する気持ちも理解したい。でもどうせ私はそこまでモテるわけではないのだから、ひとりひとりに向き合って、リーマスがそうしたような"自分なりの誠意"を貫きたいと。

そう、思っていた。

「イリス、こんなイベントにかこつけないと言えない自分が恥ずかしいんだけど…。君のこと、ずっと好きだったんだ。シリウスがいるのはわかっているから、応えてほしいなんて言わない。でも良かったら、気持ちだけでも貰ってほしい」

────決意を固めたその瞬間、別の男子生徒(レイブンクローの1年上の人だった)からそう言ってピンク色の小包を渡された。

「…あ、ありがとう」

その時の自分の笑顔がぎこちなくなっていなかったか、少しだけ自信がなかった。
まさかこんなところから、思ってもいない贈り物をされるとは思っていなかったのだ。

しかも、だ。

「イリス、僕からも良かったら…その、報われない片思いを埋葬してほしいだけなんだ…」
「君に相応しい人がシリウスしかいないことはわかってる。だから最後に、これだけ受け取ってほしい」
「君が選ぶならシリウスしかいないと、わかっている。でも、想いの強さならきっと僕はシリウスにも負けな」
それは大きく出たな。他でもない僕に是非説明してくれよ

その後立て続けに男子生徒が我が先と私の前に列をなして集まり始めたところで、遂にシリウスの堪忍袋の緒が切れたようだった。

「シリウス、そこまで」

一応全員、私にシリウスという一生のパートナーがいることを知った上で、見返りを求めずに気持ちを贈ってくれているようなので、その想いの形は全て受け取りはした(…すぐに牙を剥きたがるシリウスの顔面をほぼ鷲掴みにしながら)。

ただ、ひとつだけ…失礼なことを思ってしまった私の心を、許してほしい。
ひとりひとりにこちらも同じだけの気持ちを持って丁寧に対応していたら、せっかくの好意を無碍にしてしまう────なんて本末転倒なことになりかけてしまった、というこの状況を。

3年生の時、「ちょっと立ち止まってありがとうって言えば良いんだから」なんて言ってシリウスの嫌がる顔を笑い飛ばした自分をはたきたくなる。命こそ懸かっていないものの、こういった"好意を受け取る"行為に慣れていない私にとっては今の状況が既にもういっぱいいっぱいだ。

ここで感情を交えるのは、悪手だ。
誠実でいたいと思うなら思うほど、よそ行きの笑顔で快く贈り物を受け取るに徹するべきだ。余計な感情は交えず、余計な言葉も挟まず。私は"シリウスの手しか取るつもりがないから、他の誰のどんな想いを受け取ってもそれは『感謝』の域を超えない"というスタンスを守ろう。

────ただ、それもまた最適解だったのかと言われると怪しいところがあった。
そう決めたことで私自身のガードが緩んだことを察知されたのか…それとも、最初のひとりが勇気を出して私に本命の贈り物をくれたからなのかは知らないが────そこから、私を取り囲む輪は一層広がってしまったのだ(少し面白かったのが、私の左隣にいるシリウスの近くだけ、綺麗に輪が途切れていたことだろうか。まるで私がシリウスの方を見ずに済むように、そしてまるで、シリウスからの視線を逃れるかのように、男の子達は私の右半分に群がっている)。

「君のまっすぐな瞳が好きだ」
「イリス、初めて見た時の堂々とした振舞いに、ずっと憧れてました」

まっすぐな瞳も、堂々とした振舞いも、まだ完成されていない。もしそう評価してもらえるとしたところで、それはあくまで監督生としての自覚が芽生えた少し前のことから。その時点で、彼らは私の"目立ちぶり"を見て好意を持ってくれたのだろうと、そんな変遷がすぐに見てとれた。

好きになった人に対する想いの時間とか、どれだけその人のことを知っているかとか、そういうことを気にするつもりはない。むしろ堂々としている、まっすぐとしている、そう思ってくれたのなら、私の自分改革は順調に進んでいるということの証でもあるのだろう。
────でも、シリウスは、弱々しくてすぐに後ろを向いてしまうような私のことを、ずっと支えてくれていた。変わろうとする私の努力を尊敬し、その成果を最後まで見届けてくれると約束してくれたから。そう、毎度思ってしまう自分がいたから。

…やっぱり、私の気持ちはどう足掻いても変わらなかった。

と、なると。

「……」

ただついている"だけ"のシリウスの機嫌がどんどん悪くなっていくことが、やはり一番気がかりだった。一応、彼らに略奪する気がないことをわかっているから、なんとか口を挟まずにいてくれるのだろう。私が「誠実に受け取りたい」と言ったその言葉を尊重してくれている、というところもあるのかもしれない。

それでも。

「今度良かったら、ランチでも一緒にどうだい? これはお近づきの印に」
「もし良かったら、今度のホグズミードに一緒に行こうよ。もちろんシリウスが一緒でも構わないさ、僕も同じ寮の女の子を連れて行くから、4人で遊びに行こう」

────シリウスが私にとって誰よりも大切な恋人であることを(おそらく)知っていながら、それでも私との時間を取ろうとする人が、そのうち現れて。後の人なんて、完全に私にとってのシリウスを"同じ寮の女の子"つまり"友達"という認識にすり替えていたりして。6年生になった時点で私とシリウスの関係は確定的なものとして広まっていたはずなのに、これは流石に彼の尊厳をも傷つけるような言葉が出始めたのではないか、と心配になる。
そして、そうなったところで涙を呑んで終わらせるわけがないのが、シリウス。

「────生憎、彼女のランチの予定は僕かエバンズが抑えているので、最低でも2年は待ってもらわないとな」
「ほう、それで僕に君の寮のレディを紹介してくれるとでも言うつもりかい? それなら是非ともご一緒して、僕がどれだけイリスを愛しているかでも聞いてもらおうかな」

私が何を言うより先に、反射のような速度でそう言い返すと、私に向けて差し出されたお菓子の包みを全て奪い取ってしまった。
それから、嫌味なほどに爽やかな笑顔でにっこりと、そう、"ブラック家"という歴史に刻まれた高貴な笑みで、彼らを威嚇した。

「…シリウス、そのお菓子…一応私宛なんだけど、な?」
「身の程知らずの馬鹿どもへの見せしめさ。それにこの贈り物は、あくまで"君への友情の証"なんだろう? そんな厭らしい近づき方をした上で、更に僕がいるのにそういうことをするってことは、これは完全なる僕への挑戦状だな。ということで、このくらいは許してくれるだろう?」
「…まあ、そうだね。思った以上に私もいただいてしまったから、こういうちょっと…アレな近づき方をしてくる人からの物くらいなら、任せても良いかも」

シリウスは、色々な山も谷も全て超えた上で、今全身で私を愛してくれている。
そのいきさつを全て知っているからこそ、この2人が寄り添い合うまでにたくさんの試練を共に乗り越えてきたからこそ────それを軽視するような、あまつさえシリウスの存在を蔑ろにするような、そういったものに全霊の感謝で応えることは、流石に私にはできなかった。
私とシリウスがどういう経緯で今の関係を築いたのかなんて知らない、と言われればそれまでかもしれないが────でも、実際に私とシリウスはお互いの共通認識のもとに今の関係値を何よりも重んじている。申し訳ないが、全ての人に平等な愛を捧げられるほど、私は聖人にはなれなかった。

────いよいよシリウスが私宛のプレゼントを抱え始めたところで、いつの間にやら私の前に列をなしていた男子生徒達の何人かが撤退していった。

ランチの時間が終わり、生徒達もお菓子の交換をある程度終えたところで、大広間からは少しずつ人が減っていく。
リーマスとピーターも粗方目的は果たしたようだった。

「一応連絡を入れておいて良かったみたいだね」
「ああ、君の気の回しようにはいつも感謝してるぞ、ムーニー」

リーマスとシリウスが軽くハイタッチをしつつ、軽快にそんな会話をしていた。

「…もしかして、リーマスもこれを想定してシリウスに連絡してたの?」
「まあ、そんなところ。ヘンリーが君に本命を渡すことは想定していたし、シリウスも知らない仲じゃないから、彼に対して何か悪い気持ちを今更持つようなことはないだろうし…。だから杞憂で終わる可能性も考えていたんだけど。知ってるかい? 君って結構、今のホグワーツでは憧れのマドンナのように扱われているんだよね」
「マドンナ、ねえ」
「さっきみたいに君とシリウスがどれだけ想い合ってるか知らずに君に近づこうとする、そんな奴らも現れるかもしれないと思って、念の為に番犬を召喚しておいたんだ」

それを言ったら、リーマスだって相当モテるだろうし、それこそ彼の事情を考えずに言い寄ってくるちょっと困った女子にも悩まされているんじゃないかと思うのだが。

「良いじゃないか、この機会に君は"シリウスに愛され、シリウスを愛したホグワーツのプリンセスだ"っていうことを、3年生ぶりに再アピールすれば」
「────リーマス、もしかしてこの状況を楽しんでない?」
「何を言ってるんだい。僕はただ、君達の愛を応援しているただの親友だよ」

リーマスはそう言って悪戯っぽく笑うと、「帰り道も気を付けて」とウィンクして、どこか楽しそうにクスクス笑っているピーターと2人で寮の方へと戻ってしまった。

「…もう私も交流したい人とは一通りやり取りできたから、帰るね」
「おや、君はまだプリンセス体験をしていなかったんじゃなかったかな? 最初の30分くらいは楽しいぞ、学校中の女子…いや男子か、それが君をずっと熱っぽく見つめてるんだ。声をかける勇気もなく、ただ遠くの方からコソコソと噂話をしながらね。僕としちゃ、ホグワーツ内を一周するくらいなら付き合うつもりだぞ」
「残念ながら、3年生の時に疑似プリンセス体験はさせてもらってます。声をかける勇気もなく噂話をされるのは居心地が悪いし、勢いよく一方的な好意を押し付けられたところで正直戸惑っちゃうし、そこに呪いなんて入ってた日にはもう悪夢のような日になること間違いなしだね」
「ほーう、君にしては随分と性格の良いことを言うじゃないか」
「それだけ3年前が大変だったって話です」

もちろん、私がシリウスと同じような目に遭うなんて思っているわけじゃない。その情に寒暖差はあっても、今のところ私に向かってきてくれる人は好意的な人ばかり。迷惑だと思うには、少し申し訳ないことばかりだった。

だからきっと、シリウスの後をついて行った時のような辟易とした感情に蝕まれることはないだろう。ついでに言えば、多分私は彼より優雅に道を歩いて談話室に戻れるはず。

「だからもう良いよ。寮に戻って、ゆっくり2人で過ごそうよ」

この提案は、シリウスの(おそらくかなり悪くなっていた)機嫌を些か良くしてくれたようだった。わざとらしくプレゼントを魔法で浮かし、両手を空けた上で、片方の手で私の手をぎゅっと握る。
…どこかその手がやけに大きく振られているような気がしたのは…本当に気のせいだ、ということにしておこう。

ただ、私の意に反して、寮までの道のりも決して楽ではなかった。
廊下の向こう側から、チラチラと視線を感じる。シリウスとわかりやすく手を繋いで歩いているからなのか、それを無視してまでこちらに向かって来ようという人はいないようだった。

「君のファンは割と大人しい奴が多いな。良いことだ」
「隣にシリウスがいるからだろうね。どうせわかってるんでしょうけど」
「フン」

陰という陰から視線を感じつつ、私達はなんとかその全部について見ないふりをして、グリフィンドール寮の前まで辿り着く。

「カクタケア」

太った婦人に合言葉を言う自分の声が、思った以上に憔悴しているのが少し悲しかった。おかしいなあ、人の感謝や好意を受け取るって、もっと嬉しいものだと思っていたんだけど。

談話室のソファに座り込んだその時、私は暖炉のすぐ傍に"イリスへ"と書かれた細長い紙袋が置いてあることに気づいた。
どうやら、何らかの理由で直接渡せなかった人が、こうして送ってくれたらしい。シリウス達の時のように山になって捌かなければどうにもならない、ということには流石にならなかったが、安全地帯の寮に帰ってもまだホワイトデーは続いているようだった。

「…これ、なんだろう」
「匿名のプレゼントには気を付けた方が良いな。呪いの類はかかっていないみたいだが…僕が開けようか」
「ううん。私宛なんだもの。自分で開けるよ」

一通りの呪いの探知呪文を唱えて無害であることを確認してから、紙袋を開く。
中に入っていたのは、スイセンの花だった。

「────これ、どっちかな」

好意なのか悪意なのかわからず(花を贈ってもらう行為は喜ぶべきなのだろうが、世の中には花言葉などを重視して選んでくる人もいる。そして私は、スイセンの花言葉にどちらの感情が含まれているのかわかっていなかった)、シリウスにそのまま尋ねてみる。
彼はどうせ「どうでも良い」と言うのだろうと思っていたが────予想外なことに、彼は私の名が書かれたメッセージカードの方を凝視していたのだ。

「…それが、何かしたの?」

知っている人の筆跡なのだろうか。シリウスがそこで「これは無害だ」と断言してくれたら、その匿名の人には感謝をしたいところなのだが。

「────いや、なんでもない。…スイセン、か…」

なんでもない、と言いながら、彼の口調は濁りに濁っていた。どこか遠いところを見つめながら溜息なんてついせみせて、まるで本当に彼の知り合いが私にこれを贈ってきたのではないか、なんていう邪推をしてしまう。

「…これについては、本当に気にしない方が良いだろうな」

彼はそう言うと、勝手に私のスイセンをもぎとって暖炉の火にくべてしまった。

「え、そこまで!?」

今まで私へのプレゼントを奪い取ることはしても、私に確認を取らず処分をすることなんてなかったのに。少しばかり恨めしく思いながら彼を見上げると、「詳しい話は置いておくが、この贈り物は絶対に君のためにならない。差出人を探そうともするな」と先に言われてしまった。

…その詳しい話は、当事者が私である以上、置いておかれるべきではないと思うのだが…。

「それより、イベント事に当事者で参加することの疲労は大いに察するよ。せっかく寮に戻ってきたことだし、一旦休むと良い」

結局、スイセンの件についてはなあなあに流されたまま、私はそのままシリウスの肩に頭を乗せるよう彼の手で誘われてしまった。そしてその"安心感"が生まれたことで、私の中に蓄積されていながらも絶対に認めようとしなかった疲労感が、勝手に私の頭を重くする。

やっぱり、知らない人に突然"形のある想い"を向けられることに、私は慣れていなかったみたいだ。せっかく真摯な気持ちで渡してくれたたくさんの"愛"(意味はそれぞれ違うにしろ)をまっすぐ受け止められなかった自分が、なんだかとても不誠実に見えてしまうような気がして、どうしても落ち込んでしまう。

「疲れるだろうとは思っていたが…その様子じゃ、機械的に"ありがとう"だけ伝えて回る自分が嫌にでもなったのかい」

シリウスは、そんな私の心情を全て見抜いてくれていた。
その一言だけで、私はつい"やっぱりシリウスが一番私のことをわかってくれている"という6年前から理解したことを改めて痛感した。

「…私、人の感情は尊重する、っていうのが自分の信条なの」
「そうだな」
「だからね、今日私に何かを贈ってくれた人のことは、ちゃんと名前も顔も覚えて、これから仲良くなろうって思ってたの」
「だろうな」
「でも、途中から誰のこともわかんなくなっちゃった。どうにも私のキャパが間に合わなくて、みんなの気持ち、受け止めきれなかった」
「そうか」
「シリウスやジェームズはそもそもの数が多いから仕方ないと思ってたし、リーマスやピーターはひとつひとつに誠実にお返ししてたでしょ。私は数もそんなに集まらないと思ってたし、ひとりずつに同じように向き合おうと思ってたの」
「…言いたいことはもうわかったよ。とりあえず、座ってお茶でも飲むと良い」

なんだか、子供の駄々のような言葉ばかりが出てきてしまった。皆の気持ちを素直に全て受け取れなかったことが情けないのも事実なのだが、自らの力不足を嘆いて後に引きずりながらグチグチ言う自分も好きじゃない。
人の感情ってやっぱり難しいと、6年目にしてなお思う。"嫌い"の気持ちも、"友情"の気持ちもうまく流したり受け入れたりすることができるようになっていたと思っていたが、"恋愛感情"については全然うまく処理ができない。だって気づいた時には、私が知っている恋愛感情なんて、"シリウスと私"か"ジェームズとリリー"の範疇でしかない。

愛を貰えるのは、嬉しい。
今日のこれはきっと、とても光栄なことだ。

それはわかっている。わかっている、けど。

「────君はやっぱり、優しい人だな」

モヤモヤと悩む私を座らせ、素早く紅茶を入れてくれたシリウスが、隣に座って私の肩に寄り添ってくれた。

「君のことを好きになった男どものことについては…まあ、その審美眼は認めよう。でも────」

そしていつから忍ばせていたのか、彼はローブの内側から両手に余るほど大きな赤い箱を取り出した。

「君のことを一番愛しているのは僕だし、君にとっての"本当の愛"を捧げられるのも僕しかいないと思っているよ。君のことを好きになった奴らのことは、僕がひとりずつ名前も顔ももう覚えたからな。大丈夫だよ、君に向けられた想いは僕が肩代わりする。君はただ、僕の愛だけをまっすぐ受け取ってくれたらそれで良いんだ」

疲れ果てている私に代わって、シリウスが赤い箱にかけられた金色の紐を解く。
────朝に貰ったものと同じ配色の、随分とそれより大きくなった箱だなあ、なんてぼんやりと考えていた。

「…それって、シリウスが"お前の顔は覚えたからな"って牽制したがってる、ってことない?」

そんな中でも冗談を飛ばすと、シリウスも笑って「まあ、否定はしないかな」と言った。
そして、彼は箱を開くと、中から丸いチョコレートを取り出した。

…あれ、よく見ると、それはただの丸いチョコレートではない。確かに形は丸いのだが、真ん中にグリフィンドールの紋章が彫られている。そして、本来"GRYFFINDOR"と書かれている下の帯には、英語で"愛するイリスへ 君だけのシリウスより"という言葉に書き換えられていた。

「…作ってくれたの?」
「なかなか大変なんだな、お菓子作りって。バレンタインにあんな手の込んでそうなものを贈ってくれた君の気持ちが改めてありがたくなったよ」

シリウスは、私を一番安心させてくれる笑顔でそっと笑いながら、私の手を差し出させ、赤い箱をそっと置いてくれた。

「…あの人達にも、今度ちゃんとお礼しなきゃなあ」
「ついて行こうか?」
「…ううん、手紙を出すから良い」

朝に言っていたリーマスの言葉が、ようやく私にも呑み込めたような気がした。

いつか、私なりの誠意をお返ししよう。
でも、今は。

「────でもシリウス、朝にも私、あなたからのチョコレートを貰ってるよ。あっ、そうだ、あれすごく美味しかった。ありがとうね」
「朝にあげたのは、"最初に君に想いを伝えるのは僕でなければならなかった"って思ってたからさ。それにあんなに小さなハートだけで、僕の愛が全て伝わるとも思ってなかったしな」
「小さかったけど、でもとっても濃厚だったよ」
「まあ、そう言ってくれるなら良しとしようか。ともかく僕は君に濃厚な1日の始まりを過ごしてもらって、最後にはまた僕のところに戻ってきてもらおう、って魂胆を持っていたんだ。最初から、朝と夜にひとつずつ、気持ちを贈るのは最初から計画していた」
「シリウス…」
「僕からすれば、君に薄っぺらい気持ちで近づいてきた男のことなんか全員忘れっちまえ…と言いたいところなんだが、君にそれを求めたところで無駄なのはわかっているからな。せめて今だけでも、そいつらのことじゃなくて、僕のことを考えてくれないか」

シリウスの灰色の目は、今日も煌めきを灯して私をまっすぐに見つめていた。
いつも隣にいてくれるシリウス。誰よりも私のことをわかってくれているシリウス。あちこちに喧嘩を売りつつ、結局渡されたチョコレートを受け取らせてくれたシリウス。嫉妬も独占欲も隠そうとしないくせに、その上でこんな────こんな、余裕に満ちた笑みを見せてくるシリウス。

こんなものを見せられたら、どうしたって頭の中は彼のことでいっぱいになってしまう。そんなの、私も彼もわかっていたことじゃないか。だから彼はきっと、こうやって私を好きに歩き回らせた後の一番効果的なタイミングで、私を満たしたのだ。シリウスという、私にとって誰よりも大切な人の存在で。私の、この小さな心の隅までを。

私は円形のチョコレートの端を、ちょこっとだけ噛んで口に入れた。

「おいしいか?」

楽しそうに聞いてくるシリウスはきっと、今日の計画が全て成功したことで内心ニヤついているのだろう。優しい顔はそのままだったが、どこかで「僕に敵うやつなんて最初からいるわけがないんだ」という傲慢な(私にとっては嬉しい)言葉が聞こえてくるようだった。

だから。
ちょっとだけ、今日は私もその魔法を借りることにした。

普段なら絶対にやらない。やろうと思った瞬間恥ずかしくてきっとベッドの毛布にくるまってしまうだろう。
だけど、今日は皮肉にも私が他の男子との関わりを経た上で、結局シリウスのことをどうしようもなく好きなんだということに気づいてしまった日だったから。

────私はもたれていた頭をそっと上げ、彼の顔を真正面から見つめた。

そして、私のコメントを待っていたのであろうシリウスに、顔を近づけ────。

そっと、その唇に自分の唇を重ねた。

「────!?」

基本的に私の方から肉体接触の行動を起こすことがない、それをきっと誰よりもわかっていたのであろうシリウスは、流石に驚いた顔をしていた。至近距離でも、目が大きく見開かれたのがわかる。

「…作ってくれたあなたは、どう思う? 私はね、今とってもおいしい愛を感じてるところなんだけど」

こんなこと、もしかしたらもう二度とやらないかもしれない。衝動に任せてキスをしたは良いものの、私は早速羞恥心で寝室に駆け込んでいきそうな足をなんとか理性で留めなければならなくなってしまったのだから。
でも、でもね。
やっぱり私はシリウスのことが誰よりも好きで、そして、それを彼が与えてくれたのと同じかそれ以上に返したかったから。

言葉より、笑顔より、行動で示したいと、思ってしまったのだ。

「────…君って、たまに本当に驚かせるようなことをするよな」
「愛のお返しをするなら、これが一番ストレートかな、って思って…」
「……どうせ大胆なことをするなら、もっと堂々としてほしかったけどな」
「もう、憎まれ口ばっかり叩いて」

きっと談話室には、休日を堪能した寮生達がたくさん戻ってきていたのだろう。どこか遠くで、ザワザワと楽しそうに笑ういつもの声が聞こえるような気がした。
そんな中で私は────たまに起こる現象なのだが────この世界にシリウスと2人きりでいるような、そんな幸福感に浸っていた。

今日私に贈り物をくれた皆、本当にありがとう。
お礼のお返事は、必ずします。そしてもし良かったら、この機会に仲良くしてくれると嬉しいな。

だから、今だけは────。
今だけは、"私の愛した男"のことを考えさせてください。

やっぱりあなたのことが大好きだよ、シリウス。

言葉にしなかったそんな感情でも、ちゃんと伝わっていたらしい。最初の衝撃を乗り越えたシリウスはまた優しく微笑むと、今度は私の肩にその頭を乗せてくれた。心地良い重みに私も少しだけ頭を傾げてこつんとぶつけ、声にならない言葉で感情を伝え合うことにしたのだった。











・スイセンの花言葉→「自己愛」「自惚れ」そして、「報われぬ恋」
・他のプレゼントはなんとか看過していたシリウスが、唯一勝手に暖炉に捨てたもの
・「差出人を探そうとするな」=「探してしまえばきっと君の知っている人間に辿り着く」

基本的に贈り主はモブで構成しておりますが、スイセンを送った"悪意のある人間"だけは明確なキャラクターのイメージを当てはめています。
もし良かったら、想像してみてください。
彼女に「自己愛」、「自惚れ」の権化である花を贈り、それでもなお、「報われない(…恋では絶対にありませんが、)複雑な気持ち」を抱えていた"彼"のことを。









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